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by kazem2
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キム・ジウン監督「欲望の一番醜さ」を表現した

<甘ったるい人生>(2005)以後 3年, 男たちのスタイル里の時したヌアール世界を探求したキム・ジウン監督が砂願い吹き荒ぶ満洲大平原に帰って来た. ‘満洲ウエスタン’ <ノムノムノム>は 1930年代満洲を背景で, 宝物を捜すために追って追い回される追撃戦をする三人の男の話だ. 感情の流れに付いて進行される話構造はむかしのままだがウエスタン世界が噴き出すエネルギーの威力は監督の前作と比べることができない位だ. キム・ジウン監督に会ってそのエネルギーの正体に対して問った.

♡ブレードランナー



手始めは一枚の宝物指導だ. 清の時消えた宝物が多量売場された位置が表示されていること. ‘良いやつ’ 桃源はお金になることなら選り分けない懸賞金狩人. ‘悪者’ チャンイは大陸最高を夢見る悪名高い馬賊団親分. ‘変なやつ’ テグは言葉代わりにバイクに乗って大陸を歩き回る列車強盗犯. 三人の奴はそれぞれ他の性格と以上を持っているが宝物指導の存在を確認した瞬間目的が同じくなる. 宝物を中置いてこれらの欲望が衝突しながら満洲大平原はまさに混乱の無政府状態に陷る.

こんな欲望のコックジッゾムにはその誰でもないキム・ジウン監督が落ち着いている. <良いやつ悪いやつ変なやつ>(以下 <ノムノムノム>)はキム・ジウン監督の個人的なファンタジーが深く滲んでいる作品だ. コメディー(反則王), 恐怖(長靴, 紅蓮), ヌアール(甘い人生),
SF(天上の被造物)を経由して満洲ウエスタン <ノムノムノム>でジャンル実験を完成したい欲望, 自分が過去沸き返えたセルジオ・レオーネの <夕陽の無法者 The Good, The Bad, The Ugly>(1966)とリメークしたかった故 李マンヒ監督の <鎖を切りなさい>(1971)を自分の式で解釈して新しいウエスタン世界を創造したい欲望が作用したのだ.

<ノムノムノム> カンヌバージョンに引き続き記者試写会を通じて韓国バージョンをお目見えした. 時事後にまた手入れしているのではないか?

キム・ジウン監督当たる.(笑い)

どんな部分をまた編集しているか?

キム・ジウン監督試写会を終えて多くの話があったがなかでも私をちょっと触れる指摘があった. 結末部大平原場面場合, テグが大平原から荒野に行く途中中間に一人で過ぎ去る谷場面がある. 1分 30秒位持ち出すつもりだ. 実はカンヌバージョンより韓国バージョンの大平原追い討ち場面がもっと増えた. また手を見たら分量は増えたが垂れる味はなくてむしろ簡潔になりながらボリューム感が増えた. リズム感が暮しながら凝集された感じが強まったと言おうか. 谷場面を無くしてすぐエンディングで行くことが大平原の迫力あふれる場面をいきいきと保存する方法のようだ.

<鎖を切りなさい>で霊感を得る

この映画作る前 <ノムノムノム>を含んでさまざまな構想中の作品があったと?

キム・ジウン監督 <ノムノムノム>のように時代劇なのに日帝強点期を背景にした私立探偵物の話があったしもう一つはソン・ガンホ, ユンゼムン, 五逹数, 門の音が出る ‘ドルメン’ 映画. これらが話にならない動物音を出しながらマンモスと争う映画作ればおもしろそうではないか? (ガンホ)強豪さんがOKすれば本格的に推進して見ようとするのにどうしても話ができなかった.(笑い)

<ノムノムノム>が具体化されたきっかけは何や?

キム・ジウン監督韓国映画界が好時節だった時, 何人の同僚監督たちと親しいプロデューサー, そしてホムンヤング先輩(現釜山シネマテーク院長)とこんな話をしたことがある. 先輩監督たちの作品をリメークするプロジェクトを推進すればどうか, 大好きな企画だ. 断絶された韓国映画歴史を後輩監督たちが引き継ぐという意味もあって. そうする中虚先輩が韓国にも西部劇があると言及した映画がすぐ <鎖を切りなさい>だった. 当時私は映画も見られなくて存在自体も分からない状況だったがその話を聞く瞬間リメークしたいと言った. しかも 、反則王> 以後長い間強豪さんと映画がする事ができなかったから一緒に西部劇をして見るか, ところでこれが果して韓国で可能だか, と思って韓国映像資料院に街 <鎖を切りなさい>を見た. ところで反情も見てから走って出た.

楽しさがなかったか?

キム・ジウン監督映画は面白くはあったのに早く家に行ってシナリオを書かなくちゃいけないと言う考えが先に進んでいたよ. 純粋な娯楽形態のジャンル映画としてとても面白いだけなく韓国でウエスタンが可能だという確信と勇気を与えた. すぐ走って出て強豪さんに行って西部劇をしなければならない言った. 初めにはとんでもない提案に特有の笑いでからからと笑って “監督様, 一度やって見ます.” 日からここまで来るようになった.

<鎖を切りなさい>のどんな面でモチーブを得たか?

キム・ジウン監督背景が 1930年代なのに当時国家的状況にもかかわらず個人的な欲望を現わす部分が私にアッピールをした. 劇中三人の名の主人公がひたすら個人の欲望にとらわれすぎる人物に描写されるが彼らのエゴイスチックな行動がむしろ愛国するようになるアイロニーが気に入った. そんな無政府状態の人物たちが各各自分の欲望と夢にとらわれすぎるようになる時もたらす阿鼻叫喚, あるいは大小童劇を作りたかった.

欲望の阿鼻叫喚を扱うからか, 前作をひっくるめて <ノムノムノム>は一番過剰の映画だ.

キム・ジウン監督そうだ. 誰かはそれほど表現していたよ, マニアティックしたブロックバスターと. 例えば, 泉レイミ(イブをデッド、 ダクメン)が <スパイダーマン>を作るからマイナーした情緒がブロックバスター中に解けて交ぜて変なアウラを漂って楽しさを与えないか. そんなマニア的な要素が私にはブロックバスターではないかと言う. 私の信頼する知人は <ノムノムノム。を置いて “純粋娯楽映画がこんなに狂気が感じられるのは初め”と表現したが本当に触れていたよ. 私たちが <ノムノムノム> 撮影した時臨んだ態度と状況は本当に話にならない無謀な挑戦だった. 本当に狂ったように取った.(笑い)

1930年代が背景だが時代に対する描写はとてもかすかだ. ひたすら欲望にだけ焦点を合わせて近付いたら返って現実に対する話という気がしていたよ.

キム・ジウン監督当たる. 個人的に博物館スタイルで時代を考証して説明するのはあほらしい仕業だと思う. 実は過去も未来のように SF的な要素を持っているのなのにそれで現在性が入るように鮮やかな感じを持って来ようと思った. 劇中人物たちが持っている欲望と執着が現在私たちの顔を出すように, または反映することができるように構図を持って来た.

映画の多くの部分が <鎖を切りなさい>でモチーブを得たことにもかかわらず題目は <夕陽の無法者>から持って来た. 事実 <ノムノムノム>が <夕陽の無法者>で借用したのは題目と結末部の構図位ではないか.

キム・ジウン監督実は題目の <ノムノムノム>は主人公の性格だけではなく最後の銃撃戦をした後処した状態まで言うことだ. 良い奴は懸賞金狩人であるだけに窓とテグが倒れることを見た後こそ倒れたら良い状態, 悪いやつチャンイは自分が最高なのを確認することができずに倒れたら悪い状態, 変な奴はそんな状況で変な音や海台だから変な状態.(笑い)

はじめから題目が <ノムノムノム>であったか?

キム・ジウン監督いくつもっとあった. <3人の悪人前>, そして <年寄りのための国はない>を見た後にカンヌバージョンを見たら <君たちのための国はない>に変えたかったよ.(笑い) <ノムノムノム>を題目にするつもりはなかったし単純に仮題だった. スチーブンスピルバーグが <ジョーズ>を説明する時 ‘食人鮫が出る海洋さむらい’と言ったと言うのに映画の性格が明確に伝達しないか. 私もそんな式で映画を説明しようと ‘日帝時代の西部劇’と題目を付けたがあまり呼応が良いことだった. そのように商業的な要素がある題目を厭う理由がなかった.

無国籍空間でもたらす欲望の衝突

いつも空間から決めておいて話を作った. 今度はどうだったか?

キム・ジウン監督この前にスペインのグラナダに行った. 汽車で通り過ぎながら原野が見えるのにセルジオ・レオーネがここでウエスタンを取ったな, 我が国にもこのような所があれば良いと思った. そうしてから <ノムノムノム>の背景が満洲だ見たら中国を尋ねるようになった. 満洲原野は砂漠砂の感じではない. 実は満洲原野は今ほとんど消えたし工場が立ち入っている状態だと撮影地をドンファングで決めた. <ノムノムノム>を企てながら一番先に頭の中に浮び上がったことが, それぞれ他の理由で広闊な大平原を及ぼしたように疾走する男たちの姿だった. そんな男たちのロマンを描く空間が必要だった. そのため <ノムノムノム>は前作たちと違い先に空間に対する設定をしなかった. ただ満洲の大平原だけ思いながら主人公たちがその所に至るためにどんなに話を構築するか悩んだ.

ドンファングの大平原を見たらどうなのか?

キム・ジウン監督一種の原始的な解放感を感じた. 開けた原野を見ながらウエスタンを思い浮かんだしひととき韓半島がもっと北に開かれている時があったがそれで韓国の人々にも大陸的気質が確かにあることという気がした. まるでアメリカ人たちが新大陸を見つけながら開拓精神を夢見たようにうちの先祖たちも広闊な満洲原野を眺めながら無限な夢を見なかっただろうか.

ウエスタンは大平原が主な背景なのに <ノムノムノム>は帝国列車やグィシザングなどのような個別空間も重要に扱われる. そんな点でジャンル的な独特さを帯びる.

キム・ジウン監督ハワード・ホ-クスの <リオブラボー>(1959)を例であげれば, 室内ウエスタンだと言うほどに室内で開くこまごましい話が中心になる. 私は <ノムノムノム>を通じて満洲の混乱する状況を演出しようと帝国列車やグィシザングなどのような個別空間をたくさん作った. しかもそれぞれ他の人物たちを説明しようとしたが見たら結果的に室内が多くなった. そんな設定が他のウエスタンと違う地点になることができるようだ.

劇中満洲の混乱することが大根の汁静寂に表現された.

キム・ジウン監督 1930年代満洲が本当にそうだった. 当時写真を見れば本当にスタイル里の時する. 事実 <ブレードランナー>(1982)も東京と香港の特徴を誇張して演出したイメージであって歴史的再現とへだたってないことを作り上げたのではない. <ノムノムノム>の満洲も国籍不明, 時代不明のように表現されたが実際その時代が本当に一種のカオスのような世界だった.

まるで SFのような.

キム・ジウン監督満洲という空間が多国籍なので少しはポストモダンした雰囲気のためかどんな評論家は “セルジオ・レオーネであると思ったら <ブレードランナー>であったな”だそうだ. 実際に私たちもグィシザング場面撮影しながらセルジオ・レオーネにならなければならないのになぜ <ブレードランナー>になったの, こうだった.(笑い) 特に外国評者たち場合, 日帝強点期当時我々の歴史的背景が分からないからもっとたくさん SFスロブダで表現するようだ.

あなた映画のストリーテルリングは事件の流れより主人公の感情流れに付いて行かないか. それでキャラクターが付与された空間の構成が一番隠密な金辧主の家で始めてぽん抜けた大平原で終わるようだ. 内密した欲望のつまらない結果か.

キム・ジウン監督人間が欲望を持った時どんな形態で, いくら酷く出ることができるのか見せてくれようと思った. 例えば, <甘い人生>が欲望のつまらなさに対する話なら <ノムノムノム>は欲望の酷い形態に関する映画だ.

この映画にアクション場面が多いことはそんな目的性のためか?

キム・ジウン監督そうだ. これを通じて家ヨハネ追撃戦, 心臓を搏動させる興奮感を高めようと思った. その中に悽絶さと度胸, 興奮が皆混在するほどに感情のパノラマが存在すると思う.

それぞれのアクション場面ごとにコンセプトを確かにした. 特に主人公三人の奴がサムドングカンからイルドングカンまで順に移動しながら広げる帝国列車アクションの場合, 映画の空間的構成と流れを圧縮して見せてくれるのがおもしろかった.

キム・ジウン監督サムドングカンからイルドングカンまで空間のコンセプトを異にして当時の多国籍な雰囲気を階級性で表現しようと思った. 三人のやつの最初追撃戦が起る位人々の登場をどんなに面白く持って行くか悩んだ側面もある.

アクション場面でのカメラ活用度目立っていたよ. 列車が急停車すると慣性に負けて不本意ながら鉄砲が打ち上げされる場面は直接カメラがころがって行きながら撮影したよ. グィシザングで桃源が滑車竝びを取って空に飛ぶアクションはカメラマンが直接ワイヤーにぶら下げられて撮影したし.

キム・ジウン監督ハリウッド映画が提供する視覚的快感と比べて劣らない場面を作るために試みたものなどだ. 帝国列車の撮影はカメラ監督一人で解決することができる問題ではなかった. 全体的な構成のためには美術チームも, 特殊效果チームも, 特殊メークチームもなければならない. しかもカメラマンがすれば危ないからスタンドマンがカメラを持って直接転がって撮影した. グィシザングの桃源アクションはワイヤーカム(Wire Cam)ではなくワイヤーマンたちが作った.(笑い) 叔母ヶ撮影監督が, チョン・ドゥホング武術監督が, 女警察補ステデ−ケム監督が交替しながら撮った場面の中で一番良い絵を選んだ. アナログ的な方法だがワイヤーカムなら作る事ができなかったもっと鮮やかで迫力あふれる躍動的な場面を得ることができた.
結末部大平原の追い討ち場面はアナログ方式のハイライトではないか?

キム・ジウン監督その間アナログ的な方式の追い討ち場面は <ベンハー>(1959)もあったし <マトリックス>(1979)もあった. 完全なカオス状態を見せてくれようと思った大平原の追い討ち場面は彼に劣らないと思う. どんなウエスタン映画でも表現することができなかった場面を私たちがしたということに自負心を感じる. 個人的なファンタジーをこんなに完璧に具現してくれたスタップたちが本当に驚くべきでありがとう.

満洲ウエスタンだ以前キャラクター映画


<長靴, 紅蓮>は 10代少女の ‘内面’を形象化したし, <甘い人生>は組織暴力団男たちの ‘外面’を見せてくれた作品だ. <ノムノムノム>は欲望という内面とアクションという外面を皆見せてくれる.

キム・ジウン監督先立って主人公の感情流れに付いて話を作るという質問に対してもうちょっと補って返事しようとすると, 私がどうして映画を作るが考えて見たら人々の表情ためだと思う. どんな瞬間に出る不可思議で不可解な表情のため映画を作るようだ. ジャンル物でも娯楽物でも人々を見せてくれたらと思った. <ノムノムノム>もキャラクターとスペクタクルなアクションビジュアルをずっと見せてくれようとするビジョンを持って映画的要素で構成した.

主人公キャラクターが三人の人だから位シナリオ作業から人物の間均衡を取る事が大変だったろう.

キム・ジウン監督そうだ. それぞれ異なる魅力と違う ‘悪知恵’と違う色を持って衝突する人物たちだからはじめから正確に構図を組むのではなくずっとバランスを念頭に置きながらその時その時合わせて行った. それはシナリオだけではなく現場でも, 編集過程でも同じだったしずっと悩んだ部分だ. 実はテグが事件の背役目をしながらことを連れて行くがまた一方では窓と桃源が他のアウラを持ちながら話にスミョドルオがはした. そんな面で特にチャンイの役目が重要だった. 泰で, 桃源と違いオロッが一つの感情を持ちながらドラマの軸を成さなければならなかったから ビョンホンさんがチャンイの感情とドラマを構築するのにとても曖昧だったんだ.

<メモリーズ>でジャンル世界に足を浸した以来 <長靴, 紅蓮> <甘い人生>まで結末が皆悲劇的だった. <ノムノムノム>は様相がちょっと違っていたよ.

キム・ジウン監督私の映画は実はすべてシニカルとか寂しいとかすごく可哀想だった. それさえも <反則王>が憐愍と惻隠之心を誘発してちょっと希望的な感じを与えたが <ノムノムノム>がこれに似ている. 私の映画の中で一番希望的なエンディングだと言えるか. 実は人生きて行くのが人生流転のように皮肉としか言いようがない. 混乱のグロングトングが中でも生きてみようという一念一つで自分を取り纏めないか. <ノムノムノム>を通じて生の多様で躍動的な姿を最後まで見せてくれたかった.

<ノムノムノム>で希望的なエンディングが可能だったのはソン・ガンホが持つキャラクターのためではなかっただろうか.

キム・ジウン監督そうだ. ソン・ガンホが持っているキャラクターの力だ. ソン・ガンホのユーモラスさがよく暮らした蟹 <反則王>と <ノムノムノム>だ. ソン・ガンホが主人公なら何か悲劇的なエンディングで終わっても私たち姿を反映することだから力を込めて慰安をくれる. もしイ・ビョンホンやチョン・ウソンのエンディングだったら他の様相だったようだ.

宝物指導を手に入れることができなかったチャンイがのんびりと劇場で映画を見ないか. スクリーンに場面が闘士になるのにせりふだけ聞こえるの何の映画なのか絶対見せてくれなかったよ. 当然ウエスタンであって考えるが.

キム・ジウン監督ウエスタンではない. クラークケーブルが出るフランクキャプラの <或る夜の出来事>(1934)だ. 大金持ちの娘であるエリー(クローデット・コルベール)がお父さんから逃げ始まり隠れている場面なのに警察が差しこむとピーター(クラークケーブル)と夫婦になりすます. 警察が ‘名前が何ですか’ ずっと問って見るのにここで部下がチャンイに “(宝物指導を持っている奴は) テグです”と言う. 私だけが分かるユーモアだった.(笑い)

キャラクターの心理を空間と連関させるあなたの能力はホラームービーが好きな趣向のせいではないかと思う. ホラームービーは制限された空間を背景して人物の心細い心理を恐怖で昇華しないか.

キム・ジウン監督どうして私が空間にとらわれすぎるか知れない. 悩んだ部分をまた思うようにしてくれる質問だ. <ノムノムノム>をしながら映画は時間性媒体という考えをたくさんした. 映画が持っている時間的な速成をよく分かる監督が映画をおもしろくする監督と言うのを <ノムノムノム>を通じて分かるようになった. その間空間にあまり執着をして見るからしきりにとどまっているという感じがしていたよ. 次の映画からはちょっと変わることができるんと言う気がする.

次の作品はクロード・ソテー監督の <マックス Max et les Ferrailleurs>(1971) リメークではないか?

キム・ジウン監督手順上ではところでどんなに進行されるかはよく分からない.

それではまた他のジャンル映画?

キム・ジウン監督今までジャンルをしたらこれからは話を先に思って彼に当たるジャンルを捜すかと思う. ジャンル訓練をたくさんしたし心理的な話もしたから今やっと映画青年から映画大人で移らなければならないのではないかと言う. そのため <ノムノムノム>をしなかったら次の段階に移ることができなかったようだという考えまでする.
記事入力 2008-07-22 18:33
by kazem2 | 2008-07-22 20:02 | Movie