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CINE21 ガン・ビョンジン記者映画「るつぼ」インタビュー

☆Source
記憶して見よ! 冷遇してはいけない痛い真実を①
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コン・ジヨン作家の小説<ルツボ>が映画化された。 活字にも耐えられるのが難しい話をもう映像で眺めることになったことだ。 <マイファーザー>の、ファン・ドンヒョク監督が演出した<ルツボ>は映画的なトリックを最大限排除したまま原作が伝えた当時の記憶を再現している。 監督に小説が映画に移ってきた過程と演出態度に対して尋ねたし、コン・ジヨン作家を通じて実際事件の内心を覗いて見た。 熱心に冷遇したい話だが性暴行という事件の性格だけでなく話が含んでいる韓国の現実が2011年現在とも相対しているという点で<ルツボ>は確かめて行かなければならない作品であろう。

左手子指を展開する。 右手親指をつける。 男が女を強制的に暴行しているという意の受話だ。 映画<ルツボ>はこの簡単な受話に含まれたぞっとする実話に関する話だ。 聴覚障害者らに加えられた性暴行事件の全貌と真実を隠そうとする動きを描写した映画は彼らの痛みとこれを慰めない社会に対する無力感を表わしている。 もしもこの映画が映画だけができる奇跡で被害者らの恨みが極に達した凝りを解きほぐすことと考えるならば誤算だ。 被害者は当時の記憶に身震いして、彼らの話を聞く人々は悲鳴を吐きだす。 <ルツボ>は事件の実体に近付くほど、苦しい息を追い立てて休むほかはない話だ。

被害者らの悪夢は去る2005年11月1日放映されたMBC を通じて世の中に知らされた。 事件の場所はある障害者寄宿学校だ。 聴覚障害者の14才の女子学生が学校の行政室長に性暴行にあった。 学生の証言が公開されながら腐るだけ腐った傷が溢れでた。 社会に出て行った卒業生が自身が当てられた性暴行の記憶を打ち明けた。 静まっていた目撃者は行政室長だけでなくいくつかの先生が学生たちを性暴行したり、しようとしたという証言を吐き出した。 教室清掃をしている学生を追いかけながら性関係を要求したり、誤りを罰する代わりに口を合わせたり学生を執務室に呼んでセクハラをするなどの暴力が強行された。 学生たちは学校側の対策準備を要求したが校長は黙認した。 性暴行にあったと証言した学生は学校の執拗な陳述翻意要求を受け入れるほかはなかった。 結局加害者に対する告発と拘束、職位解除が続いたが、学生たちのくやしさをなだめる程適正価格を払ったこれはなかった。 “最後の宣告公判の風景を描いたスケッチ記事で一度も経験してみたことない悲鳴を聞いたようにした”小説家コン・ジヨンは被害者らと彼らを助けたこれらの証言を土台に小説<ルツボ>を書いて出した。 小説が伝えた事件の実体は演出提案を受けたファン・ドンヒョク監督が“何度も心を落ち着かせて読まなければならない”だけに想像の領域を抜け出していた。

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被害者の子供たちのキャラクター浮上の話は霧で覆いかぶさった山間道路から始まる。 美術教師強靭号(コン・ユ)が霧が多い都市無尽の自愛学院(塾)へ向かうところだ。 隣好の到着と同時にある幼い少年が線路で短い命を終える。 初めての授業で隣好は年頭(キム・ヒョンス),民需(ペク・スンファン),有利(浄人で)をはじめとする子供たちが何かを隠しているとのことを直感する。 表面では礼儀正しいふりをしながら先生になった道理で学校発展基金を出せとの校長と行政室長もどこかうたがわしい。 そのようなある日、隣好は廊下のお手洗いで薄い悲鳴を聞く。 校長に性暴行にあった年頭の悲鳴だった。 隣好は無尽の人権運動家のユジン(チョン・ユミ)と共に事件の全貌を暴く。 年頭の証言、友人の有利の証言、そして民需の証言がより増しながら限りなく教育庁選定最優秀学院(塾)の自愛学院(塾)のかくされた真実があらわれる。 校長と行政室長、先生が学生たちの性別と年齢を分けないで性暴行をしてきたとのこと。 それに対する衝撃で民需の弟(妹)領収(領袖)が線路で自殺に近い死を迎えたということだ。 だが、本当に醜悪な真実は事件が世の中が知らされた以後から姿を表わす。 隣好とユジン、そして子供たちの目に映った世の中はまもなく学校と市庁(視聴)、教育庁、警察、検察、教会などなどが一ケ所編集されて乱交を行うように転がる‘狂乱のルツボ’だ。

ファン・ドンヒョク監督は原作に従うこと他に別に事件の内心を取材しなかった。 小説に含まれた事件の流れがまもなく実際事件の痛みを表わすことができる最善の話と考えたためだ。 “前作の<マイファーザー>より正直にとろうとした。 <マイファーザー>は実話だが基本的に暖かいうえに主人公の内面変化が説得力を持たなければならない話であった。 だが<ルツボ>は事件自らの重さが重要な話だ。 ややもすると実話で原作にない他の話を捜し出すことがかえって実話をわい曲することができるという負担もあった。”霧の中道路の風景と線路上の少年を交差させるオープニングから双子の校長と行政室長の顔、聴覚障害者の少女が法廷で音楽を判別する場面など映画で引き立って見える設定の大部分も原作に大きく寄り添っている。 ただ、事件を案内する強靭号とソ・ユジンの理由と役割は原作に比べて縮小された。 映画の中の強靭号は原作と違い過去教鞭を取った時期会った少女に対するトラウマを消したまま登場する。 映画に合うように脚色されたソ・ユジンの過去も編集過程から消えた。 ファン・ドンヒョク監督は“中心人物らの理由がキャラクターの深さを表わすことはできるが事件全体の流れとは多少関係がないようだった”と話した。 二つのキャラクターは観察者であり助力者の役割に留まることになったがおかげで共有とチョン・ユミが持った大衆的なイメージは事件の重さに適切に身をのせることになった。 何より被害者の子供たちのキャラクターが浮び上がった。 映画で子供たちは性暴行にあう瞬間の苦痛だけでなく、真実が無視される過程の痛みまで全部全身で体験しなければならない所に位置している。

文:ガン・ビョンジン 2011.09.27 Share it
by kazem2 | 2011-09-27 12:53