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[ダヒェリーの頃何読む?]自分の考えを聞く

☆cine21.com
"安藤忠雄の都市彷徨"、安藤忠雄著/オープンハウス社発行
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"ある地域の風土は、人間の体内で血のように流れ、細胞の奥まで染みこみながら記憶を続けていく。ガウディの作品を見ると、風土こそが、創造性が潜在している所である、改めてわかる。近代建築は、廃棄した要素の一つがまさに風土だ。1960年代から世界各地で同時多発的に作られた近代建築は、空間から、自然を遮断し、テクノロジーによって管理される空間を造成した。その中で建築、消費社会の商品に過ぎない。しかし、建築とは本来人間が生活するための出発点でなければならない。"

"安藤忠雄の都市彷徨"は、彼が60年代半ばから90年代までの旅を通じて出会った都市建築を扱ったエッセイ集です。日本政府は1964年に初めて一般旅行者の海外旅行を許可したというのに、彼は1965年に最初の船と電車を乗り継いでモスクワを経てパリに入城したという。ルコルブィジエの出会いを期待していた若い自分を思い出す文で始まるこの本は一生の建築という問題を考え、生きるということはどういう意味なのかを悟るようにしてくれる。建築を業とする人なら、この本についての専門的な所見を出すことができるだろうが、私としてはただ一人の人間が世の中を眺める一つの窓に会ったという喜びを感じるだけだ。生涯野球だけ考えて生きてきたSKワイバーンズ金星根監督の野球論を聞いてみると、それ自体で、人生の悟りを得るように、安藤忠雄の建築の話は、時には具体的で、時には抽象的ですがすべて統合的に人生についての話で、価値観の話だ。どのように生きるか、どのように疎通するかという問題を、自分が生涯身を置いて働いてきた分野に話す。この記事の冒頭に引用したガウディの建築に対する賞賛は、現代建築が行っていくことができる最も幻想的な現実を目撃することに起因する。

完成した建物だけが、この本の素材に上がるわけではない。安藤忠雄は、1997年に京都駅新築の設計案を国際建築コンペに提出してから落ちたが、自分が思っていた京都駅の具体的なアイデア(結果的には予算も、敷地もすべてを超えた案だったが)をこの本に再び一度広げてみせる。さらに完工前の工事現場の写真を載せて、"未完のエネルギー"の魅力を強調する部分もある。

芸術家としての若さと情熱を維持するためには、十八歳以降に体重の変化がないように体調に気を使って、それだけ激しい悩みを失わない。感心する前に学びたいと思う姿勢だ。"誰もが一生一度くらいは爆発するのはそれほど難しくはない。しかし、長くはない生活の中で、ピカソのように何度も爆発を繰り返し、野生のゴリラのように生きていく人生こそ、真の才能を必要とする。人間社会の垣根は目に見えない。自分も知らない間に野生のゴリラもむずむず飼育に飼いならされた動物園のゴリラになってしまう。"

文:イ・ダヘ 2011.06.30 Share it
by kazem2 | 2011-07-02 19:50