[外信記者クラブ]日本映画産業映画会社らがダメにする
2010年 08月 04日
羅生門
監督・スターら低賃金支給、ごく少数DVDらだけ英語字幕処理
日本はこれ以上他の外国文化が日本に入ってくることを防ぐことはできない状況にもかかわらず、相変らず自身の文化を輸出するのをいまわしがる。 また、ごく少数の日本DVDらだけが英語字幕が負わせられたまま発売されて、日本映画会社らは相変らずプレビューテープを送ってくれるのを嫌いだ。
日本の<朝日新聞>は最近“韓国と中国が‘クール’文化競争で日本を追い抜く”という題名の記事を載せた。 その記事は去る7月初めパリで開かれたジャパン エキスポに韓国漫画を広報するブースが参加した事実を報道しながら、日本通商部公務員の“この行事を韓国漫画が支配する日が来ること”という悲観的なコメントを引用した。 この漫画ブースは韓国コンテンツ振興院が約18億ウォンの費用をかけてたてたと報道された。
しかし日本映画産業が衰退しているならばそれは政府の支援不足のせいでなく日本映画会社らの態度のためだ。 国内市場が飽和状態になりながら韓国映画産業は成長のために海外市場を切り開いてきた。 1976年唐山地震を扱った中国ブロックバスター映画<余震>は韓国の技術スタッフらが参加してジャンル的に話を解きほぐしてハリウッド映画に匹敵するほどの水準で作るのに大きく寄与した。
日本映画は国際映画祭で長い間の歴史を持っている。 黒沢明の<羅生門>が1951年ベニス映画祭で公開されたのは韓国映画が国際映画祭に姿を表わす数十年前のことだ。 しかし日本はこれ以上他の外国文化が日本に入ってくることを防ぐことはできない状況にもかかわらず、相変らず自身の文化を輸出するのをいまわしがる。 韓流が可能だった理由の中の一つは音楽、映画、TVなどの日本製作者らが国際市場価格に合わせて自分たちの商品を外国に売ろうとしなかったせいでもう少し実質的な価格を前に出した韓国競争者らに市場を渡したおかげだった。
日本の映画市場は現在の極端な飽和状態に置かれている。 昨年だけでも劇場で上映された者国営化が400編余りを越える。 一週間に平均8編が封切りするわけだ。 100ヶ余りを越える映画らは最初から劇場上映もならない。 日本映画産業がこういう飽和状態を維持できる秘密は映画監督とスターらに衝撃的である程少ない金を支給するためだ。 監督らは広告とミュージックビデオをとって収入を充当して俳優らは名声と収入を得るためにTVドラマと広告に出演しなければならない。
日本映画産業が向き合った最も大きい問題は映画チケット値段が韓国価格の新年挨拶に達する約2万4千ウォンに固定されているということだ。 そのような状況で観客は‘とても確実な’映画だけ見に行くことになる。 例えば有名小説やTVシリーズを映画化したこと、またはTV会社らが製作パートナーで立ち上がって観客が見なくては耐えられなく広告を行う映画ら話だ。
韓国映画が一夜の間に国際的な成功を収めた理由の中の一つは英語字幕が入ったDVDらが発売、流通するためだ。 おかげで有名国際映画祭らが最高の韓国映画らを無視しても海外観客はさらに小さい規模の行事らでそれらを見ることができる。 反面ごく少数の日本DVDらだけが英語字幕が負わせられたまま発売されて、日本映画会社らは相変らずプレビューテープを送ってくれるのを嫌いだ。 したがって最高の日本映画を見せる映画祭らは日本語で言うプログラマーがある映画祭らで限定される。
その結果良い日本映画らを等しく見ることができる国際映画祭は特殊な小さい市場を狙った映画祭らの富川(プチョン)映画祭、ドイツのニッポン コネクション、ニューヨークのジャパン カットなどに限定される。 これらの日本映画プログラミング水準はロカルノやサンセバスティアン同じ映画祭の水準をはるかに凌駕する。 ベルリン、カンヌ、ベニスもこれらよりもっと上手くやると見るには難しい。 もう(3大映画祭を含んだ)有名映画祭らは‘クール’したのを規定するどころかこれ以上どんな映画が良い映画なのかも決定できない境遇だ。
文:スチーブン クレミン(<スクリーン インターナショナル>記者) 2010.08.04
翻訳裏書遅延