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by kazem2
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[できる者がク・ハラ] 湿地生態報告書

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連載素材の意味と面白味を探して憂える異議楽しい告白




敗北することを怖がり出発線に立つことを避けているのか? あるいはおとなになる日をしきりに先送りしているということだろうか? 不安な目つきで友人の年俸を尋ねたり不動産情報をいじくりまわすもしかしたら悲しいその日に一時はこのようにならないように努力しました自衛する記憶を作っていることだけであろうか?
-チェ・キュソク<湿地生態報告書>中で

見るように2週に一回ずつ<シネ21>に200字原稿用紙15ページ内外の原稿を送らなければならない。 それでも<シネ21>なのに、大学校1学年から愛読した貫ろくの映画ジャーナルなのに、学部時期身を置いた映画サークル先輩らもどこかで広げてみるはずなのに、何か意味もあって面白味もある文を送らなければならないようだ。 そうとも、意味と面白味、攻撃と守備、パク・チソンとイ・ヨンピョ. この二つだけ整えれば何が恐ろしいだろうか。 ところで意味があろうとするならその‘何か’に対する憂いが優先しなければならないだろうし、おもしろくするならそれにもかかわらず、ウィットを混ぜて解きほぐさなければならないでしょうに…容易ではない。 二アーバン満足するほどの文を書いたのも同じだが伝え聞くことではかえってその原稿は良くなかったという。 それで本来文外界に対する憂いより原稿締め切りに対する憂いだけいっぱいだ。

そうだ、余談なのに、どんな懸案を気を遣って深く考えるのをそのまま‘悩み’といわないで‘憂い’と使えば少しあるとみられる。 ‘憂い’は何か粘り強くて切実に気を遣うようだし‘悩み’はどうして見たら芸能人が服を選ぶイメージが思い浮かぶ(コ! ユーコ・コル!)。それで、かえって、私は‘憂い’という話をしばしば使う文筆家方々を見れば少しその心中が見透かされて可愛い。 憂えるイメージのために憂いという言葉を使うようだがそれが一人でうまくいこうとそうするのでなく一緒に世の中を憂えようと薦めるということだから悪くない。 ところでこれからはたびたびそのまま‘悩み’という話も使って‘憂い’ 2音節のポスを惜しんでおくのも良い。 ‘ずっと気にかかる’という表現も大丈夫だ。

‘無恒産無恒心’(無恒産無恒心)孟子のお言葉また本論(きっとこの文の本論は何がなるだろうか). 初めて連載を承諾する時、ちょうど何の収入源がなかった。 その間映画自体では特別得るところがなかったがそこで派生する色々な副収入-ささいな映像、原稿、講義に対する代価-おかげでそれとなくお腹がすかないように生きてきたがぴったり昨年冬からこともなくてあなたもなくてぷうっともなくて意欲もなかった。 それでも大きい心配をしなかった理由は、最初に、家から出て自炊をした以後で残高が奸党間当てられるときはあたかもそのような私の事情をCCTVで見守ったかのように重要な収入源ができたりしたから。 “ここに月刊OOですが、エッセイ一方請託したいです。 原稿用紙一枚にいくらいくら.” “あの、ここはOO学校ですが、きて特講一度されますよ。 一時間にいくらいくら.”その有難い慣性らが小心な個人を素早くおおらかにさせた。 実は二番目理由がさらに強固だ。 ご両親がいわゆる富裕層までは違うが退職の後にも分かって生活しておられるという点(たとえばインプラントをするなど大きい見積もりの日常もその間貯蓄したお金で分かって解決をする). その上私のポケットに本当に一銭もない時電話をすれば幾十万院程度はとり急ぎ融通をされる。 昨年住む所を移す時は貸し切り保証金も渡された(振り替え手数料できるから国*銀行口座を一つ作れと毎度話をしているのにそれでお金借りるのがクセになるかと思って作らなくなっている). 映画を作ろうがどんな発言をしようが間に分かってみればママ、パパが支える最小限の丘を信じてふざけるのではないかという考えを常にする。 無恒産無恒心.

したがって<シネ21>で隔週コラム連載をお願いした時声管理はしながらも‘今度はこれが飛び石だね、遠慮してはならないだろう’と直ちに決心した。 一ヶ月に二回入金される原稿料は少し惜しい金額だが、ハム民福容認の<肯定的なご飯>のような詩を考えればとてもありがたくだ。
詩一編に三だけウォンならば/とても反駁したと思いながらも/米が二つの話なのに考えれば/すぐ心が暖かいご飯になるよ

詩だけに清貧なことはなくて米二言葉で満足はできないし、それでもこういう拙稿一つで電気料金、ガス料、水道料等等を出すことができると考えれば心が露骨(老骨)露骨(老骨)あるシリアル程度はなる(ただし至難冬、理事家中の暖房システムを間違って理解したおかげでガス料は超過であった). また、余談だが、持った方々の委員会で時間当り最低賃金を10ウォン引き上げておいて恩着せがましくしているんだ。 1週5日、一日8時間労働で打てば、たとえば清掃用役(サービス)労働者に一ヶ月に1600ウォン程度さらに受けろとの話. ちょうどKBS受信料20%引き上げに対する便りをどんな方が比較対象で引用しておいた。 このように世の中は厚顔無恥なシチュエーションコメディに成っていくのに私はそれでも初代お客さん程度でおとなしく優遇されているわけ。

映画を話す空間中にあるという楽しみ原稿料+アルファの何か期待したもようもする。 直ちに作品は作れないでいるけれどそれでも映画を作って話すコミュニティの磁場の中にまだそれなりの住みかがあるとのことをどんな名前らに知らせたかったようだ。 自ら扱うくせに関心が多大だったということよりはどうなろうと原稿請託も受けて映画類似したものも準備して小さいけれど好感のコミュニティを維持する程度の存在はなるという事実を、かすめて行った人々に、それ(彼)より自らに確認させるのに熱中した。 ぴったりその程度マインドで素材を選んで何かミグァルシクの文章をやっと考え出して遅れた原稿を発送すれば、編集して下さる方がそれなりの定見がある文と見えるように心を込めて包装をされた。 骨を折られたことだ。

言葉を変えて、実際の私には顔パートナーが緊要でなくても、同族にばら撒く言葉には廉恥が必要なので編集を担当する方にEメールで、そして一度は電話を通じてコラム連載をやめたい心情をぼりぼりと知らせたことがある。 一つ最小数ヶ月はさらに連載をしなければならないという丁重な返事. そういえばかえってそのような引き止めを受け付けたかったようだ。 義務的でももう少し連載をしなければならないという信任投票、何か惜しい文が出てきてもその責任を分担しようという一種の了解覚書、‘私は薬害で、だから割引をして読んで下さい’とするだだこね.

そうして、鍾路(チョンノ)で自炊をする城壕は、今日もこの原稿を、一緒にその他のチャクティジャクはプロジェクトらをあきらめられないまま(いやかえって切実に握りしめたまま)一ヶ月にOO万ウォン程度を融通するが、携帯電話料金十万ウォン余り、交通カード5万,6万ウォン、普通直接作ったカレーやキムチチゲを食べるがそれでも時々は平壌(ピョンヤン)冷麺、そして条件に比べて頻繁な酒の席での好機、そのためにタクシーに乗って、石鹸とサンクリーム、休止とおかず、そしてなぜ誰か推薦した小説(最近ではイム・ヨンテ作家の<九回目家二番目の門>)でも少し手にあまる単価の公演、または、9と数字らや検定スカートのCDを購買、そうすれば本来話もかけて睡眠もとりたい人と会って使うおではいくらも残っていないからそのまま家で自衛をしたり(もうそろそろ)お金がかからない街を歩いたり(しかし関節)そうするうちに時々自身が資本主義を大きく意に介さなくて考える相手に会う場合、アートシネマで1編(便)に6千ウォンの歴史を共に体験して(たとえば米クローシュ ヤンチョ)遅れた屋上で新たに心を告白して今一度映画を撮って…そうですね、私に‘憂い’があるならばひたすらあなた. 意味があるならば‘ここまで持ってきた歌だけ’.

*この文は2008年ソウルアートシネマ後援を促すために使った短文が違う需要に拡張されたことを明らかにします。

文:ユン・ソンホ(映画監督)

イラストレーション イ・ウンヨン 2010.07.16

笑うしかない^^
by kazem2 | 2010-07-17 13:16