キム・ジウン監督が直接書いた<甘い人生>製作記[2]
2009年 12月 16日
いつのまにか撮影も8回送に行っている。
ソウルの某ホテル ナイト.
ソヌと遅れた時間ナイトクラブ ルームに入ってきて焼きもちを焼くペク社長(ファン・ジョンミン)パー(ネギ)子分らのあいだのアクションシーンをとる日だ。 映画の導入部に出てくる軽くてクールに設計されたアクションだ。
軽くてクールなアクション設計だが自ら40余カット. 二日の間ナイト営業に邪魔にならないで終わらせようとするなら10時間中に20余カットを終わらせなければならない。
計算してみれば1時間に2カットを打っていかなければならない。 リュ・スンワンでなければ不可能だ。
テーブルの上に跳ね上がって行ったソヌが天井についたシャンデリアをいろいろ避けて2人の子分を軽く処置しなければならない。 テーブルはふらついてソファとテーブルがあまりにも大きくてカメラ動線は出てこなくて天井はなぜこのように低くシャンデリアはなぜこのように大きいのか。 テーク一度行けばこわれたガラスコップでありテーブル セットするのに20分余り所要. ア…五万種類が気をもむ。
結局7カットとって終わった。 翌日残り分量をみな消化しなければならない。
1分もまだならないアクションなのになぜこのように大変だったんだろう?
私がアクションを何故するとそうしただろう? チェ。
私たちのアクション コンセプトは地塁撮影に早漏アクションだ。
カンパン2004.9.25 “ウジだけ気を遣わずに私もちょっと神経を使ってくださいよ”
仁川(インチョン)水産協同組合共同売場.
百枚の指示でオ・ムソン(イ・ギヨン)と東南アジア ギャングらがソヌを襲撃,彼らのアジトの別名カンパンと呼ばれる水産物共同売場でソヌがわけも分からなくてリンチダンハは場面を撮る日だ。
ものさびしくて開いていた共同売場吹きだす魚生臭い臭いだけでもヌアール雰囲気をぷんと吹き出す。
海辺のためなのか海湾落ちれば気温が急降下したしそこでイ・ビョンホンは南方一つで綱に縛られたまま血をかぶって冷たい洗面床に横になっていてその状態で空中につるされなければならなかった。
映画がラグジュアリーな雰囲気で暗くて陰湿で不穏な気温が漂うヌアール雰囲気で反転する,本格的なヌアールの柄と色合と空間ミジャンセンをしなければならない本当重要な場面だ,とスタッフらに伝達した。 そういえば毎度今回の撮影はこれで重要であんなふうだから重要で重要ではない場面がどこにいようと….
腐った魚の切り身と内蔵らをあちこち投げて置いてそれも足りなくてソウルでウジを空輸してきた。 ところで寒かったためかウジらがふらつく。 私がウジらを動かすように触ってみるがびくともしない。
見かねた助監督がタガワ ウジらにぎゃあぎゃあして大声を張り上げる。 “おい! 君たち動かない?”
ア…かわいそうなウジら. そのウジらに大声を張り上げるさらにかわいそうな私たちの助監督.
空中に哀れにぶらさがったイ・ビョンホンが私たちを哀れに見つめる。
“ウジだけ気を遣わずに私もちょっと神経を使ってくださいよ。 ちょっと下ろそうが….”
天気はますます寒くなって連日強行軍にスタッフらの進行はのろくて年はまた再び浮び上がって何がこのように進行がのろいのか演出部を招集した。
イ・ソヨン助監督,オ・セギョン助監督,演出部シン・ウンギョンだけちりんときた。
“残りはどこにあるの? ”
“アン・キュはカンパン文に手が挟まって手が崩れましたし。 ミンソクは塀跳び越える示範見えて足にひびが入りましたが。 ”
私の心も崩れてひびが入る。
清平(チョンピョン)肺脹高2004.10.7 ~ 17天下無敵イ・ビョンホン
豪雨のようにあふれる雨が降って仏閣木瓜12人の武術演技者とカストントゥと特効,トゥクプンが総動員するそれこそ肉体的精神的なエネルギーが消費されて要求されるパクセン撮影だ。
イ・ビョンホンはカンパネソンずっとしがみついていてここでは全身に雨が降って土洗礼を受けた状態で武術演技者12人と一帯死闘を行わなければならない。
イ・ビョンホンは個人健康管理者を置くほどそれこそ死ぬほど苦労した。
清平(チョンピョン)の夜気温は骨の中まで冷えてきたしその状態でイ・ビョンホンは全身に数十トンの雨をトゥィジボスヤしたし,それも足りなくてパディケムという特殊撮影装備をからだに付着してその状態でワイアーを持って空中非常をしなければならなかったし,火角材を振り回さなければならなかったし,ゾンビのようにうんざりしてぞっとするように駆け寄る文石誰何らと危険なカストントゥもしなければならなかった。
私たちは彼らを12人のゾンビ組織暴力だと呼んだ。
イ・ビョンホンの苦労が,数十人のスタッフらの生苦生が無駄にならないように心の底から祈り祈った。 10日の間イ・ビョンホン死ぬほど苦労させることは事故なしに満足な場面らを作り出して無事に終わることができた。
どうしてもヌアールギためにブラックトンと癌部撮影に細かい気を遣わなければならなかったし何日の後みたプリントは我が国最高水準の柄と色合とブラック,癌部表現力を含んでいた。 彼らの労苦と情熱と魂が場面一つ一つに大切に含まれていた。
イ・ビョンホンは自分が出演した10編の映画を全部合わせたより肉体的にさらに大変だったという。 そのような彼だったが撮影会場ではおおげさな態度一度働かせなかった。
天下無敵イ・ビョンホン.
密売事務所セット2004.11.1 ~ 7“オ・ダルス,きっと正常という話なのか…”
オ・ダルスとキム・ジウン監督
エリック
両水里(ヤンスリ)2スタジオ.
その密売事務所セットはあたかも海賊巣窟のようにしてくれという注文に合わせて美術チームがスカイラウンジ次に心血を注いだ空間だ。
カン社長に復讐するために密売事務室で銃器を購入しに来るソヌと密売団が会う場面だ。
キム・ヘゴン,オ・ダルス,エリック,ロシアである故ディムがイ・ビョンホンと共に呼吸を合わせる。
休み時間に<ダンサーの純情>をとっているクンヨンに受けたフォトメールを保存しているのに過ぎ去ったオ・ダルスがさっと近影が写真を見つめると尋ねる。
“お嬢さんですか?”
オ・ダルス,きっと正常という話なのか?
久しぶりにセット場安易混雑した。
特に女スタッフらが目にたくさん浮かんだ。 エリックが出てくるという噂を聞いて他のセット場でも来た何人の女スタッフらもあった。
特にセット場中では全く見られなかった女性スタッフもあった。
私たちのスタッフであるようだが誰だろう? してしばらく考えていた。
ご飯差おばさんであった。
清平(チョンピョン)肺脹苦辛に続き最も満足な結果を得た。
ソヌオフィステルシーン2004.11.24 “ビョンホン氏裸,思ったより良くなくて~”
ソヌのオフィステル空間はきわめてソヌの個人的な空間で組織のナンバー2だとかスカイラウンジ支配人の姿でない極めて人間的なソヌの姿を演出やり遂げなければならなかった。
ソヌの身軽で心理的孤独だということを表現するために灰色空間にシンプルな什器ら,ソファで寝つく設定などで演出した。
ソヌがボスの恋人のヒスにとんでもない電話を受けて自分も分からないときめく気持ちでシャワーするために浴室に入る場面を撮る。
イ・ビョンホンが浴室に入る時上衣だけでなくパンツも脱いでしまうようにした。
言ってみれば全裸(チョルラ)で浴室に入るのに他のスタッフらに言わなかった関係でモニターを見守ったイ・ソヨン助監督が悪! 音を出して驚く。 驚いたことか好んだことか区分にならないが。
イ・ビョンホンお尻むくといううわさが一瞬のうちに広がって狭いオフィステル安易女性スタッフらでうようよした。
助監督もモニターこれからぴたっとついた。
結局現場編集ではお尻見当テークでない他のテークを付けた。
編集手本としたイ・ビョンホンが尋ねた。
“全裸(チョルラ)に入ったテーク使いませんでしたね。”
“ウン。”
“なぜですか?”
“良くなくて。”
クランクアップ2004.12.5 ~ 17 “今日が最後の撮影ならばいいですね”
スカイラウンジ‘ラ ドルチェビタ’大殺戮前.
終わりが見える。
両水里(ヤンスリ)第1スタジオにたてたセット場はその派手さとスケールの威容でセットをクギョンハロオン映画関係者らで連日混雑した。
特に映画では我が国最初のパナプルレクス誘惑する実際のような効果で,見る人でとって感心をかもし出すようにした。 背を向ければ何の話をするのかは分からないが。
俳優らが一人ずつ離れる。 顔付きとは全く別の形できれいで繊細な心を持った文石役のキム・レハもこの上なく惜しかったのか自身が出てくる最後の場面が終わったのに簡単にセット場を離れない。
私たちの現場で最高人気マンであり最高おとなのキム・ヨンチョル先輩も最後の撮影を終わらせて万感が交差する表情に離れる。 その間キム・ヨンチョル先輩が作品とスタッフらに見せた愛情と配慮は単純に映画に出演して演技をする演技者以上のことを見せて離れられた。
久しぶりにする映画と不便(不快)なのも多かったはずなのに常に笑いと寛容を失わなかったし機会がある時ごとにスタッフらの日用化する様式を自ら取りまとめられた。 率直にそうするのが容易でない。
申し訳なくて尊敬します。
離れる同僚先輩演技者を見て無茶苦茶なパクセン撮影で全身がぼろぼろになったイ・ビョンホンが私の横にきて座る。
“私も今日が最後の撮影ならばいいですね。 監督様.”
“そうだな。 明日見て。”最後の撮影を終わらせてセットを見回した。 そのラグジュアリーだったスカイラウンジがあちこち血液をかぶったまま割れたガラスらと穴あけられた柱と壁,什器破片と弾皮などで血なまぐさい場所になった。 クランクアップは近づいて私の心も現場のように目がくらむようなだけだ。
いつかリュ・ソンヒ美術監督と色々な話をやりとりして映画作るというのがなぜこのように難しかったことか,なぜ作れば作るほどやさしいかはことなしでさらに難しくなるのかみじめな心情で吐露したことがあった。
“この映画を人々が好みましょうか?”
“結果に関係なしで心より作れば良くないでしょうか?”
ア…私は心より映画を作っているのか? 結局一年を渡して最後の撮影を終わらせる。
ソヌとヒスのヒス家の前路地場面.
鋭い寒さだったがヒス役のシン・ミナは半ズボンとナシティで耐える。
それでも寒いという言葉一言なしで気に入らなければまたしてみるという。
いつのまにか成長した演技者シン・ミナが感じられる。
夜撮影を終わらせて都市の余命場面を撮るために何人の必要なスタッフだけ残った。
その間話せない苦労したスタッフらとまともに要人もできなくて私はハンティングをするために車に身をのせた。 私はなぜ常にイなどでトゥライハンゴルカ? 運が悪いように…. イ・ビョンホンも離れた。
一時は補助出演者抜いても100人を越える人員が現場にいた。
最後の日最後のカットをとるのに撮影部と何人の演出部,製作部だけ残った。
ビルディングの間で太陽が昇ってくる。
誰か曙光が照らすとし良い兆しですねした。
早朝コーヒーを飲んでこの映画でデビューして毎度難しい注文をそのまま聞き入れて良い柄と色合を作り出したキム・ジヨン撮影監督,神聖列照明監督とぎこちない抱擁をした。 恥ずかしがることは。
家へ行く車の中でイ・ビョンホンを考えた。
イ・ビョンホンは今頃甘い睡眠に入ったのだろうか?
後半作業2004.3.1 ~ 15 “私たちの良く行っているの?”
RECでチェ・ジェグン編集機社と一ヶ月越える編集をした。
現場編集を合わせれば多分百数十度は繰り返してみたことだ。
そのたびに場面の感覚を失うまいとかなり努めた。
結局いくつのバージョンを回って初めてバージョンに戻った。
この道を分かるために私たちは無数に色々な道を歩き回った。 人生もそのようだ。
月波乱とチャン・ヨンギュの独特の音楽が絵に付けられて奇妙な情緒と興味を持ってくる。
ミキシングが終われば心労焦燥,戦々恐々,進退両難,幾重にも重なった山中,弱り目にたたり目の心情も嘘のように消えて少しずつ冷淡になり始める。
あたかもちやほや育てた娘をひとの家に嫁がせるお父さんが娘を見つめる最後の表情をわざと冷淡に眺める心情というだろうか? とにかくそうしたこと雨純朴で正直な心情になる。
イ・ユジン ディレクターに私たちの良く行っているのかで尋ねた。
監督様映画,他の映画と違うでしょう。 はっきりしない話法でウィアンビスムリハン話をする。 オ・チョンワン代表に尋ねた。 “良く行っているの?”
とんでもない表情で私を見る。 “どこへ行くと?”
この前からリュ・スンワンの<げんこつが泣く>きて4月1日一緒につくという不吉なうわさが聞こえてきた。 うわさはますます現実に近づいた。
ア,私は真の縁起もない。 リュ・スンワンの代表作とつくとは。
リュ・スンワン監督に電話した。 “編集よくつかないと時間ちょっと引っ張って。”
“編集みな終わるんですが。” “ミキシング時間ちょっと引っ張って。” “ミキシングすることがありません。”
“後悔しない?” “私たちは・! ・! こういう声しか後悔することがありません。”
オーマイ ゴットゥ!
どれくらい気を遣ったのか毎日夜リュ・スンワンが夢に現れて私を困らせる。
道を歩いているのにリュ・スンワンが私の足にぶらさがって私の足を口で噛んでいる。
私が引き離そうとじたばたして私たちの合同配給しようという言葉で結局取っておいた。
いつあったのかポン・ジュノとパク・チャヌクが心配になるという言葉をいった。
“本当に心配です。 (狂う)及ぼします。”
“私は<親切なクンジャ氏>心配だと話したものだが。”
こういう夢を見るとは。
映画を作る時ごとに毎度このようにあきれる悪夢を見る。
ア,私は映画を作っていつ頃に甘い夢を見ることができるのか?
2005.03.29