ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

少女と怪獣のエロチシズム

☆www.cine21.com
☆金子修介オフィシャルサイト
少女と怪獣のエロチシズム_e0109292_943026.jpg

私の映画館通いは小学生の頃の「怪獣映画」から始まりました
子供のころは本当に怪獣がいるんだと思っていました^^
ウルトラマンの撮影風景を本でみて怪獣はいないんだと知りホっとしたような
変な驚きがあったのを忘れません




メガボックス日本映画祭で<ガメラ>連作上映する金子シュースケ監督に会って怪獣映画ファン(パン)ではないならば<デスノート>シリーズ監督でさらになじんだ金子シュースケが韓国を訪れた。 メガボックス日本映画祭を通じて連続3部作がスクリーンでリリースする<ガメラ>シリーズを応援するためだ。 この3部作は<固持(告知,高地)と>とともに日本怪獣の二大山脈の<ガメラ>誕生30周年をむかえて金子シュースケによって新しく生まれ変わった怪獣傑作だ。 ‘一般観客が<ガメラ>シリーズをどのように受け入れるのか気になる’として少年同じきれいな好奇心を隠さない彼に会った。 金子シュースケの<ガメラ> 3部作に対して紹介する。

-小学生時期怪獣事前を直接作ったと知っている。 事前にある内容らを入れたか

=私が小学校6学年の時日本は怪獣全盛期であった。 怪獣種類が最も多い時であった。 以前までは映画で1年に1,2編(便)程度紹介されたほどであり。 当時TVで<ウルトラ キュー>シリーズが放映されたが毎回怪獣が新しく登場した。 このシリーズがヒットして他の放送局でも君も私も怪獣物を製作,放映した。 その数がとても多かったために怪獣事前を作らなければならないと考えた。 怪獣事前はB6大きさノート3冊を合わせて作ったが,‘アエイオウ’日本の母音順序で羅列した。 その中に怪獣の絵を書き込んで,怪獣の身体的特徴を書いて入れた。 身長,体重,主な武器,弱点のようなものだ。 恐竜も入ったし漫画に出てくる怪獣まで全部含んだ。 ‘ペムニカ’と怪獣事前の名前も作った。 日本に<マンガニカ>(漫画だから)という少年漫画辞典があるのにそこでヒントを得た。

-石ノ森章太郎の<漫画入門>を通じて漫画世界に陥った。 漫画のどんな点に魅了されたし,それが後日映画にどんな影響を与えたか。

=石ノ森章太郎に多くの影響を受けた。 特に<サイボーグ009>の影響が大きかった。 小学校3学年の時から漫画を見始めたが,単行本が出てくればきちんと買い集めたしマンガ本を見て模写したりした。 その時あまりにも絵をたくさん描いて今でも見なくて<サイボーグ009>のの絵を描くことができるほどだ。 <漫画入門>は漫画描きの技術的な側面を解説する本だ。 モップシーンやロングショット,クローズアップのような映画と共通的であることを含んでいる。 石ノ森章太郎は“漫画をよく描きたければ映画を熱心に見よ”と話した。 私は漫画を通じて映画勉強をしたわけだ。 高校生の時の色々な漫画公募展に絵を出品したが全く関心を受けられなかった。 それで心の傷を受けた記憶がある。 ある日画家のお母さんから“君はデッサンがめちゃくちゃ”という話を聞いて,映画を撮ればそのような声を聞かないという考えに8mm映画を撮った。 <漫画入門>を通じて習ったのが実際作業に役に立った。

-オシイマモルとは大学先後輩関係と知っている。 当時オシイマモルはどうだったか。 また大学の時あなたは独立映画製作ニュースを連載する新聞を発行して映画製作費を直接集めたりしたというが。

=オシイマモルとは東京学芸大学を一緒に通った。 私は新入生であったし来られマモルはずっと留年をしていた。 彼とは映画研究会という同好会先後輩の間であった。 メンバーとはせいぜい3人しかなくて各自別に活動したが集まれば常に映画話をした。 共に映画を撮ったことはなかったが,撮影監督にお願いしたことはあった。 後日新聞でオシイマモル インタビューを読んだが,私に対して‘おかしな後輩が入ってきた’で言及したよ。 オシイマモルに映画は神聖な作業だった。 人々が自身の映画を見ようが見ないだろうが関係しないで映画作る作業自体に意味があったようだ。 彼は私が新聞を作って映画製作費を集めるのがとても特異な形だった。 そのはずという気がしたことはオシイマモルが運動圏詰めの世代だったためだ。 その時だけでも学生運動すれば角材とヘルメットを象徴と考える時であり,オシイマモルも家にそのような物を隠して置いていると話したことがある。 私は学生運動が全くない時入学したので,学生運動を体験した先輩が見るには‘新しい世代が現れたんだな’考えたようだ。 オシイマモル監督のアニメーションを見れば学生運動の時使うバリケードの感じを強く受ける。 タカハシ・ルミコの<うる星やつら> <ビューティフル ドリーマー>でも学生運動時期を体験した世代の感じが強く感じられる。 そのような経験をできない私では憧れる立場だと話すことができる。

-大映で<ガメラ>演出を提案を受けた時気持ちがどうだったか? 怪獣ファン(パン)としてそれ以上行く幸福がないという気がする。

=とても興奮したことと同時に‘ア! <固持(告知,高地)と>ではないな’とする遺憾があった。 妻と“<ガメラ>をとることになれば<固持(告知,高地)と>をとれないことになるのか”,そのような話をして惜しんだ記憶がある。

-結果的に<固持(告知,高地)と>をとったので願いを成し遂げた。

=<ガメラ>3部作をとって東宝のプロデューサーに金子シュースケが考える<固持(告知,高地)と>はどんなものかと演出提案が入ってきた。

-1編(便)製作費が6億円程度で怪獣映画を撮るには多くない予算だ。 技術的な表現で惜しい点が多かったようだ。

=一番最初演出提案を受けた時予算は5億円程度でさらに少なかった。 シナリオだけおいてみれば10億円映画だ。 したがって当初考えたこととはスケール面で違いが生じたが,トゥクチュァルブで緻密なミニチュア作業を通じて損失を減らしていった。 幸い日本自衛隊の協力でタンク出てくる場面ではお金が少しも入らなかった。 そのような部分まで予算を策定をしたとすれば製作費がもっと増えたが,自衛隊で民間人と一緒にする訓練だと受け入れて予算を惜しむことができた。

-初めに航空自衛隊側で協力を拒否したといったのに。

=当初にはギャオスの攻撃を受けた航空自衛隊戦闘機が翼が破壊されて都心建物で墜落して大災難が起きるという設定だった。 ところで航空自衛隊側でそのような表現は受け入れることができないとし断った。 それで妥協案でそれでは米軍ならばどうかといったところ,もし米軍が日本に来れば自衛隊側で警戒発令をおろすとしこれも現実的なことでないと反対した。 結局自衛隊の協力なしでは映画を撮ることはできない状況だと戦闘機が破壊される場面を抜いてしまった。 自衛隊の写実的な姿を現わすことに約束して撮影承諾を受けたが,中では戦闘機が墜落することを強力に望んだ。 (笑い)

-ショーと(昭和,1926~1989) <ガメラ>シリーズとは雰囲気が大いに違う。 私がみた昭和シリーズは小学生を対象にした映画であった。 新しく<ガメラ>を作って演出の重点を置いた部分があるならば。

=演出する時こういう考えた。 ‘私自身が小学校6学年の時見たかった映画を作ってみよう。 すなわちSFが好きな少年らを対象に作ろう。’幼い時期怪獣事前を作る時昭和<ガメラ>シリーズを見て幼稚だと考えた。 ‘おとなを対象に作ろう’よりは昭和<ガメラ>シリーズで幼だと感じた部分を排除した。 余談だが不思議にも私は小学校の時には怪獣に陥っていたが中学校入って怪獣に対する興味が消えてしまった。 その代わり女の子に対する関心が多くなった。 (笑い)私が分析することに怪獣は少年の性欲を象徴するのでないかと思われる。 私は思春期へ渡って女の子に対する関心に移ったが,この頃若い子供たちは年を取っても怪獣に対する関心を維持するようだ。 そのような観客があったので<ガメラ>をずっと作ることができるようだ。

<ガメラ大塊数公衆(空中)決戦>
<ガメラ2:レガオンの襲撃>

-ショーと<ガメラ>シリーズを見れば少年を救うためにガメラがケガする場面が出てくる。 平成(平成,1989~現在) <ガメラ>でも同じ場面が反復されるのに,以前シリーズに対するオマージュでみるべきか。

=ショーと<ガメラ>シリーズと<固持(告知,高地)と>シリーズを見てその差を分析した。 昭和<ガメラ>シリーズを見れば攻撃を受けて,傷を負って,最後に反撃をするパターンが描かれる。 そして子供と心の交流を持つという特徴を持っている。 こういうものらを通じて踏襲するものの新しい表現を訪ねて行く過程だった。 また東宝の<固持(告知,高地)と>シリーズが持った正統性と正当性を尊敬するので(に)根本根元には<固持(告知,高地)と>行っていた。 もう少し正確に本田二時で監督がとった<固持(告知,高地)と>の古典的な形態を指向した。

-ガメラと交感を交わす少女藤谷アヤコはスティーブン・シーガルの娘だ。 その漸移ファン(パン)にはおもしろい要素になるが,怪獣映画でアイドル スターを起用するのは多くないようだ。 どんな理由でアイドル スター,少女を主人公で起用したのか。

=本来は少女と巨大怪獣の心の交流を通じてエロチシズムを表現したかった。 そのようにするためには何より会社と妥協の過程が必要だった。 会社が願うのは子供たち方に立っているガメラであり,私は単純に子供たちとガメラとの関係を描きたくはなかった。 昭和<ガメラ>を見れば,子供たちが怪獣に‘ギャオス’と名前をつけてくれるのに,その理由をおとなが尋ねるとすぐに“‘ギャオ’と泣くため”と話す。 私はそのように表現したくなかった。 私は絶対に子供を登場させたくなかったために,妥協案で少女を登場させた。 会社の側には人類の方に立ったガメラという普遍性を持つようにしようといった。 だが私の内心は少女に対するエロチシズムを背景に敷いていたのだ。 エロチシズムだとして変態的な意味に受け入れてはいけない。 私が考えたエロチシズムは健全なのだ。 もし怪獣が小さくなって似た大きさになるならば明らかに少女とおかしな関係,変態らしい感じがすることができるようだ。 そんなことが表現されたのが<ガメラ3:使節‘イリス’の逆襲>で少女とイリスの関係だ。

-それにしても3編(便)でイリスの触手が少女をぐるぐる巻く場面がとても派手でけばけばしいと考えた。 その場面を見て何もっとないむくという考えもしたし。

=そうだと見ることができる。 シナリオ段階では触手が前田愛のからだの中に入ると表現されているので,とてもそうに出来なかった。 それはとても科するという気がした。

-2編(便)<ガメラ2:レギオンの襲撃>を作って1編(便)の俳優らをそのまま継続した。 初めから3部作で企画してシリーズの正統性を強調したことなのか。

=日本では当時にヒットしなければ次の続編はないのがルールだ。 だが大映社長がシリーズ物で作りたい強い意欲があったし,1編(便)<ガメラ大塊数公衆(空中)決戦>が成功して直ちに2編(便)製作に入った。 そうしたら自然に藤谷アヤコや樋口薪智(シンジ)など既存メンバーが継承することになった。 2編(便)と3編(便)の間の時間差は,2編(便)が会社の期待値ぐらい成功をできないと3編(便)を作らなればならないのか悩みがあったのでできた。 時間が過ぎて樋口薪智(シンジ),イトウ・カズノリとともに会社を説得する作業をした。 3部作に対する意見は1編(便)が作られた後イトウ・カズノリが送ってきた年賀状にあった。 内容は‘3部作のアイディアが浮び上がった。 へへへ’であった。 彼は2編(便)でガメラを曖昧な立場で作って,3編(便)では敵で背を向けるようにするというアイディアがあるといった。

-1編(便)では少女とガメラの教頭と娯楽性を強調した。 2編(便)では怪獣のアクションも良いが,人間のわずかな日常が強調されたしここにレギオンと自衛隊の対立関係も比重あるように描かれた。

=1編(便)を作る時は幼い時から憧れた怪獣映画を撮るという興奮で浮き立っていた。 そして2編(便)をする時は‘さらに燃え上がろう!’というスローガンをスタッフに掲げた。 さらに燃え上がるためには人間の活躍が必要だったし,さらに感情が煮立つためには日常性と人間の描写が必要だった。 1編(便)でもそのようにしたかったが,2編(便)ではそのようなわずかな日常を表現することになった。 こういう日常的な表現がリアルな感情と情感を引き出して,非現実的な怪獣を登場させた時観客の感情をより一層刺激できることと考えた。 またそのような描写が入ってこそ怪獣にもリアリティーを付与できるという判断が聞いたし。

-怪獣レギオンのデザインが独特だがどのように成り立ったか。

=私が大体のスケッチをしてトゥクチュァルブで渡せばそこで肉付けしていく式で完成した。 初期レギオンのデザインに対してトゥクチュァルブティムがアニメーション<付けたことの>と似ているという話をした。 彼らはオタクを越えたスーパーオタクだったために多くの分野に対してよく知っていたし,そのような漸移多いに役に立った。 本当にトゥクチュァルブ人々作業する姿を見れば,日本でオタク監督に分類される私が本当に正常な人という気がするほど熱情的だ。 彼らの名誉を考えて詳しく話す訳には行かないが,彼らが使うPCのデスクトップを見てもう一度‘私は正常な人だ!’そのように考えた。 (笑い)

-3編(便)で前田愛が新しく参加した。 ガメラが実質的な主人公ではあるが,前作で交感を交わした藤谷アヤコの代わりに前田愛を主人公で前に出した理由があるか。

=俳優を交替したということよりフィルム上のネガティブやポジティブのように二を対比される役割で作りたかった。 ガメラが1編(便)では人類の方であって3編(便)で敵になるように主人公キャラクターもそのように作りたかった。 1,2編(便)がポジティブ一面を象徴したとすれば3編(便)はネガティブハン面を浮び上がったと見れば良い。 藤谷アヤコを3編(便)でずっと登場させることが出来るかに対してはプロデューサーと論争がずっとあった。 私は劇的な対応のために3編(便)にもずっと出演させようといったし,プロデューサーはならないという状況だった。 イトウ・カズノリが使った初期シナリオでは藤谷アヤコは手紙でだけ登場するのにその内容がとても長かった。 それはオシイマモルのアニメーションとも通じる部分だ。 <パットレイバー>を見ればそのような場面が出てくるのに,それを応用したい考えもあった。 だが一般的な商業映画の枠組みから抜け出すことだと実際俳優が登場することで修正した。 前田愛の役割はキャラクターの劇的対応のために必ず必要だった。


<ガメラ3:使節イリスの逆襲>

-3編(便)の大きい特徴はガメラが人間に威嚇的な存在になるという点だ。 前田愛の家族がガメラとキャオスの激突で殺されるという設定が以前には見られなかったことで。 ポスターにガメラの外形的な変化が明確だ。 暴悪に見えるといわなければならないのか? そのような設定が3編(便)を製作する過程で製作会社と論争になったようだ。

=作る時はそのような設定がとてもおもしろいと考えた。 重要なのは3編(便)時は私がしたいとおり映画を作ったという点だ。 ライン プロデューサーと若干の論争があったが製作会社で特別に制裁を加えなかった。 3編(便)をとる時は私の中で二種類分裂があった。 一つは映画を作って全体を導いていく監督としての責任感であり,また一つは‘おもしろいじゃない! そのまま勝手にしてしまって!’そのような分裂だった。 3編(便)のエンディングが私がしたいそのままだ。 ギャオスの大軍が襲撃してきてガメラが全滅させて,4編(便)に対する余地を残さなければならなかったが私の選択は果敢に終わらせるということだった。 ここで中断しなければならないという気がするからだ。 だがもし私が映画会社社長で,どんな監督がそのような形でエンディングを処理するならば無条件防ぐようだ。 (笑い)

-3編(便)のラストを飾るガメラとイリスの激突は建物内部でなされる。 怪獣映画で建物内部前投身はきわめて珍しい。

=正しい話だ。 一般的な怪獣映画は普通野外で大欠神が広がる。 ところで京都に巨大なホールができてこの案で怪獣らが激突すれば良いという気がした。 怪獣間に戦いが広がればその中にある人々はより大きい恐怖感に包まれることになって,怪獣の巨大なこともさらに浮上できて建物内部で激突することで設定した。

-韓国の怪獣ファン(パン)に一言言うならば。

=怪獣を愛してありがとう。 事実一般映画観客に<ガメラ>シリーズがどのように近付くのか不安感があった。 私を含んで映画に参加したすべてのスタッフが情熱と魂をつくして作ったので,映画を見てその情熱を感じればという風だ。


少女と怪獣のエロチシズム変態ではなくて… 1/2児童物を怪獣傑作で2/2

整理:キム・ジョンチョル(エクストリーム無比(http://extmovie.com)編集長
by kazem2 | 2009-11-24 09:01