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by kazem2
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CINE21 インタビュー 映画「おいしいマン」イ・ミンギ

☆www.cine21.com
映画「おいしいマン」の撮影秘話などシネ21らしいインタビューです
このころのミンギを知りませんでしたので 過去記事になりますが
私にはとっても新鮮でした



<イ・ミンギ> “ムチャクチャ,それ私でない”

文:イ・ファジョン写真:ソン・ホンジュ(写真部長) | 2009.02.11

<おいしいマン>イ・ミンギ可愛くて分別がない男.
イ・ミンギにそれは長く入漁安らかに引き伸ばしたティーシャツ同じだった。 彼を知らせた<強くなれクムスン>きて<タルジャの春>がそうした。 結構安定した演技を披露した<泰陵(テルン)選手村>以後にも彼は常にこの気楽な身だしなみを守った。 ドラマ<いい加減興信所>の分別がないテコンドー師範イメージは本格的な映画デビュー作<浮気をしやすい日>の菽麦大学生で,<ロマンチック アイランド>の明るい失業者で絶えなくて脈を引き継いでいった。 イ・ミンギはそのように不安で興味深いキャラクターで毎作品に自身を代入したしそれは彼を説明する一種の修飾(数式)だった。 そのようなイ・ミンギが変わった。 今まで(受ける)着たからだによく合う衣装を脱いでちょうど購入した新しいアイテムに気を使う。 2月19日封切りを前にして<おいしいマン>で彼は帰宅よく聞かないだろうはイ・ミョンヒョンさんのためにミュージシャンの道をたたむ危機に処した青年ヒョンソクを演技する。 シリン北海道旅行,無表情な顔,独白のセリフら,刹那の愛…どれ一つ今までのイ・ミンギが着た服でない。 おりしも彼がミュージシャンでシングル レコードまで発売した。 ある日の朝,毎日着た服がとても幼く見えて着られなくなった成長期の少年のように彼がふわりと大きくなった。

-いよいよ姉らが愛するムチャクチャ キャラクターから抜け出したことなのか。

=あえてこの作品で‘今までの可愛いイメージで脱皮しなくちゃ’とする覚悟があったのではない。 音楽に対する関心にミュージシャン関連シナリオがあるといってみた。 ‘突然なぜ真剣になるか’とする周囲の視線が心配だったが,実際にする時はそのような負担感がなかった。

-周辺反応はどうだったか。

=‘おいしいマン’といえばよく分からなかったよ。 ‘おいしい’が‘おいしい’という意だと説明すれば,皆‘おいしい男?’ ‘また派手でけばけばしい映画を作るんだな’そのようにする. 見た皆,だまされたという。 (笑い)

-音楽をこれ以上できないかも知れない危機に処したキャラクターだ。 ヒョンソクの苦痛を表現するのが容易でなかっただろう。

=キャラクターは作るのでなく下記で決めたらその時から自ずから作られる。 ヒョンソクという人物も同じだった。 撮影することに決心した後からその他だけ打ってご飯食べなくてラーメン食べて酒飲んでこの生活をした一ヶ月越えるようにした。 すると本当にヒョンソクのように売家理もなくて憂うつになったよ。

-常に相手女優が派手だ。 今度は<調製(調剤),虎そして魚ら>の,池脇チズルとチョン・ユミとともに公演する。

=柳眉姉はコミュニケーションが100%可能で親しくなったし,池脇チズル同じ場合は言葉がよく通じないでむしろ良い関係を維持したようだ。 撮影期間の間本当にキャラクターになった錯覚を呼び起こすすごい俳優であった。

-<ロマンチック アイランド>はボラカイ撮影であったのに,終わるやいなや寒いと噂になった北海道で直行したので物理的に苦労も多かっただろう。

=登山用品店で機能性登山下着まで買っていっていた。 (笑い)ところで意外に寒くなかったよ。 モムベツという地方なのに総40日撮影中そちらで半分を過ごした。 ボラカイのように観光地でなくモムベツはここで誰が死んでも分からないように見えるほど人がまったくない所だ。 その寂しさが良かったよ。

-演技を離れて<おいしいマン>はイ・ミンギという俳優の変身と成長を見せる。 この前シングル レコードまで出したミュージシャン イ・ミンギとしてはこの上ない選択だった。

=順序が変わった。 音楽をしようと<おいしいマン>を選択したということよりこの作品は音楽をさらに積極的にできる契機になった。 その他学び,ミュージカル歌授業も受けて発声も習った。 自然にするようだ。

-シングル アルバム発売をプロデュースした鈴木シンイチとの縁も<おいしいマン>と連結するか。

=それは違う。 それは偶然であったのに,兄(企画会社代表)が鈴木氏と懇意にしていた。 歌手試演姉が‘プリテムポ’の曲を受けて作業するのに私に男ピチョリンをしてみるかと提案した。 そのように作業した一節を‘ウィケンドス’が聞いて,今回韓国で曲作業をするのに‘プリテムポ’ピチョリンヘットンその方がしてくれたら良いだろうしたそうだ。 私の声だけ聞いて! もちろん良いといった。 それでここまできたことだ。

-運が良かったということなのか。

=私は常にウンだ。 演技者になることになったのもそうで。

-そうなのこの頃あなたの活動を見れば演技者はウンになったし。 本来は俳優のほかミュージシャンになろうと思ったこと同じだ。

=私は果たして演技者になるために生まれたのだろうか? もしかしたら私が音楽しろと生まれたかも分らなくないだろうかそのように考えたのがおよそ3年前ぐらい,<本物本物好んで>そのドラマした時であった。 人々が演技をするほど増える,そういう話らするのに私はよく分からない。 その時や今も全く同じだ。 むしろ初めにはなぜ機会があってしたし,TVに出てくるという名分が全部なので気が楽だった。 ところでちょっと過ぎるから人々が私を俳優という名前で呼んで私自身も悩みが多くなった。 以前のようならばならなくてもそのまま‘これが本物が’といいながらためらう事なくしたが,今は‘出来なければ恥ずかしくなるけれど’ ‘できなければ人々が何だと考えるだろうか’悩みが先んじることだ。 ‘出た演技のために生まれた奴’こういう途方もない覚悟もないから。 演技たたんで音楽欠陥したかったのだ。

-実行に移そうとしたりしたか。

=まさにカット当てられた。 今考えればくらっとする。 (笑い)その時だけでも必ずこれではなくてはいけなくてする心情だった。 ところで結局私が経験する時間らが私を作ることだよ。 演技だけすればで生きていった5年後の出てきて演技もして音楽も関心を持ってすべてして感じるものなどを積んだ未来の私とどれがさらに豊かかといった時は後者だ。

-正式デビューではなくてもその時から個人的に音楽活動もしただろう。

=音楽は遊ぶことだ。 時間を送ること。 友人らどうしサッカーを良くて共にするならばそれが私たちの時間で,熱心にすることで,運動で,生きていくのがなるように私がこの作品のために積極的にその他学院(塾)通って,作品終わっても撮影ない間ずっと通うから友人らも自然に学院(塾)に登録したよ。 そうしたらドラム,歌,こういうポジションらができることになってバンドしてもかまわなかったよ。 まだ合奏チーム水準だが。

-それでもやはり幸運にだけ説明することはできない。 昨年年末MKMF授賞式舞台では違った。 音楽が一生の夢だったとし<マイウェイ>を熱唱したのに。

=十代の時男子学生らは大部分ロックスターを夢見る。 カラオケ行けばみな<She’ s Gone>呼ぶ。 私も夢見た。 それでも‘私の人生はロックだ。 出た学校必要なくて先生必要なくて’と十年の間磨き上げてその舞台に立ったのではない。 それはショーであったから。 ところでものすごく緊張したよ。 <おいしいマン>時はイ・ミンギでないヒョンソクがするのだから人多くの海辺でその他打っても一つも震えなかった。 ところでMKMF時は‘イ・ミンギ’という名前で何か悲壮な歌詞の<マイウェイ>を呼んだことだ。 ソル・キョング兄ならば分からないだろうか,私が人生云々するのが本当にお話にならなということだ。 それでも実際にハゴナニ上手にしたように見えることはした。

-どんなジャンルの音楽をしようとするか。 やはりレコードのように渋谷界音楽が主をなすか。

=私が定見がない。 そのままあれこれみな良い。

-演技もそうだ。 他の俳優らに比べてイ・ミンギという俳優は確実に決心して駆け寄るという感じが少なかった。

=知らなくて始めた。 何の考えなしにしてオーディションについて,撮影するといって行ってみればカメラあって照明あってそうした。 日々連続ドラマ<強くなれクムスン>オーディションついた時も似ていた。 もうTVに出てくる,毎日毎日出てくる,芸能人なるようでそうしたから。 ところで一ヶ月もならなくてそれがみなこわれた。 私も演技をしなければならないんだなあと思う気がして悩みが始まった。 その時が一番固まっていた時期であった。 なまりをあまりにも直せないでみず作家先生が履く一つ書き続けたよ。 誰が‘あの子性格がなぜあのように角張ったか’でするからママが‘幼い時おばあさん家に送っておいて性格も変で話もあの醜い姿であって’した。 その台本リディンハは日先生らみな腹(船,梨)とらえて笑った。

-そのような硬直が解けたのはイ・ユンジョンPDと共にしたMBCベスト劇場<泰陵(テルン)選手村>だった。 いつもしたイ・ミンギ式分別がない青春であったのに安定したキャラクターが確立された。

=それが<強くなれクムスン>があったので可能だった。 <強くなれ…>時は明日撮影あれば今日家で一歩も出て行かないで台本をすりへるように覚えた。 友人が鶏の丸焼き食べようといっても‘鶏の丸焼き食べる時間がどこにあるの。 明日撮影しなければならない’で断った。 ボールペン噛んで,新聞音を出して読んで,TVアナウンサーコメントまねて。 つまらないことをすべてした。 緊張しただけ努力したしそれと共にますます自然になるようだ。 置いておいたことだ。 しもならないから。 (笑い)ところでなのでむしろさらにうまくいったよ。

-とにかくできなくてもするという感じが新鮮だったし,その雰囲気がイ・ミンギが持ったムチャクチャ若者のキャラクターに反映された。

=私がちょっと楽天的だ。 金海(キムヘ)でモデルすると無一文に上がってきて友人の家に住んで考試院で生活して,その金もなくてネットカフェで偶然に知ることになった友人ら家で生きて。 屋根裏部屋生きて借家で借家に移すそのような過程. とても明らかな苦労談のようだが出たその過程がおもしろかった。 むしろ少し充足した今よりさらに楽しかったようだ。

-本来挫折モードが最初から根絶された状態であるようだ。

=合う。 良くない評価を聞いても‘みな上手にしようとする件欲ではないのか’こういう考えが大きい。 ところでからだは変わる。 脱毛もできて,ある瞬間ダークサークルが降りてきて私さえ認知できなかったがストレスを受けるようだ。

-芸能界デビューはモデルが出発だった。

=確実に目標だったのは違う。 そのまま‘さらに一番’(マネージメント社)ホームページに私の写真を上げたがソウルから連絡がきた。 なぜか詐欺師のようで友人らも‘君海老捉えに行く’怖がらせた。 幸い良い人々であったし私を信じてここまでくることになった。

-‘金海(キムヘ)田舎者’がそのように抜擢されたことを見れば幼い時から浮気心があったようだ。

=するのには大きかったが,とても平凡だった。 それでもしたくないことはしなかった。 自習する時間にいっそゲームセンター行くのがより良いと考えた。 後ほど私がゲームセンター死蔵することもできるので,教室に座って寝て五目置いてこういう時間が惜しかったよ。 ノンテンイもたくさん打った。

-学校はノンテンイヨンヌンデ,デビュー以後生活は模範的だ。 モデルから単幕劇,週末連続ドラマ,日々連続ドラマ,映画,ミュージシャンまで休まないで仕事をした。

=そういえば着実にしたりした。 ある時は一週間だけ何のことなしで休んだらと思う時もあったから。 ところで実際に<ルプス>という映画をしようとしたがひっくり返って3~4ヶ月休むのに残るのがなかったよ。 やはり作品をしてこそその年が甲斐がある。

-不屈の意志もないのに,このように流れるのが自ら負担になりはしないか。

=野球で問い詰めれば,もう分からなくてしながらうっかり振り回したのがみなホームランであるわけだ。 それで今回の対戦にむなしい部屋飛ばせば大変なことになるのに,する負担感はある。 それでも私はそうしたこと別に考えない。 ‘主人公はお話にならない’しながらも,片方では‘私がこれをして大変なことになることならば演技長くできないかも知れないのに主人公一度してみるのも悪くない’と直して考える。 往年に子座らせておいて“見てみて,DVDあるだろう。 パパが主人公だったよ”,こうしたことやれるのではないか。 (笑い)それでこの頃はちょっと我が強くなる方だ。 ならなくても一応してみようとする心が大きい。 私の持論は良い人会えばみなうまくいくという。

-良い人々とぞろぞろ作品が続く。 海洋ブロックバスター<海雲台(ヘウンデ)>撮影は終わらせたし,<十億>出演も期待される。

=<海雲台(ヘウンデ)>はソル・キョング兄の弟に出てきて海岸警備隊の役割だ。 なまり演技とそれのために校正したなまりをまた使って今苦労が激しい。 およそ6ヶ月気楽になまり使ったところソウルの方言すること自体がとても面倒だ。 (笑い)まもなく撮影する<十億>は<強敵>の万民号監督様が演出する。 サバイバルゲームを扱う内容なのに極限状況で私は唯一人間的な面目(容貌)を表わす演技をする。 まだ役割把握が良くならながってみてこそ分かること同じだ。

-他の人々が期待するイ・ミンギと別個で自身が望む俳優イ・ミンギの鉄則は何か.

=ムチャクチャ キャラクターをたくさんしたが,それはあくまでも役割であるだけ私自体ではない。 国は人も変わって自然に役割も私のからだに合うことと考える。 <浮気をしやすい日>して突然<アメリカン ヒストリーX>のような変身を見せることより少しずつからだに合う役割らで領域を広げたい。 今回の色々な作品をしながら感じたのは‘ア,監督様お言葉よく聞かなければならない’だ。

-何の契機でもあったか。

=イ・ミョンセ監督様がそのようにしろとおっしゃったのに。 ‘君がどんな名演技をしたのか後ほど編集する時抜いてしまえばそれだけだと。’(笑い)

文:梨花(イファ)青写真:ソン・ホンジュ(写真部長)

ヘアーイ・ヘヨン,メーキャップ キム・ジヒョン,スタイリスト佐藤モーゼ
by kazem2 | 2009-11-01 12:19