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チョン・ウソン "Theチョン・ウソン’の意味"

☆10.asiae.co.kr



チョン・ウソンはチョン・ウソンだ。 チョン・ウソンという俳優に対する正義はこの一行で整理される。 ヴィトゲンシュタインが話すのを同語反覆は意がないといったが事実どんな華麗な修辞もチョン・ウソンが持った独特のアウラを説明するところにあっては不満足な道具だけのことだ。 撃つ感じではないが相手方を見抜くような目つき,本来の顔のある部位のように似合う鼻ひげ,30代半ばになってもどこか反抗的な雰囲気はオトオトハン粋でない,そのままチョン・ウソンの粋だ。 それで彼は言ってみれば一つの記号であり固有名詞‘ Theチョン・ウソン’だ。 加えることも抜くこともない。 だが彼が本当に興味深い存在であることはその同語反覆の閉回路の中で絶えず‘ Theチョン・ウソン’の意味を拡張するという点だ。

‘ Theチョン・ウソン’の正反合

不安な魂ミン(左側)は自身のイメージを裏切って雑種の犬になったし,また合わせてチョン・ウソンになった。

映画<豪雨時代>で人々が心配していたことは<雑種の犬>でひねくれてあるランニングに増えたジャージを着ても相変らず光ったチョン・ウソンが果たしてホ・ジノのその‘スムスマン’叙事中にどのように入り込んで行くことが出来るかに対したことだった。 結論から言ってみれば彼は過去の愛との再会にときめいて紛らわしがる限り平凡な男の感情を自然に表現やり遂げた。 メイ(高原院)との思い出を証明するために留学時期の友人に証拠写真を催促する時のいらだっている表情と帰国を控えた空港の前でメイに“一日あとで行くか?”と用心深いが大きい勇気を出して話す姿は誰に一回ぐらいはあったときめきの瞬間をそのまま喚起する。 だが同時に彼は相変らずチョン・ウソンだ。 英語で対話して突然中国語で話すメイに韓国語で“何というかけるの?”と話して,こっそりとデートを楽しんで中国支社の職員に見つけられるやどうしていいか分からながるその自然なコミカルさ中でも彼の目つきは深くてスーツは申し分なく似合う。 これは矛盾でない。 チョン・ウソンが俳優としてまたスターとして成長する過程はキャラクターでの没入とスター性の発揮という矛盾が正反合を成し遂げる過程であるためだ。

彼とともにまた他の固有名詞になった‘ Theチャン・ドンゴン’が男として可能なすべての良い点の模範答案を指示する記号ならば,地下激闘舞台で戦ってテイトナ USAレーサーであったSBS <アスファルト男>の同席から<見た(本)ツーキル>のキラー道を経て<ビット>の,ミンに達する過程を体験してチョン・ウソンはタフだが青春の欠乏に苦しむ反抗のアイコンになった。 友人との義理のために一人で数 十人のごろつきと戦ってミンが死ぬ<ビット>の結末はそれで象徴的だ。 殉教は死を通じて不滅のイメージを約束する。 すなわち民意死を通じて人々は,そして創作者などはチョン・ウソンのイメージを固定化した。 だがまさにその地点でむしろチョン・ウソン本人は“ミンを殺さなかった。” <ビット>でスターダムに上がった彼がオムニバス映画<モーテル サボテン>を選択したのはそれで興味深いことだ。 女とのセックスに没頭しながらも“私愛する?”という問いには背を向けて無視する民具は相変らず無責任な青春だがミンとは全く違う感じの人物だ。 相変らず彼からミンを探す創作者などとの作業を通じて<太陽はない>,<無事>,<デイジー>のような作品が出てきたりもしたが意図的変化欲求が感じられる<ラブ>私<雑種の犬>のような作品やはり彼のフィルモグラフィーに積もり始めた。

スターでスターで

<奴奴奴>の桃源(トウォン)(左側)と<豪雨時代>の動く全く違うが,‘ Theチョン・ウソン’の1ページだ。

だが大衆が望むチョン・ウソンのイメージというものは結構明確だったしいくら彼が肩で力抜いた演技をしてもすばらしくないようにというスクリーンの中のチョン・ウソンはぎこちなく感じられた。 その時から彼は変化を追う代わりに変化を抱く方向で旋回した。 大衆が望む自身の姿を認めるもののその中で話法の多様さを探したのだ。 たとえば<私の頭の中の消しゴム>の撤収は世の中と対話してある程度分別がついたミンを連想させる。 彼は格好よいことない工事現場人夫だが何度かの縁だけで受診(ソン・イェジン)のプロポーズを受ける程魅力的でもある。 すなわち彼はチョン・ウソンを抜け出した雑種の犬になるために努めるよりはその変化を自分中に貯蔵した。 <豪雨時代>でキャラクターの自然だということのためにぎこちない英語を使えとの監督の要求に対して“人々は単純にドンハの英語実力でないスターチョン・ウソンの実力で見るために流ちょうな英語駆使をしなければならない”と主張したのはそうするからだ。 おかげで彼をチョン・ウソンでない他の誰に簡単に受け入れることはできない観客はむしろドンハの流ちょうな英語セリフでさらに自然なリアリティーを感じることができる。 だからビジュアルでだけ問い詰めればチョン・ウソンに対する2時間の賛歌であった<良い奴悪い奴おかしな奴>の懸賞金猟師桃源(トウォン)と<豪雨時代>の動く全く違う人物だが‘ Theチョン・ウソン’が持った色々な表情の中の一つと受け入れられる。

誰かは俳優で始めてスターを夢見て,誰かは初めからスターで始めて俳優の名前を得ることを願う。 だがチョン・ウソンはスターで始めて相変らずスターだ。 それは単純にCFを転々として自身のスター性を減少する過程とは違う。 彼は自身のスター性を守って演技の幅をその中に入れたし,それは結果的に彼のスター性をより一層光るようにした。 その中で‘ Theチョン・ウソン’の意味は拡張されるが彼は相変らずその場に立っている。 それで彼のフィルモグラフィー変遷史を見回して,彼が成長した軌跡を追った結論はやはり,チョン・ウソンはチョン・ウソンだ。

2009.10.14文. ウィ・クンウ(eight@10asia.co.kr)編集. 長径陣(three@10asia.co.kr)
by kazem2 | 2009-10-14 12:18