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映画「海雲台」 何故キム博士(パク・チュンフン)は世の中を救えなかったか

☆mediaus.co/kr



ロボットボルテスVとマジンガ―Zのキム博士らは外界の威嚇でこれ見よがしに世の中をてきぱき救い出す。 しかし私たちの悲運の主人公,海雲台(ヘウンデ)のキム博士(パク・チュンフン)は違う。 地震研究に格別な素養と才能と情熱を持った彼は誰より先に‘メガ津波’の前兆を発見して絶えず公務員たちに危険を知らせるがいつも黙殺される。 キム博士の天才的才能を如何に強調するとしても,公務員たちの業務スタイルを袋叩きのようにたたくとしても,彼らが通常的で公式的な手続きを遵守する以上,キム博士の失敗は必然的だ。 結局映画は公務員の安全不感症と無事安逸,地に伏し動かないの前に天才科学者がひざまずいてしまう悲劇的ストーリー? そうではない。 申し訳ない,題名は釣りであった。 (面白い人^^kazem2)

全体的なストーリーで見ようとするならキム博士の予定された‘敗北’道(ド),一瞬のうちに海雲台(ヘウンデ)をはき捨てる狂暴なメガ津波もメッコピンに近い。 ユン・ジェギュン監督が“津波だけあるのでなく津波もある映画”と話したそのままだ。 <海雲台(ヘウンデ)>は災難を口実でチンある関係らの肖像をがんじょうな釜山(プサン)なまりにポムリョネン刺身の和え物のような映画だ。 <デープインパクト>,<トゥモロウ>のようなハリウッド災難映画らと<海雲台(ヘウンデ)>が決定的に離れる地点がまさにここで。 映画は何年か前流行した‘韓国的ブロックバスター’という話の使い道のために誕生したようだ。 もちろんハリウッド映画らも家族の大切さを金科玉条のように前に出すが,どうしてもシンクロ率が落ちるのはどうしようもない事. <海雲台(ヘウンデ)>は災難を通じて,ごり押し英雄を作り出さないながらも恋人と家族間のいらいらする情,開発と共同体の結束,人間の道理と整理などを効果的に表している。

事実,中心カップルが三にもなるシノプシスがそのように明快なだけではない。 海雲台(ヘウンデ)商店街繁栄会会長であるマンシク(ソル・キョング)はエジュ(ハ・ジウォン)に好感以上の感情を抱くが2004年津波に巻きこまれた遠洋漁船で彼女のお父さんを救い出せなかったという自責感に気持ちを表わすことができなくて彼女のそばを不明瞭ぐるぐる回る。 海洋救助隊員のマンシクの弟ヒョンシク(イ・ミンギ)は巡回査察中避暑客人三手生ヒ米(カン・イェウォン)を救った後彼女の積極的な愛情攻勢に引かれる。 地質学者キム博士(パク・チュンフン)はメガ津波警告が受け入れられないうえに前妻ユジン(オム・ジョンファ)とパパの顔さえ分からない娘をあって複雑な心境だ。 避暑客がペクパカゲ駆せ参じた海雲台(ヘウンデ)で津波は徐々に集まるのに,共同体は開発の前に揺れる。

極限の状況に置かれれば人間の本性があらわれるということは常識的だ。 突発的にできた理由でも,古ぼけて気が進まなくなった理由でも,ぐにゃぐにゃ回って,新しく出発しようとしたが暗礁に会った理由でも,各自の理由が競演する舞台は命が傾角にかかった瞬間だ。 常識をふわりと跳び越える驚くほどの災害は葛藤を暴力的に解消する。 命が行ったり来たりする瞬間,イ・パク三日涙印刷して訴えても終わりがない世間のこと曲折多くの各自の事情らはそこまで思い出させる隙間さえない。 大慨の和解は命を担保で成り立つ。 そうして,開発に先に立った小さいお父さんは開発反対の最先頭に立ったおいマンシクと命で和解して,ごろつき息子の面接のため靴を買おうとしていた母は泥水の上ふわふわ浮かび上がった口頭シーンあるパートナーと共に命を失う。 短い瞬間引かれることを経験したカップル(ヒョンシクーヒ米)は生死を別にしたまま永遠の思い出に分かれて,クールに離れて住んだ夫婦(キム博士ーユジン)は子供を媒介に熱い和解を成功させた直後子供だけ残したまま津波の中に消える。 やはり生存のめの死闘を行うが主人公接待を受けて,最後まで生き残るマンシクとエジュはいつそのような葛藤があったというように,廃虚になった生活の基盤で新しい人生を約束する。

映画はあちこちで釜山城(プサンソン)を表わそうと努めた跡を見せる。 俳優らのなまりはピプチナだするに値して,少しは無駄のように示す野球場シーンはロッテの成績によりプロ野球興行が持ち上がる‘野球都市釜山(プサン)’の近ごろ風景を確かに表わした。 マンシクがエジュに粗雑な‘プロポーズ’を飛ばす大きな課題では花火祭りが派手な色を自慢する。 釜山(プサン)風景から抜いておくことはできない広安(クァンアン)大橋のプルシャッやはり災難映画に似合う方式で登場する。 基本は確かに渡した津波CGは海雲台(ヘウンデ)の前路地らと大型建物が伴われる場面らを比較的豪快に見せる。

俳優たちの演技も安定的だ。 災難映画の緊張感もよく生き返る方だ。 エジュとマンシクの電信柱シーン,ユジンのエレベーターシーンなどは観客らの胸をハラハラするようにさせるそうだ。 津波政局で見せてくれるドンチュン(キム・イングォン)のアクション映画とギャグ映画を行き来する演技は固く締めつける緊張を弛緩させると同時に緊張を倍加させる神妙な効果を見せる。 ただし,キム博士とユジン娘をヘリコプターに乗せて見せた新派(私が君のパパだ!”,“パパ~”)は素早く自制したり少し捻ったならば良くなるところした。

‘海雲台(ヘウンデ)100万人波’は夏メディアの代表的なクルリセだ. 海雲台(ヘウンデ)で会一皿食べなくて,見た人も多くないことで,月見峠でご飯一食食べてみなかったこれも珍しいだろう。 映画が欲望する地点は海雲台(ヘウンデ)100万人波の既視感を攻略すると同時に家族/恋人との情という二重の既視感を交差させる戦略だ。 ここに今はなじむ風景になってしまった災難映画のCGというクルリセを加えれば三重の既視感戦略が完成される。 ‘反復でなければどんなものも意味を生成やり遂げることができない’でしたのか。 なじむことを再確認して刺激すること,変わることはできないブロックバスターの法則だ。

2009年08月01日(土)11:34:14安泰号/客員記者mediaus@mediaus.co.kr

今朝の新聞にソウル支局長の黒田氏がこの映画のことを書いていました
韓国では地震や津波は起こりえないと思っている人のほうが多いとのこと
公務員が話を聞かなかったことは当然なのだそうです
この映画は”情”をメインにしてあるが日本で公開されるのなら”津波”をメインにしたほうがよいと
言っていました
by kazem2 | 2009-08-01 14:16