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京城に対する"欲望の再現"

☆映画"影殺人"の評論



現在の集団無意識反映された京城
薄待民監督の '影殺人'
韓日間対立・葛藤なしにあらゆる欲望がうごめく空間で描写

金御用始め映画評論家

京城を舞台にした史劇, いや時代劇(period film) 一篇が製作されて気を引いている. 薄待民監督の ‘影殺人’だ. 似ている背景が初めではない.

30年代京城を舞台にした鄭竜基監督の ‘ワンスアポナタイム’, 夏期号監督の ‘ラディオデイズ’ そしてキム・ジウン監督の ‘良いやつ, 悪者, 変なやつ’に至るまで結構多様な素材の作品が封切られたし, 最近作ではジョン・ジウ監督の ‘モダンボーイ’がその脈を引き継いだ.

21世紀が渡来して 10余年が経ったが, どうして京城だろう? 史学者金奇峰教授はこんなに診断している. “京城の商品価値は 1930年代京城の異国的な風景を再現しようとする欲望と昔の郷愁にひたろうとする欲望を再現するという二重效果を期待することができるという点だ. 京城に対する ‘再現の欲望’の下積みには現在私たち ‘欲望の再現’が集団無意識で内在しているということが私の仮説だ.”

要するに京城を過去日帝 強点期の時を象徴する抑圧的空間ではないヒャングスオリン幻想的空間で見たがるという話だ. 国史というマトリックスから脱しようとするジェスチャーと言おうか? これら作品は皆見掛け上私たちが学生時代学んだ日帝の時とは違う姿を見せてくれるという点を強調したし, ある程度はそうした. 一種の仮面国史(脱 国史)だった.

私はこの作品が皆 1930年代京城の姿と人々の衣装などを運び考証に即して充実にまたは派手に再現しているという点で史劇(costume film)の概念に符合する映画たちだと見る. 言わばこれら映画たちの一番目主な特徴は当時の風景と壮観をスペクタクルにスクリーン上に再現しているという点だ. 映画の内容は皆フィクションだ.

もちろんこれら映画たち皆日帝強点期を時代的背景にしている位程度の差はあるが, 日帝に対する抵抗的観点を表出しているという共通点も持っている. 朝鮮を強制に占領していた日帝から独立しようとする熱望を現わしているという話だ. たとえ作品の全般的雰囲気はすごく喜劇的で戯画化されたと言ってもその基底に敷かれている共通された情緒は反日感情というのだ.

素材及び主題上民族的 強迫からたくさん脱したとは言ってもこれら作品の裏面を支配していることは相変らず民族談論だ. 仮面国史を表明したにもかかわらず相変らず一方足はそのマトリックスに浸していたわけだ.

それでそうか ‘ノムノムノム’を除いたら, これら作品は結末が悲壮という共通点がある. ‘ワンスアポナタイム’の場合 “もう独立軍の時代は行って, 詐欺師の時代が来た!!”と広報したが, 結局独立軍の大切さを今更強調しながら幕を閉じる. ‘ラディオデイズ’の場合万事泰平生まれつきの閑良 PDの左衝右突を通じて当時放送界いろいろをコミックに見せてくれるようだったが, 結局は電波を活用した独立闘いの当為性を力説することで幕を閉じる.

‘モダンボーイ’では京城最高美女ダンサーが独立闘いに献身している途中壮烈な最後を迎える. これら作品皆大衆的娯楽映画をジヒャングハンダと言いながらも日帝強点期という時代的背景にすぎるほど強迫されている. それで相変らず京城は憂鬱な空間で残る.

‘影殺人’はどうかな? 焚く高宗がまだ皇帝に君臨した時期の京城だ. ゾザッゴリは人々ににぎやかで, 活気があふれたように見える. その活気に満ちた都市京城で珍しい職業で暮らす一青年がいた. 踏み倒されたお金捜してくれて浮気をした人妻後を探ってくれる社説探偵紅塵号(荒政民)がまさにその主人公だ.

彼の背後には純徳(親指院)という両班集奥さんがいたが, 皮肉としか言いようがなくも彼女は各種科学器機製作及び医術にダルトングした新式女性だった. 一方西洋医学にたっぷり陷った若い医者である長広数(リュドックファン)は毎晩遺棄された死体を探し込む. 解剖実習用で書き取りためだ. この三人の人の左衝右突活躍の姿が映画の楽しさを加えてくれる.

ある日高位官吏である内務代わりの自制が失踪される事件が発生する. 警察と医者さんたちが事件現場に投入されるが五里霧中だ. 鉱水は自分が解剖した死体の中で一つがすぐ失踪された自制なのを分かって, 猿護に殺人犯を捜してくれることを依頼する. そして真犯人を尋ねる過程で驚くべきな真実たちが続々と明かされるということが映画の中心オルゲになる.

‘影殺人’はすごく深刻な素材を扱っているが, 陣地モードの重い映画ではない. それでも馬鹿馬鹿しい身ギャグで済まそうとする薄っぺらな映画はもっとではない. 先立って指摘したようにこの映画は京城というマンモス都市をあらゆる欲望がうごめく生きている空間で描いている.

不倫現場が茶飯事で目撃されて時々無惨な殺人事件が発生したりするが, 流浪サーカスの公演に観客が歓呼する遊戯の空間でもある. 漢城日報に代弁される言論は比較的自由に役人たちの非理を暴露するうえゴシップ通り)を濾過なしに出したりする.

病院では日本語に疎通されるが, 警察庁人々は皆朝鮮人だ. お金を明らかにする日本人意思はしかし民族ではない実力で後輩を評価する. 犯人を今すぐ押しこめなさいという上部の指示に一線警察は操作をしても犯人を作り出す.

しかし少なくともこの映画では韓日 の間の対立と葛藤は捜してみることができない. 朝鮮人はピオックアブザです日本人は抑圧者という公式が日帝強点期を背景にしているこの映画のナレーティブ展開に何らの影響力を及ぼしていないという話だ.

この映画が上記例えたそのほか作品と差別化されることもまさにこのような設定のためだ. すぎ去った事に強迫された京城ではなく現在私たちの集団的無意識が反映された ‘京城’に対する再現を欲望するからだ.

国史というマトリックスに陷沒されたまま京城を眺めたら, 結論は常に一つだ. 日製の魔手から解放させなければならない抑圧された空間というのだ. ‘ワンスアポナタイム’, ‘ラディオデイズ’, ‘モダンボーイ’で描写された京城がそうだった. 日帝強点という痛いすぎ去った事をもう消してしまおうという話ではない.

支配・ 被支配という強圧の歴史は日帝の時だけ限ったのでもない. 20世紀初盤韓半島で起こったすべてのことを国史の視覚だけで見たら, 多様な人間群像の生と哀歓を画一化する右を犯すようになるだけだ. 特定時代を背景にして探偵推理劇の形式を取った ‘影殺人’はそんな点で先立って取り上げた作品の成果をずっと越すと言うのが私の判断だ.

入力時間 : 2009-04-01 11:31:14 修正時間 : 2009/04/01 11:35:15
by kazem2 | 2009-04-01 19:30 | kim jee woon