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by kazem2
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ELLE  1月号 「BODY&SOUL」

イ・ビョンホン, <男の身に対して言う.>Body & Soul
♡ELLE1月号記事
映画 <良いやつ, 悪者, 変なやつ(以下 (ノムノムノム)>のパク・チャンイが寝耳にむっくり起きて短刀を投げつけた時劇場の中をいっぱい埋めた女達の間では自然に出た微かな弾性が低くつながった. 素肌を現わした上半身身なりのイ・ビョンホンは身をただ 1グラムのひどさも足りなさもなかった. 擦れるように過ぎ去ったブロンズカラーの堅い肌は, 適当な照明を受けてガラス管向こうに完全に保存した美術作品のように, だからただ一度は必ず触りたいそんなのだった. イ・ビョンホンがともするとクローズアップを呼ぶハンサムな俳優というのも, 声が良い俳優というのも分かっていたが彼の身はまた他の発見だった. そしてまさにその瞬間を捕捉した写真が存在するのが分かるようになったことは幸運だった. 若や流出でもなるかクイックサービスを利用する代わりに直接写真を大事に抱いて彼の事務室を尋ねた. 今あなたが見ている写真はイ・ビョンホンとエールが共に均等なのだ. いつものように彼の関心事である映画に壁貼りされた話を交わしながら.





いやどうしてそのように自分の写真に対する評価がけち臭いか. 私の写真だから. 自分の写真には誰もそれもそのはずいいね. うん, これは顔があまりなったように見えない. ちょっとビンティナはことみたいなのに?
本当に大丈夫だ. 女達の目で選んだから信じて違う. 俳優面前でこんな言うだろう照れくさいがどんな角度でも立派な顔であることは当たる. 心配中なさっても良い. うーん. この写真は可愛いのではなくちょっといやらしいようだが. これはちょっとまた考えて見よう.
この写真は純然と記録次元で撮影したのか. <ノムノムノム> 撮影終えてからだったが, そのまましたことだ. 別に考えなく. 与件になって引き受けたキャラクターにも迎えたら熱心に身を鍛えたがある日一緒に運動したトレーナージョン・ジュホが言っていたよ. 兄さん, 写真一度撮らなければならないのではないんでしょうか. その話を聞いたらそうであろうかたかったよ. それであんまり親しいカメラマン ゾソンフィにちょっと取ってくれと言ってした. 載せるようにして見ると大丈夫だったことなの. ところで今年の一年ほとんど海外スケジュールを消化するために忙しすぎたんだ. しばらくこの写真も忘れていたし.

そんなビジュアルが眠っているという話を聞いて私たちも欲張った. 今でも光を見たらどんなに良いか. 人々の目を浄化させて広く世の中をよくする良いことなさることだ. その時はどうせやるなら写真集で作ろうという話も出たがなったと言った. ちょっと面映ゆいんじゃないの. 何の女芸能人たちモバイル画譜取るのでもなくてね. ところで今日の, 身作る話はちょっと抜いてしたら良いだろう. 食傷するんじゃないの. 私も <ノムノムノム> インタビュー時ずいぶん話した. 私, 身このようにさせました. ニワトリ胸肉食べて.(笑い)
それでも話題として身は充分に価値があるんじゃないの. 特に俳優には自分を表現する一番一次的な手段なのに. うーん. まずタバコちょっと吸って.
いくらでも. ところで, 相変らず写真と類似の状態を維持しているか? ウェンだけは維持する. 正確にとてもベスト状態ではないが. 身を維持すると言うのが本当に大変な事だ. 運動方法や食餌療法が別にあるので. 普段にもそうしようとすればむしろ健康をこわすこともできる. こんなに見せてくれるための身を鍛える過程は少しの社会性と別れなければならない状況で走り上げるものと決まっている. お酒一滴食べなくて外食もまともにできないのに運動すると言うのが, 普通ソーシャルライフしてどの位人間関係を維持しながらどこたやすい事か.
それでもかなり長くその原則を守って来たからこんな幻想的な身を鍛えるのに成功したことではないか. 当時にはそんな欲求があったから. その時はそうだった. <ノムノムノム>のみならず <G.I.JOE>時もそうだったし, 実は引き続きそうだった.
自分の身の中一番気に入る部分は? など. 変に幼い頃からなどが発達したようだ. ザングンユックが多くて, などがとても広かったりして.
本人が一番セクシーだと感じる瞬間は? うーん, 難しい. 自らのセクシーさに対して話すのはどんなふうに言ってもなぜか ‘ザポック’のような隅があるよ.
今まで会った女達やイ・ビョンホンをちょっと分かる人々は何とか. ファンが捧げる竜飛御天歌以外に, 彼らがぽつんとつまんで具体的にセクシーだと言った瞬間はないか? 運転する時? あ, この前女友達にそんな話聞いて見た. 右側手を助手席で伸びて一手でハンドルを取ったまま後をちらっと見ながら後進する姿がセクシーだという話. ところで実は大部分の男たちがそうするんじゃないの.

女の身の中一番美しいと思う部分? 腰で骨盤につながる部分.
とても気経に話すのね. 我が国の女達の普通体形をもってはあまり易しくないケースと言うのも分かっている? 勿論だ. そんな稀少性があってもっと美しいと感じるのだろう. それがないなら私の返事もダルラジョッウルゴだ.
何, 百人なら百種趣向がいるのが当年下だから. ところでこれとても深刻に私のフェティッシュまですべて話すことではないか分からなく.
エイ, とても一部を話したようだが. 心配する位ではない. そうしてみれば女達が感じるフェティッシュこそむしろ多様なようだ. 男たちのように空空しいのではなく手首の筋だから鎖骨だから肩だからとても具体的で.
先ほど話した一手で後進する男の姿に対する話も密かに女達の間よく登場するレパートリーだと言う. ところで鎖骨に沸き返える男たちは多いんじゃないの. 私はよく分からない. 私たちオモニン一緒にテレビ見ている途中鎖骨が深く入って行った女達が出れば ‘ああ, 米が一ウムクム入って行く’こういう. 幼い頃からそんなお話を聞いて育ってそうなのか. がっくりえぐられた鎖骨がセクシーだという感じはない.
身が変われば自らに対する感じも変わるんじゃないの. 身の変化に対するプライドは男たちがもっと強い方で. うちのご主人も会う胸筋肉運動をするのにともすると触って見なさいといいながら胸がいっぱいに思う. 一方をもってはこんな気がする. 健康のために運動するのは分からないがあまり身のための運動にだけ泥むのはまた一つの線を超えるのではないかという感じ. 私は学ぶから, 役目によって身を鍛えてからまた平凡に過ごしてからまたずいぶんぶら下げられている途中しかし実はこれなの言葉のように有り勝ちな事もたやすい事でもないよ. ところでどの瞬間人々がビジュアル的な部分に首を結び始めたようでね. とても典型的な話だが, 私は外面の美しさと内面の豊か, 二つがすべて重要だと思う. もちろん私も女の外貌を見る. しかしどの位バランスをあわせて行きながら行かなければならないことなのに皆限り方へあまりにも多くかたよっている.
ある誰かの考えを直して変わる事ではなく, もうそんな世の中になったという気がする時がある. 私も身を鍛えながらこんな話をするのがアイロニーだと言うが, 周辺人々の一日をじっと見守れば男女を問わずどんな友達は来た生活が身にすべて係っている場合がある. 簡単に朝食を一手厚い時間ほど後には運動して本格的に一日を始めてその次はまたどこに行って肌管理してウェルビングザラダを食べてまた運動してこんな式だ. 頭の中の腕九十パーセント位が肉体的な部分にかたよっているね気がするほどだ. それが単純な流行のように来て行けば良いのに問題は人々がそっちの方へ徐徐に変わって行くということなの.
しかし素敵な人に素敵だと言うことは当たり前だから, 素敵に見えたい心も本能ではあるはずだ. その努力をすることができる人こそむしろ極少数で. それでは, 自分を向けた幾多の言葉の中に一番気持ちよくなる賛辞は何か. うーん, 私はとてもそうしないように労力したりするのに, それにもかかわらずある時見ればこれは本当に典型的に空空しい返事だねたい時があるはずだ. 分かる. 私も他の俳優たちインタビュー補とたまにそんな考えするよ. あ, どうしてあのように典型的な返事たちをするか. ところで実は彼らもそれほど話すしかないからそうなかけたのも分からない. 私が当事者になれば私も同じのよ. うーん, また質問に帰って, 私を本当に気持ち良くすることは例えばこんな言葉だ. ‘本当に俳優みたいですね!’ ‘うん, 確かに俳優なのでそうか目つきが違いますね.’ ‘本当に何か感じられますね.’ こんな言葉聞けば本当に楽しみがわく. 表ではちょうどクールするふりをしながら, ‘そうです?’ してしまうが, 中では本当に気持ち良い. 以前までは何気なく話している途中その後ではわざわざもっとさえているように目をきらっとながら話して. ハハ.

2009年は俳優イ・ビョンホンにどんな線を引く時間にあるつもりと言う気がする. 新たに始めるドラマ <アイリス>もところがもう撮影を終えたハリウッドブロックバスター <G.I.JOE>と出るという中紅監督の <I come with the rain>も封切り待機中じゃないの. よく分からない. どんなギブンイだったら, そんなことあるんじゃないの. 次第まともにケーキを作る方法だと思って私があらゆる材料をすべて入れて練ってちょうど版に上げてオーブンに入れて田ことだ. 私の友達は打つことをクルコッククルコックのみながら見ているし. ところで, 実は最後のふたを開く前まではわからないのじゃないの. 餠の出るかケーキが出るか. これが何が出るかいいね. 私も初めて作って見るのだから. ねりが間違ってまずければどうか, 完全に話にならないどぶろく堂堂と同じなのが出ればどうか. ところが, 背中後では皆フォークを持っていっぱい期待したまま待っていることなの. ぴったりそんな状況であることだ.
比喩がばたばた触れるが. 本当にそれもそのはず. 俳優を十年度以上ようにしたが, 初めてやって見ることだから.
まだ編集本は見られなかったか? <I come wiht the rain>は見たし, <G.I.JOE>は私の分量だけダビングしたことを見た. ところで行くことがよくつかまらないのは相変らずだ. 私が普段韓国からして来た作品をそっくりそのまま英語にしたらそれでも何か行くことが来たんだ. この二つの作品は完全に不慣れなジャンル気もしてとても性向が劇と棘人監督たちと作業して見ると. <I come with the rain>の出るという中紅監督はあんまり観念的で難解な内容の作品を取る人だから. それでも出るという中紅監督の今まで作品とは少し違う. 監督が持った 5年という空白期も一つの理由であることもできて, とにかく彼の作品の中には次第商業的な要素がとてもたくさん加味されたプロジェクト期もして言葉だ.
まずキャスティングだけ思ってもそうだ. ジョシュ・ハーネットと木村拓哉とイ・ビョンホンだって. 各国代表選手たちを集めるのが言葉のように易しい里が. そうだ. まずキャスティング自体が人々の目を集めるうえジャンル的にミステリースリラーみたいな感じが多いよ. やっぱり難解だが. とにかく私は見てから大変だった.
自分の演技が心に不十分にかかるというんや? いや. 彼よりは疎通に関する話だ. 果して観客たちにあの監督がどの位親切なのかたかった. 私が映画見てした初節はそれだった. さて, 不親切だ.
中それでも <I come with the rain>と言うベルリンではなければカンヌを狙う作品だろうと思った. 多くの人々がそんな期待を持ってはいていたが. , 分からないことなの.
<G.I.JOE>はどう違ったか. いや, イ・ビョンホンをどんなに変えたか. とても新しい経験が多かったし, それだけおもしろかった記憶も多い. これはとても楽に楽しむことができる完璧な娯楽映画のよ. スチーブンソモズ監督はまさにブロックバスターに上手い選手だ. <G.I.JOE> やはりファンタジーと SFが結合された作品で. 率直に二つのジャンル皆私には不慣れだよ. 我が国にファンタジー SF映画がオディッオッナ. 観客たちも皆外国映画見てやっと楽しがったのいつも見て来たのではないんじゃないの. それでもっとすごい実験をする感じだ. もちろん私が意図した事ではあった. 二人ともとても五という悩んで選んだ作品で. 私が演技生活をして来てから十数年じゃないの. 率直にもう惰性に濡れる時もなったし, そのまま私がして来たとおりずっと, もっとうまくやって行きながら私のだけよく守れば良い, そんな考えをしやすい時だ.
安全に? そうだ. 言わば安全に. 違うように表現しようとするともうちょっと俗物的に. ところが, 私という人は元々そうではなかったが, という考えがふとしたのだ. 私はすごく好奇心多い人間だよ.
それで刺激が必要だったし? 刺激が必要だと感じるのは自分が意図的に変えようとする駆ってすが彼よりは, そのまま私が心配したことだ.
全然違った器に盛るならイ・ビョンホンと言う俳優がどんなに変わるか? 結局その監督たちは私という俳優を彼らが描こうとするどんな絵の材料で使うというんじゃないの. それが知りたかった. 果してナラン俳優の使用用途はなにか. 私は私が知ると思って来たが私が分からないまた一つの私を見つけるようにならないかという期待感言葉だ. その映画を選択するようになった多くの理由の中そんな部分たちが一番大きかった.
それで期待感はいくら充足されたか. 率直に結果物が公開されることを考えれば, 期待感半分, 恐れ半分だ. 二つの映画皆とても深思熟考して選んだし決めたがいつもそんなつもりだった. 私が果してよく選択したのか. 私が果してよく来ているのか. もちろんこれ以上要らない悩みだがね. 実は韓国にいる私の映画ファンはウワー, ハリウッドブロックバスターに国際的なプロジェクトだなんてうまく行くのね, 期待しながら果してどんな映画だかそんな考えたちをするはずだがいざ私はもう過ぎ去った選択に対する無駄な考えたちが絶えないのだ. ぼどよければ過ぎ去った事に対しては振り返るとか後悔しない方だが, 今度はそれにもかかわらず.

あれほど比重ある選択だったという話だろう. そうだ. とにかく小さくない決定だったから.
システムが違って不便なのはなかったか. ボゼッや性格はとても違ったりしても二つの映画皆とても時間配分が徹底的だった. 特に <G.I.JOE>は一日撮影分が増えるほどおびただしい費用がかかる映画ダーボだのプロデューサーたちが撮影時間始終見守りながら立っていてから何か帰らないと思えばぱっと処理してしまって. それこそ確かな業務論理に帰るのを感じた. 時間が正確に守られるのはとても象徴的な一部で, その他にすべてのシステムたちが本当に恐ろしいという気がする時があった. しかし演技に関する監督の権限が及ぶ領域だからむしろとても自由に演技した方だ.
ところで必ずハリウッドプロジェクトに合流しなくてもイ・ビョンホンは充分にうまく行って影響力ある学ぶんじゃないの. それでも相変らずハリウッドという単語は特別だか? 一体ハリウッドはイ・ビョンホンにどんな意味か. 前に一度話したことがあるのに, 言語はもちろん文化やシステム, 人々まですべてのものが他のここで私がどんなに適応して行かなければならないか, あの人々とどんなに仕事をするか, そんな悩みをして見れば限度終りもない. それではしない. このようになってしまうことなの. とにかく私に自信感を吹き入れればこそできる仕事だから自分なりに考えをゴチョザブヌンことだ. エイ, なんかある? どうせまったく同じく人間が感じる行ってすはずだがした通りにすれば良いでしょう, 私の表現に充実ならば彼らも感じるの, と. ハリウッドと言う私が働くようになるまた他の場所, もうちょっと規模が大きくて, もうちょっとアクティブな映画たちが多くて, もうちょっと多様なジャンルを経験することができる新しい舞台であるだけだ, と. 少し意図的にそのように思おうとする傾向がある. しかし率直にどうして違うのがないか. そのように思おうと労力するプンインゴだ. それでも明らかなのは, 私という人の演技根自体を振りたくないというんだ.
ハリウッドがいくら大きい機会の市場だと言っても今を否定してまでそちらにぶら下げられたくないということなの? そうだ. そして確かに東洋人という限界が感じられる所でもある. 私の場合なら私の基盤で成したことを捨ててまでそこにぶら下げられる必要はないと思う. また良い機会があって状況が変わればまた行ってして来れば良いでしょう.
可能性は皆開いておく? どこでもどんな作品をするかどうかがまずと言う話だ.
その作品を選択するという側面でハリウッドが魅力的ではあるんじゃないの. もちろんハルスさえあったら言葉だ. そんな次元で <G.I.JOE>が私が本当にしたいことをする動機を付与することができる作品になってほしい. ところで日本やヨーロッパだけでも良く有名なのに変に我が国では人々がG.I弔歌何やらよく分からなかったって. ‘本当にすごい選択をしたな’ ‘あそこどんなに入って行っただろうか’ 思う人がいるかと言えば ‘イ・ビョンホンがそんな類の作品を?’と言いながら聞き返す人もいるんだ.

誰かつけておいてそんな心配をするか? ないが, 私の前なのでできないのかも分からないんじゃないの. なぜだったら, 考えをして見てください, マンガみたいなキャラクターに, マスクまで立ち込めて, サングカルまで突き付けてちょうど飛び回したら, あの子が急にどうしてああだかどうかわからないじゃないか. 持ってそんな考えする人多いだろう.(笑い)
年末だからもっと考えが多くなる時期のようだ. これからの人生, あるいは短くは 2009年, ‘これだけは必ず失わないで暮したら良いだろう’と言うのがあったら. 本当にしたい話は去る号 <エール> シェアハピネスプロジェクト撮影しながらだした. ところで, 実はそのインタビューちょっと不便だった.
なぜ? 質問がとても善良でばかりして? 世の中を美しくするためにはどうすれば良いでしょうか, だなんて, 率直に漠漠な質問だろう. 考えもしなかった問いだから. しかし我知らず ‘本当に私がこんな考えをしていたな’ というのがぱんと飛び出した. 本当に長い間思ったことなのに, しながら. いつかから人間を忘れて暮したな. これからは法が先にで, お金が先にで人間は順番でずいぶんおくれているね. その何より常に人間が先にでばなければならないことなのにますます社会が人本主義で他の方で流れるのではないか, 何こんな雄大な話をしたくなくて….
それとともにあの時も今ももうすべて言っているんじゃないの. うーん. もうちょっとよし例えばどうかな. 寒くて全身がぶるぶる震える時それでも誰かと一緒に付いていればちょっとましじゃないの. そうだから, 難しいほど近くなったら良いだろう. 顔一度見て手伝ってくれると, 言った話ではなく悲しい事は分かち合うほど減らされることのようにたくさん会ってお酒を飲んで遊びながらそのまま一緒に付いていようということなの. お互いに.
そのように心の頼りになる人々は当然いる? 勿論だろう. 私にもいる. 長く会って今後とも一緒にする本当に私の人々.

*詳しい事項はエール見てから 1月号を参考してください
by kazem2 | 2008-12-25 00:10 | News