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by kazem2
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2008 PEOPLE OF THE YEAR FILM2.0

<Feature-Feature>
FILM2.0 選定, 今年の人物
♡FILM2.0記事
韓国映画が今年の一年極甚な沈滞を経験したとしてもスポーツ映画 <私たち生涯最高の瞬間>の前にも後にもなかった 400万観客突破, <追い手> ナホングジン, <ミスにんじん> 李軽微という傑出した新人監督の登場, 韓国アクションの再発見, キム・キヨン監督の <下女> 復元など 2008年を輝かした光栄の瞬間は相変らず記憶に鮮やかだ. FILM2.0は今年の一年をきらきら輝かした ‘2008 今年の人物’を選定, 彼らの成果を記念する.





むしろ敷かれた俳優の一年, 金尹錫

金尹錫の内攻が火元に至った瞬間, <追い手>という火種がその前に落ちた. 彼の表現とおりなら一言で ‘敷かれたむしろ’だった. “誰かがこんなに言う感じでした. お前ちょっと遊ぶと? そう, むしろ一度敷いてくれるはずだからどこまともに遊んで見なさい!” <追い手>は彼が主演としてすべてのものを責任負わなければならなかった初映画だ. <天下壮士マドンナ>(2006)の ‘東欧お父さん’や <タチァ>(2006)の ‘餓鬼’とは幅が違うむしろだった.

彼はこの映画でその間積んで来た内攻を 200% 燃消させた. 希代の殺人魔の前で一寸のムルロソムも見えなかった前職刑事 ‘厳重号’のカリスマは賀正優と流麗なコンビプレーを成して張り切ている緊張感を作り出した. 引き継いで驚くべきな結果が並んだ. 大宗上映話題と利川椿事対象映画祭, 夫日映画賞, 青竜映画賞, そして大韓民国映画大賞の主演男優賞を順に席巻した彼は 1年始終撮影場と授賞式場を行き交って楽しい悲鳴を上げなければならなかった.

青竜映画賞授賞台に上がって “今年土鼎秘訣を見たら生涯一度しかない私の日と言っていたよ”とずるいふざけた言い方を落としたりした彼は笑ってあの時の所感を修正する. “嘘ですよ. しきりに賞を受けるからありがたかったりして照れくさかったりするからです. そのまま運が良かったと言いたかったです.” このように寄るところ分からないように賞受ける運が多い今年にも彼は <亀走る>の撮影を終えたことはもちろん莫逆の友であるツェドングフン監督の <前愚癡>に一歩遅れて合流して息忙しい歩みを引き続いている. 2009年はどんな年になるようかと言う問いに “授賞をしに通う一年になること”と言いながらげらげら空笑いを噴き出す彼を見てもう一度確信する. 2008年は金尹錫の年だった. 産着だと記者

俳優人生最高の演技, ゴン・ヒョジン

“今年は本当に映画俳優として忙しくて意味深い一年だったです.” ゴン・ヒョジンの言葉のように彼女に 2008年は俳優人生で一番美しくて幸せな瞬間だった. 年初からブジヤング監督の <今これどおりが良いです>を始まりに李軽微監督の <ミスにんじん>, リュウ・スンワン監督の <TACHIMAWA LEEー悪人よ地獄行急行列車に乗りなさい>剥けよう本の映画に順に出演して完全に映画俳優にだけ活動しただけなくそのうち <ミスにんじん>は彼女フィルモグラフィーで一人で劇を責任負った実質的な初主演映画だった. もっと驚くべきな事実はゴン・ヒョジンではなければ果して誰が消化しただろうかたいヤングミスック役で彼女生涯最高の演技を広げたように見えたということ.

あれほど強烈な印象を残したキャラクターだったから “死ぬまでこんなに演技することができる作品をまたお会いできるか心配が野位です”と満足感を現わすゴン・ヒョジンは “映画俳優としてとても大人になったような気持ち”という心情も付け加える. 一方では喪失感もある. 映画界人々に良い評価を受けたにもかかわらず思ったより満足ではない興行数値にヤングミスックを大衆がそっぽを向いたようでさびしい心も入るのだ.
“まずい女は外面受けるしかないか. 未熟が表現とおりならきれいなキャラクターはすべて埋めてしまわなければなりません. ハハハ.” 相変らずミスックイを腹中に深くおさめているほどに <ミスにんじん>はゴン・ヒョジンに良い思い出を残した作品だ. しかしこの作品が彼女に残した課題も手強い. いつまで未熟これにだけ残っていることはできない法. 次の出演作が決まったのではないが活逹で溌剌とする役目を引き受けて見たいという望むにはまた他の跳躍を準備する彼女の意志が込められている. ホナムウング記者

もう本当の手始めだ, 独立映画の産婆金華犯, グァックヨングス, 李引き延ばし, 孤影嶺

2008年独立映画界は祝いのあいさつにあふれた. 韓国独立映画界の二つの柱韓国独立映画協会(以下, ‘韓独協’)とインディストーリーが今年で 10歳になったのだ. 誰かは ‘10年が大根にすごいことなのか’と続分からない言葉をするかも知れない. しかし昨日違って今日他の韓国映画界から独立映画協会と映画社が 10年の間同じ席を守ったということだけでも祝い受けて適当な仕事だ. その間韓独協は独立映画の心強い助力者で生まれかわったし, インディストーリーは独立映画配給だけではなく製作も兼ねながら肥えた土壌を提供した.
韓独協とインディストーリーはそれぞれ ‘独立映画, 新しい 10年を約束する’という行事と 10周年映画祭を開いて胸がいっぱいさを現わしたりした. しかし独立映画界 4人が集まった席には 10周年に対する愼重な発言が行き交った. 4人の共通された意見となると, これから 10年がもっと重要だというのだ. 韓独協孤影嶺事務総長は “その間は社交辞令でも褒め言葉と激励まじた言葉だけ聞いた. しかしもうそんな兔罪符は通じない. 無巨雲責任感が感じられる”と重たい所感を明らかにした.

インディストーリーグァックヨングス代表も同じく “後 10年を悩まなければならない時”であることを強調した. “独立映画で一番必要なことはお金より人”と言いながら韓独協李引き延ばし事務局長はこれからの課題で ‘人力開発’を指折った. インディストーリー金華犯 PDは “観客の心に帰らなければならない”と柔軟な事故の必要性を話した. 引き継いで郭代表とその事務総長が経済的自立, アジア独立映画ネットワークなど後 10年の課題たちを幾列にもこぼし出した. 去る 10年の成果と意志で見て独立映画界がまた他の結実を結ぶ日はマージしなく見える. 賀正民記者

毀損されたフィルムをいかし出す ‘未ダースの手’, 韓国映像資料院保存技術センターチームイソックフィ, 金英米, キム・ギホ, ヤングチァングギル

“陰地で働くが, 私たちの手を経って新しく作品が生まれるという考えによほど自負心を感じる.” <下女>のデジタル復元に対して韓国映像資料院保存技術センター(以下 ‘保存技術センターチーム’) イソックフィチーム長はこんなに所感する. 保存技術センターは映像資源管理チームに属している途中去年 10月頃新たに創立された部署だ. 現在 10人のチーム員がい, 古いフィルムの保存及び新たに君がフィルムを作る光学復元作業とデジタル色補正などをするデジタル復元などの仕事を引き受けている. 映像資源管理チーム時代からこれらは毎年 40~50余本の映画を保存あるいは修復して来た.

そんな人々の功労が今年一際著しい理由はまさにキム・キヨン監督の <下女>を世界映画財団(WCF)の支援をもらってデジタル復元作業をしたからだ. ここにはイソックフィチーム長を含めて金英米, キム・ギホ, ヤングチァングギル研究員の功が大きかった. “<下女>は復元が非常に気難しい映画だった. 原本の中に遺失された部分があったからだ.” これらは紆余曲折あげく一般上映用プリントを求めるのに成功したがこれさえ問題があった.

まさに字幕が険しく歪んでいたこと. WCFは復元作業を支援してくれる代わりに字幕を消してくれと言って要請した. 保存技術センターチームはソウル大情報信号処理研究所そしてデジタル映像専門業社であるHFR (ハリウッドフィルムレコーダー)とともにとりで ‘デジタル復元ソリューション’と言うプログラムを開発して復元作業に取り掛かった. 結局これらの努力に負ってカンヌ国際映画祭及び釜山国際映画祭などで <下女>の復元版を上映することができた. もう全世界で韓国映画の傑作 <下女>を見られるようになったのだ. 移施優記者

地球上にただ一つだけである想像力, 李軽微監督

<ミスにんじん>は沈んだ韓国映画界に突然と落ちた滋養強壮剤みたいな映画だった. 地球上に李軽微監督だけ持っていそうな想像力と傑出したキャラクターでもたらしたこの映画は ‘今年のデビュー作’という評価が惜しくない位に満場一致に近い評壇の好評を博した. “最初意図が未熟が同じ飛虎感キャラクターを持って既存になかった話を作ることだったが韓国映画界が難しい状況で光を見るようになって成就感を感じます”という李軽微監督.
こんな功労を認められて青竜映画賞で新人監督賞に脚本賞までおおよそ 2冠王に上がる気炎を吐いた. ただ一つ, ミスックイが多い観客と会うことができなかったことは惜しいことで残る. 顔面紅潮というハンディキャップで世の中と疏通することができない ‘一人ぼっち’ ミスックイを完全に理解させることができないとしても彼女のアンタカウムだけは伝達したかった監督に “やっぱり飛虎感は疏外されるしかないんですか?”というさびしい気がするのだ. して <ミスにんじん> シナリオ執筆当時コンセプトを取ることに助けされなさいと書いておいた ‘笑うことができない状況’が実際になってしまった李軽微監督だが映画自体に対する自信感だけは失わなかった.
“そんな過程を経りながら映画的な視野が開けたし私のできる幅がもっと広くなりました”という彼女の次期作はスリラーになる見込みだ. <ミスにんじん>を通じてジャンル拗るのを見せてくれたら今度はジャンルを正面で扱うということ. どんな話になったといっても彼女ばかりの独特の映画になるはずなのは自明だ. ホナムウング記者

ジャンル映画の輝くデビュー作, ナホングジン監督

“私はもう芥子菜映画一楽なやつです. 何でもないですね.” ざらざらしてつやがない言いぐさで常凡ではない野心が付け出す. 何でもいやだなんて. 2008年上半期, 忠武路で <追い手>の登場は一大 ‘事件’だった. 新人監督のこの覇気にあふれるジャンル実験に観客たちは久しぶりに冷ややかさを感じた. 無能な韓国社会の功績システムを凉しく踏み躪った <追い手>は 500万観客を突破して韓国ジャンル映画の新しい元年を知らせた.
これ ‘事件’の有力な容疑者は断然ナホングジンだ. 去る 3年間骨折る訓練を繰り返えしてずっと登板機会をうかがっていた彼は待ったというように軽いスイングで連打席ホームランを飛ばした. 百想芸術大償対象と新人監督賞, 大宗上映話題監督賞など主要上たちを全部荒したことはもちろんカンヌのレッドカーペットを踏んで来たりしたしいきがかりで結婚まで(!) した. そうさにも “今年はただ生産しておいたことに対して貰い食いしてばかりした怠けだった時期”と一喝する彼の目つきでは相変らずお腹がすいている自分の考え虚飢が感じられる.
次期作 <肉である人>(仮題) 準備に盛りの彼は <追い手> 時と同じく昼夜が後先になったつらい日々を引き続いている. “来年末まではずっとシナリオだけつかまえているようです. 今度にも苦痛の時間にあります.” 請負殺人をするようになった辺青年の話を盛り込んだ <肉である人>は運が良ければ来年末にはクランクインに入って行く予定だ. 彼を待つ時間がかなり長く感じられる. 産着だと記者

大韓民国, おばさんらと通じた, 心材人社長

十に九つはだめだと言った. 韓国映画社で興行に成功した事例が珍しいスポーツ映画, 非主流の生, それにおばさんらが主人公という設定はまさに映画が持つことができるすべてのマイノリティーの総体だった. 自信感なくは映画を初めて企てた MKピクチャー心材人社長も同じだった. しかし彼女は 2004年アテネオリンピック競技を見てして見るに値する価値があると判断したし映画化に導いた. “素朴だが生に最善をつくす選手たちの姿を見ながらまともに作れば観客との疎通はもちろん映画的価値も持つ作品になるはずだという確信があった.”

心材人社長の予感は的中したしおばさんハンドボール選手たちが闘魂あげく銀メダルを首にかけた話は全国 410万名の観客を劇場で引き入れた. “周りの憂慮が大きかったから最大限無駄使いない製作システムを立てようと努力した点が奏效したし実際景気劣らず全力をつくした監督, 俳優, スタップたちの闘魂が観客と通じる興行の主要要因ではないか思う.”

<私たち生涯最高の瞬間>の前にも後にもない成功は韓国映画社だけではなく常に実験と挑戦を止めなかった映画祭作者心材人社長にも新しい指標になった. “新しい試みをする時は何より事前準備が完璧ではなければならないということを再確認することができた.” 心材人社長の愼重な挑戦は来年にも続く. 実写映画製作社では初めて製作中の長編アニメーション <庭先に出ためんどり>がそれ. 彼女のまた他の挑戦に疑問より信頼の雪道が集まることは当然だ. 賀正民記者

韓国を越して世界へ, 西営株代表

西営株代表は今年韓国にあった時間より海外に泊まる日がもっと多かった. 10月と 11月2ヶ月の間だけも釜山(映画祭)とローマ(映画祭)と LA(アメリカンフィルムマーケット) などを行って来た. そんな努力おかげさまで今年の 2月海外配給を専門にする ‘パインカット’を創立した後 <追い手> <ナッスル> など韓国映画の海外配給を成したし <オールドボーイ> <追い手>のリメークを成功させたしアルゼンチンのパブロトラペで監督の <レオネだと>(カンヌ映画祭競争部門), アプガニスタンのシディムバルマック監督の <阿片戦争>(ローマ映画祭最優秀作品賞) など合作映画を成功裏に導いた.
“去る何年間海外で構築した信頼を土台で振り撤いた種子を今年から取り入れています”と三代表は今年の成果を自評する. 特に国内映画市場が飽和状態を成した状況で彼女の成した成果は韓国映画の世界化はもちろんグローバル合作を通じる多様性につながったという点で意味深長だ. 2008年にだけ二十の便近くの韓国映画街彼女に海外配給を依頼したし日本と南米など世界各地で合作を問い合わせて来た.
そのうちにはこのイ・チャンドン監督の新作 <時>があって李軽微監督 <ミスにんじん>のリメーク推進がありソノシオン監督のギャングヤングファ<Room of Dream>の共同製作がある. して新しい市場創出と新人監督たちのアップグレード, そして合作映画の円滑な撮影を来年計画で取っている西営株代表は相応しいバイヤーを尋ねるために 2009年にもずっと韓国と海外を行き交う予定だ. ホナムウング記者

大衆に一足もう近寄ったアクション, チョン・ドゥホング武術監督 & ゾングビョングギル監督

チョン・ドゥホング武術監督は今年 <良いやつ悪いやつ変なやつ>(以下 <ノムノムノム>) <鋼鉄中: 公共の敵 1-1> <神機箭> <TACHIMAWA LEEー悪人よ地獄行急行列車に乗りなさい>を通じて全国観客 1,500万人を集めた. 本人は “ただムッオガンの”と言いながら笑ったが, ‘アクションしゅうと’の道を歩いて来た彼に 2008年の韓国アクションは少し特別だった. 特に <ノムノムノム>を通じて今までとは他の韓国アクションの新しい地平を開いたという点で意味が大きい.

“過去にアクションなら B級ムービー概念が強かったが, これからは認識が少しずつ変わっている. <ノムノムノム>を通じてアクション自体が大衆的な関心を受けた”と映画に手柄を譲ったが, 彼の熱情が盛られなかったら結果は変わったはずだ. 彼はまたアクション自体を商品で作る作業も取り掛かった. アクションスクールを中心にアクション映画を倦まず弛まず万たち計画のこと. “売り値が 0ウォンでもずっと試みる”と ‘ライジングアクションスター’を通じて新しいアクション俳優も選んで本格的な手始めを知らせた.

チョン・ドゥホング武術監督がメージャーで韓国映画の新しいアクションを主導したら, ゾングビョングギル監督は他の方式でアクションを話した. スタントをする知人たちの姿を盛ったドキュメンタリー <われらはアクション俳優だ>は <ノムノムノム>と比べようとすると限りなく小さな映画だが, 不慣れなジャンルであるドキュメンタリーを大衆の前に持って来たし, 何よりスタンドマンが経験する悲哀をたまにはコミックにたまには感動的に描き出してこれらに対する関心を催すのにかっかくした功を立てた. たとえアクションを扱う二人の方式は違ったが, 今年韓国アクションを大衆の前にもっと身近に持って来たことにはこのふたつの役目が大きかった. 金図形記者

写真金止揚
2008.12.17 / オンライン編集部
by kazem2 | 2008-12-17 20:22 | Movie