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映画「クロッシング」 アカデミー賞へ

◇異聞院の文化批評

今年アカデミー外国語映画賞韓国出品作でキム・テギュン監督の ‘クロッシング’が選定された. 選定を引き受けた映画振興委員会側は “北脱出者を扱った ‘クロッシング’の主題が持つ認知度側面でアメリカ国内配給及び商業的成功可能性が高い”と前提して, “‘クロッシング’が扱う政治的素材がアカデミー会員を含めたアメリカ人に訴える力を持つはずだという点も勘案して出品作で決めた”と明らかにした.




ネチズン反応は奇妙だ. 選定結果をおいて常にあらゆる言葉が多かったところ惚れて, 今年は ‘度が外れるほど’で静かに移っている. ほとんど関心の外だ. 北京オリンピックで話題が移ってそうなこともあるが, 最初期待しあんまりナッアジョソだ. 毎度まったく同じなパターン, すなわち出品作選定→‘受賞可能性ある’と言う礼儀のため予測補も→候補作選定失敗が繰り返されて見ると, その可能性を論ずる事自体が養歯器少年ように格下げされた. アカデミー賞というテーマはこれから星で振り返りたくない挫折の話題になった.

それなら果して今年はどうかな. 今年もやっぱり同じな挫折の道を歩くようになるか. 肯定的な部分から先に話して見ようとすると, 一応出品作選定自体は悪くない. 少なくとも他の 4編の応募作, ‘ノムノムノム’, ‘様は遠い所に’, ‘私たち生涯最高の瞬間’, ‘追い手’よりはアカデミー性格によくぴったり合う. ‘ノムノムノム’はとても娯楽的で, ‘様は遠い所に’はあまり新鮮度が下がって, ‘ウセングスン’はとても平凡で, ‘追い手’はあまり残酷描写がひどい.
しかし計算して聞けば ‘クロッシング’もそれなりの ‘アカデミー非適格事由’は多い. ただ ‘個中優れた’位であるだけだ. 一応監督が世界映画界ですぎるほど無名だ. 弱いネームバリューを相殺させるだけスタイルがこれといった個性的なのでもない. もう ‘王の男’時イズンイック監督にも適用された弱点たちだ. また保守的人本主義ドラマがアカデミー趣向であることは当たっても, ‘クロッシング’はそこで半分歩ほどもっと出たメロドラマで消化してしまった.
一番主な非適格事由はやっぱり素材と製作国の不一致だ. 確かに北朝鮮現実と北脱出者問題はアカデミーが好む ‘局地的社会現実’テーマが迎える. しかし局地的社会現実は通例 ‘まさにその国’で言われると評価が高い. 仮にアカデミーだけではなく世界どの批評係でも同じだ. 北脱出者現実を私たちが扱うということは, 海外視覚で見ようとすると, パレスチナ現実をイスラエルで扱う姿になる.

このようにいくつかの代表的な ‘アカデミーコード’野だけ見ても ‘クロッシング’はもう答が出ない. 勿論 ‘クロッシング’が貧しいコードたちを越す感動を審査委員会原緞に抱かれてくれ快挙を得ればそれよりもっと良い事はない. 全世界 2億5000万視聴者が見守るただ映画広報及び国家映画産業イメージ向上のチケットと言う確かにめぼしいのだ. 日本映画産業が ‘ラショモング’のベニス映画祭黄金獅子上ーアカデミー外国語映画賞ワン・ツーポンチで一気に世界映画界中心に立つことができた過去を考えて見ればもっとそうだ.
しかしそんな好材はめったに起きない. アカデミー審査委員会原緞と言うのはカンヌやベニス, ベルリン映画祭の審査委員会原緞と違う. 毎度新たに抜くのではなく, 既存アカデミー会員たちでちびちびもっと追加されて, 死亡などの事由で少しずつ消える構造だ. 既存性向が維持されやすい. 変化が起きても破格的なことはない. ‘よく感じられないほど’の変化が積もられて次の歳どおり移動される. 結局前に食われなかったことがあっという間に食われて入って行く事はないというのだ.
ふたも熱気の前招致は音のように聞こえることもできるが, 速成がずっと食われて入って行く構造が当たったらその速成をもっと研究して冷情な結果を導出し出す作業も必要だ. 不幸なことは, もうちょっとその速成-コードを暴いて行って見れば, もっと絶望的な結論に至るようになるという点だ. 単純に ‘クロッシング’の向方次元問題で終わらない. 韓国映画自体がアカデミー外国語映画賞を迎えないという結論が出る.

一応審査委員会原緞の変化幅を広く設定して,21世紀以後 8年とその私は 8年で分けて性向変化をよく見よう. 最近 8年とその私は 8年, すなわち 1993年から 2000年まで審査性向はお互いに似ている部分がある. 昔も今もアジア映画を気配りしないという点だ. 去る 8年間総 40本の外国語映画賞候補作たちの中で東北・南アジア地域映画はただ 4編, 以前 8年間は 6編だった. ヨーロッパ地域の 22便, 21編とは大きい差を見せる.
以前と変わった部分はもっとゴヤックスロブダ. 韓国など新しく登場した映画強国滲もうとするその渦中にもっと弱化された. 以前 8年間はネパール, イラン, ベトナムなどアジア ‘文化辺方’映画にも関心を持ってくれた一方, 21世紀に入っては日本, 中国, 台湾, インドなど既存アジア映画強国手だけあげてやった. 中それでも狭き門がもっと細くなった.
ここにペナルティがまたある. 21世紀に入って候補に上がった 4本のアジア映画, ‘臥虎蔵竜’, ‘英雄’, ‘夕暮れのセイベイ’, ‘ラガン’は皆一つ共通点を持っている. すべて史劇という点だ. 近代物までもない. 絶対多数が現代物であるヨーロッパ・南米地域候補作たちと特に違う様相だ. アカデミーはアジアを眺めるのにあって鴨円毛リズムに即した ‘異邦人視線’を好むという傍証だ. ‘同時代アジア’には関心がない.
主題上の対談性も院しない. 候補に上がった 4編アジア映画は皆古典的主題を持った. 絶対王権に対するあこがれ, さむらい精神に対する生真面目な固執, 権力者とスポーツで雌雄を競う庶民ファンタジー, 愛と名誉の間で迷う武術人の寓話などだ. 表現もちょっと古典的な形式を好む. 独創的演出や風変わり処理方式を有り難がらない. 以前よりももっと保守的だ.
この位なれば韓国の引続いた敗北も理解ができそうだ. 一応新興アジア映画強国には入り口自体が高い上に, 出品作の中で現代物があんまり多かったし, 初めて押しこまれた史劇 ‘王の男’は ‘ペワングビョルフィ’さえ受賞で押しのけ出したクィオ要素を盛っていた. それさえもその出品作たちが ‘個中優れた’ ものなどだった. 他の映画たちは速成上もっと当たらなかった. 入り口を越えるに値する映画が全くなかった.

考えて見れば現時点韓国映画市場自体がアカデミー外国語映画賞速成で距離が遠い. 史劇は残酷スリラー(‘血の涙’, ‘宮女’)やエロチシズム(‘スキャンダル: 朝鮮男女上熱支社’, ‘淫乱書生’)で流れて, 全体的大作映画中心は ‘ノムノムノム’, ‘ワンスアポンナタイム’など日帝強制占領期間背景近代物で移されている. 印本主義的ドラマは大部分現代背景だ.
それでも市場状況から脱して ‘アカデミー用’で映画一つを企てることもおこがましい. そのように気まぐれな相議受賞結果にオールインする企画はほとんど狂った仕業だ. 製作・配給体系上でも間違いが発生する. 外国語映画賞出品対象は前年度 10月1日からあって 9月30日まで封切られたとか封切られる作品だ. 製作ではなく封切りだ. 出品期間もっぱらクトモリに立つと言ってもアカデミー候補作発表までは 5ヶ月以上が残る. 市場性を確保しにくい.
それなら韓国映画界が今後の対 アカデミー賞戦略で選択しなければならない方向はなにか. 事実上 ‘待つ事’外には他の方途がない. 韓国の市場状況が繰り返えして回って遂にアカデミー趣向と交集合を成すようになる時を待たなければならない. その前までは, 続いてアメリカ市場に私たちの映画を押しこんで新興アジア映画強国としての狭い立地を拡張させる作業に沒頭しなければならない.
一応 ‘アジアチケット’内での先行獲得確保が優先だ. そうして見ればどの瞬間円価, すべてのものがいっぺんにきっかりあう瞬間も来るでしょう. 当たり前の話だが, ただチケットと言うのは実は本当にただで与えられるのではない.

大衆文化評論家 fletch@empal.com
2008-08-17 08:57
【ソウル=ニューシース】
by kazem2 | 2008-08-17 09:54 | News