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by kazem2
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強い奴より軽い奴。。。50代の出番だ

<コラム>この地に ′ノムノムノム′のような満洲ウエスタンが復活した理由

キム・ジウン監督の ‘良いやつ, 悪者, 変なやつ’が封切り 17日ぶりに 500万人を越したと言論ごとに大きく書いている. もしかしたら言論であまり扱うことは当たり前の事だ. このごろ何年間韓国映画の製作投資は薄氷板を集めている形だ. 韓国型ブロックバスターだとお金集めて豊かに広告した映画たちが幾列にも手なべを下げたし投資社たちはこれ以上冒険をしない.
♡バルンソンCM(カンヌ映像)クリック



こんな状態に数百億を投資した ‘ノムノムノム’さえ倒れれば下半期のみならず来年再来年韓国映画 ‘農業’はマルチァング硫黄, 種も振り撤くことができずに荒れ地になる田の底のため息をついてバラだけ見なければならなかった. ‘ノムノムノム’は韓国映画界で見る時絶対倒れてはいけない映画に違いない.
それでも ‘ノムノムノム’がそんな ‘愛国心’に酔って見なければならない ‘デーウォ’ のような映画は絶対ない. ドラマは論外で打ってくれと言う監督のコメントではないとしてもいわゆる ‘満洲ウエスタン’を標榜した ‘ノムノムノム’の基本構造, ‘西部劇’が本土やマカロニやまた他の変奏や間違いなくドラマに仕分けされないからだ. ‘ノムノムノム’が見せてくれる活劇場面たちが 今年上半期封切りした ‘インディ・ジョーンズ’の息忙しいアックションシーン劣らなく見えることは ハリウッドに比較できない製作コストでも 全身を投げて劣らないはく作り出そうとするスタップたちの涙ぐましい ‘死闘’が場面ごとに滲んでいるからだでしょう.
500万人を越したということは一応映画の株消費層である 10~20代にまともに食われたという意味だ. 500万人から 1,000万人だけで行く道はもう外燃の拡大, 30~40代を超えて 50代を動かさなければならない. ハリウッドブロックバスターの洗礼をママ腹の中胎児時からたっぷり受けた 10~20代にハリウッドの主従目である ‘西部劇’が食われたということはすごい事件だ.
キム・ジウン監督以前のその誰も ‘西部劇’に挑戦する意慾を出さなかった. 韓国映画の中興期の 60年代を除いて言葉だ. 1960年代韓国映画はまさに中興期だった. 恐怖, スリラー, 史劇, ヌアール, ロマンスどんなジャンル恐れないで量産した時期だった. その中に ‘満洲ウエスタン’があった.
内容は今の ‘ノムノムノム’ 劣らず単純だったが ‘ノムノムノム’と違う点がいたわしいがあった. 既存の ‘満洲ウエスタン’は日帝時代という背景の堪えることができない ‘重さ’を脱することができなかった. 話のオルゲはたいてい満洲で色々 ‘やつ’らが結まれて総けんかをするのにおおよそ悪党は日本軍岡っ引きで, 主人公は悪党たちから奪った宝物や財貨を独立軍に導いて最後の場面では夕陽の満洲原野を向けてピョピョヒ消える構造になっている.
‘ノムノムノム’を見よう. もちろんここにも独立軍が存在する. それも映画始めるやいなやオープニングタイトルまで進行された列車追撃シーン初場面に ‘変なやつ’ ソン・ガンホが列車ドイッカンからアブカンまで疾走するところに太極旗をあげた ‘愛国志士’ あるいは ‘独立軍’(?) ひとりがソン・ガンホ前に駆けて来て日本軍たちによって制圧される.

意味があると?

その場面は全然無意味だ. その神さまで繋がれるもう一つの幾多の列車乗客たちと別に差ない ‘風景’に過ぎない. 60年代の満洲ウエスタンなら当然主人公が彼を求め出すとかそれとも後にでも彼をグヘネヤする有意味したプロットだと当然だ. 60年代において ‘日帝強点期時代’は張三李四の民衆たちが国失った悲しみに怒りを隠して生きて行かなければならなかったし満洲には独立闘士たちが渡って来たし朝鮮では敢えてできなかった, 日本軍たちに思いきり鉄砲をソアデは時期だったからだ.
勿論 ‘ノムノムノム’にも ‘風景’ 以上に独立軍の話が出る. ‘良いやつ’ チョン・ウソンが独立軍のオーダーで ‘悪者’ イ・ビョンホンが奪おうと思った地図を狙う. しかしチョン・ウソンの本音は 60年代満洲ウエスタンの主人公とは違う. 独立軍親指院は彼に ‘独立資金をばたばたはたいて渡すから地図だけ奪ってくれ’と要求する. チョン・ウソンはイ・ビョンホンを追って ‘変なやつ’ ソン・ガンホに腹中の一応を仄めかす. “国がなくてもお金はなければならないから...”
60年代満洲ウエスタンの観点で見た時チョン・ウソンは絶対 ‘良いやつ’ がない. その時代の ‘良いやつ’は当然 ‘独立軍の軍資金をもらわないとしても’ 地図を奪ってくれなければならないし ‘お金はなくても良いが国は取り戻さなければならないし’ 最後の場面には売国奴宋映窓から出た財物を独立-解放のために独立軍に導いて去るとはじめて ‘良いやつ’であることがあった.
最小限映画において ‘良い悪い’の価値基準が違うという話だ. いや最小限独立軍だとあるいは独立軍を手伝ってくれると ′良いやつ′, 主人公になることができるという 60年代式のドグマで解放されたという話だ. キム・ジウン監督が復活させた ‘満洲ウエスタン’を除いてからも多くのジャンルでもう私たちは独立軍が存在しないあるいは重要ではない日帝時代背景映画の全盛時代を開いて行っている.

何が重要だと?

今 70~80代の目で眺める時あるいはその方たちの目の高さを心に滞貨した 40~60代の目で見る時 ‘ノムノムノム’のこのような ‘軽々しさ’は理解出来ない状況であることができる. 理解する. その時代それほど生きて行くしかなかった, ‘愛国愛族が私たちの生の道’引き継がなければならない年寄りたちの目には不穏に映ることもできる.

国防省が不穏書籍だと ‘地上にさじ一つ’, ‘どうして 80代が 20代に支配されるか?’, ‘悪いサマリア人たち’, ‘世界化のわな’ などを禁書と指定したと言っていわゆる進歩媒体たちの袋叩きと嘲弄にあっていることに対してあまりにも当たり前の措置を持って再び左派たちの暖冬がつながると眺めることも理解する.

しかし時代は変わった. 補修でも進歩でも ‘真剣で厳肅で重ければ’ 負ける. 上に書かれた諸本はもうずいぶん前から理念を去ってこの地の識者なら当然読んだ諸本で, いや識者もではなくても中高等学校良書リストにも堂堂と上がっていた. その諸本が存在してその諸本によってこの社会が不穏になったと宣言したらこの地の補修学者たちも笑う話だ.
ソウル大経済学科にマルクス経済学を担当した金遂行教授がゾングニョントエなので退きながらその分野の後任が求める事ができなくて脈が切れる状況だと言う. 進歩学界で切ながる事ではなく補修学界で切ながる事だ. 60~70年代ようならば思いもよらない大学内でのマルキシズム講義によって 90年代以後ソウル大生たちが共産主義者になったという話を聞いて見られなかった. 返ってワンダーガールスに沸き返える, 理念に関心が消えた学生たちだけ見える世の中だ.
学問は学問であるだけだ. 禁書が多かった 70年代より禁書が消えた 21世紀韓国社会がずっと補修化された. もうまた時計を逆に回そうとすることは補修の視覚でもおちゃらかすしかない ‘コメディー’であるだけだ.
質だと奴が勝つんだって? 軽い奴が勝つ. 無識に厳肅な遊ぶことより有識に軽い奴が勝つ. もちろん無識で軽ければ軽薄, 浅薄に過ぎない
2008-08-04 13:00:30
by kazem2 | 2008-08-04 13:42 | Movie