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by kazem2
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キム・ジウン監督 セリフによる感覚の帝国後半

(2) キム・ジウン, ‘いったい’と ‘そうさにも’の間で
記事入力 2008-07-25 09:59
(文=移動陣) (このインタビューは 7月24日付け <‘ノムノムノム’ キム・ジウン監督, 彼が立てた感覚の帝国> 題下の記事につながる後半部内容です.)

“お前一人でよく遊ぶね.”(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’でイ・ビョンホンに対して怒りを噴き出したソン・ガンホが急に宝物指導に対して言及しながら好きにしよう横で見守ったチョン・ウソンが突然吐き出して.)





監督様の映画的ペルソナはソン・ガンホさんとイ・ビョンホンさんと言えるようです. この二人の俳優は監督様が持った二つの武器のユーモアとスタイルをそれぞれ代弁したりします. 先にソン・ガンホさんに対して問いたいです. ソン・ガンホさんは演技のスペクトラムがとても広い卓越な学ぶが大衆的にはユーモラスな部分で一番大きい魅力を発揮していますね. その中でも私は一番ユーモラスなソン・ガンホさんの姿はキム・ジウン監督様の映画で捜してみることができると思います. ‘反則王’と ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’でのソン・ガンホさんは本当に...(笑い)

常にコメディーをして来たように思う通念と違い, 私に ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’は ‘反則王’ 以後 8年ぶりにソン・ガンホさんが決心してコメディー演技に飛びかかった初映画で見えます. ‘反則王’がソン・ガンホさんの初主演作ながら監督様の演出デビュー作という事実を勘案すれば, お二人様の関係はもっと特別に見えます.

“ソン・ガンホさんはユーモアの側面で私とコードがよく通じます. どんなことが起った時私たち二人だけ一緒に笑う場合もたびたびあります. 強豪さんは何かを投げてくれた時松江豪華になって出る何かが知りたくてまた面白い俳優です. それで常に期待しながら彼の演技を見守りますね. 叔母ヶ撮影監督が “強豪先輩は取っていることを実際現実だと思うようです”と言ったことがあるのに, 演技に瞬間的に集中する時の沒入島が本当に最高です.

俳優としてすべてのものをその場面にかけるという感じと言えよう. そのように高度で集中して鋭敏に演技するタイプなので何か当たらない地点に立つようになれば発動がちょっと遅くかかったりします. そんな状況が来れば他の俳優たちはちょっと迎えなくて不便でも年輪でカバーしながら演技をするのに, 強豪さんは身でその感じが尋ねて来なければずっと調子が悪がりながらより良い地点を尋ねて他の演技をぞくぞく試みます. それがそのほか良い俳優たちとも他の部分です. うちの二人は特定場面の演技に対してOKを出す瞬間も一致する時が本当に多いです. それは感じで分かるのですよ.”

“私がお前実力が信じる事ができなくて心配するか? 満洲ではお前が最高ではないか?”(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’で宝物指導を捜してくれることを頼みながら宋映窓がイ・ビョンホンに.)

-私は ‘甘い人生’でのイ・ビョンホンさんがすごく好きです. イ・ビョンホンさんはその映画に引き続き ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’の悪役でぞくぞく監督様映画に出演するようになったんです, ソン・ガンホさんとはもう一つの側面で監督様の世界を代弁しているようです.

“イ・ビョンホンさんは私の中にある他の部分を表現する時感情を高級に処理する側面で本当にすぐれます. 感性的な部分を纎細に演技しながら同時にそれを高級に引っ張り出すことで本当に最高です. 特に監督として私は ‘甘い人生’をイ・ビョンホンさんと一緒に取ったということがすごい幸運だったと見ます. 私の感じにイ・ビョンホンさんはあの時顔が一番美しかったんですよ. その纎細な各課線, 瞳と声を通じてソヌという人物を描き出すことができたと言うのが私には祝福だったことです.”

“スヨンイはその間たくさん変わったな. もっときれいになった.”(‘長靴, 紅蓮’で久しぶりにムン・クンヨンに会ったヨム・ジョンア.)

-監督様の映画たちを順に見れば, ‘長靴, 紅蓮’から作品世界が急激にカーブを振ったということが分かります. キャラクターを対する方式でミザングセンとドラマ作法まで, 以前の二つの作品と著しく他の, 代替何の事があったんですか.(笑い)

“ ‘静かな家族’と ‘反則王’を通じて私がコメディーがお上手な監督と知られるようになったが, 実は私はコメディーを露骨的に標榜した映画たちは好きではないです. ウッディ・アレンやコーエン兄弟類のコメディーを好むのです. 二つの映画をしてからコメディー監督だけで挙論されることを避けたかったです. 私にはユーモア外にも多様な要素があるのに, そうなのを表現したかったんですよ. それで以後断片 ‘カミングアウト’とオムニバス映画 ‘スリー’を通じて全然違った世界を描こうと思ったんです.

結局三番目長編 ‘長靴, 紅蓮’を通じて評論家たちの既存期待をひどく裏切って(笑い) 私の行く道を開拓したと思います. 私は正しい判断だったと見ます. そうだったらずっと評論家たちとだけ疏通するアンテナを持って映画を作らなかっただろうかたいです. しきりに私の姿を変えて行くことが映画的エネルギーを失わない道だと信じています.”

-結局決心して道を変えて行ったわけですね.

“そうするのです. 誰かによって私の自らが閉じこめられることを嫌やがったようです. 今まで見せてくれたのがましだの全部ではないということを増える次の映画で話したいです. 直前に出した私の映画に対して完全に満足することができなくても新しい作品が出た時観客たちが相変らず一抹の期待感を持っていたら, それはそんな部分に対して注目するためだと思います. ‘この人がまた今度は何をするか’ たいのです.(笑い)”

“その歌, それほど呼ぶのではないです. 家事がちょうどすべて違うのね.” “はい…” “, 必ず家事が重要でしょうか. 呼ぶ人の情緒, フィーリング, こんなのが重要です.”(‘静かな家族’で李ユンソンが歌を間違った家事と歌うと指摘したジョン・ウェインが言葉を吐き出した後一歩遅れて機嫌を伺いながら.)

-無智で暴悪に両極端的に問って見ますよ.(笑い) 監督様には話がもっと重要でしょうか, ではなければ感じや情緒がもっと重要でしょうか.

“感じですよ. 例えば日常でもどんな人が ‘お前, このごろ表示好きになった’と言葉ゴンネオルの時, 私はその言葉の内容より音自らの情緒と裏面をしきりに思うようになります. 全体的な印象と雰囲気, あるいは情緒が私をどんなに秋冬するのかが私には重要です. 映画もまるで音楽を聞くような感じで進行したいです. ポップ音楽を聞く時家事をすべて聞き分けたからその雰囲気に落ちこむことができるのではないでしょう? 私は私をたっぷり濡らした後に出る感じることや響きをもっと重視するようです.”

-それなら監督様に一番重要な情緒は何でしょうか.

“スルスルハムのようです. 私の映画に出る人物たちがすべて寂しい人々であるようです. 音楽も寂しいのを好きで, 私の自らが寂しくなることもあまり苦しがらないようです. ‘甘い人生’でソヌが死んで行く時も寂しく見えたら良いと思いました. ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’もある面では ‘結局各各寂しく生きて行くね’と言う感じがあります.

“さあ, どの私たち話ちょっとやって見ようか?”(‘長靴, 紅蓮’の導入部で医者である李大宴が林修正に.)

-映画で話というのに対してどう思うのか知りたいです.

“話と言うのは主題を伝達するためにコンベンションで作用させる方法のようです.”

“どうして, ほら. こと, , 地話してから国際関係話してからちょうどそうするのね.”(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’で阿片上である手病号が宝物指導と係わってずいぶん説明すると言葉を切るソン・ガンホ.)

-相対的に話が弱いという評価をたびたび聞くようです.

“私は話を興味津津にさせるためには大きいのではなく小さなことで, 本論ではなく風景で始めなければならないという考えを持っていました. 何もない話で二時間を興味津津にさせる人が本当の職人で専門家と思ったんです. ‘内容本当に不実だね’というものを言いながらもその映画を始終おもしろく楽しんだら, それこそ作った人の才能だと思いました. 私は住むそんな方と認められたかったようだが, いつのまにか話が不実な監督で烙印を押されてしまったんです.(笑い) ‘長靴, 紅蓮’ 以後に評論家たちが私に目障りになったことをよく分かります.

評論家たちがナレェティブに寄り掛かって映画を評価するしかないことも知っているよ. 私にはそれに対する反発心で話よりはジャンルが持っているミザングセンとキャラクターの方でわざわざ連れて行ったこともあったようです. もし私がどんな映画を作る時話の比重を 20%で置いて他の部分に 80%を付与したと仮定した時, 評する人々がその
20%をその映画の80% 価値で扱うことを見ながらいつわりでむなしさを感じたと言いましょうか.”

“山へいらっしゃるのではないようです?” “話をたくさんしたら時間が... 山は次に乗るつもりです. 惜しいが次に上がろう.” “そう, 私たち次には話ツェクムばかりして山に必ず行こう.”(‘静かな家族’で山荘主人であるナムンフィが登山服身なりで日中に泊まって関係を持った後直ちに山から下りるカップルを見て問うと荒てたカップルが繰り合わせて.)

-監督様映画がかつてから敍事で勝負する場合ではなかったが, ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’は確かに話を取り上げる方式で以前とも違ったように見えます. 言わばこの作品は ‘話ツェクムばかりしてその間ビョルロッドン山へ行く映画’と言いましょうか.(笑い)

“ハハハ. 単純で純粋な立場でこの映画を豪快して楽しみがわく活劇で作りたかったことが事実です. その点で勝負をかけなくちゃいけないと言う考えに話性を減らして視聴角笛感じが極大化された映画を作るとはじめから決心したのです.”

“お前と私とその地図に出ている所に行って見るの. そこで宝物が出ればお前と私ときれいに 6対4で分ける.”(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’でチョン・ウソンに提案するソン・ガンホ.)

-ところが, 私はこんな疑問は聞きます. それがそのように明確に分けられることができるのでしょうか. 活動写真的な快感と言うのも人物の心理や話によくかみ合うともっと大きい效果を発揮することができることじゃないですか.

“私はそんな見解を否定するのではないです. ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’で見えること位話が拡張させることができないことに対する私の言い訳であることもできるのに, もしこの映画に観客を楽しくする確かな長所があったら, それを先に言ってくれてから不実に見える部分も言及するほうが良くないかと言うのです.

話の不実さが ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’の致命的短所であることのように言うことはこの映画が持っていることをまともに楽しむことができないのではないかという疑問です. 私は私が見て来た西部映画のぴりっとする快感にこの映画を作ったから何かがちょっと欠乏されたのではないかと思ってはあります. しかし私はそれだけお上手でもよほどよくすると思いました.”

“いや, どんなにあんな姿勢に自分の胸に鍵をさす考えをしたの?”(‘静かな家族’でチェ・ミンシクが鍵取っ手を磨いて尖ったようにさせた後自殺したギ・ジュボンの死骸を見ながら.)

-‘映画は態度だ’という言葉に対してどう思いますか.

“それはどんな媒体に対しても正しい言葉という気がします. ただその言葉が生の態度を意味することか, 映画を作る側面での態度を意味するかはタジョブァヤゲッジだけ. 私は私の生の態度やニュアンスを少しずつ映画作り作業に交ぜて来たという考えるのに, 基本的に映画的要素にだけ映画を作って来たことだから人類全体に普遍妥当した態度を立て通して来たことではないようです.

それでも哲学自体がないとは言えないようです. 椅子修理工にも哲学があるように, 私の個人的なスタイルでジャンル映画をしかし, 自ら純粋になって崇高になる姿勢に映画を作ることはすべてまったく同じそうです. 私はむやみにしなかったと思って, 全力投球して命をかけるよう熱心に映画を作ったと思います. 芸術映画を作る態度とジャンル映画を作る態度がそのもので他のことではないはずです.”

“ありがとうございます. ここはとても静かで良いですね.” “まさに私たちが捜した所です.”(‘静かな家族’で心中を念頭に置いて山荘を尋ねて来たカップルが主人であるナムンフィに.)

-監督様の映画が空間の映画というのは空間に対する探索で監督経歴を始めたという事実から見当がつきます. デビュー作 ‘静かな家族’の初場面が火がともった消える山荘の外部を見せてくれた後直ちに山荘の隅々を探索するように移し回りながら紹介する内容だからです. それが山荘(‘静かな家族’)でも人里離れた邸宅(‘長靴, 紅蓮’)でも, 四角のリング(‘反則王’)でも狭い廊下(‘甘い人生’)でも, あるいは満洲原野(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’)でも, いつも空間の感じが作品全体を支配する映画を作って来ました.

“確かに私は映画を作る時空間を先に思うようです. シナリオの時から空間が人に作用する影響みたいなことをたくさん念頭に置いて使うから. それは私が特定空間の感じをドドムオがなら易しく映画を解くことができると思うからだが, 私がそのように社会性の良い人が悪いという事実ともどの位関連があるようです. よくそのように(笑い),

私が幼い頃私の家がよく生きてから急激に加勢が傾きながら一年に二度ずつ借り家を捜して引っ越し通わなければならない境遇になったです. そうする度に毎度私の部屋が別にあって庭先が付いているそんな家を想像しながら一人で絵をよく描いたんです. そのためか一焚く建築家を夢見たりしました. その過程で空間に対する考えがすごく多くなったのです. ところが ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’を作りながら私が空間にあまりとらわれすぎるということを感じました. リュソングフィアートディレクターが “キム・ジウン監督様のようにセットを万たち語から隅々まで使い果たす人は初めて見た”と言った位ですよ. ところで空間にあまり寄り掛かるから映画が垂れるんですよ. 時間性の現われる映画がもっと娯楽的なのが当然なのに, 私は空間のため映画がずっととどまっているという考えがしきりにするのです. それを悟ったんです.”

-本当に次の映画は何が違っても変わりますね.(笑い)

“ ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’は私が持っていた長所と短所が全部飛び出した事例だったです. 自分自身の壁たちにたくさんぶつかった映画とすることもできて. もう封切り後広報まですべて終われば初めて純粋に旅行に行こうと言う考えをします. 去る 10年間本当に少しも休んだ事がなかったんですよ.”

“何もないのに?何もない.”(‘静かな家族’で自殺した泊まり客ギ・ジュボンの遺書を捜してかばんを探した朴寅煥.)

-空間と係わって私に特におもしろかったことは監督様映画には何もなしにがらんとした空間に対する魅惑と恐怖が一緒に立ちこめているという点でした. ‘甘い人生’からソヌ(イ・ビョンホン)と白砂浜(荒政民)が最後に対決するアイスリンクや ‘長靴, 紅蓮’の初場面で意思と首尾(林修正)が対面するミニアルした空間, あるいは ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’の広闊な満洲原野でそうなのが如実に感じられるんですよ. これをそのまま凝縮する空間はすぐ ‘反則王’に出る四角のリングであるはずです. そのような空間に対する魅惑と恐怖が男性映画的な悲壮美を監督様作品に付与するようです.

“そうするようです. 映画の中で決定的な瞬間が尋ねて来ると私はいつもそんな空間を想像したようですね. ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’の最後の場面もそうで, ‘静かな家族’ やはり破局は劇中すべての空間がすべて消滅した以後に尋ねて来るのだから.”

-大きくても小さくても隠れる所一つなく開けていて私一人死に物狂いで堪え出して正面対決するしかない空間は, 世の中という空間に対する監督様の悲劇的認識と相通ずるのではないかと思います.

“そんな側面とともに, 情緒的にだだっ広い感じを強調したい意図とも関連があるようです. 似ている話になるが誰からも手伝ってもらうことができないし隠れる所もないという事実自体が与えるフェングドングハムだと言いましょうか. そんな空間なら悲劇的情緒がもっと強まります. そのためか私は銃撃信徒隠れてうつ場面は間違ったりしないのもします. ‘甘い人生’のクライマックスで銃撃戦をする時人物たちが柱に隠れたりそうしない, いざ鉄砲をうつ時はそのまま出てぶんなぐりながら走って行くのですよ.”

“どの行って見たくて? アメリカ行こうか? アメリカ? コゼングが国.”(‘良いやつ悪いやつ変なやつ’で宝物指導を手に入れて楽しみがわいたソン・ガンホがお婆さんに.)

-アメリカから演出提議をたくさん受けることで分かっています. ハリウッド進出に対してはどう思ってください.

“漠然たる期待と知りたい事はあります. そんなシステムでして見たい気もあって. たびたび外国で私の映画のコードをむしろもっとよく読み出す場合に会ったりするのに, そうする度におもしろかったりします. ところが ‘外国で映画を作って見るか’ している度に私の自らしきりに韓国でトイングギョジョナガンダは感じがします.

‘私がまだ韓国で私の席が捜す事ができないね’ たくて. それは私の映画が作られた状態そのまま完全に消化していない感じるためだと思います. 一方に私が英語が上手にすることもできなくて今韓国でも良い環境と条件で映画を作っているのに, 外国のかさかさに編まれた環境で果して良いクォリティーで作品を作ることができるかと思う心配もあります.”

-そのように感じるとは, ちょっと意外です. 監督様映画が完全に消化することができないという感じは評論家たちの反応に対するのでしょうか, ではなければ一般観客たちの反応まで含んだんですか?

“分からないです. 観客を思えばもっと複雑になります. 映画 ‘ラビアンローズ’でエディット・ピアフが体が痛いのに公演を強行しようと思うとスタッフたちが乾かします. するとピアフは聴衆たちを示しながら ‘あの人々は限界が分からないです’とスタッフたちに言います. その場面を見ながらすごく胸が痛いのに感動を受けました. 私はその間観客たちに少しでももっとちゃんと見えたくて必死のあがきを使って来たようです.

そうしてくたびれて監督が観客を立ち去る映画をしきりに作ろうとするのではないかと思う疲れ感があります. 熱裂に求愛したがずっとそっぽを向かれる人の痛みだと言いましょうか. 私は自分が持ったありったけ技巧を発揮して顧客を法悦境に落としながらもそれから一番遠く落ちて眺めるのが芸術家と娼婦の共通点というアーノルド下愚底意芸術論を信奉して来ました. ところでもうその娼婦がジチョがは感じであることですよ. しきりに消耗する感じなのに ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’からそんな疑心が起こり始めるんです.

出出して映画がまったく同じく強まることができる方法を捜さなければならないようです. 最近見たことの中では ‘年寄りのための国はない’と ‘ゾデ−アック’が正しくそんな映画でした. ジャンルが到逹することができる最高点とハンギェチに対する映画たちだったが, 本当に強くて凄まじい作品だったです. もう監督生活 10年なのにこれからの 10年は私が力を発揮することができる映画のモデルを捜し出しながら行くようです.”

-10年という歳月に対する感じが重なった状況で, すべてのものを降り注いだ ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’の後遺症を病んでいらっしゃったようです.

“本当にそうです. 毎度映画を終わらせる度にそうでもあるが, 今度は完全に違うようです. その間は骨切って隠して来たがもうこれ以上隠しながら私の問題を埋めることはできないという感じです. 最大限引き出して私を払い落とす作業が必要のようです. 今 ‘良いやつ悪いやつ変なやつ’を通じてすべて払い落としたいです. もっと力が抜ける前に. 新しい力を得るために.”


♡監督もウッディ・アレン監督を好きだったなんて とっても嬉しいです

by kazem2 | 2008-07-25 12:39 | Movie