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FILM2.0 Feature「ノムノムノム」Ⅰ


<ノムノムノム>はキム・ジウン監督特有のジャンル実験の中に大衆的娯楽映画の面貌を見せてくれる. 特にしばらく忘れてから最近になって急浮上したウエスタンをジャンルにしているという点, しかも故 李マンヒ監督の ‘満洲ウエスタン’ <鎖を切りなさい>とセルジオ・レオーネの <夕陽の無法者>でキャラクター設定及びモチーブを持って来たという点でもっとおもしろい. これに加えて, 既存ウエスタンのジャンル特性を裏切って空間を活用する描写の特異性も注目するに値する. このように多様な観点及び解釈を提供している <ノムノムノム>を満洲ウエスタンとキャラクター, そして空間まで三種類観点で分析する.






1. 空間で見る <ノムノムノム> - 人間欲望がもたらした無国籍のカオス

キム・ジウン監督の <ノムノムノム>は無国籍の空間美術が引き立つ映画だ. 韓国人, 日本人, 中国人など多様な民族が集まって形形色色の欲望を現わす満洲は調和性アートディレクターの手助けの下独特のウエスタンの世界へ再誕生した. ホナムウング記者

韓国でジャンル映画を作るのはすなわち新しい世界を創造するという話と異なるところない. <オールドボーイ> <化け物> <追い手> など韓国の代表的ジャンル映画はジャンル的速成に付くが個別要素を裏切る方式で独特のジャンル世界を構築して来た. キム・ジウン監督の ‘満洲ウエスタン’ <ノムノムノム> やはり同じだ. 奇蹟を鳴らして原野を横切る列車, 荒野の無法者たちが言葉を駆って鉄砲をソアデは壮快なスペクタクル, 広い大地を背景で私たちの主人公たちがお互いに銃口を狙う最後の決闘など, <ノムノムノム>にはウエスタンの印章と言うに値するクルリシェが大部分盛られている. しかしこんな要素たちの土台になる荒野, すなわち満洲に対する描写と情緒はジャンル裏切り的だ.

例えば, アメリカウエスタンの荒野はもうちょうど発掘されて開発される所だから初めには荒れてさびしい所に描写されるが話が進行されるほど何かが満たされる方式で空間が神話化される. 彼に比べて <ノムノムノム>の満洲は多種多様な人種たちの欲望が集結した所だからはじめからガレージあふれる. むしろ時間が経つほど欲望の正体が現われて空間が留守にされるという点で <ノムノムノム>の美術はアメリカウエスタンのそれとは正反対様相を見せる. キム・ジウン監督がモチーブを持って来たセルジオ・レオーネの <夕陽の無法者> やはり終始一貫無味乾燥な所で荒野を描くという点で <ノムノムノム>の空間構成とは本質的に違う.

調和性アートディレクターが担当した <ノムノムノム>の空間は私たちが見た事がない新しいウエスタンの世界だ. 中それでも調和性アートディレクターは中国撮影地に選択されたドンファングの広闊な砂原を初めに見ては “新しいウエスタンの荒野を創造することができるという希望を感じた”と当時を回想する. <ノムノムノム>は全景で見れば伝統的なウエスタンの空間とそっくりだがクローズアップに入って行けば全然違った目的性が盛られた満洲ウエスタンだけの空気が立ちこめている. 調和性監督はこれを和露 ‘大根の汁静寂’と表現する.

無国籍空間の混乱し

ウエスタンは荒れてさびしさを基本して空間を構成して美術を活用する. ウエスタンというジャンル自体が共同体の誕生と維持, 消滅を具現して神話的な世界を創造するわけだ. <ノムノムノム>は清の時消えた宝物を捜すために桃源, 窓が, 泰で三人の奴はもちろん日本軍と満洲だね, ロシア軍と馬賊団まで加勢して追撃戦をするという内容. この映画の荒れてさびしいことは開拓時代を背景三隠アメリカウエスタンや西部が領土拡張のための暴力の世界だったことを暴露したスパゲッティウエスタンと現われる方式が違う. <ノムノムノム>は多様な欲望が重要に扱われるが幾多の欲望の目的がひたすら一つのコックジッゾム, 宝物にだけ集められるという点で混乱することを基盤とした精神的な荒れてさびしさが満洲を描く土台になる.

<ノムノムノム>の背景になる 1930年代当時満洲は未知の空間ながら同時に機会の空間と同時に開拓の空間で作用した. 富を従って幾多の欲望が寄り集まった所と同時に夢を捜して新しい出発の念をおした人々が尋ねて来た空間だったこと. 朝鮮人, 日本人, 中国人, 満洲人, ロシア人, モンゴル人など多種多様な人種たちと取り取りの文化が凝集された空間であるほど無国籍の欲望が沸き立つ巨大な無法天下に異同ではなかった.

盗賊たちが臓物を扱うグィシザング(貴市長)は無国籍の特性がよく現われた空間だ. 劇中重要な背景で作用する居酒屋かたがた旅館とハルメジブ, 肉屋などが位置づいているだけではなく映画に登場するすべての人種と動物さえもつれている空間と言う点でもっとそうだ. 中国式酒店反対側に朝鮮式鍛冶屋が置かれていてらくだと象が通う道一方に仏像を積んだ車が駐車されているし口で火を噴くサーカス単元周りを軍人と奴隷上, 担商と背負い商たちがくるんでいる式だ. 特にこんな空間たちが迷路のような構造の中に各各目的性を持って独立的に配置がなっているとは無国籍の混乱することは極まる. まるで <スターウォーズ>のタトゥーである行星や <ブレードランナー>の 2019年 LAを連想させるほどだ.

グィシザングの個別空間は皮を剥くと初めて中身が現われるように表で見た時は正体が模倣している途中カメラがその内部に入って行くとどんな所なのかを分かるようになるほどに隠密な立体性を帯びる. これは劇中俳優のキャラクターが漸次的に現われる方式と正確に一致する. 異同ではなく, 映画は桃源とチャンイとテグを描くのにあって不親切だと思うほどに多くの情報を与えない. 劇中盤まで題目のように良いやつ, 悪者, 変なやつの範疇から脱しない人々の個人事はかすかに提示されるだけだ. 代わりに国, 家族, 過去, 時代社皆こんにちは(さようなら)を告げたまま個人の欲望にだけ泥む三人の主人公の姿を眺める(まるでフルショットのように!) これらの欲望が皆裸にされる結末に至ってからこそ個人事を解いておく.(まるでクローズアップのように!)

おこる <ノムノムノム>の空間が劇中人物のようにキャラクターで扱われるという事実を意味する. さすがに, <ノムノムノム>は満洲ウエスタンと同時にアクション活劇である同時に ‘キャラクター映画’を志向する. 目立つように目立つのではないが空間にも次第キャラクターが付与されている. 国売って集めた財産でお腹をふやかした金辧主の家は付議頂点に立ちたいチャンイの欲望が盛られていて(チャンイは金辧主を殺害して彼の財産を横取りする) 大根の汁静寂なグィシザングは良いやつ桃源と悪いやつチャンイの性格を皆持っているような変なやつテグの性格がとけて入っているという点でこんな脈絡と触れ合っている. ただ映画は空間とキャラクターの間に適当な距離を置いたまま空間がキャラクターより目立たない方式で人物の性格の上に空間的, 時代的風景を列べる.

これを置いて調和性アートディレクターは “空間の目的性に基盤を置いた <ノムノムノム>の美術は点描で成り立った一篇の風景画みたいだ”と言う. 人物は人物なりに, 空間は空間どおり, またその中で朝鮮人, 日本人, 中国人あるいは居酒屋, 肉屋, 旅館など個別的な要素たちが各自の腰を据えて一つの風景を構成するという意味だ.(グィシザングを全景で取ればその中にあるテグの姿はまるで隠れた絵探しみたいだ.) だから <ノムノムノム>の美術はフュージョンというより無国籍に近い. フュージョンがまじるという意味で一種の調和を意味したら <ノムノムノム>の無国籍は ‘別に遊ぶ’ 混乱を意味する. そのためだろう, <ノムノムノム>はきちきちな空間から始めて行くほど身軽になる空間の美学をお目見えする.

市内から原野まで

<ノムノムノム> 美術の一番目コンセプトが無国籍なら二番目は ‘満洲繁華街で始めて荒れてさびしい満洲原野で終わる動線’だ. 映画は本当に満洲メイン・ストリートに位した 金辧主家で始めて宝物が売場された所に推定される原野で済ます. 金辧主の家は最初で宝物指導が姿を現わすという点で隠密に描写される. しかし指導の存在が幅広く広がりながら空間ももうちょっと外で現われて終局には外向性を帯びて空と触れ合った果てしない大平原が最後の舞台になる. カルロプルするように描写される映画のトンが後半部に行けばますます色が排除される形態に進行されることはそのためだ. 具体的な空間を持って手順を明らかにしようとすると, 金辧主家 ー> グィシザング ー> 阿片窟 ー> 板村 ー> 原野順序に進行される式だ. 理由は明確だ. <ノムノムノム>が欲望を扱うが欲望の正体が現われながら結局欲望の虚しさを言う映画だからだ.

キム・ジウン監督が <ノムノムノム>を通じて欲望を発現する形態は二つだ. 優先的に, 私たちの主人公たちは欲望を従って満洲を絶えず疾走するが最終的に出くわす欲望の結果は蜃気樓のようにいつわりでむなしい. しかし欲望と言う奴は欲心が終りもなくて絶対あきらめ方がない. まるで目的地なしに疾走する暴酒機関車のようだ. そんな点で桃源, チャンイ, 泰で三人のやつの一番目追撃戦が起る帝国列車は映画の空間的特徴を圧縮するという点で詳らかによく見る必要がある.

多様な階級と人種が入りまじて空席を捜してみることができない帝国列車は劇中一番多い欲望が集まっている所と言っても過言ではない. しかもイルドングカンからサムドングカンまで, 混乱する無国籍中でも階級によって欲望が分けられていて映画の空間的構成ともかなりそっくりな形態を見せる. 加令, 日本帝国君将校たちが集まって内緒な陰謀をはかっているイルドングカンは帝国列車の中でも一番隠密な空間だ. 李等級を経ってサムドングカンの場合, 誰も出入り可能な公開された場所である同時に各界各層の老若男女がまるでドテギシザングのように乱脈相を成していろいろの欲望がもたらした形形色色の点描化を演出する.

巨大だった欲望が実体を現わすほど隠密になって見窄らしくなる過程を形象化したような帝国列車の中の人物たちから見つけることができる共通点はただ一つだ. これらの終着点がどこなのかまったく分からないということ. イルドングカンの帝国君は宝物指導を持っているがいざ宝物が隠されている所が分からなくてサムドングカンの群像たちはどこかに去ることはするが取りそらえて来た荷物だけ見てからは目的地がどこなのか分からない. 帝国列車もそうだ. 早く駆け付ける将来にはただ果てしなく開かれた砂原だけ終着地は見えない.(実体ない欲望を従う映画の主題と正確に一致する!) これらの運命はただ何かを追い掛けるとか誰かに追い回されている追撃戦に具体化されるだけだ.

してこれらの理想と欲望がきちきちと盛られている荷物はやや小い衝撃にも忽ち爆発するように心細くてしょうがない. 変えて言って, 安住する所を尋ねると初めて平安さを捜すことができる. しかし追うとか追い回されるのが三人のやつに形象化される人々の運命. だから平安なことや安楽さはこれらにおいて蜃気樓です, 幻覚に異同ではない. だから <ノムノムノム>にはこれらを誘惑する堕落した欲望の機運が映画前編に濃く立ちこめている. まさにこの地点が <ノムノムノム>で欲望が発現される二番目形態だ.

阿片窟場面はこれをよく見せてくれる. 構造からがそうだ. 見掛けさえ見れば素朴な中国食堂だが内部に入って行って地下におりれば土窟の中に阿片窟が隠密に席を取っている. どんな所より目的性が明らかな位スタイルより目的に合わせて空間が成り立った. 低くスモッグを振り撤いて隠密であることを強調したし赤い系列の人工照明を使って誘惑的な機運を加えた. 劇中一番露骨的な欲望の空間だから派手の中に秘愁が隠されているから, 少しの間の歓楽のためにこちらを尋ねたテグは結局服まで脱がれてぼろぼろな所に閉じこめられるようになる. 実に人生無常, いや ‘欲望無想’が別にない. そんな欲望無想の形態が一番最大値で現われる所が正しく三人のやつの間の最後の決闘が起る空間と同時に三人の奴が死ぬように従う欲望の正体が明かされる満洲原野だ. 満洲市内で満洲原野まで. 三人のやつの空間的移動経路に付いて行けばそこにはこれらの欲望の秘密を解く鍵が隠されている.

満洲, ファンタジーにデザインされた空間

<ノムノムノム>は結局三人の奴が抱いている欲望の正体を追って追い回される追撃戦を通じて見せてくれる映画だ. 特にこれらの追撃戦は単純に果てしない大平原ではなく大部分空間をはめて成り立つという点で特異性を持つ. 伝統的なウエスタンの主人公たちはたいてい渡り者だと自分ばかりの空間を持つことができないことに比べて <ノムノムノム>の桃源, チャンイ, テグはどんな形態でも自分ばかりの空間が存在する. その結果, <ノムノムノム>の美術は空間を通じてもっとふんだんになる.

コリアンウエスタン, すなわち満洲ウエスタンがアメリカウエスタンやスパゲッティウエスタンと一番差別化される地点はすぐ思う. アメリカのウエスタンが広闊な原野を風景して開拓精神を美化することで神話化を成したら幾多の欲望が無国籍の個別空間を通じて具現される <ノムノムノム>はファンタジーに近い. 調和性アートディレクターは “私の思う時代劇はファンタジーだ. それで再現しないでデザインした”と言う. そんな再創造の作業には西部劇に対する郷愁はもちろん満洲に対する民族的ファンタジーが同時に作用している. 多様な人間群像の欲望が衝突してもたらした <ノムノムノム>の混沌のイメージは西洋のウエスタンとは違う満洲ウエスタンだけの独特の世界を成す.

2. 満洲ウエスタンで見る <ノムノムノム> ー 満洲行チケットを切りなさい

<ノムノムノム>は <夕陽の無法者>より <鎖を切りなさい>に代表される満洲ウエスタンでもっと多い影響を受けた作品だ. <ノムノムノム>はそんな中新しい満洲のイメージを創造するという点で新しい. モウンヤング(映画評論家)

荒い砂願うことが吹いて来る荒れてさびしい原野の上, 人跡一つないその所で三人の名の男たちがお互いに鉄砲を狙ったまま立っている. お互いの息の音さえ聞こえるように緊張された沈黙が流れて銃口では今でも火を噴いて弾が打ち上げされるような一触即発の緊張の中にお互いを睨みながら線三人の男, 彼らがすぐ <ノムノムノム>の主人公たちだ.

ウエスタンだと言えば誰も思い浮かぶ風景, 大陸を横切って走る汽車と荒野真ん中で汽車を止める盗賊の群れ, せいではためく長いコートとカウボーイ帽子, 皮ブーツをはいて荒れてさびしい原野真ん中立っている男のように場面一つ一つのみをおいてみる時映画は ‘これがちょうどウエスタンだ’と言うに値する ‘典型的な’ イメージたちで一杯だ. よく知られたように三人の主人公の設定と題目からセルジオ・レオーネの <夕陽の無法者>から持って来たという映画はおもしろくもその典型的なイメージたちを ‘満洲’という少しは特別な空間の中に配置している.

昔の昔満洲で

よく知られたように 1960年代と 70年代韓国映画には独特のアクションジャンル映画が存在した. よく ‘大陸物’ または ‘満洲物’で称されたしいつからか ‘満洲ウエスタン’と呼ばれ始めたこの映画たちは日帝強点期満洲を背景で日本軍に対抗する独立軍の活躍を盛った作品が中心を成した. アクション映画の大家, ゾングチァングファ監督を始まりに申相玉, イム・グォンテク, 故嶺南監督などが加勢しながらブームを成したこのジャンルは特に韓国に ‘スパゲッティウェスタン’が流行りながらウエスタンの要素たちを盛った映画たちが一つの流行を成すほどに大挙登場するようになった.

もちろんそのうちには申相玉監督の <無宿者>(1968)やアンイルナム監督の <ろ馬無法者>(1970)のように ‘満洲’や ‘独立軍’ など特定の空間と民族的アイデンティティーとは無関係な映画たちも存在した. 特に現価代わりにキセルをコナムルで ‘ウイスキーダブル’ 代わり ‘どぶろくダブル’を注文する主人公や勝負を競うために尋ねて来たギャングが自らを “スパゲッティウエスタンから来たクリント・イーストウッドのお爺さん程度”と紹介する式の <ろ馬無法者>はウエスタンにコメディーというジャンルを付け加えてハリウッドで始めてイタリアを経って韓国に流入されたこの特別な変種ジャンルに対する諷刺と自分の反映を見せてくれるという点でおもしろい. しかしこのような例外にもかかわらず姜犯区監督の <小満国境>(1964)を含めてイム・グォンテク監督のデビュー作 <豆満江よよくありなさい>(1962) などに代表される大部分の ‘満洲物’はウエスタンを韓国的に変形して西部の英雄代わりに祖国の独立のために争う英雄を全面に立てた映画たちだった.

宝物指導を捜して三人の男と独立軍, 日本軍, 馬賊団がもつれて満洲大陸を横切って一帯追撃戦をする <ノムノムノム> やはりこのような基本的な設定をそっくりそのまま持って来る. 特に独立軍名簿が特殊処理されたチベット仏像を占めるために裏切りと協助を繰り返す渡り者泥棒テホ(ジャン・ドンヒ), 請負師撤収(南宮院), 日本軍諜者月でも(ホ長江)を主人公にした李マンヒ監督の <鎖を切りなさい>と言う ‘宝物’(あるいは宝物誌も)を取り囲んだ三人の主人公の関係や話展開などで <ノムノムノム>に及んだ影響の程度を見積るようにする.

勿論 <鎖を切りなさい> やっぱり <ノムノムノム>の手始めになった <夕陽の無法者>で影響を受けたから一応手始めはレオーネのそれとするに値する. というが <ノムノムノム>倚勢 ‘やつ’たちは ‘良いやつ, 悪者, 醜いやつ’であるレオーネの彼らよりは <鎖を切りなさい>の彼らにもっと近い. 自ら ‘信義ある悪党’と主張する請負師撤収は事実は請負師を装った独立軍だから二言うまでもなく ‘良いやつ’で, 日本軍諜者を自称して裏切りを食事するようにするダルゴンは ‘悪者’, 満洲物最高スターだったジャン・ドンヒの引き受けたテホは, 要領よく世の中を生きてただお金のために動くという点で ‘醜いやつ’よりは ‘変なやつ’にもっと近い.

テホを利用するために踊りを請じながら誘惑するマダムにいきなり “私が好きだが”と問わないが, マージャンをしながら “欺くつもりのか?”と言う質問に “勿論であって”とためらわずに返事して, 祖国のためではない自分を求めてくれた借金を返すために日本軍につかまった撤収を求めてくれてからは一人で仏像を捜すためにバイクに乗って逃げてしまう姿などはつけておいて ‘変なやつ’である <ノムノムノム>の泰でキャラクターに多い影響を及ぼしたことを確認することができる. しかし何より似ていることは三人の男の中で誰も完全に祖国解放同じ大義名分のために動かないという点だ.

欲望を向けて疾走する男たち
李マンヒの映画中珍しく主人公たちが皆生き残る <鎖を切りなさい>で彼らは独立軍と問題のチベット仏像を日本軍から守り出して英雄になるが結局英雄でとどまらない. 映画始終彼らを行動するように秋冬することは ‘宝物’をつかもうとする各自の欲望だ. はなはだしくは ‘信義ある悪党’を自任した独立軍撤収さえ日本軍との激戦で “危ないから仏像をくれ”は独立軍の言葉を “他人の営業を邪魔ないでね”と言う言葉で一蹴する. 彼らの間には信義や友情なんかは存在しない. マージャンをするとかマッサージを受けるなど彼らはたびたび一画面の中で仲良く登場して協力の念をおしたりするがその瞬間にもお互いを疑って仏像を占めるようならば容赦なく背を向ける. 厳密に言って決して善良だできない人々三人の悪党キャラクターは当時韓国映画ではめったに会いにくい主人公たちだった.

欲望で動くことは <ノムノムノム>の三人の主人公も同じだ. 映画が始まるやいなや息忙しく展開される帝国列車強奪場面で言葉とおり偶然に ‘宝物誌も’を得たテグは勿論, 独立軍の依頼を受けて地図を捜す桃源も気室はお金をもらって仕事を遂行する懸賞金狩人であるだけだ. まともに ‘悪者’であるチャンイは最高になるため, そして過去の記憶から脱するためにしつこくて悪辣にテグを追跡する. そのため ‘お金’が中心であるテグと桃源は一時的でも一緒にすることができるが欲望の対象の他の彼は結局二人と一緒にすることができない. しかしそのやっぱり親日派の金庫で見つけた宝石の誘惑の前では結局自由ではない. 時には協力して時には裏切ってテグと桃源は宝物がつけた場所を尋ねて進んで彼らの後をチャンイ連中, 日本軍, 独立軍, 馬賊団が追い掛ける.

満洲原野を走った帝国列車のように彼らは宝物がつけた場所を最終帰着誌にしてお互いに違う欲望を解くことはまだ疾走する. これを反映するように <ノムノムノム>を飾る派手なアクションも多くの場面たちが前を向けて進むイメージを抱いている. 朝鮮人, 満洲人, 中国人, 日本人, 盗賊, 馬賊, 懸賞金狩人など満洲という設定らしくあらゆる人間たちを載せたまま荒れてさびしい原野を全速力で走る汽車の中で開く息忙しい銃撃戦, テグのバイクを追って馬の上に乗りこんだ窓が連中, 馬賊団, 日本軍のトラックなどが広い荒野をいっぱい満たしながら走る場面とその中心を横切りながら走る末の上に乗りこんで連発長銃の銃身を回して行って鉄砲をうつ桃源の姿など大部分のアクション場面は走る汽車, バイク, 疾走する馬, 車などとともにの前を向けて加工するスピードに進む.

彼らは表面積には ‘宝物誌も’と ‘宝物がつけた所’を向けて続いて駆け付けるが実は映画で彼らが続いて走らなければならない本当 ‘理由’, あるいは宝物をどうして捜そうと思うのかに大韓正確な理由は登場しない. 最初彼らがどうして故国を去ってこの荒れてさびしい満洲原野にドチァックヘッヌンジさえ曖昧だ. テグはただ忘れたくて朝鮮を発ったと言うが何を忘れたいのか, どうして忘れなければならないか分かることができないし, 桃源も宝物を得た後自分の本当の欲望を話すことができない. チャンイだけそれなりの理由がいるようにボーイだがその事情までは結局正確に明かされない.

なおかつ彼らは映画始終捜し回った宝物を目の前に置いてからも調べることができない. <鎖を切りなさい>で結局独立軍や宝物が重要ではアニオッドッこの映画でもこれは下等重要ではないという話だ. 少し誇張しようとすると宝物や独立軍, 日本軍などは三人の主人公たちを広闊な満洲原野を全力で走るスペクタクルと遂に荒れてさびしい原野真ん中に集まるようにする, ウエスタンと言えば浮び上がる典型的なイメージ, その恨み場面のために用意した手続きのように見える.

満洲 vs 満洲

<ノムノムノム>の背景になった満洲はこのような風景としてウエスタンのスペクタクルを見せてくれるための仮装適切な選択だったろう. <ノムノムノム>に登場する満洲は 1960~70年の満洲物でのそれとは似ていながらも違う. 殖民の経験と逼迫, 解放への可能性が同時に存在したし新しい可能性を尋ねて来た人々のあらゆる欲望が沸き立った所, 満洲物はそういう混乱する時代相を持って来てスパゲッティウエスタンと拳敗家登場する韓国的やくざ映画を混ぜっ返して新しいアクションジャンルの快感をプレゼントした.

しかしいざ映画で見える満洲の姿は今の私たちの想像するそれではなかった. 田舍村木材所を連想させるセットたち, 低い丘陵の山につながった極めて韓国的な山と川を馬に乗って走る姿などは満洲という不慣れな異国を現実的な空間で作り出す. 親しい傘下を背景で正体を隠して日本軍と戦う主人公たちの姿はアクション映画の主人公を単純な拳敗家ではない民族的英雄で感じるようにしてくれたのだ.

<ノムノムノム>の満洲は国籍と時代が入りまじた映画の中人物たちの衣装や背景程派手ながらも自体でスペクタクルだ. ビルで一杯な息苦しい都市, 狭いタングドングオリを脱して画面いっぱい広い広い平原とその上を加工するスピードで疾走する馬と汽車, バイクのイメージ, そして同時に尋ねて来る限りないナッソム. それが今今一度満洲に帰った <ノムノムノム>で会う新しい満洲のイメージであるでしょう.
. キャラクターで見るノムノムノム ー 虚無と欲望の化身たち

<ノムノムノム>はキャラクターの香煙だ. 我が国を代表する俳優 3人が各自の個性と香りをとかして, 劇中役目で生まれ変わった. これらのキャラクターは典型的だが分かってみれば典型的ではない立体的キャラクターだ. それでのぞき見るほどおもしろい. 李サンヨン(映画評論家)

2008.07.22 / オンライン編集部
by kazem2 | 2008-07-22 23:49 | Movie