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by kazem2
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映画「JSA」の背景になった”帰ってこない橋”

分断と疎通の現場, 板門店

解放の喜びは長続きすることができなかった. 植民地で脱した祖国は分断というもっと数奇な運命を当たらなければならなかった.
南と北. 一民族は二切れたし, 戦争して, 元首になった.
以後韓半島は体制と理念対立の長. 半世紀超えて今も続いている現実だ.
解放と分断, どれひとつ我が民族思った通りにならなかった.
自主的決定権を喪失したまま外勢に引っぱれた痛みはこのように深くて, 悽絶だった.



傷は内部でもっと膿んだ.
安保を政権の道具で利用した輩らがあった. 銃刀で集権, 正当性ない権力は絶えず血を振り撤いた.
戦争の脅威を常時化させることがこれらの日.
敵は実体があったり, なかったりした. 軍部独裁に反共位良い防御年祭がなかったせいだ。

▲ 臨津閣. 自由の橋.

分断状況で見ない政権射手の論理になったし, 国家暴力が常時化されたこの時期デモクラシーは窒息された.
5.18記念財団が主観して本報が後援する `第2次デモクラシー歴史文化踏査’は 21日板門店を始じめ, 分断の現場を見回した. 二日日程で明洞聖堂・ソウル広場など 6月抗争戦跡地踏査がデモクラシー勝利の足跡で手ごわかった一方, パンムンゾングイムジンガックなど分断現場では息詰まったデモクラシーの街だけ息の音が荒れた.
一年にただ何回だけ開放するという板門店行く道はそのもので息が詰まった.
板門店観覧客名簿は 20余仕事戦通報されなければならないし, 国政院の身元問い合わせをパスしなければならなかった. 仲間 40余人の中で 10余仕事戦名簿が変わった 8人はいくら頼んでも結局板門店に立ち入ることができなかった.
“身分を疑心真書ではなく命令なので仕方ない”と言う案内兵士の `命令権者’は韓国軍ではない.
JSA(Joint Security Area・共同警備区域)はUN司令部と北朝鮮, そして中立国監視委員会が共同で警備(経費)を引き受けた所. 停戦協定の当事者ではない韓国軍の立つ席はない.
警備(経費)兵力の 90%が韓国兵士というが彼らの所属はUN司令部だ.
JSA警備(経費)部隊でブリーフィングを聞いて, 部隊側で渡したバスに乗って板門店に向けた.
南方限界線を越えて非武装地帯 2km, そして遂に軍事分界線.
南と北, その破れたサルガッの上を一緒にしながら造成された東西 800m, 南北 400m 長方形の中立地域が JSAだ.
浮ぶかを過ぎれば男になって, 北になる所. 両側の兵士が指尺で向い合ったその所で観覧客たちに与えられた命令は `目をあわせずに, 手真似しないで, 振り返らずに, 走らない’だ.
映画 `共同警備区域 JSA’の背景になった `帰って来ない橋’はまだ健在だったが, その足行き交いながら会った “イ・ビョンホン(南側軍人)とソン・ガンホ(北側軍人)はありえない”と言う案内兵士は “映画は映画であるだけ”と言いながら瞬間の夢想さえ許容値なかった.
100km kittai峰に太極旗ぶら下げられた南側大成洞村と 160kmkittai峰に北朝鮮国旗飛ばす北側既定洞村間はわずか 1.6km. 住民たち生まで体制宣伝場になった DMZで近いが高い障壁, 分断を実感した.
しかし深いゴールに水あふれる日遠くない法. 別れていた時間位切実な懐かしさが切れることを引き継いで, 分断を越していた.
こわれた鉄橋つながって渋滞した道新たに抜けたのが最近. 臨津閣で止めた鉄馬ドラサンヨック過ぎて平壌で走って, 軍事分界線ラッチ開いてバスは個性まで疾走し始めた.
板門店で肉眼でも指尺である開城工団には南北労動者たち一緒にする夢を実現させていると言った.
分断の第一線で統一の夢育てて見る. 始発点は安保を政権の論理で解放させる仕事になるはず.
陸路抜けて南北行き交う分断現場でその可能性と限界を同時に感じて後ろ向きになる.

「5.18財団主催・本報後援 `第2次デモクラシー歴史文化踏査’ 踏査記」より
チェゾングフィ記者 goodi@gjdream.co 2008-06-25 06:00:00
by kazem2 | 2008-06-25 11:51 | 趣のままに