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by kazem2
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映画「ハウリング」ユ·ハ監督"家族エゴが資本主義の本質ではないか"

☆cine21.com
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                       <ハウリング>ユ·ハ監督



ユ·ハ監督の風が吹く日鴨鴎亭洞で会った。
1995年詩集 <世運(セウン)商店街キッドの愛>で'手淫でなければ絶望'としながら'すべての禁止されたものなどを熱望'した、'詩人ユハ'の青春を記憶して追憶する人の立場で“昨日が五十才誕生日”であったという彼の話に瞬間'突然'びっくりした。
今、彼は10代の息子を持った監督ユ・ハ(柳河)に長い時間を過ごしているところだ。それにも "疎外"という彼の変わらぬテーマは "ハウリング"にもつながる。それとともに作家出身の映画監督からの異議原作がどのような意味を持っているか知りたかった。
原作のオオカミ犬を見て、自分の長年の関心事である "他者"、そして "家族"の意味を思い出したが、彼の言葉から、以前の作とは全く違っても似たようなスリ​​ラー "ハウリング"を作った彼に会った。

-乃南アサ原作"凍りついた牙"は、いつ読んだのですか?ここ数年間、国内で日本のスリラー小説が大人気を得たが、なぜこの作品を選択しているのだろうか。

= 2010年の初めに偶然読んでた。<サンファジョム>終わらせて、現代物を準備してふと、この作品に私の作品にしたい要素の片鱗が見えた。強力系男刑事たちの社会で支える女刑事というキャラクターが一番ひかれた。そしてオオカミ犬という尋常でないイメージが私はいつも関心を持ったタイプの、外れ値であるというテーマと重なった。そして、実際に私はいつも詩集だけを見る人である。(笑)ところで、定期的に映画を作らなければならないというプロの映画監督という自意識は、必然的に"アイテム"を渇望するようになる。そのため、私の話が枯渇になりつつあるという考えにしばらく東野圭吾など、日本の小説をちょっと読んだ。そんな中で出会った作品がまさに<凍りついた牙>だ。

-原作者とはどんな話をかわしたか。

=乃南アサさんへの興味が大きかった。韓流ドラマにも関心が高くてソン·ガンホもよく知っていたよ。(笑)日本では100万部ほど売れたが映画化ならない理由について聞いてみると愛犬文化が発達した日本にもやはりオオカミ犬それ自体が問題であった。ていたオオカミ犬も死んだからしっかりとした映画化が不可能だということだね。それとともに韓国にまともなオオカミ犬かとした。日本でTVドラマで作られたことがあるが、それは誰が見てもシベリアンハスキーだったとしてもっともらしいやつ書いてくれた。(笑)それも作品の核とオオカミ犬だと思っているのだ。実際にはハリウッドにもオオカミ犬と調教師をうわさをたよりにした。狼犬はかなりいるのにトレーナーも一緒にまとめてパッケージに空輸するのが容易なことではなかった。そうするうちに<朝鮮名探偵:トリカブトの花の秘密"に出演した"シラソニ"という犬に会った。イーサン·ホークが出てきた<オオカミ犬>(1991)のホワイトパンほどではなくジャーマン·シェパードより少し大きい程度なのに目つきが気に入った。チョ·インソンに似ているような気もしてとにかく目つきに艶がなかった。(笑)

-以前のインタビューでソン·ガンホのような俳優と一緒に映画をしてみたいという話をしたことがあったよ。

=その時はソン·ガンホが大本命で前面に出る映画を意味するのだった。実際に女刑事を先にキャスティングする必要がある映画なのに、最初にシナリオを読むようになったソン·ガンホが一週間ぶりにするとした。製作者は冗談のように'このような時シナリオを渡して返品を先に合っておけば、次に本当にキャスティングしたい時申し訳なくてもしないだろうか'という話をしたが突然するということだ。最初は嬉しいというより、正直ちょっとショックを受けた。私としては映画の"付録"のようなキャラクターなのにシナリオが気に入ったと言っているからとてもありがたくて、大きな借金をしたようだった。ソン·ガンホの利点はどこに属してか自然だということだ。元々そこにいた人のように演技するからそれがまさに最高の演技だ。私が記者懇談会で彼を置いて"熱演をしなくてよい"と言って誤解をいくつか買ったんです(笑) "で熱演を越えた熱演"と言えるか。

-それではイ·ナヨンはどのようにキャスティングすることになったか。

=実は以前からよく把握していなかった俳優だ。もちろんチョ·インソンもそんな状態で<卑劣な街>と<サンファジョム>を使って一緒に作っていく味があった。最初のミーティングの席でイ·ナヨンが、 "そのルーザーです"グロドダ。そうCFをたくさんしている美女俳優がそのような話をするのがちょっとショックでもあったが、全く飾りに感じられなかった。とても長い間活動したが、映画界からの華麗なフィルモグラフィーを積んで来なかったし、いつもちょっと孤独で隔離されるようなアウトサイダーのようなキャラクターだった。いつも私の"接触"と"感"を信じる方なのに一応イ·ナヨンは、目がとてもよかったです。映画でヒロインと狼がそれぞれ眺める時、妙に目に通じる感じが非常に重要である。もしかしたらこの映画の核心といえる。そこで現実的にもイトドゥェ夢幻でもしてシンファソン、ドンファソンがもつれた感じを噴出なければならない。私達の妻がチョ·インソンのファンだったしTVドラマ<アイルランド>のイ·ナヨンファンなので積極的に押した。(笑)

-ところで、あらかじめソン·ガンホがキャスティングされた点はどうしようもない"バランス"の問題を引き起こすようだ。ヒロイン単独ドラマや同様の映画で観客はソン·ガンホという名前の値段を期待から。そのため、原作のヒロイン音道貴子の家族の話は、映画に移してきてかなりの部分を省略した。

=そういうことだ。ソン·ガンホという俳優が男のパートナーに入ってくる瞬間、観客を裏切るべきでないという考えも強くできた。さっき"うれしいというより、衝撃だった"という意味ではまさにそれだ。あなたが話した家族のエピソードなど、すでに書いたシナリオを変えなければならポイントができたから。それでもランニングタイムを増やすことはできないので。本当に顔色を見ずに行くつもりであれば多少の楽しみが落ちても女刑事の感情そのままに忠実しようとしたんだ。しかし、そのような修正を加えてソン·ガンホの比重を増やしたからといって主題意識や本質が大きく変質していないと見た。むしろ効果的に圧縮すると、オオカミ犬との緊張をさらに生かすことができると見た。

-やはり全体的な感情を支配するのは苦労しているイ·ナヨンの感情である。大きな荷物を背負った主演俳優としてのオオカミ犬だけでなく、監督との緊張関係もしたたかにあったようだ。(笑)

=イ·ナヨンの長所であり短所では特有の無表情である。衝突ということまではないのにそのような点をいくつか指摘したりした。喜怒哀楽を即刻に表わさないで無表情なのがどんな場面では合うが、刑事というキャラクターが即物的に接することになる色々な瞬間瞬間に自身の感情がさっとあらわれたら良いといった。戻るながら満足だった。

-実際に女性凶悪犯罪担当刑事たちに会うこともしたか?映画の中でもう一つの核心は、男性が支配する凶悪犯罪担当の一人で持ちこたえる女刑事の姿である。

=もちろんだ。ソウルにもまだ10人にもならなかったよ。誰もがウニョン(イ·ナヨン)のような仕事を経験するのではないが、やはり堪える苦しがる姿だった。映画にも出てくるけど"適当線に乗らなければならない"ことへの共感があった。男たちの嫉妬が強いというか。(笑)そんなオスの社会で自意識を持って夢を失わないという心理も同じだったし。映画の中で先輩が初動捜査の様子ながら、ウニョンを叱ったが、実際、前日、自分の"ブルース"を踊ることがなくてそう叱りつけよはないのか。そんなことは私たちの職場、社会全般に蔓延したのだ。そして映画の中でサンギル(ソン·ガンホ)は、貴陽同様に残して事実上の昇進をする。一方、ウニョンは自分の推理が正しかったことを最後に証明したが、再び強力係に戻らない。

- <ハウリング>を置いて、家族映画という話を何度も強調した。どのような意味では。

=原作を見て一番心に残った文章は、 "君が流す幸せの涙は、他の家族の血の涙"というところだった。映画の中で娘とビデオ通話をして歩いていオオカミ犬に噛まれ死ぬ悪役も実はどれだけの家庭的なのか。他人の家を破壊し、今の家を経営しているのだ。<卑劣な街>も結局自分の"家族"のために他の家族を踏みにじることだ。私の子のために他人を害するような家族エゴが資本主義の本質ではないか。私も結婚しないしようとした人なのでたまに子供まで育てる庭に反省をたくさんする。(笑)私が言う家族ゼロ化、家族の暖かさをむやみに賛美するようなヒューマニズムではない。延々とミスと過ちを繰り返している家族主義の利己主義のゴリダ。それを象徴するのが唯一の復讐のために育てられたオオカミ犬という他者の存在と見た。人間が自分の邪悪な欲望を植えるためにオオカミ犬を人間以上に対する、その皮肉。

-あなたの映画の主人公チョ·インソンとイ·ナヨンは映画の中でどこか疎外された飛び地の感じがある。いつも自分が所属する組織に完全に適応できずに追われる感じというか。それがあなたの作品を貫く核心的なことは何だ。

=デビュー作"風の吹く日には狎鴎亭洞に行かなければならない"は私のフィルモグラフィーから削除したい作品ではあるが(笑)そこも主人公は詩人もオレンジ族もならないという散歩のような人物であった。<マルチュク青春通り>も制度教育外でぶらぶらする子供であり、<サンファジョム>はアイデンティティの混乱を経験する人物だ。<ハウリング>のウニョンも離婚後しっかりとした家族のメンバーがされず、会社員凶悪犯罪担当刑事組織内で女性でも刑事でもない人物である。そんなウニョンが自分のような境遇の狼犬に会うことになる。いつもどこか調和していない流れて疎外された人物たちに関心が行く。

-今回の作品もやはりあなたが話してきた"武器交換の技巧"を示す。華やかできる部分たちでも、意図的に減らした感じである。

=いつも感じるが、体質的にそれがうまくできない。(笑)何かをしようか、という思いをしながらも手足がしぼんでは"正直に撮ろう"そうなる。ラストのオオカミ犬疾走シーンも原作の東京外郭道路のように車が衝突して転覆され、スペクタクルになるようにすることができる。ところが、どこか同情とペーソスが盛られた疾走シーンを作りたかった。車がひっくり返る音よりもオオカミ犬の息を聞きたかった。さらに、厳格に被害者が多くの未成年の性犯罪を扱っているから、全体的に扇情的に扱って思わなかった。原作でも悪党たちが注射を打って犯罪を犯している場面があるのにそんなことを表わすが負担になって気になった。

- "アスファルトの上を疾走している都市のオオカミ犬"という設定自体が不思議な感じを与える。いつものリアリズムに惹かれてきたあなたからの意外な情緒だ。

=昔の<ナジャリノ>を本当に好きだった。人の中にオオカミがいるという設定が童話や神話的な印象を与えた。<ハウリング>のオオカミ犬も現実とファンタジーの間に存在する。いつも現実の時間にあるが、<サンファジョム>をしながら史劇の面白さや品格が分かるようになったなら"ハウリング"をしながらではファンタジーという感覚を薄く生感じているようだ。それとともにそのような現実とファンタジーの接点を無意識のうちに模索し、どうにか自分の中に溶け込んだことだ。

-現在準備している作品があるならば。

= <凍りついた牙>自体が女刑事シリーズの最初だ。だから、 "ハウリング"がうまくいけばそのようにシリーズでやってみたい気もある。とにかく現在のところ、特別に構想しているものはない。周辺では<マルチュク通り残酷史>と<卑劣な街>から"暴力3部作"の最後を完成してみてという話もある。
何よりもどのような作品これは今年中に入りたいと思う心である。

文:ジュソンチョル 写真:オギェオク 2012.02.17
by kazem2 | 2012-02-18 19:31 | Comments(0)