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【映画祭】神と呼ばれた男...手塚治虫展開催

手塚治虫のアニメーション映画祭の1月13日から22日まで、シネコードのソンジェで
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<鉄腕アトム>(c)Tezuka Productions



日本の漫画の神、手塚治虫。
ただ血筋が続いて生活の基盤を取った父ほどには不足している。手塚治虫は、日本マンガ​​とアニメの世界を作り上げたというほどだ。建物に例えれば、基礎工事をしっかりして建物を建てたのはもちろん、何百年もの拡張工事をすることができる図面まで、すでに設計しておいたというか。SF漫画"鉄腕アトム"、医療漫画"ブラックジャック"、宗教漫画"ブッダ"、政治漫画"アドルフに告げる"、忍者マンガ"道路"、ホラー漫画"ヴァンパイア"、推理マンガ"ナクバン"などすべてのジャンルのマンガを網羅したと同時に新しい女性像を提示した"リボンの騎士"、ものすごい悪女を創造した<人間ゴンチュンギ>に、医学コミュニティを告発した"キリヒト賛歌"、米政府の陰謀を暴く"ミュー"、最高の傑作に数えられるファンタジー"火の鳥"など手塚治虫止まる世界のすべてを漫画で再創造した。

そして漫画に満足することなく、アニメーションにも飛び込んだ。1962年に虫プロダクションを設立した手塚治虫かむ1963年、"鉄腕アトム"のアニメを放映した。日本初のTVアニメ"鉄腕アトム"は、合計193回放映され、視聴率はなんと40%に達した。手塚は、休むことなく走って、1965年には初のカラーTVアニメーションである"ジャングル大帝"を作った。韓国では"ジャングル大帝"として知られる"ジャングル大帝"は、その後ディズニーの"ライオンキング"に大きな影響を及ぼした。それはただのパクリやオマージュを跳躍する。例えば西欧のSFと"ブレードランナー"に熱狂していた押井守と大友勝弘が<攻殻機動隊>と
日本の漫画界に大きな影響を及ぼした

リミテッドアニメーションの創案
ディズニーのアニメに熱狂していた手塚治虫止まる、日本独自のアニメーションを作り出すことが終生の課題だった。"鉄腕アトム"を制作することに決心したが、製作費が法外に少ないのが問題だった。苦心していた手塚治虫止まる画期的な制作費削減案を考案した。1秒24フレームの映像を全部描くのではなく、半分あるいは1 / 3程度の映像だけで"動き"を生み出すリミテッドアニメーションを創案したのだ。自然な動きとやわらかな表情などがディズニーアニメの良さなら、日本のアニメは、漫画のように一瞬のイメージを強調し、ダイナミックな演出技法で、"アクション"のオーラをつかみだした。つまり手塚治虫は少ない絵を持ってどのように運動感を最大化できるかどうかを見つける演出案を提案したようなものだ。安価な制作費の限界を突破するために、B級映画が時には極度の創造性を発揮するように、手塚治虫の考案したリミテッドアニメは、今後、日本アニメのトレードマークになった。

以来、"あしたのジョー"のデジャキ治虫の静止画で感情を高めたり、庵野秀明が"新世紀エヴァンゲリオン"で導入して、"その男その女の事情"で満開した字幕や効果音の主導的な画面演出も、最終的には、リミテッドアニメの限界に由来する刺激的な美しさだった。手塚治虫のリミテッドアニメは、後日、日本はマンガやアニメの王国へと跳躍するための重要な貢献をしたが、一方では依然として日本のアニメーション産業の構造自体を脆弱にさせる原因となった。宮崎駿は、正式には手塚治虫の日本のアニメを台無しにしたとまで言えるほどだった。TVアニメ放映自体で収益を上げるには、ほぼ困難で、労働力を搾取している低賃金体制が依然として持続するのが現実である。しかも、ますますゲーム産業への資金と人材を奪われながら、現在の日本のアニメは、深刻な停滞状態にある。

それにもかかわらず、手塚治虫は神と呼ばれるしかない。劣悪な環境を作って出したが、その中でも最善の結果を作ってからだ。医師の仕事をしながら1年に10編余りの漫画を描いて、毎日のように映画を一方以上見た手塚治虫はまさに超人だった。そのすべてがあまりにも楽しくて、情熱に満ちていたことだ。しまいには、過労で倒れ、昏睡状態だったが、目覚めてすぐ吐き出した言葉が"してくださいお願いだから仕事をしてくれ"とのせたのだろうか。手塚治虫は決して自分の成功に陶酔していない。"鉄腕アトム"と"ジャングル大帝"を成功させつつも、手塚は相変わらず未知の新世界に進入した。商業アニメーションを作りながらも芸術的な実験アニメーションを併用したのだ。1963年に作った<ある路地の話>でブルーリボン教育文化映画賞などを受賞以来、ヴェネチア国際映画祭のマルコ恩賜賞を受けた"展覧会の絵"(1967)をはじめ、"ジャンピング"(1984年)、<壊れたフィルム>(1985 )、"森の伝説"(1988)など、芸術的なアニメーションにも心血を注いだ。
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"ジャングル大帝"(c)Tezuka Productions

消えていなかったの無限大の好奇心と情熱

手塚治虫の情熱は、どんな瞬間にも揺るいでいない。手塚がアトムのキャラクターを思い出させたのには二つの理由がある。敗戦後、入ってきた米軍に比べて、日本人はいつも萎縮して見えて体格も小さくした。手塚治虫止まるわざわざアトムの小さなロボットで設定して、体格は小さくても、誰よりも強い力を持つ存在にした。もう一つは、米軍と日本人の関係であった。言語が異なり、考え方自体が異なっていたため、米軍と日本人の間には本質的な断絶があった。特に、米軍が暴力を振るうときにも、日本人は何の話をすることができなかった。アトムは、人間とロボット、地球人と異星人との対話を可能にする中間者、通訳者として登場するのはそんな理由だ。手塚治虫止まるアトムを"平和の大使"と思っていたのである。"鉄腕アトム"は、米国に輸出され、"アストロボーイ"というタイトルで人気を呼んだ。手塚が夢見たアメリカと日本の"コミュニケーション"にアトムがイルオジュンようなものだ。

手塚治虫大根は自分の作品が完璧だと思っていなかった。急激に時代が変わって、新しい社会や読者の嗜好や好みにも絶えず研究して作品に反映することを止めなかった。斉藤高尾、白戸三平などの分極体が人気を呼び、マンネリズムに陥ってしまった読者の批判を受けた手塚治虫大根は大したことないと非難しながらも、絶えず"劇画"を調査した。極化が載せられた漫画雑誌を大幅に耽読し、分極体の絵を数えきれない程練習した。そして、自分のマンガを見た子供たちが成長して見ることができる、大人の物語を描いた漫画も描いた。<人間ゴンチュンギ> <ミュー> <火の鳥"などは丸いキャラクターが登場する大人の漫画だった。同時に、子供のための漫画でもただ楽しさだけを追求していない。子供たちは、軽くて何の意味もない単純なことを好きだという考えこそが、手塚治虫の拒否偏見である。手塚治虫大根はいつも"子供たちは真剣なメッセージがほしいと思う"と考えており、作品に込めた。手塚はいつも彼を疑って、無限大の好奇心と情熱的新世界を創造した情熱の神だった。

アトム、レオ、ブラックジャックを再びスクリーンで会う

1月13日から22日まで、シネコードソンジェで開かれる手塚治虫のアニメーション映画祭(127ページ掲示板を参照)の上映作品は、手塚治虫の世界全体に比べれば非常に不足した量だ。しかし、今でも、日本のCFに登場して、どこかの象徴​​として使われている最高のキャラクターたちであるアトムとレオ、ブラックジャックに会ってみることは相変わらず楽しい。手塚治虫はキャラクターを作り出すことにも天才だった。"千夜一夜物語"と"クレオパトラ"は、東洋と西洋の古典をアニメーションで作った手塚の別の一面を示しています。手塚は、ドストエフスキーの<罪と罰>を漫画で描いたりしたし、"千夜一夜物語"のような大人のためのアニメーションにも関心を見せた。手塚の関心から外れたというものは存在しなかった。<展覧会の絵>をはじめとする短編たちでも手塚治虫という神の別の手を見られる。

残念なのは、1980年ラスベガス映画祭動画部門賞を受賞した"火の鳥2772"がないということだ。それを見るとして、手塚治虫のすべてを知ることはないが、原作のマンガ"火の鳥"は、自分の"生涯をかけて描いた最大の力作"と評価される作品だ。不正山に住むという不死鳥の火の鳥の生き血を飲んだ者は永遠の生命を得ることができるという。<火の鳥>は、まさにその"永遠の命"をめぐる様々なエピソードを描いている。古代と現代、未来を自在に動き、ギャグと壮大なドラマ、場合によっては、実験的な描写まで、果敢に繰り広げるながら、人間の生と一緒にすべての生命の意味のような哲学的な問題まで幅広く食い込む。そのような作品をスクリーンで見ることができないというのが残念だ。
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(c)TEZUKA PRODUCTION
国内未公開作品など500点余りの展示

手塚治虫展"に用意した第2回国際漫画芸術祭

今回の手塚治虫のアニメーション映画祭は、第2回国際漫画芸術祭(International Cartoon&Art Festival、以下のアイカフェ(ICAFE))のメイン招待戦"手塚治虫展:アトムの夢"の一環として開催される行事だ。昨年12月21日に開幕したアイカフェは4月1日まで京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)アラムヌリ、アラム美術館とギャラリーヌリで開催される。手塚治虫特別展では、1970年、80年代のTVアニメで絶賛放映された後の古典の班列に上がった"鉄腕アトム"(原題:"鉄腕アトム")、"サファイア王子"(原題:"リボンの騎士")、"ジャングル大帝"(原題:"ジャングル大帝")などの代表作だけでなく、国内の未公開された作品の原画や習作ノート、飼料、出版物など、500以上の作品が展示される。手塚治虫は天才であるにも週に一日か二日だけ帰宅して、一日平均3〜4時間だけ寝ながら漫画を描いた。天才でありながら、努力派でもある手塚治虫の生涯で15万枚の漫画原稿を処理し、700編の漫画、60編のアニメーションを制作した。今回の特別展を通じて、"漫画の神様"手塚治虫の全時期を通史的に眺める機会を得ることができる。また、オマージュのセクションでは、現代美術作家のベク・ジョンギ、チャル・スジャン、以下、マリキム、ヤン・ジェヨウンなど手塚治虫の主要キャラクターを題材にした作品を展示する。一方、シネコードソンジェで開かれる映画祭では、バク・インハなど、若いマンガ研究家たちが共同執筆した手塚治虫の研究も特別展を記念して出版する予定だ。

文:キム・ポンソク 記事:シン・ヅヨウン 2012.01.11 Share it
Commented by Hoo~♪ at 2012-01-11 19:06 x
やっと今日から通常に戻りました。

手塚治虫の火の鳥に影響され、小学生の頃、漫画家になりたかったです。
ガラスペンやら買い込んで、なんか絵を描いてました。

懐かしいなぁ…あの頃

純粋だったな(笑)

今年もこの部屋で遊ばせてね。

休み中にグンちゃんの作品をやっと見終わり、次のドラマに追われています。

MIB3 (メン イン ブラック3)が今年公開。楽しみです。
Commented by kazem2 at 2012-01-11 19:29
☆Hoo~♪ねえちゃん
やっほ~

私は昨日から通常に戻ったわ^^

だよね~
私も少女漫画「りぼん」で「リボンの騎士」をみて ひらがなを覚えたのよね~

中学の時に文通していた女の子も漫画家になりたくて
いつも漫画を描いていたよ

あの頃は漫画家希望者が多かったんだろうね~^^

私も漫画少女だったわ^^

私は漫画は書けなかったけど貸し本屋さんの漫画は全部読んだような気がする

梅図カズオも松本零児も新人のころから知っているんだもんね^^



リアルタイム「鉄腕アトム」などのTVを見ていたし~

手塚治虫は神様だよね^^



by kazem2 | 2012-01-11 15:16 | Comments(2)