ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

CINE21 ジュ・ソンチョル 映画「るつぼ」

☆Source
我々はまだ未開な社会を生きている"るつぼ"
e0109292_19514361.jpg




子供たちは、悪魔を見た。
しかし、悪魔は十分に処罰されなかった。も、その記憶が、わずかこの10年足らずではないということを気付くなると、さらにひどくなる。裁判所は腐っていたし宗教は正しくなかった学園は狂気だった。我々はまだ低開発の記憶の中を歩いている。昨年の<不当な取引>以後、このように観客にとって直接的な感情移入に追いやるの映画があったのか。

"るつぼ"は、慈愛学園をめぐる児童性暴行事件を扱う法廷映画のように感じられるが、コアは、それが扱われる方法と過程にある。これは、起きた事件そのものよりも、それが喚起する現実と連携した事件の絶え間ない重複です。いわば<るつぼ>一方が対象とする素材を集めて<PDスチョプ>数十回の分量を作ることができるということだ。私立学校の先生になるために捧げる、学校発展基金とは、賄賂、学園の不正をお金に目をつぶってくれる腐敗警察、元判事または代理人が弁護士として開業し、初めて引き受けた訴訟において有利な判決を下すに全館のもてなしというの好み、皆、その所管ではないと言って性暴行事件を押し付けるのは、市役所や教育委員会、過ちを頑固な傍若無人のキリスト教宗派、放水や催涙弾の真実をつけて防ぐ公権力は、地位の上下を問わず、ルームサロンで、"我々は、他人が!"を叫ぶ汚れ男たち。

ここでは誰も問い直してしたく​​なるのだ。わたしたちは皆一度は経験した日ではありませんか?新たに知ることになったことはありますか?そのような不能とは、観客にとって映画の導入部、ただぼんやりして線路の上で死を待つ子供子供の心情に先頭に立つ。そのように"るつぼ"の力は、しばしば映画的な瞬間と出会う厄介な欠陥にもかかわらず、我々はまだ未開の社会を生きているという公憤​​(公愤)から来る。

文:ジュ・ソンチョル 2011.09.21 Share it
by kazem2 | 2011-09-22 19:58 | Comments(0)