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映画「北村の方向」 時間をもてあそぶことは.....

☆Source
<北村の方向>
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途方もなく起動はしたが、実際に"北村の方向"を説明しようとすると困るだけだ。時間を中心話題に置き、この映画の叙事を選ぶ時、実は次のようにあまりにも簡単になるからだ。元映画監督ソンジュン(ユ・ジュンサン)は、ある日、ソウルの北村に到着して親しい兄の零(キム・サンジュン)に会い、過去の女だった京津(キム・ボギョン)を少しの間訪問し、零号機が大事後輩やりがい(ソン・ソンミ)とソンジュンの最初の映画の主人公だった中原(ギム・ウイソン)などと似合って韓定食店とバーを行き来して京津と驚くほど似ている(実はキム・ボギョンが1人2役している)酒屋さん昔に関心を注ぐことになり、彼女とのキスもして一夜を過ごす。話はこれで終わりなのか。実は終わりだ。だから、いくら考えてもこのままではいけないようでちょっと違うといった説明が必要なようだ。ハングルのタイトルは、空間的に"北村の方向"で、英語のタイトルは、時間的に"The Day He Arrives"(彼が到着した日)のこの映画は、空間的にも時間的にも一目で俯瞰れないのに、特に時間がどのように俯瞰されていないかどうかをより多くの力をこめて言ってちゃいけない。

どのように観るかによって<北村の方向>の時間は異なって感じられる。
1。これは、順番に次々に何日の間の話だ(ABCD)。ソンジュンの動線や、彼が韓定食店や居酒屋を出入りする数を基準にしてみればそうだ。
2。しかし、ソンジュンが北村に到着した初日に引き続き、他の可能性の中で繰り返されているようでもある(A - A1 - A2 - A3)。ソンジュンは、"小説"という居酒屋に行くたびにボイスオーバーナレーションで"今日の小説に行った"とか"今日の小説というところを行った"と初めて行くように言って、今日はまた小説に行ったと言わない。ソンジュンは、パブの女主人と挨拶をするたびに毎回反応だけが違うだけで二人は、ぜひ初めての挨拶をしているような印象を与える。
3。1、2がすべて成立するということは話にならないが、実際に映画はグロハニこの映画の時はいっそのこと、誰かが何している場合、あるいはしていない場合、というような前提や仮説の疑問が絶えず追いついたし作成されていく第3の時間に近い。ところが、ホン・サンスは、人物が、同じ小道具をするようにしたり(ソンジュンと零号機が入った使い捨てのコーヒーカップ)、短いセリフ一言(ソ​​ンジュンの酒の臭いの言及)だけでも、算術的時間論理を破り、第3の時間の水溜りで映画を落とす神器を示している。例えば、映画でソンジュンは、どのような女優と学生を重ねて会うことになるが、彼らは、この第3の時間を可能にするには出現のうちの一つだ。その点をすべて説明するのは難しいようだ。ただ注意深く見ると、映画は別にサブタイトルを付けていないが、任意の状態で、'5場"に分けられていることがわかる。各章の初めには、北村の最初の兆候が出てくる - 安東(アンドン)教会の標識が出てくる - 精読図書館の標識が出てくる - ソンジュンと零号機がコーヒーを持って再交差点を歩いて降りてくるとき - ソンジュンは、一人で路地を降りる時、もちろんそれが5ではない。一般的にこのような場合を置く可能性のある時間性の出現と言うのか、しかし、それはちょっと硬い哲学的な表現ではないかと、思う頃に次のような文章かがふと浮かんだ。

"お互いに接近したり、お互いに割れたり、お互いに断絶されたり、または数百年の間、お互いを認識できなかったりもする時間の構造は、あらゆる可能性を包括することになりますね。我々は、この時間の一部の中でのみ存在します。どのような時間の中で、あなたは存在しますが、私は存在しません。他のどの時間の中で、私は存在するが、あなたはそうではありません。別の時間の場合、私たち二人が一緒に存在しています。好意的な偶然が私に与えられた現在の時間の中で、あなたは私の家に糖度しました。しかし他の時間、だから庭をガロジルドンあなたは死んでいる自分を発見することになるでしょう。別の時間に私は今のような同じことを言うが、私は一つのミスで、幽霊でしょ。"ホルヘ・ルイス・ボルヘスの有名な短編小説"延々と真っ二つに分かれる温和な庭園"の一文だが<北村の方向>の時間に関する記述として大変適切に見える。<北村方向>は、そもそも3部作で分けてする計画だったが、予定と違うな流れで続いて出したし、他のラストシーンを念頭に置いて撮影まで終えたが、今の場面をラストシーンとした。この映画は、一日の起こっているのは数日の間で起こっているのユ・ジュンサンが最初に尋ねられたときホン・サンスははっは笑って一応撮ろうと言った。撮影中にユ・ジュンサンが改めて聞くと、結局このように答えたという。"それをどうやって知っている!"ホンサンスらしく答えた。<北村の方向>の時は、事実を超えて、誰も知らない時である。

文:ジョン・ハンソク
by kazem2 | 2011-09-06 19:38