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by kazem2
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[関知しない一節] キム・ジウン監督<ショートカット>

☆bandinbook egloos com
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             <キム・ジウンのショートカット> 心の散歩 2008

cafe.daum.netシネ21アイポット創刊号にて(ジュ・ソンチョル記者の顔をみえます)






結局のところ、モーツァルトとサリエリの悲劇性は、天才と犯罪者が一点に結ぶことができないのカテゴリから来るのではなく、関心と無関心から来るものではないかと考えてみる。 たとえば、サリエリがモーツァルトが軽い気分で作った楽譜を見て 、"いや、こんなことが?この子は天才ではないか... ...?うーん ... ...さて、今日の夕方には何を食べようか?" と決まらずすっきりしなかった場合はどうだったろうか? 少なくともサリエリの人生がそのように下品ではなかったという考えである。 ここで、私は他人の才能への過度の関心がひどい自己嫌悪と他人の悪事を同時に取得することができるということに背筋が寒くなったのだ。

- あなたの隣人の才能に興味を持つな

どのように仕事をよくしようとする熱意や、その才能が不足していると感じられる時は必ず自己恥辱感が押し寄せる。 加えてその分野では『天才』という声を聞きながら、私としてはあえて向き合うこともできないきらびやかな才能を誇る、これらを連想される。 もちろん、その過程で自己恥辱感の強さはさらに強くなる。 そうすれば私は本当にこの仕事をすることができるか、という具合に達することになる。


私もそのような一連の過程でそれていなかった。 やってみたい事が多かっただけに、よくしたい欲も大きかった。 ある日は爪ほどの才能を発見して(あるいは勘違いして)少しだけし、何日かを比較すること自体がプライド傷つくほどに優れた、これを見てくよくよすることもした。 病む日が長くなると、不眠の夜と最先端のイライラを誘った。 自分自身を信頼できない人間は人生の根が容易に揺れて黒い穴に何度も転んで落ちる。


このような人々に必要なのが、いわゆる『クール』な態度だ。 キレイに、自分の才能のないことを認めているようなそんなクールではなく、単にその状況自体を超越してしまうクールさだ。 そんなクールさはおそらく、少しのユーモアでくるようだ。 サリエリがモーツァルトを見て 、"いや、こんなことが?この子は天才ではないか。私は決して彼に付いて行くことはできないだろう。 " ではなく "いや、こんなことが?この子は天才ではないかあところでどうしてこんなに背中がかゆいんだろう。 (ぼりぼり)" して、柔軟には思い通りにことができたなら、生涯遅れた者の悲しみの中に生きていないのだ。 だから是非『あなたの隣人の才能に関心を壊し、柔軟で黙々と静かに自分を磨いていくということだ。 重要なのは「才能」ではなく「したいという気持ち」それ自体であるから。

ホタルアンドルニス2011/06/03 19:03
by kazem2 | 2011-06-09 20:13 | kim jee woon