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by kazem2
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エンニオ・モリコーネ  彼は伝説である

☆cine21.com
パク・チャヌク·チョ・ヨンウク監督50周年記念の来韓公演
映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ巨匠に会う
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真の『レジェンド』との出会い。
去る5月16日から18日まで世宗文化会館大劇場でデビュー50周年記念の来韓公演<シネマオーケストラ>が付いているエンニオ・モリコーネ巨匠とパク・チャヌク監督に会った。
最近、韓国映画に深い関心を示してきた彼が訪韓する前からこのような出会いを求めたのは、見方を変えれば当然のこと。 しかも、そこには、パク・チャヌク監督の親友で<サイボーグでも大丈夫>
<コウモリ>などの映画音楽を一緒にしたチョ・ヨンウク音楽監督も一緒にいてさらに多くの意味があった。 この出会いはパク・チャヌク、チョ・ヨンウク監督が、自分たちが準備したプレゼントを取りだしながら開始された。 パク・チャヌク監督は、<コウモリ> Blu - rayタイトル<波乱万丈> DVD、チョ・ヨンウク音楽監督は<サイボーグでも大丈夫><コウモリ>OSTを準備してきた。

セルジオ・レオーネの<夕陽の無法者><夕陽のギャングたち><ワンスアポンアタイムインザウエスト>はもちろん<アンタッチャブル><ミッション><シネマ天国>などを作業したエンニオ・モリコーネ一家は、現在の韓国の中堅監督たちにも多大な影響を与えた人物でもある。 パク・チャヌク監督は"彼の映画音楽は、それこそ、独創的で衝撃的だった"と語り、チョ・ヨンウク音楽監督は"あの独特の作曲は、後輩の音楽監督に影響を与えた"と回顧する。

このように、遠いアジアの後輩たちとの出会いを存分に促されたエンニオ・モリコーネ一家は人の良いイタリアの祖父のように終始一貫して、エネルギーあふれる姿での話に臨んだ。 いつのまにか八十を過ぎた1928年生まれの彼は多くの場合、むっくり起きて話をする姿はすばらしいことだった。 しかし、『映画と映画音楽の関係』、そして『エンニオ・モリコーネ巨匠が一緒にしたイタリアの監督たち』など、様々な話題で進行したが時間が足りなかった。 その悔しさをいっぱい抱えてすべての次の作品を期待して激励しながら話は終わった。

エンニオ・モリコーネ_
ああ、とてもうれしい。 こんな思いもよらぬプレゼントをいただいて私達の家まで、本当に大切に持って行く。 とてもありがたい。 サインをしてくれたらもっと良かったのに。 (笑)

パク・チャヌク_
昨日の初日公演はどうだったか?

エンニオ・モリコーネ_
どの公演でも物足りなさが残る。 指揮者なら誰もが「もっと上手くやれたのに」という惜しさが残るのだ。 映画は、後で編集が可能ですが、公演は、間違いがあればそれで終わりだ。 それでリハーサルに力を傾けなければならない。

パク・チャヌク_
だから私は戯曲演出はしないつもりだ。 (笑)とにかく、最初の質問は、いくつかの誘致もだが、今まで一緒に作業した監督の中で誰が一番心に残ったのか。 あまりにも有名な伝説的な監督らと膨大に操作して、その個人的な感じが気になる。

エンニオ・モリコーネ_
とても難しい質問だ。 (笑)たった一人を選ぶのはとても大変で非常に簡単に話をしようとすると一回以上一緒にした人々は皆良い監督だ。 一緒に作業しながら断念したこともあって、最初から合わない場合もあり、そのような場合には、何かが通じるまで、二度以上するのだ。 同様に、監督が先に私と合わないと言う場合もいある。

パク・チャヌク_
ここでは、イタリアやヨーロッパではないので、実名で話しても大丈夫のようだ。 (笑)

エンニオ・モリコーネ_
ハハ。 よく気が合った監督は、1961年に私の映画音楽デビュー作を一緒にしたルチアーノ・サルチ監督で、その後も複数の方共にした。 そして、やはりセルジオ・レオーネ監督が欠かせない。 私は映画音楽の準備期間が長いので、そのような呼吸をとても大切に考えている。

チョ・ヨンウク_
あまりにも処理速度が速い上、ほとんど入って来る映画を拒絶しないで活動してきたという話も聞いた。 それが果たしてどの程度まで事実なのか気になる。 そして、最中は、1年に20編以上に作業したこともあると聞いたが同じ音楽監督の立場で、すばらしいと思います。 (笑)

エンニオ・モリコーネ_
今、私は考えても信じられないほどの速さで作業していた時があった。 私もその時どのように作ったのかも覚えていない。 (笑)音楽が好きで仕事が大好きですが、音楽を愛していたのだ。 それでも仕事を即興的に始めることはほとんどなかった。 一緒に仕事をしたい監督とは、通常6ヶ月前から話をする。 私は勉強をたくさんして、慎重に作業するスタイルなので、準備期間がかなり必要である。 もちろん、突然のインスピレーションを受けて使う時もありますが、通常はそのように緻密に準備しなければ良い作品が出てくる。 そういえば、今すぐ作業することに話をされている作品が3本ほどあり、すぐに決定しなければならない。 ように集中力を発揮することができる。

パク・チャヌク_
作業の最初のステップが気になる。 一方の映画音楽を務める時、作業を起動すると、メロディや楽器編成など、普通のどの時点で出発することになるのか。

エンニオ・モリコーネ_
特にどのような要素から始まっているとは言いがたい。 いつも総合的に考えている方だ。 準備するのに時間がかかるのもそのような理由からだ。

チョ・ヨンウク_
やはり幼稚な質問ですが(笑)、最近の音楽監督は、通常ミディやコンピュータで作業している場合が多い。 どのように作業しているのか。
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エンニオ・モリコーネ_
ただ手で書いている。 コンピュータは、全然使わない。 汗をかきながら楽譜に加え、鉛筆で直接描く。 次に、ピアノなどの楽器を使う。 古い人としてのコンピュータのようなものを利用する嫌なこともあり、そのような作業を自分の作業のように考慮されないこだわりもある。 コンピュータよりも楽 ​​譜を見てノートに描いているのが良い。 それとともにインスピレーションを受ける場合が多い。 それは私の音楽監督生活を始める時からそうしてきた。 かつてはボールペンにしたこともありますが、ちょうどクリアしても鉛筆でするのがましだろうと思った。 (笑)もちろん、消しゴムで消すのではなく、白い磁器の粘土の粉などで消す。 ミスも多いうえ、特に和音を注いでいる部分では、のべつ幕なしに消したり書いたりしなければならないから。

パク・チャヌク_
音楽を勉強する学生として、クラシック音楽の作曲科を卒業した映画音楽家として、そのような訓練と、土台が必須だと見るか、またはロックバンドでギターを弾きながらでも、音楽監督になることがあると考えているのだろうか。

エンニオ・モリコーネ_
音楽以外の映画音楽に特化して言えば、音楽の歴史についての十分な理解と知識がなければいい曲を書くことができると考える。 だから、自分がどのように音楽を始めたかに関係なく、映画音楽家になろうとすれば、それにふさわしい研究と調査が必要である。 なぜなら、映画音楽は、ただの作曲の実力以前に映画が入っている時代背景についての認知度必要とし、音楽外的な勉強もたくさんしなければならないからだ。 テクニックだけでは映画音楽をすることができない。 映画音楽家が歴史の勉強をたくさんしなければならないというのは私の長年の持論である。 さらに、映画には音楽のほかダンスなど、さまざまな要素がいれられるので、そのすべてを総体的に把握して理解できる能力がなければならない。 そのため、映画音楽家になるには、本当に勉強をたくさんしなければならない。 さらに映画音楽は一人でする個々の作業ではなく、監督の意見を反映しながら、自分の個性を現わして、そのようにお互いに意見を調整する過程も重要である。 それとともに映画にも生きて音楽にも生きなければならない。

チョ・ヨンウク_
1960年代初頭の映画音楽家として活動してきたが、1960年代のヨーロッパは革命的でもあり、社会的に多様で、熱い欲求が噴出していた時だった。 あなたは、その中心で、<アルジェの戦い>(1966)の映画音楽を務めたし、一緒にした監督の中には、ベルトルッチ、パゾリーニのような左派の監督たちが多かった。 お互いに影響をやり取りしなければならなかったようだが、自分の政治的性向もそうしているのだろうか。

エンニオ・モリコーネ_
まあ、実際の政治に大きな関心がなかったと見るのが正しいようだ。 おそらく、彼らが左派の監督でもそうだというよりも、私にはみんな立派な監督だった。 私の音楽には全くタッチすることもなかったし、創造性を発揮できるような環境を作ってくれた。 私はあえて左派の側にあったというよりも、中立的な場所で作業をした。



パク・チャヌクが言うエンニオ・モリコーネ

そのため、スパゲッティ(マカロニ)ウェスタンと知り合いになってる
エンニオ・モリコーネあなたの音楽に初めて接したのは、スパゲッティ(マカロニ)ウェスタン映画を通じてからだった。 当時、劇場でも数多く上映していたが、肝心の私は劇場で見ることはできなかった。 あとで知りましたが家にLPのボックスセットに海賊版<<映画音楽黄金のヒット>>そのような全集があった。 (笑)聴きながらも、格別興味もなかったが、その中で私が唯一興味を持ったのがまさにモリコーネあなたの音楽だった。 そうモリコーネ巨匠の音楽を最初に接して、スパゲッティ(マカロニ)ウェスタンジャンルを知ることになり、後にTVを通じてセルジオ・レオーネの映画を見ながら一つで完成することができる。 長い歳月が流れ、映画で見れるようになりなんと嬉しいとか。 通常、後ほど椄することになれば、失望することになる場合が多いが、がっかりどころか、ますます良かった。 彼の映画音楽を担当した作品の中で一番好きなのはやはり<荒野の無法者>(1964)で、口笛の音いっぱい<Titoli>だ。 洗練され、そのようなものがないのに、あまりにも個性的で衝撃的だった。 彼と一緒にセルジオ・レオーネの映画は、本当にすべて良いがレオーネ以外のその他の監督たちの中から選びなさいといえばやっぱりエリオペットリの<完全犯罪>(Investigation of a Citizen Above Suspicion、1970年)だ。

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パク・チャヌク_
個人的には<完全犯罪>(1970)、<労働者階級の天国へ行く>(1971)などを作成したエリオペットリ監督が大好き。 その二編の映画音楽を務めた。 彼も代表的な左派の監督だったが、彼 ​​の作業はどうだったか。

エンニオ・モリコーネ_
呼吸がよく合うの監督のうちの一人だった。 1980年代の50代前半の年齢で世を去ったのがとても残念で気になります。 呼吸も、呼吸ですが、作品世界や操作方法など、非常に良い記憶を持っている監督だ。 エリオペットリ監督が、すでに5、6本の作品を作った後、私に連絡が来た。 今している作品の映画音楽がまともに進行できなくて作曲家たちをずっと変えたいと言って私に直接手紙を書いた。 「あなたがこの映画で、私は最後となる音楽監督になれば良いし、その後、あなたと一緒にいくつかの作品の最初の作品だったらいいな」と言った。 そして、その映画は、それ以降変更されず、私はずっとした。 (笑)実は最初からあまり難しいことをお願いしてちょっと疲れて大変だッたりもした。 ある映画の中で様々なジャンルの音楽が複合的に機能している場合は、とても大変なのにそのような場合であった。

パク・チャヌク_
やはりセルジオ・レオーネ監督との作業が気になる。 彼は、最初にどのように会って作業するようになったのか? そして、彼がどんな人だったのか、あなたの話を通じて聞きたいと思う。

エンニオ・モリコーネ_
幼い頃からの友人だった。 幼稚園と小学校も一緒に通ったの長年の友人だ。 ところが、あとで大人になって出会ったとき、私は彼を一目で解ったのに彼は私を知らないようだったよ。 イタリアでは一般的な苗字だということがないため、レオーネ、モリコーネ、その名前がぴったりでも知ることができる場合が多い。 だから私は"おい、お前、私の記憶では私か"と計算して尋ねた。 (笑)の人々が考えているのとは異なり、彼は作業が困難な人ではなかった。 自分が希望するのが確実なの代わりに一度の意見交換と一致が実現すれば、自分の作業については特に反対することなく、ずっと行った。 いつも自由にやってといわれるほど、常に私に優先権を与えた。 言い換えれば彼はすぐに決定をする人がいなかった。 「これ、どうですか? あれはどう?」 と聞いても、いつも周りの人たちに意見を求める人だった。 そうするうちにも、結局は他人のアドバイスを全て聞くだけ聞いてもさっさと必ず自分が思うように行った。 (笑)そしてもう一つ覚えているのは、ユニークな逸話は、<夕陽のギャングたち>(1971年)時だったが、劇場のスクリーンと観客がいるなら、彼はそれらの間に座ってスクリーンを見るのではなく、スクリーンに背を向けて観客を見つめていた。 映画ではなく、観客の反応を見ることだ。 観客がとても好きだから、彼もすごく喜んでいた。

パク・チャヌク_
セルジオ・レオーネのウェスタン映画や、あなたの音楽は、感情的に離そうとしても離せない関係にあった。 そのくらいに深い共感を持ったのですが、きっと葛藤もあったようだがどうなのか。

エンニオ・モリコーネ_
<夕陽のギャングたち>から、そのような兆候がいくつかあったが決定的に<空電>(1973)をしながら、途中で葛藤があった。 私はセルジオ・レオーネも、その作品に完全にクレジットが上がったことはないが、彼 ​​がその作品を通ってはコミカルに行きたいとした。 ところで、私は、以前の彼の西部劇とあまりにも情緒が違ってちょっと不便しており、彼もそのような確執を不快にしていた。 そのため途中で抜けるようになり、両者がずれているだけでケンカをしたのではない。 その後、<ワンスアポンアタイムインアメリカ>(1984)を一緒にしたんだから。

チョ・ヨンウク_
あなたの映画音楽は『組み』がよく変更されていない方だ。 ところが、実際に映画音楽は、他の作曲に比べて兆よく変えていくのが一般的な方式である。 あなたの過去のインタビューを読んで見たことがあるけど映画音楽も『火星』を簡単に行くのが良いとしたのを見たことがある。 これについて、今考えてはどうか。

エンニオ・モリコーネ_
自分のスタイルがそうだというよりも映画に合うように変化を与えると見るのが正しいようだ。 ある時は単純に行きますが、またある時は複雑にする。 このように行ってみたいと思う自分のこだわりがある場合は、監督を説得してでも一緒に私の言うようにする。 その代わりに、最初からそのような話を持ち出されたこと。 なぜなら、最初から試みてもできないするように変えようとするか心配で。 難しくても使い切って、次のを聞かせて再度話をする。 このような方法がもっと創造的な自己満足が大きいようだ。 さもないと、退屈で退屈な映画音楽の仕事を継続することができなかったのだ。 私は今、この年齢で生活の心配をするわけでもなく、いつでも仕事をやめても構わないが、映画音楽家としての私の満足感が重要である。 ずっと満足して働いていたいと思い、また、ずっと曲を書きたいと思う。

パク・チャヌク_
あなたの話に音楽は完成して聞かせるまでの言葉で説明するのは難しい。 さらに、完成した映画を見て作曲をするのではなく、その情緒や印象を不完全に抱いたまま、作曲をしなければならない。 いわば、監督と『こんな音楽ならいい』と対話すること自体がとてもあいまいな作業なのに、あなたのような偉大な映画音楽家は、監督と、果たしてどのようにコミュニケーションするのか知りたい。

エンニオ・モリコーネ_
あるエピソードを聞かせてあげましょう。 一度はイタリアで10人の名のある作曲家たちを呼んでミーティングをしながら、映像だけのある映画を見せてこれに合う映画音楽を同じように作曲してみてと言ったことがある。 皆が均等に監督と自己の話す時間が与えられお互いにカンニングをするということは不可能だった。 その内容も知ってただ一人の監督と話を交わしたことでも、その10人の音楽は、皆それぞれ異なっていた。 結果的に10人の作品も良かった。 味は違っても、本当にすべて格好よかった。 彼らの中で誰かの音楽が一番良かったと言うのは難しいほどだった。 多分そのようなのがまさに映画の音楽が難しいという証拠でもあるし、あなたが言ったような不確実性の中に置かれた映画音楽家の運命のようなのではないかと思う。

パク・チャヌク_
映画音楽の作業をしてみると、どこで始めてどのように終わらなければならないか、まだ思い通りにならない。 それだけで映画全体の印象が異なることもするから。 あなたはそんな悩みをどう解決するか。

エンニオ・モリコーネ_
私も難しい問題だ。 ところが、言い換えれば、どこからスタートして終わらせなければならないかを決定するのが難しいのではなく、それよりも加えた難しい問題が多いということを知らなければならない。 例えば作曲家のプライドを守ることは、監督の要求と私の方向の間で満足のいく合致点を追求することなど、私が見るときは、それよりも加えた難しい問題が多い。 そう考えると心がちょっと楽だ。 (笑)

パク・チャヌク_
それとともに、最も虚しいときは、音楽監督の心がよく合って非常にきれいに始まりと終わりを合わせて、特定の曲もよくよく作業したが、後に映画全体的にはそれを抜いてみると映画がよりよく感じられる時がしばしばあるという事実である。 (笑)

エンニオ・モリコーネ_
ハハ。 さっき話したように、もちろん私も、どこで起動して終わらせなければならないかどうかを決定するのがいつも難しく、あなたが話したような苦情を感じることも多かった。 それは十分に理解する。 記載されてセルジオ・レオーネもそうしたが、あなたたち二人のように友達だから良い点もそのようなものである。 監督との映画音楽家が単なる仕事の関係以上にそのような問題を含めて、新しいアイデアについても自由にやりとりすることができる友人関係というものは、それだけに大きな力になってもいいこともない。 二人がこれからも素敵な映画を何より作成した場合である。 (笑)


チョ・ヨンウクが言うエンニオ・モリコーネ

<夕陽の無法者>音楽、実験性がいっぱい
エンニオ・モリコーネ巨匠が作業を終えた作品の中で一番好きなのはやはり<夕陽の無法者>(1966年)だ。 サイケデリックロックを連想させるものサウンドトラックなのにモリコーネあなたのギターサウンドは、ロック音楽からきたのは明らかだ。 さらにその後には逆に、複数の他のロックミュージシャンたちにも影響を及ぼしたようだ。 彼の映画音楽の最大の魅力は、やはりシンプルさとシンプルさです。 彼の60年代後半と70年代、80年代はとても大きく異なっている。 60年代は、むしろロック音楽にに近いくらいの実験性が非常に強かったが造成(调性)を否定する現代音楽の無主義的な性格も多く表れている。 そうして、80年代以降には、そんなことが皆消えた。 インタビューで、火星に聞いて見たのは、彼が過去のインタビューで、火星の簡潔さが与えるインパクトがあるので、なかなか組み変更をよくするためだ。 Dマイナーで起動すると、そこで終わらせたくらいで、実際に当時の彼の音楽がそうだった。 なお、彼の政治観について聞いた理由も、当時の社会の雰囲気もそうだし、一緒に作業した左派の監督たちの面々がそうであると果たしてそのような政治、世界観に深く足をつけなくてそのような長い期間の作業は不可能ではないか、尋ねてみたいと思ったんだ。 そう実験性いっぱいだったモリコーネ氏の60年代がとても気になった。

写真: オ・ギェオク
まとめ: ジュ・ソンチョル  2011.05.31
by kazem2 | 2011-05-31 14:43