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[design +] 視覚的な喜びのために突撃 前へ!

☆cine21.com
第2次世界大戦当時のドイツ軍の姿そっくりの<飽和の中>のチャ・スンウォン
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そんな映画がある。 1つのシーン、一つの文字、一つのイメージをスクリーンに投影するために、失敗を承知で、いや失敗したからこそ、自分が獲得すべき最高の戦利品のようにあちこちに地雷が埋設された肢に向かって「突撃、これから」を叫ぶ映画だ。 要するに<飽和の中>がそうだ。 6.25戦争当時、学徒兵の実話を扱った映画として宣伝されたが、この映画は、ある瞬間から、独特の視覚的な喜びの『オブジェ』を展示するのに没頭する。 そのオブジェは、まさに、北朝鮮人民軍766突撃隊の先頭に立つ薄霧と(チャ・スンウォン)少佐だ。 彼が爆破された橋の上で、"ちょっと、南朝鮮のみなさん、すぐに天板の待機ちょっと見てみたいものだ"と一人で口ずさむ時、その姿を見守る「任意の」観客の心の中では数十個あまりの赤い旗が一斉にはためき始める。

一番最初に映画が魅惑の視線を集めるのは、少佐が着た軍服である。 軍帽バッジ、肩の上の肩章、上着のボタンは、すべて黄金色に輝いて、襟と軍帽についた赤い線が、これらを護衛する。 肩章にぶら下がった革紐は胸に乗って降りて拳銃の財布と出会って、腰をかばった太いベルトには弾倉ホルダーがついている。 太ももの部分が平べったいズボンは首が長い黒の軍靴に仕上げている。 灰白色軍服は、このようなディテールの補助を受けながら俳優チャ・スンウォンの肉体が持つ官能のオーラ(aura)を浮き彫りにし、それぞれの取れた形で造形する。 カメラは、これらの過程を見守って興奮を隠せない。

薄霧と少佐の奇妙な存在感がさらに増幅されているのは、彼がジープではなく、軍用車の補助席に乗ったまま、自分の部隊を率いて廃墟となった街のど真ん中に入城する時だ。 この場面で彼は、無効な時空間に到着したの孤独な時間旅行者のように見える。 もし彼の本来の目的地は第二次世界大戦当時のヨーロッパの大都市ではなかったのだろうか? そこでなら、彼の名前と姓の間に『フォン』(von)という貴族の称号をかけておいた親衛隊将校で、トレンチコートの襟を整えて連合軍との市街戦を陣頭指揮しているだけだ。

それなら、ドイツ軍の『コスプレ』しているように見えるが、北朝鮮軍将校は、どこに根源を置いたのだろうか? 映画の終盤、主人公たちが学校の屋上で、ブルースリーのヌンチャクを振りまわすようにお互いに銃撃を行うシーンでは、「任意の」観客は、<マルチュク青春通り>の最後の決闘を思い出すこともあるだろう。 もし彼らならこんな推論を試みることがあるんじゃないか? この映画は、<マルチュク青春通り>と同じような青年期を通過した世代が子供のころ『アカデミープラモデル』のドイツ軍の戦車や兵士のフィギュアを持って遊びながら抱いていた戦争のための「あらゆる」幻想を再構成しているのだと。 そして、その幻想の中で薄霧と少佐は、分断の歴史と反共イデオロギーがあえて見下げることができない視覚的な喜びのオブジェとして、永遠の命を享受しているのだという話だ。

文:バク・ヘチョン( デザイン研究者 )2011.05.26
by kazem2 | 2011-05-29 12:35