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[カンヌレポートⅣ]自画像のような映画キム・ギドクの「アリラン」

☆cine21.com
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                    映画「アリラン」予告編



"寝ているがカンヌ映画祭が私を目覚めさせた。"キム・ギドク監督が口を開いた。 13日、キム・ギドク監督の新作<アリラン>は64回カンヌ国際映画祭公式招待部門である『ある視点』で上映された。 映画の開始前には、カンヌ映画祭執行委員長ティエリープレ模擬の紹介でドゥビスィ劇場の壇上に上がったキム・ギドク監督は"この映画は私の自画像のような映画だ。 13年の間に15本の映画を取ったし、それを振り返ってみてよ、この映画を作った。 結論的にこの作品は、映画とは何かについて自分自身について質問して見る映画だ"と演出意図を明らかにした。 <アリラン>は、2008年のイ・ナヨン、オダギリジョー主演の<悲夢>演出以降、​​閉じこもっていた監督の3年ぶりの新作で監督が直接製作、シナリオ、演出、編集、撮影、サウンドはもちろん、俳優として出演、話題を集めた作品である。 最近、監督自身が大衆に姿を現わされていないうえに、映画公開前の徹底的に秘密に貼り付けられた作品であるだけに初上映への期待は非常に高かった。

<アリラン>は、キム・ギドク監督の過去の映画人生を振り返る、一種のセミドキュメンタリー形式の作品である。 水道水もトイレも立派なシャワー施設もない所でキム・ギドクは、山小屋でテントを張って、その中で、最低限の衣食住を解決しながら生活を営んでいる。 映画の中には質問するキム・ギドク、敏感なキム・ギドク、見守るキム・ギドク1人3役のキム・ギドクが登場する。 質問者のキム・ギドクが"映画は、内部の撮って毎日の酒を食べるのか"は、おしに答えているキム・ギドクは、これまでの悩みを打ち明ける。 "一連の事件以来、シナリオで書かれていたよ。 だから、今は悲しい時期だ"と言いながら、"<非夢>を撮る前までは陸上選手が続くトラックを走るように映画を作った。 野性的で純粋で計算のない映画だった。 ところが、ある瞬間の固定が訪ねてきた"とし、工場労働者は、廃車場人夫などで働いて、世界有数の映画祭で注目される監督になるまで、自分の所感を現わした。

特に、彼はここ数か月、自分を混乱に陥れた事件で、「<ビモング>撮影の中で自殺する場面を撮った女優の(イ・ナヨン)が死ぬような目」の事件からの影響をはじめ、『自分の映画の助監督として働いていたチャンフン監督が<映画は映画だ>を撮った当時の資本主義の論理によって神に見捨てられ、自分自身を去った仕事に実名を挙げて言及して衝撃を抱かせた。

このほかにも彼の批判の矛先は『映えますがしようと貪欲にアクヨクマン希望する俳優''韓国をむしろ悪いイメージで描いた、自分の映画が海外映画祭で受賞したという理由で勲章を与える政府』『過度のスタイルに集中する映画』など、とためらわずに滲んでいった。

民謡『アリラン』がまるで『上がって来る』という意味に聞こえるが、彼は映画の中で絶叫に満ちた声でアリランを直接提供しており、荒い悪口まで口にきれいに盛って、これまで自分が経験した、複雑な心境の代わりをした。 "自分で自分を心配するのは初めてなのでどきどきしてすごく震えて、これはどういうことか分からない"は、彼は映画の末尾は、自分が今まで持っていた恨みと怒りを直接製作した拳銃を動員して解消するおおらかさを見せることもある。 結局、このすべての過程が、"自分にとって一番幸せな日の映画を作りたい"といっ結論を出す。

ドキュメンタリー、ドラマ、ファンタジーを行き来するジャンルの実験。 ステップなしで一人でキヤノンのデジタルカメラで撮影しようとした点など、<アリラン>は、映画の内容だけでなく、形式的にも注目に値する作品だ。 映画の好き嫌いは分かれる方だ。 試写後、フランスのウェブマガジン『エクランノワール』は、Twitterを使って、"キム・ギドクの新作はとても魅惑的だ"と所感を明らかにしたのとは異なり、過剰な不平を言うという評価も少なくない。

文: イ・ファジョン 2011.05.14
by kazem2 | 2011-05-14 12:51