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by kazem2
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[Cine talk]作家の著作権守る良い先例作りたい

☆cine21.com
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シナリオに肉付けして小説化した‘シナリオフィクション’
<悪魔>きて<私が殺した>出したアン・スルギ監督、アン・ミンジョン作家






心づもりシナリオスクール出身作家らが‘シナリオフィクション’を出した。 <悪魔>は<オはとても多くて>(2005),<私の歌は>(2007),<地球で生き方>(2008)を作ったアン・スルギ(左側)監督の作品で貧しくて軟弱なある仮装が悪魔に成っていく過程を描いている。 新しい形態の‘代案家族’を扱った<オはとても多くて>とは反対側に立っている家族の話だ。 <私が殺した>は<伝説の故郷>(2006)を使ったアン・ミンジョン作家の作品で、無罪でなく特別に自身の有罪を明らかにするために孤軍奮闘する前職刑事の話だ。 彼らが話すシナリオフィクションという(のは)‘当初作家のシナリオに意図が明確な細部描写を加えて小説化したこと’でその最初作業で二編が世の中の光を見ることになった。 最近シナリオ作家に対する処遇改善、進路摸索など多様な話があふれた雰囲気に照らしてみる時非常に斬新な試みで見なされる。 彼らからシナリオでないシナリオフィクションを使うことになった理由、そして以後の計画に対して尋ねた。


-‘シナリオフィクション’という(のは)名前で二冊の本が出てきた。 どのように始めることになったプロジェクトなのか。

アン・スルギ_
2009年秋ぐらいやはり心づもりスクール出身であり<アッチとシパック>(2006)を使った降霜菌作家が‘バーだというということ’出版社と心づもりスクールの間で仲介役割をした。 シナリオフィクションという形態のプロジェクトで何冊も出してみればどうだろうか、興味深い試みがよいと思うという話であった。
アン・ミンジョン_
心づもりスクール出身ら中に長編映画を一方以上した人々どうし集まった‘クレジット クラブ’という集いがある。 互いに情報も共有して意見もやりとりしてする作家集いなのに、2009年その時がジャンル文学が大勢だった時であった。 関連セミナーも開きながら出版社と接触してみようという話がその時出てきた。 幸い新生出版社であるゆえだというということブックスでこういうプロジェクトでいくらか損害をこうむっても一度してみたいといった。
アン・スルギ_クレジット クラブでいろいろ話を交わした。 ジャンル文学はもちろん当時ミュージカルが大人気を呼び始めた時とそちら側でもストーリーやプロットを勉強してみて、新しい道を模索してみようという話もあった。 アニメーションやゲーム ストーリーテリングなどシナリオフィクションやはり作家としての活路を見出す色々な方法の中の一つであった。

-策に出てくるまでどの程度の時間がかかったか。

アン・スルギ_
2009年12月まで書きにしてまた3ヶ月程度演技して2010年2月末まで使ったことだ。 シナリオは話を組んでずっとディテールに入れば良いのに小説は文章その自らの完成度や小枝も重要だった。 大変に使ってからぴったり見たくないほどひどく気味悪くした。 ところで出版作業が延ばされながら編集者の方がたくさんすまないと思った。 私たちはまた大変に使ったシナリオの映画がひっくり返るように出版やはりそうしたのね、と傷心することもした。 (笑い)それでも何作家としてとてもありふれているように体験することだと心を無にしてほとんど1年超えてオオタ・スジョンを几帳面にしたわけだ。
アン・ミンジョン_
<伝説の故郷>を作業した中にキム・ジファン監督様が話を取り出して共にアイテムを開発した。 以後小説化作業は一人でした。 事実完成されたシナリオがあると仮定する時それをそのまま文に移しておけば小説一冊分量で非常に足りない。 結局背景説明やキャラクターなど作家の想像力と構成力が深く発揮されなければならない。 そうした点らが大変だった。 それでも終わって見るとさっぱりしながらまたまた、一つ使ってみたい心も持って、とにかく複雑な気持ちだった。 (笑い)

-作品の話に入ってみよう。 <悪魔>は既存アン・スルギ監督映画と比較する時かなり異なったトンの作品で、<私が殺した>は典型的なスリラージャンルだ。

アン・スルギ_
ソクキュという男は会社でその誰より有能な男なのに家族内でも会社でも確実に彼を好む人がない。 そうするうちに高校同窓ミンヒョクに会うことになるのにもうこれ以上ミンヒョクの‘コブン’役割をした過去の彼でない状況だ。 そのようにミンヒョクと再会しながらソクキュ内面の隠された悪魔性があらわれて人生につまづき始める。 何というか、私がますます偽悪的になること同じだ。 (笑い)既存内作品らと他のものをしてみたいという欲に2008年からアイディアを捉えた作品だ。 ある日ふと私がとても誠実に生きたか、という気もしながら悪魔に変わったら良いだろう、ちょっと過激になりたいという考えが土台に敷かれることになった。 着実に3編(便)の長編映画を作ってもう映画をとらないことになって満3年になって行くのに何かますます反駁されるという感じがあった。 偽悪的に変わりたい心、自らを慰めたい心そんなことがみな入れられた。
アン・ミンジョン_
‘私がもし3ヶ月の後に死ぬならば、最も悪い奴ある奴だけ殺して死ねばどうだろうか?’という発想して始めた話だ。 時限付き人生を生きている刑事ソン・キチョルはすぐにそのような奴を選んで殺人を犯して完全犯罪を夢見るがとんでもない忘れてすごした自身の息子が犯人にとらえられたという報せに接する。 殺したのは私が殺したが、なぜ私の息子が犯人だというのか? その時からソン・キチョルはお父さんソン・キチョルになって息子の無罪を証明するために自身の有罪を証明しなければならないアイロニーな状況に陥ることになる。 キム・ジファン監督様と話したのはスリラーの仮面をかぶったヒューマニズム ドラマであった。 何かゆうゆうとはたいて離れようとしていたお父さんが自分の息子が捕えられる光景を見て加えた心の苦痛を味わいながら塞翁の馬と言うか、ミステリーある人生に対して考えることになる。

-どうしようがどんな形態の作品でも映画化が最終的な目的であろう。 今回の作業を通じて期待する効果のようなのがあるならば。

アン・スルギ_
物では映画会社と契約を結んで映画化になることができるならば大変良いだろう。 こういう記事が出て行って広報になりながらちょっとそのような接触ができたらと思う望みがある。 (笑い)しかも重要なのはシナリオ作家として著作権を持つようになるという点だ。 出版社は出版権だけあって版権は直接使った私たちが持っている。 それがとても重要だ。 映画会社で自分の権利なしでずっと2で、3でなでつけるばかりだがそのままはねられて出ることが如何に多いか。 心づもり先生も今回の作業に対してした話が、こういう形態の出版が作家として著作権を守る重要な方法といわれた。 極端に映画会社とともに作品を進行して自分のアイテムにもかかわらずそれが映画化されることができなかった時それをまともに持って出てくることができない場合も一度や二度ではない。 適当に1千万,2千万ウォンで‘どんっと’として映画会社を出た作家らが非常に多いだろう。 作業しても後ほどクレジットに名前上げられない場合も多いが少なくとも‘原作’クレジットは残る。 今回の作業がそのような良い先例に残れば良い。

アン・ミンジョン_
ひとまず私がこの作品の主人という考えが強くなる。 そして映画会社と接触して話を交わす時ファイルやプリント物形態でなくこのように本で渡す時確かにあたえる人も受ける人も感じが違う。 何かすでに検証受けた作品を与えるようで満たされたりもする。 (笑い)

-現在また準備している作品があるならば。

アン・スルギ_
<私の友人の家はどこなのか?>私<中央駅>あるいは<蜂の巣の精霊>のように子供たちが体験する色々な仕事に対する話を構想している。 そして昨年釜山(プサン)国際映画祭アジア映画ファンド(ACF)の‘インキュベイティン ファンド’支援作で選ばれた<パウワウ>を<永住の夏休み>という題名に変えて開発費を受けたのがある。 それはちょっと予算が必要な映画と投資など色々なものを調べてみている。 <永住の夏休み>で<オはとても多くて>雰囲気が出るといったよ。
アン・ミンジョン_
確実にホラーやスリラーが好きなのではなかったが<伝説の故郷>と<私が殺した>を使うことになった。 (笑い)どうしようが映画化されたのは初めてであり最後が<伝説の故郷>なのに何か二番目作品を出さなければならないことでしたい。 現在の構想しているのは現実的でなかったことを現実のように見えるようにする、ファンタジーということもそうでファンタジーでないとするのもそのような青春物をしてみたい。 ちょっと漠然としているか? (笑い)

文:ジュ・ソンチョル 写真:チェ・ソンヨル| 2011.05.03
by kazem2 | 2011-05-03 21:33 | Comments(0)