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全州国際映画祭 オフスクリーン:対談「オッキの映画」

☆jiff.tistory.com
奇跡のような共鳴の瞬間[華麗な春の日] / JIFF On and Run
posted by 全州国際映画祭の公式ブログJIFF 2011/05/01 13:35
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奇跡のような共鳴の瞬間
-<オフスクリーン:「オッキの映画」>


*プログラム名:画面:<オッキの映画>
*日時:2011年4月30日(土午後8時〜10時30分)
*場所:全州CGV 4館
*対談者:ホン・サンス監督、ギム・ヨンス小説家







'オフ'スクリーンの2回目は、「映画と文学との出会い」で「オッキの映画」のホン・サンス監督の映画俳優(!)であり、小説家である『世界の終わりのガールフレンド』のギム・ヨンス作家との出会いがありました。

進行を引き受けたメン・スジンプログラマーは、ホン・サンス監督の映画はとても多様な方法で語られていて監督の映画を深く勉強して文章を書く方がとても多いので、私達がどのような話を加えることができるかという心配が先だが、今回の時間はギム・ヨンス作家と一緒に映画的な部分ではなく、小説家の立場で、映画と文学との対話が可能ではないかという期待をしてみたとし、物語の扉を開くトトスプニダ。

本格的な話に先立ち、メン・スジンプログラマーは、ホン・サンス監督の前作、「よく知りもしないくせ」にギム・ヨンス作家がどのようにキャスティングされたかどうかを監督と作家様に質問したところ、ギム・ヨンス作家は、"映画を見た後に人々は個人的親交にキャスティングされたことで知っているが、映画を撮る前には、個人的親交はなかった監督が正規の手続きを経て、テストをした後にだから、写真、カメラ、演技のテストなどのプロセスの後に、複数の人の競争相手を退けてキャスティングされた"と明らかにした監督は、 、"映画での配役が主人公、キム・テウ氏の対称点で「クールな監督」だったが、本物の監督をキャスティングすることより実際自分の仕事、職業で一定の境地に達した人をキャスティングしなければ、そのような人、うまく行くには、英雄の立場に立った人だけが持つ目つきを表現することができるようだと思ったし、彫刻家など、多くの方々に交渉をしたが、そのうちの一人がギム・ヨンス作家であり過程を経て出演をお願いすることになった"という話をしてくださいました。

ギム・ヨンス作家は、ホン・サンス監督の映画が好きですべて取りまとめて見たのに、ギム・ヨンス作家にホン・サンス監督の映画とはどんなものかと問うと、ギムジャクガヌンいわゆる「チジルナム」が出てきて良くならないとホン監督映画が映画会社でどのような文脈に属しているかは分からないが、新しい映画を撮るというニュースが聞こえたら、新作が待たれ、また、どのくらいおもしろいかという期待がされると答えた。
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話はずっとつながっていました。 ギム・ヨンス氏は、今まで見てきた一般的な映画で対処する人という存在は、考えてみると、表面、外面的な部分につきまして見せてくれたしとてもきれいな画面と述べ、きれいな俳優たちを見せてくれた。 またように映画になると思っていたのに、ホン監督映画は人を完全に別の方法で人々を理解することだね。 別の方法で人を見るんだなと思ったと言いながら、それは通常言われる「チジルナム」なのかは分からないが人に背を向け、表面ではなく、その人の習慣、口癖そんなものを通って、新しい方法で人々を見せてくれて面白かったし従ってよいようだという言葉を述べています。

観客との質問時間は、一人が、監督の映画は、それぞれの映画だけではなく、前作の全体によって違いが繰り返されたり、組み合わせたりするのに、この映画は、4つのエピソードが作成された順番がちょっと違ってそうだがだが4つのエピソードが同様の要素に、配列、接続されていながらも、折りたたんで丸まって駄目になる要素がありますが、その意図は、既存の映画とは異なる人物の同一性を破壊された理由と構成についての問い合わせに対し、監督は一度もやって試して見たのが最初のイユゴ、人々は、同じ人が出てくるの役割は、ちょっと変わったが、名前は同じで、完全に別の役割でもなく、時間帯でも正確にどこがアプインジドィインジ取れないことなくところが、三人の感情的な流れは、ジャンプしていないような部分を画面に見せてあげたかった。 なぜそうだったのか考えてみると、人々が、自分が自分に対して持っているオリジナリティー、イメージにどのような根拠があるとは考えない。 多分、自分が作り上げた、達成してきたいくつかのイメージが崩れたときにあらわれる純粋で、即時的な反応の時が本当の自分自身だと思うし、そのような反応を示すために、そのような対立を作って見たと答えています。
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また、一方は、監督がおっしゃるオリジナルTシャツを聞いてみるとギム・ヨンス作家の小説に出てくるKという人物も、一つの人物だと考えられないのに、作家様のKについても聞いてみたいとしようギムヨンスの作家は文学では、名前自体が配役で、従ってそれをとてもフレキシブルなこれが作成されたと言いました。 実際、私はKとしますが、実はこの人は、想像的な人物であり、小説の中Kというのは非常にあいまいな、一般的な人々に述べているしようとしたものだからだと話しながら、自分の小説で、もしチングという人の名前を書くには、どのようなイメージがぴったり規定されている、小説の中のチングとイ・ソンギュンシようなハンサムな人だと想像することができないので、その場合は、名前を付けてくれればどのような事件や性格を描写してくれなければからKにあいまいな状態にする、オッキ映画の最後のエンディングクレジットを見ると、人物の配役は、名前ではなく、若い人、老人こんなに出ていたよ、その部分がとても文学的サンサンリョクインそうだと小説や映画の違いを明らかにしてくださいました。

観客の方々はホン・サンス監督とギム・ヨンス作家様の話を非常に注意深く聞いて、そういうわけで映画館には、一般的なGVの重くて深刻な雰囲気から抜け出し、非常に親密で暖かい、愉快で懐かしい空気が流れました。 それはホン監督特有の日常的ながらも、日常的でない態度(attitude)のおかげであるのもようで、ギムジャクガニムマンウイ溌剌さと正直であることの間を行き来するの笑い声のような特別な、ユニークな視点(View)おかげさまのような気もしました。 物語は徐々に"オッキの映画"や"君が誰もがどのようにウェロプドゥン"を超えて別の世界には、劇場とスクリーンを超えて、どこかで少しずつ移動していくようでした。 やわらかい波に載って遠くに見えるアスラハン島の近くに行くような感じ... たぶんこんな感じが全州国際映画祭、ショートGVではなく、オフスクリーンだけが持つ特別な魅力であるはずですよね。 よく分からないが、その夜ホン・サンス監督とギム・ヨンス作家様の話を聞いたほとんどの観客は非常に楽に眠れないのではないかと思います。

映画の観客は、創作者と読者、人と人とが共鳴して奇跡のような瞬間、あるいは<オフスクリーン:オッキの映画>が私たちにプレゼントしてくれたもの。

- ベ・ヨウンラン(シナリオ作家)

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            「オッキの映画」スティールカット
by kazem2 | 2011-05-01 23:02 | Movie | Comments(0)