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イ・ミンギ 青春の南側 スターの西側(2009.09.09)

☆青春の南側、スターの西側andスライド
☆10.asiae.co.kr
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10asiaeの記事は今はコピーができなくなっています
2009.09.09の記事で 私もアップしましたが 昨日また見つけて読みなおしました
いい記事なので再度アップします
編集は10asiaeのイ・ジへさんです(ツィッターでフォロー中)



青春の南側,スターの西側 2009年 09月 09日
☆asiae.co.kr

☆10.asiae.co.kr.photo.スライド


2009.09.09文. ウィ・クンウ(eight@10asia.co.kr)編集. イ・ジヘ(seven@10asia.co.kr)

スターになるのは難しい。 単純に芸能人という職業を持つのが難しくて,その職業中で成功するのが難しくてソだけではない。 スターは数値化することはできない一つの象徴だ。 基準値以上のレコードを売ったり視聴率を記録することで,あるいはアンケート調査で過半数以上が認めるといってスターという名前を獲得できるのではない。 だが時には極端数値がその自らの象徴性を獲得する時もある。 1000万観客映画というものがそうだ。 999万人まで見たといって,その作品が興行しないのではない。 重要なのは1000万という数字の象徴性だ。 <海雲台(ヘウンデ)>を通じて,1000万観客習えとのタイトルを得たイ・ミンギはこの地点でスターになる必要条件を整えることになる。

スター性を足でけったイメージでスターになる
<おいしいマン>(左側)に続き<海雲台(ヘウンデ)>でもイ・ミンギは粗雑で未完の青春の姿を見せた。


「10アジア」がイ・ミンギをNO. 1で扱った今年の初めと今を比較するのはそれで興味深い。 当時彼はインディヨンファ専門上映館でも見られる低予算映画<おいしいマン>に出演して,自身が過去ドラマを通じて作った不安定な青春に叙情性を表わす姿を見せた。 そして現在,彼は今年夏最大興行作<海雲台(ヘウンデ)>で最も印象深い役割の正しい海上警備隊院ヒョンシクを演技した。 ここで重要なことは彼が<おいしいマン>の反対側にあるといえる韓国型ブロックバスターでもやはりどこか粗雑で未完の青春の姿を見せたという点だ。 たとえば<おいしいマン>でジェヨン(チョン・ユミ)が作った爆弾酒を飲んで口で注ぐ姿と<海雲台(ヘウンデ)>でヒ米(カン・イェウォン)の冗談にヒョンシクが飲んだ飲み物を注ぐ姿は他の脈絡にもかかわらず,とても類似の情緒を喚起する。 言ってみれば彼は<おいしいマン>封切り当時とは全く違う位置に立っているがそれは彼のイメージや演技方式が全く変わったのではない。 これはMBCベスト劇場<泰陵(テルン)選手村>とKBS <いい加減興信所>からある程度一貫して継続してくるイ・ミンギだけのどんな感じを大衆親和的に消費するどんな接点を演出者が,そして大衆が発見したので可能になることだ。 明確な自分だけのイメージと大衆的消費,ここらでイ・ミンギがもうスターの隊列に上ったと認めるべきか知らない。

だがここで一種の論理的難関ができる。 イ・ミンギが自分だけのイメージを獲得できるのは自らスター性を足でけるためだ。 彼が未完の青春を演技する時,最も自然な姿を見せるのは自ら“私が本来マイナーするから”と受け入れるからだ。 シナリオの中人物の人生に近い生活をすることだけが演技の自然さを高めると信じる彼の方法論ではより一層そうだ。 どこか不安な20代の姿を誰よりよく演技できるがその役割に慣れて安住する瞬間彼は一層老練になる代わりに実際の不安定な姿から抜け出すことになって結局自身が最もよく表現できるイメージ自体に亀裂ができる。 このウムサク月芽できない難関中で彼は自身のイメージを極大化して,消費させるスターの道に上がる代わりに“起伏ある俳優”の道を選んだ。 “まだ私が何を上手にするのか分からないし,それを知ることになれば本当に嫌いなこと同じだ”という彼にいて,演技はいつも恐れと期待が交差する未知の領域で,またそうしなければならないことだ。

あえて難しい道に行く光る青春の稚気


<海雲台(ヘウンデ)>の大当たりと<10億>の失敗,そしてレコード発売は一貫性ないがむしろイ・ミンギらしい。

だから心理的軟弱さと利己的欲望が共存する<10億>の,チョルヒは少しは一進一退する感情の火均一なことにもかかわらず,彼のフィルモグラフィーでだいぶ重要な人物だ。 彼は最も悪役に近接しただけでなく最も複雑な内面を持った,典型的でない人物に挑戦したしその成功の可否に対して自ら反省はしても挑戦自体を後悔しはしない。 自身の起伏を認めて失敗やはり自身のことで持っていく20代に挑戦できない領域という(のは)ない。 <海雲台(ヘウンデ)>の大当たりと<10億>の失敗,その次地点がシングルでもない1集アルバム< No kidding >発売というものは一貫性な選択のようだがむしろイ・ミンギというよどみなく挑戦する青春にあっては最も一貫的な歩みとなる。

それで自ら演技者としての自意識を消したままミュージシャンという新しい服を着て‘悩みに夜を明かして愛もしたいが,これぐらいきたが分からないのがさらに多くて’(‘永遠の夏’)と歌う時,イ・ミンギはモデルや演技者あるいはミュージシャンという範疇で簡単に分類できない一つのアイコンになる。 自ら停滞しない生活を送る若さと同時にそのような情緒をどこにしばられない作業を通じて表わして代弁する青春のアイコンが。 それは一つの象徴だが,スターとは違う。 スターが人気の座標の上で作られることならばアイコンはアイデンティティの座標の上で作られる。 すなわち彼は1000万観客という興行の土台の上でスーパースターになるように願う代わりに,その多くない機会を無視することで自身のアイデンティティをより一層明確にさせた。 だから今後のイ・ミンギに期待するのはまた一度の大当たりを出すのかでない,これから数えきれない程経験する成功と失敗の中でも果たして自身を守ることができるのかだ。 それはもしかしたらスターになって人気を維持することより難しい道かもしれない。 だがどうなのか,あえて難しい道に向かって歩く稚気でこそスターのそれより明るい,青春の最も光る部分であることを。
by kazem2 | 2011-04-26 13:36 | Comments(0)