ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

[キムヘリの映画の日記]なぜ些細な問題に拘って曖昧な映画にするのか

☆cine21.com
* <獣の終わり><ウェイバック>のネタバレがあります。
e0109292_21593344.jpg

チョ・ソンヒ監督の<獣の終わり>を見て幼い処女マリアが抱いたの不安を再度思い出し。
ダンテ・ガブリエルロゼッティーの<受胎告知>(Annunciation、1850)。






3月4日
"すぐに息子を構想して出産するものだから、名前をイエスと造らしてください。"寝耳に訪れた天使ガブリエルの助言を幼い娘マリアは、どのように受け止めるだろう? 神の選択に感謝し、栄光を向ける心がすべてだったのだろうか? 受胎告知(受胎告知)を描いた宗教化を表示するたびに聞いていた淡い疑問をなだめてくれたのは、ダンテガブリエルロゼッティーの映像だった。 ロゼッティーの狭くて細長い画面に閉じ込められた10代の少女マリアは、衝撃と恐怖を竦めている。 素晴らしいニュースを持ってきた大天使から逃げようとするように壁に体を密着して、視線をネリカン少女は、無意識的な防衛態勢をとる。 チョ・ソンヒ監督の<獣の終わり>を見た後、ロゼッティーの<受胎告知>を不可避に思い浮かんだ。 人間の村の霹靂のようにオムスプハン終末を、苛酷な筆致で描いた<獣の終わり>は、最初はM. ナイトシャマルラン風の(ただし、非常に貧しい)スリラーに見える。 特にドムドムハン日常を一瞬のうちに他人の地獄に変身させる最初の20分はスリラー導入部の素晴らしい例として遜色がない。 しかし、<獣の終わり>を独自に作成する要素は、隠そうとする意図せずに、​​白い骨をそのまま露出される宗教的なアライことだ。 野球帽をかぶったパク・ヘイルの形状をした<獣の終わり>の神は、揶揄する神である。 彼は、人間の愚かさを嘲笑し、弱さを穿って売っている。 連邦の声で交信しながらも、いざ必要な時は手を伸ばしてくれない。 臨月のおなかを抱えて廃墟に迷い込んだ少女スニョン(イ・ミンジ)は、物理的な苦労と精神的侮辱的に底まで飛天れただけにして天の天使の保護どころか、冷たい路上で体を緩める。 精神的なイメージと宗教的な途上の記章を取り除いて後は2千年前のマリアの出産にもかかわらず、このような艱難辛苦がなかったのだろうか?

3月6日
子供のパッド2を発表ニュースを見てWebをブラブラ街だ、Appleが自社の携帯電話、タブレットPCの唯一のボタンのグループのホームボタンを排除しようとするといううわさを一歩遅れて聞いた。 スティーブジョブズ氏と彼のデザイナーたちは『縫い目』を可能な限り消す千の無糖の美学に反しているようだ。 そういえば振り返ってみると、Appleの製品には何があるだけに何はできないのかが話題だった。 本体が別にないでも、フロッピーディスクドライブがないとか。 これはドーナツと同じだ。 境界線と同じくらいの中では何もない穴も重大なケースだ。 門外漢の消費者の目で見ても、Appleは、目に見えるものの間の無形の空間を曲げ、接続されてきれいな形を作る才能がある。 新技術の初搭載の栄光にとらわれることなく、必要な機能的な目標を取りまとめた、できるだけおしゃれに抜きます。 ブログを書いたり料理を作る際にも念頭に置くだけの要領である。

案の定、将来どのようなタブレットPCを買うのか関連の掲示板が再びワクジャハダ。 今日の購入をめぐる意思決定には水たまりや無線のメカニズムが機能しているようだ。 つまり、提供される情報や商品の種類の数が多いほど、消費者が熟考する時間と労力が増えているのに、どの地点を過ぎると心配に投資される手間の大きさが選択自体の重要性を膨らませることだ。 "こんなに長くためらって比較したので、すごく重大な事案であることが明らかに。 不正解を出せば大きなソンヘヤ。"だから我々はより熱烈に工夫して、その間に選択肢は多くなって...。 たぶん映画を作る過程でも同様のエラーがあるだろうと。 バスに乗るか地下鉄に乗ろうか悩んでいる駅前のバス停から20分間、パニックに取りつかれていることがあれば、スーパーマーケットたわし店内の前で涙目で凍りついてしまった経験がある人ならどんなソリンジ知ることだ。

3月7日
水没した文化を究明しようとするイム・グォンテク監督の長年の努力は、作品番号101番<月の光の追加>でも続いている。 全州市の公務員ピルヨン(パク・チュンフン)は、かどうかを復元する事業部門に発令を受け、昇進の勝負をかける、<朝鮮王朝実録>ボクボンファ事業を推進する過程で、ある瞬間の職務のニーズを超えて、深く没頭する。 なぜ? この点ではピル・ヨンウイ個人史と精神の渇きが引かれて入ってくる。 しかし、<月の光の追加>は、<チュンヒャンデョン>と<千年鶴>が見せてくれたの主題と形式の流麗な統合はない。 千年に耐えるかどうかの品格と弱いインガンサが合って非凡な和音を出すイメージは出没するが、美しさとドラマが映画全体で丸ごと一体にされているエクスタシーは味わうことができなかった。

<月の光の追加>は、私には難しい映画だった。 一方の映画が難しいと言うのは普遍的な理由と、観客個人の特殊な事情がともに作用する。 物理的な上映時間が非常に長いか、またはシーケンスとシーケンスの接続がかすんでいる人物の間の関係が不明な場合は、難解な映画の一般的な条件に属する。 もちろん理解を目指して劇場に行くという信仰と真っ向から対立する、理解を拒絶する映画 - ジャンリュックゴダールの映画 - も存在する。 イム・グォンテク監督ならではの大胆なリズムでひらひら移る<月の光の追加>は、あえて言えば、むしろ、すべてがあまりにも明らかにしても難しい映画だった。 たぶん私が探していたのは終えて解くことができない秘密が盛られた、シーンとシーンの間に折られたしわのようなものだったのかもしれない。

3月8日
オスカー候補に四回指名された監督でも、市場のトレンドの前に立つヨンペヌン芸がないのかな。 ピーターウィアー監督の<ウェイバック>は、過小評価された2003年作の<マスターアンドコマンダー...>以来、三つの失敗に終わった企画を乗り越え、7年ぶりに出た。 冷笑的な感情と、小さな達成の解剖学的にはるかに友好的な最近の映画界の傾向を考慮すると、人間性の神秘と残酷な自然の威厳を描く<ウェイバック>には鼓楼下大ても仕方ないのない、時代遅れの映画だ。 通常、映画の中の旅行では、人物の心理的な成長が物理的な移動よりも重要だというのが定説だが、<ウェイバック>は、6500kmにおよぶ旅の加工長さ自体が映画の本質である。 シベリアの収容所を脱出した7人がバイカル湖を経て、モンゴルで、再び中国を横切ってチベットやヒマラヤを越えてインドに至るまで、左足を先に踏んで、その次は右足、再び左足を踏み出すシシプスジョク苦難の時。 そして、果たして何がこれらを続けていくようにするのかについてのかすかな質問は、それがすべてだ。 より大きな苦痛とより長い苦痛のうち何を選択するのか程度の自由が許された長征の最後の生存者たちの希望はそれぞれ異なっている。 誰かは途中で死んでいった仲間のスケッチを本に出すとして、元神父は教会を断念し、闘争であろうと言われる。 拷問された妻の告発で拘禁されていた主人公は、彼女を許すことができる者は、自分だけで帰国しなければならないと言う。 魅せられるように終わりまで歩くという者がいるかというと、千辛万苦の末に国境までワノトゴヅルアソヌン人もいる("自由は、私には似合わない")。 <ウェイバック>が最終的には敬意は線ではなく、崇高艦であり、人間の勝利ではなく、人間性のミステリーだ

<ウェイバック>の仲間の中のアメリカ人のエンジニアに扮したエドハリスのセリフは全部ジョルチャンである。 いや、彼の存在自体が圧巻だ。 私の定義(正义)とは、要するに、死んだ覚めても悪い煙が不可能に見えるこの俳優がより多くの映画に出演する事を意味する。

3月9日
英国王室は、第2次大戦と時代劇の素材供給先として映画界への賃貸料に寄与してきた。
<キングススピーチ>は、君主制風刺と関係がないという点で、<クイーン>より<ミセスブラウン>の近親である。 ですが、エリザベス2世の先祖が言葉をちょっとドドゥムオトゴンマルゴン今私達が何の関係ですか? が全然デスロウォ見えない問題を、観客が大深く思うように作成して、挙句の果てにこだわらずにまでする能力。 誰か<キングススピーチ>の底力を二行に要約しろと言うならそのように答える。

文: キム・ヘリ 2011.03.25

e0109292_0164819.jpg

       パク・ヘイル主演End of Animal(獣のおわり)
Commented by エリ at 2011-03-27 06:15 x
今回の記事を見ると、ヘリさんが感じた映画の難しさ?がヒシヒシと伝わってきました。
今回の記事は私にも難しいです。
人間は誰でも細かい事に拘りすぎる部分も多いみたいですが、私はあまり細かい事に拘りません。
至って、おおらかな方ですよ、私は(笑)。
Commented by kazem2 at 2011-03-27 07:11
☆エリさん
おはようさ~ん

今朝のお目覚め いかが~^^

イム・グォンテク監督の映画について
難しいとうかヘリさんには理解ができなかったように
書いてあるね

私の感想では一番無難な書き方だと思う

本当はつまらない映画だったんじゃないかと思った^^

監督は韓国映画界では尊敬に値する監督だから^^



何かについて「拘る」と言う部分があってもいいと思うよ

それは それについて自分なりの考えを持っていることだから

他の人にとってみたら些細な どうでもいいことでも
その人にしてみれば 絶対に譲れないものと言うのは
あると思うよ

アイディンテティにも係る大事なことだから

きっとエリさんにも自分でも気がつかないような
「拘り」があると思うよ^^

どうでもいいようなこと

私はたくさんあるのよ^^


今回はキム・ヘリさんにとってはどうでもいいようなことに拘りすぎて映画をつまらなくしていると思う監督さんがいたのね^^



by kazem2 | 2011-03-26 22:12 | Comments(2)