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[崔洋一]血沸く60年代の空気を伝えたかったが...

☆cine21.com
漫画原作忍者活劇<カムイ外伝>作成した崔洋一監督
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あしたのハードボイルド。 崔洋一は血沸く男だ。 <血と骨>(2004)と<数>(2006)は、この男は年をとっても変わることがないという預言者のようにドロドロした証拠だった。
ところが、3月17日封切りする<カムイ外伝>(カムイ外伝)は、巨大な製作会社松竹が参加した漫画原作のブロックバスター忍者活劇である。 忍者たちがCGの助けを借りて、渓谷をあがってCG海の上では、CGで作成されたサメたちがドゥクシグルゴリンダ。 崔洋一は解決したか。 Aからネノトジャは、ない。 シラトサンペイガ60年代に出した<カムイ前>と<カムイ外伝>は、特有の物質主義的な史観のために全共闘世代のバイブルのように思われていた漫画だ。 <ハリケーンジョー>を読んで、60年代の日本の若者たちが、"白い灰になるまで"という矢吹ジョーの最後のせりふを読んで涙を流しながら権力に反旗を聞いていたように、彼らは、<カムイ前>で、江戸時代の権力と対立していた賎民階級を自分たちと一致した。 ここまで来れば崔洋一がなぜ<カムイ外伝>を作成しているかは推測できるだろう。 崔洋一監督は、日本公開から3年余りぶりに封切りする<カムイ外伝>と3月10日から16日まで、アートハウスモモで開かれる'ワレワレ一日日英火祭り'の「崔洋一特別展」のために久しぶりに韓国を捜した。 2006年のチ・ジニが主演で作成された韓国映画<さ>以後の最初の訪問である。


- 日本公開当時の反応はどうだったか。

=賛否両論! (笑)大成功だと言えることはできなかった。 大きな損害は見たが、大成功でもなかった。 残念ながらね。 (笑)

- 原作は、韓国で正式に出版されたことがない。 個人的にはどんな意味がある漫画だっけ。

=私も若い日には、<カムイ前>の影響を受けた。 江戸時代の階級闘争を描いた<カムイ前>は、
60年代の日本の全共闘と全世界的な青年の革命の時期に出てきて、大きな反響を得た大河叙事万化だ。 今回の映画の原作<カムイ外伝>は、<カムイ前>のスピンオフ漫画だった。 <カムイ前>この時の権力者、民衆、復興する商人たちの思想がかみ合っている時代の変化を描いている場合は、
<カムイ外伝>は忍者の戦術とアクションに比重を置いたもっと娯楽的な漫画だ。

- それなら外伝を先に映画化した理由は何か。

=最初の構想は、<カムイ外伝>の3部作に撮って、大衆的な認知を得た後、<カムイ前>に飛び込むつもりだった。 最初から真剣な<カムイ前>をやると、映画会社が反対したから。 <カムイ前>は、被支配階級を主人公にした時代劇なので、日本では、少し敏感にされる素材だ。 代わりに<カムイ外伝>は、娯楽的なところがある作品だからこれを成功させると、計画通りに<カムイ前>を映画化するだろう、と思っていたのにどの映画会社も参加をしないしてくれて...。 (笑)

- 最近、日本映画界が<あしたのジョー>や<カムイ外伝>のような60年代のマンガの傑作を次々と映画化するという事実が興味深い。 最近、日本では見られないような、血が沸騰したような時代の傑作をなぜ今映画化するのだろうか。

=今の若者たちが内的に要求されるわけではない。 彼らは60年代のカウンターカルチャーに関心がない。 むしろ今映画を作るの大人たちが、その時代が持っていた「血沸騰文化」と人間と人間が主体としての感情を現わして暮らしていた時代の空気を、感情が希薄な今、日本の時代にもう一度作って見たいと思っているのではないかと思う。 熱い大人たちの若い時代を今の若者たちに見せたくて、と分析することができるだろう。

- 「血沸騰」世代出身の監督がこのように巨大予算の商業映画を作ることに決心した時は、何かをしっかりと心を食べなければならないようだ。 制作会社と監督の間にぶつかる部分がきっとあると思うはずなのに。

=私は同意した以上作成する主導権は私ジャプゲトという覚悟があった。 ところで封切りで先に進み、どうせ映画会社の主導権が売られることに決まっている。 力学関係が行ったり来たりしたというか。 (笑)しかし、事件事故が多い現場だった。 最初は主人公の松山ゲンイチガ負傷し、女主人公だった菊池リンコヌンの負傷で、まったく独自のキーに変えなければならなかった。 また、投資会社の経営悪化で6ヶ月以上の撮影が中断された。 制作費がほとんど落ちた状態なので、シナリオの世界観規模を半分に縮小しなければならなかった。 現場のような苦しみがどのような矛盾を持って映画に反映されているかもしれない。

- どのような部分が当初の計画ではたくさん消えたのか。

=当時の時代的背景を表現する部分をすべて軽減出さなければならなかった。 物語を支えることができるのディテールが消えて苦しかった。 公開日が迫ってジャプヒミョンソ後半作業に3ヶ月の球をかけないことができなかったのも残念だ。 どうするのか。 それが映画の宿命である。

- その後半作業のイヤギンデ、海のシーンを、ブルースクリーンの前で撮って合成した。 ところが、ある部分ではそれが妙なオーラを映画に与えている。 海が民衆の理想郷のような印象をジュンダルカ。

=鋭い指摘だ。 (笑)映画の主要舞台の島という空間で表現したいと思ったのは島の社会の崩壊をコミューンの崩壊のように見せてくれるものだった。 社会主義的な世界の崩壊を終りにしたいと思った。 もちろん、デジタル編集作業の過程で私としては最善をダヘトダマン(笑)、完璧ではないCGが現実かフィクションかどうかあいまいな境界の雰囲気を作ってくれたようでもある。

- CGが大量に投入した映画は初めてではないか。 映画作りのための新しい映像を得たのもようだ。
=今までと同様の映画作りを続けるはずだが...。 (<カムイ外伝>以降は)小さい話なのに、お金がたくさんかかるギフェクマン不思議なことに続きを出すことになる。 (笑)

- 神威を演じた松山ゲンイチガ非常に気に入っている。 実はキャストが本当に困ると思うが、原作のカムイは、墨でスクスク描いたような男性的な男の子だが正直なところ、最近の若い日本の男性俳優たちの顔は、過度にヨソンジョクイジャンナ。 直接キャスティングをしたのか。

=はい! 松山ゲンイチヨヤマンした。 私は、選択した。

- どのような部分で彼女ばならなかったのか。
=顔。 ゲンイチヌン最近の日本の俳優たちが持つ中性的な美しさではなく、土のにおいが私の顔を持っている。 その時代が持つ力を表現するには、ゲンイチバクエなかった。 シラトサンペイワ一緒に会った時も"あ! カムだ!"と言っていたよ。
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- <カムイ外伝>はシラトサンペイウイ映画でもあるし、商業的な大ヒットでもあるが、仕方なしに崔洋一の映画という感じがある。 敗北を知りながらも最後までする必要があることを押し通す男の物語という点で。

=インタビューというより応援を受けるような気分だ。 (笑)他の監督が撮ったなら、他の世界観が表現されているはずだが、不思議なことに私は作成すると、そのような部分が出てくるようだ。
2月末のロッテルダム映画祭で、私の映画13本をすべてのプログラムに回顧展があった。 そこに13編を完全に再みたが、作成時には意識ができなかったが、自分の映画の中の主人公のうち、アルコール飲料はないねシプドラ。 少数者、イダンア、社会的に疎外された人々の側からカメラを持っていた感慨があった。

- 崔洋一のダウンロードの部分は、後ろに行くほど濃くなる。 要するに起動すると、特殊効果に混ざった忍者アクションシーンが満載だ。 ところが、特殊効果は、ますます消去され、また、消去される。 クライマックスのアクションは、ほぼ従来のもみ合いでカルサウムイダ。 これは最初に決定するのか。

=人と人との戦いを表現したいと思った。 私にはCGは、実験と同じである。 若い監督ならワイヤーアクションとCGをはるかに上手にできるイトジャンナ。 私としては、人と人が体にぶつかるのを見たいと思った。

- ほとんどの撮影が島で行われた。 ロケ地はどこだっけ。

=冬に撮ろうと、沖縄にオープンセットを出した。 ところが、主人公の負傷で撮影が中断されているせいで、結果的には苦しそうにも真夏に撮るべきだった。 実は最初は、ニュージーランドで撮るつもりだった。 ピータージャクソン監督の映画会社と協力して撮るという企画だった。 ところが、制作費が2倍にチソトゲになっ​​たよ。 人件費が問題だった。 日本と韓国の現場では当たり前の徹夜作業もそこでは不可能である。 もちろん、我々が異常で、その町内が正常である。 (笑)

- 韓国が特に異常である。

=日本も韓国も、我々は正常ではない。 (笑)人は、午前8時から午後5時まで働くのが適している。 夜間撮影をすると、翌日は休むし。 もちろん、そのように処理すれば、韓国映画と日本映画は存在することができない。 (笑)

- 韓国と日本の間にも差はあるはずだ。 <こと>撮影の時はどうだったか。

=完全に異なっていた。

- どのような点がダルラトナ。

=言えばすごく長いのに...簡単に言えば、現場のシステムでは、文化的な違いを経験することになった。 もちろん、それが映画を作るエネルギーになったりもしたが、近い国であるにもかかわらず、どうして制作、システムがこのように違うかと思った。 もちろん知って來たが...。 どうかして、そこにつきましては、複雑な心境を持っている。 よく完成したなと思う。 (笑)もちろん、韓国にも経験豊富で、若いスタッフが多いが、少し年齢を持っているスタッフたちとは価値観の共有が可能にしたが、若いスタッフたちとはそれが難しかった。 実は...昨年には韓国と日本を行き来するブンエゲソ笑い話を一つ聞いて、韓国では崔洋一を与えるバカ? バカ? 気違い? 酒の席でおつまみにしそう呼ぶよ。 それはちょっと強く否認してと思う。 (笑)

- ハードボイルド映画を作る監督につきましては、常にそのような裏話が飛び交うものだから。

=それが他の監督の話だったら、私も非常に面白いんだろう。 酒の席で男噛むんジェミイトジャンナ。 (笑)

- もう心配しなくてもいい。 昨年、韓国の非常にハードボイルド映画を作った監督につきまして同様のうわさが流れ、それが今では大きな話題になったため、監督の話はもうないんだ。

=(拍手をしながら)それ本当によかった。 その監督に感謝しなければならない。 (笑)

- あらゆる面で日本のハードボイルドのジャンルは、今、韓国で見事に移植されたのではないかと思ったりする。 最近、韓国のジャンル映画は、ちょっと見た。 パク・チャヌク、キム・ジウン、ナ・ホンジンのような監督の映画。

=その話を聞いてみるとこのような考えがふとする。 ホウシャオシエンは、小津安二郎の映画を見たことがなかった時代でも、静的で熟視的、小津的な世界観を持った映画を作った。 それなら70年代の日本映画が持っていたことが、今の韓国の監督たちにどのような影響を与えたというよりも... 70年代の日本映画の勝利というよりはただの映画という存在そのものの勝利ではないかと思う。 '移植'ではなく、映画が(時代との国境の)越境する力を持つのではないか。 <追撃者>と
<悪魔を見た>は、本当によく見て、日本の新聞にダイレクトに映画評を書いた。 <便パリ>も素晴らしい。 このような一連の映画を見ていれば時代と個人の問題というよりは「個人が置かれた状況にどのように個人が対抗するか」という主題に関心を持つ監督が韓国に多いようだ。

- だから、今がまさに監督が韓国で映画を撮るそうな非常に良い時期ではないか。

=もちろん、<こと>に大変な経験をしましたが(笑)、共同作業を提供する人がいるなら手を握って考えることはいくらでもある。

- 次回作は何か。

=セゲダ。 一つは、2002年ニョンジャクイン<刑務所の中で>(刑務所の中)の続編である。 前編の原作者の一つとカズイチローの漫画の中にプリクォル格<刑務所の前に>がある。 それを映画化するものである。 もう一つは、韓国映画の中で大きな刺激を受けたPDが提案した企画なのに、日本と韓国の映画たちがお互いに循環をするんだと思う印象がある。 三番目は、上海のフィルムからの提供を受けた映画で、日中戦争の時代、日本軍兵士とマンジュイン少女が囲碁を介して紡がれるラブストーリーだ。 15歳でパリに移住してきた女流作家「シャンサ」のフランス語の原作<囲碁置く女性>を土台にする(<並べて置く女性>は、韓国でも出版された。 - 編集者)。 最近の日本映画は、ほとんどの放送局が主軸になって製作される。 だから私のような監督の地位は、ますます狭くなっている。 どこに訴えているとされることはなくて、とにかく続けていくしかない。

文: キム・ドフン
写真: オ・ギェオク 2011.03.18
by kazem2 | 2011-03-18 21:13