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真のリアリズムの再発見 「ルキノヴィスコンティ特別展」

☆cine21.com
ルキノヴィスコンティ特別展は、3月10日から20日まで、ソウルアートシネマで
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                ルキノヴィスコンティ特別展のポスター

                   映画「ベニスに死す」



最近のイタリア映画の躍進を見れば、イメージの強さと優雅さを考えるようになる。
イタリアならではの古風で貴族的な雰囲気を美しくキャプチャされる一連の映画の中の美しい画面は、一定部分ルキノヴィスコンティの美学的達成に負っていることが明らかだ。 しかし、あえて言わせるとルキノヴィスコンティはリアリストである。 ただ、彼がネオリアリズムの胎動を発表した
<固定観念>(1943年)の監督だからだけではない。 実は後期の代表作としてよく知られて
<ベニスに死す>(1971)の魅惑的で美しい画面をトオルリョボルときに、このような宣言にさっさと同意する大変かもしれない。

それでも彼が本当にリアルメダリストである理由は、映画に自分自身を完全に投影してからだ。
ネオリアリズムの先駆者から出発して、非常耽美主義まで、作品の幅広いスペクトルは、自らの人生であり、人生そのものである。 ロマンと退廃に慣れている貴族の子弟として、行動する共産主義者として、率直な同性愛者として、他人も自分もあっていなかった彼の正直さこそ彼のすべてのリアリストたちの上に立つことができるように許可する。 来る3月10日から20日までの十日間、ソウルアートシネマで開かれる「ルキノヴィスコンティ特別展」を使ってこのような彼の真の姿を確認することがある。 特に、今回の特別展は、昨年秋にできたビスコンティの特別展で紹介されなかった
6本の作品を中心に、リアリズムの形式の中に存在する人間的感性の実在を捕捉したヴィスコンティの真の美しさに出会うことができる良い機会だ。

アンナ=ロマーニャ君の極性のいく妊婦の演技が光る<渓谷島>(1951)は、幼い演技者娘がいるマママクダルレアを使用して、映画産業の生理を批判するネオリアリズム色彩の映画である。 比較的単純なモニョガンメロドラマをエキサイティングな現実批判に向かうことはショビジュニースの醜い現場の鮮明度を奪ったヴィスコンティの細密な観察力である。 <揺れる大地> <Leopard>と一緒にシチリアの三部作のうち一つと呼ばれる<ロッコと彼の兄弟たち>(1960)は、迫害される労働者階級の悪循環を淡々と捕捉したネオリアリズムの傑作である。 南イタリアから北のシチリア島に移住した家族の生活を劇的に見せてくれるこの作品は、ただ現実をありのままに見せてくれるのではなく、すでに美しいの準備が完了した画面を提示することで、以降の耽美主義に進むの兆候をさらす。

ドイツの三部作と呼ばれる<呪われた者たち>(1969)、<ベニスに死す>(1971)、<ルートヴィヒ>(1972)は、今回も上映される。 1960年代半ば以降、耽美主義に切り替えて、ヴィスコンティ劇的な変化の端にあるこの三つの作品は、ヴィスコンティの人生は、味、文化的な自意識を投影したヴィスコンティの美学の完成を示しています。 よく知られた<ベニスに死す>の美学的達成は、いうまでもないん丹羽、4時間かけてバイエルンの王ルートヴィヒ2世の波乱万丈の生涯を扱った大作<ルートヴィヒ>は、実に非常裕美主義の絶頂をなす。 実際の彼の最後の恋人でもあったヘルムート描きエムが出演した<呪われた者たち>は、1930年代のドイツの財閥エッセンベック家の悲劇的な事件について扱っていますが、イタリアではなく、ドイツのナチが背景という点が興味深い。 彼の最後の作品である<純粋な人々>(1976)も、ヴィスコンティ自らついに公開されるのを見られなかった遺作という著しい事実以外にも、最近のイタリア映画の素晴らしさと最も密接な感性を見せる見逃せない作品だ。

文:ソン・ギョンウォン( 映画評論家 )2011.03.09
by kazem2 | 2011-03-09 19:56