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by kazem2
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[キムヘリの映画の日記]

☆cine21.com
わくわく少年の後ろ姿、こんな映画の時だって




2月11日
映画ではない場合は、思いも出すことができない仕事をした。 渓谷でシルジョクヘ岩の上に腕が立ち込める風に五日の間、過酷な状況に隔離された人を1時間半の間、ぼんやり見ていた。 <トレインスポッティング>と<スルロムドックミリオネア。で、すでに立証された通り、ダニーボイルは、暴力的、不快で苦痛な素材を活気のある形式で写す隙間市場(?)を占領したようだ。 <127時間>の最も大きい影響は推測とは異なり、事故のひどいさも、オムチャクダルサクもできないただ一人の人物を置き、長編を撮る映画の曲芸でもなかった。 私の壊滅的な細工がされたのは、主人公のアロンレルストンイ示した加工済みの楽天性と合理性だった。 誰も言及し、自らの腕の切断場面は、やはりうなり声が漏れてきたが、肝心の私は、呆然との時は、最初のパニックが通り過ぎた直後にアロンが自分の腕をムンゲン岩の上に所持品を一つずつ並べて、それらを組み合わせて存続させる戦略を工夫する場面だった。 もちろん、エンジニアであり、緊急救助隊のボランティアの経験があるが青年の一般遭難者に思い込むスヤないが、多くの人が苦痛を避けるために、いっそ死を選択するという現実を考えると、アロンは"生きなければならない"という至上命令の前でとる極めて論理的な一連の行為は無視無視した。 足の踏み場堅い表面さえ持っていない状況で、彼はそれなりの仕事を作っていく。 毎朝、太陽の光でシャワーを浴びていると想像して、毎日午前8時17分に飛んでくるカラスを待っている。 必要な物のリスト - プーリーと、20mのロープ、動力ドリルと여덟명の装丁 - を頭の中に書いてみる。 さらには、生き残ってのトークショーに招待された仮想の状況をビデオカメラに録画してキルキルゴリンダ。 人間は、ひどい。 これらのギマクヒムイヤマルロ実話に基盤を置いた映画が享受する報酬ではないだろうか。 同じような状況をフィクションで描いた生き埋めスリラー<ベリドゥ>の場合、主人公に連鎖的に次から次の状態は、心理的な圧力をしくじった緩める起承転結のグラフに依存していた。

<127時間>の影響下に危機脱出のマニュアルを熟知すると決心した耳の薄い私。 図書館のコンピュータに『生活』と『サバイバル』をキーワードとして入力した。 検索された本を書架で調べてみると、あれ、そのうちのいくつかが存続のではなく、成功についての本である。 30代の家の世話の仕方、職場で昇進する方法、満ち足りていない異性の友達を作る方法。 だから今私は成功したがすぐに生活である、失敗はすぐに消滅を意味する、世界で暮らしているという意味なのか?

2月12日
<ブラックスワン>は、舞台芸術家の主人公を使って完璧主義の重大性を示しています。
実はダーレン・アロノフスキー監督に完全性を追求する人間は、度重なるテーマだ。 監督の前作<パイ>は、数学を借りてきた宇宙を抱きしめるの言語を見つけるには、文字の物語であり<千年を流れる愛>の主人公は、時空を占領して欲しかった。 <ブラックスワン>のニーナ(ナタリーポートマン)は、バレエ<白鳥の湖>で、白鳥や黒鳥の演技をともに最高の道路完成することを熱望している。 グロソ終える事にされた夢を投射するお母さんを満足させ、バレエ団の芸術監督の好感を守り、本人とは全く異なる性質を持つ偶像とライバルを吸収し完全体バレリーナになろうとする。 しかし、不思議だ。 自我の統合性を維持する限り、白鳥や黒鳥のうちどちらかを完璧に演技したら、もう一方は、不完全な可能性しかないのが自然な理ではないだろうか? 飲み屋で似合っている見知らぬ青年は、ニーナに尋ねる。 "あなたは誰なのか、まだ言葉ではしてくれました。""私はダンサーですよ""いや、あなたの名前を言っている。"私は誰かとの問いに、ニーナは、すぐに自分の名前をお答えトオルリジしない。 無限の不足感の源泉がここにある。 挙句の果てに想像の自我を完結させるために、私を破壊する事態が来る。 実際に死んではなく、死に限りなく近くに飛んでいく行為。 これは、'小さな死'と呼ばれるセックスほどエロチックだ。 簡潔に言えば<ブラックスワン>はイムサ(臨死)体験の恐怖と快感の映画だ。

完璧主義は、一般人の間では、特定の心理的症状と見なされますが、芸術家には専門の日常である。 ちょっと。 ところが、本当にそうだろうか? そうしてこそ、真の芸術を行うことができますか? 絹の芸術家でなくても、今日の努力と購買力に応じていくらでも生が完璧になることができるという幻想は蔓延している。 自然を含めて、人間に与えられた条件を意のままに加工する技術は、ジョンヌンヘ見えて、資本主義市場の大きな分け前は我々が抱く肉体への不満を商品の需要に切り替えグルロガンダ。 美しいボディ、性的満足、職業上の達成、さらには理想的な人間関係までは十分に勤勉、誠実と持つことができるというささやきがどこから聞こえてくる。 不幸は、自然な事態ではなく、私不覚になってしまう。 そういうわけで(実際には刹那の感じに『過ぎない』)幸せは過大評価され、目標を達成することができなかった人々は非常に簡単に挫折や絶望という言葉を口に上げる。 しかし、悲しみはメランコリーと区別されなければしかるべきではないだろうか? 人間は不在という名前で空いた共同(空洞)の端をなでて楽しむこともできる存在ではないか? メルランコールリア(melancholia)がどれだけ多くの芸術家たちに創作の原動力になったのか私達は忘れている。

<ブラックスワン>のアンサンハゲマルゴー手足に釘が朴仁妃ナタリーポートマンの演技にはかなりの英雄的なコーナーがある。 彼女は多分演技が人生を奪われてしまった<色、系>のワンチ安土(タンウェイ)と同様の体験をしたかも分からない。 <レオン>と<ビューティフルガールズ>の妖精は、いつのまにか中がぽっかり空いた老化する女性の目元まで持つようになった。 ところがこれをオチョリャ。 試写会が終わって出てくるが後列に座っていた観客が感想を共有する。 "<プライドと偏見>(キラナイトレイがエリザベスベネットに悔しかった)でも上手にいたら、その俳優の演技いいんじゃない?"まぁ、ジョージルーカス監督、セサムスロン無料ですが、<スターウォーズエピソード1:目に見えない危険>の亜美違うの女王(ナタリーポートマン)との帯域の侍女サベ(キラナイトレイ)のキャストは、適切なんだね。

2月14日
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今年の私のバレンタイン監督の映画は、スパイクジョーンズ監督の短編<私はここにいるよ>(I'm Here)。 接続先のイラゴン充電器しかなかったのロボットスェルドゥンイある日、愛に出会う。 怪我をした恋人に部品を配ることができて、彼は幸せになる。

バレンタインデーの派手ににぎやかな新村駅。 デートを終えてお別れしている若い恋人の後を偶然に歩くことになった。 わざわざ聞きしていたわけではなかったが、精一杯の成熟に着飾った娘は、入学を控えた大学の新入生で、手にチョコレートの箱を受け取った人は、浪人生活を始めたようだった。 少年は出て、同時に市内の方向2号線の改札口を通過し、少女は向こうに残った。 膜のプラットフォームでネリョガリョは少年を呼び止め少女が間仕切り越しに上体を傾けて頬に軽く口を当ててはあわただしく転じた。 少年は、何もできなかった。 列車を待って2分の私は一人残された少年の後ろに立って、彼の耳たぶに浮かんで消えない綺麗なフラッシュをじっと見つめた。 そして考えた。 私は多分、この瞬間を見るために何度も映画を見ているかもしれない、と。

2月17日
締め切りが遅れた。 体に熟した葛藤の時間。 編集記者に先に了解を求めるのがナウルカ。 督促を受けたし、言い訳するほうがナウルカ。 私の足がしびれることができなくて選ぶ。 ヨンケ沈黙している携帯電話を横目で見て、キーボードをヅドゥルギヌンデついに響くテキストメッセージのアラーム。 そそくさと、"すぐに行きます!"とダプムンウル飛ばして、おっと望んで確認してみたら"★正規品★後払い制★ヤクグクナププムヨン! バイアグラ販売(プレゼント進呈)"だそうだ。 販売者も当惑したのだろう。

文: キム・ヘリ2011.03.04
by kazem2 | 2011-03-05 21:51