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[パリ]ヌーベルバーグ その歴史の中に

☆cine21.com
ジャン・リュックゴダールやフランソワトリュフォーに関するドキュメンタリー
<ヌーベルバーグの二人>
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☆CINE21「外信部記者クラブ」韓国とヌーベルバーグの差(2009.12.08)
この記事のフランス語原文を載せたところ今でも海外からのコメントがあります
主にCMなのですが どこかで読まれているようです
ジャン・リュックゴダールについてはニューヨークタイムズでも特集を組んでいました
ジャン・リュックコダールと言えばジャンポール・ベルモンドでしたね




1895年、パリのカフェで行われたリュミエール兄弟の<列車の到着>初上映。
観客は、自分たちに向かって取り組むの列車を避けて奇声を上げて席を外した。
映画の歴史の中で、この世界初の「活動写真上映」次のようにたくさん紹介された『うるさいな』の時は、フランソワトリュフォーの<400番の音>が1959年のカンヌ映画祭で公式上映された日ではないか? あれから半世紀と二年後の2011年。 ヌーベルバーグの主役ジャンリュックゴダールやフランソワトリュフォーに関するドキュメンタリー<ヌーベルバーグの二人>(Deux de la Vague)が公開された。

映画は1959年5月当時、カンヌ映画祭に招かれ、常勝疾走するトリュフォー、寒い<χにデュシネマ>編集室を離れ"欄をたどって行くお金が必要だが...トリュフォーが悪い子。 自分の考えをちょっとしてくれることもあったんじゃないの"と知人に旧ラングの距離は、ジャンリュックゴダールの交差の編集に見せてくれ「ヌーベルバーグの二人」を紹介する(ちなみに、この映画は、歴史学者のアントワーヌドベックの執拗なアーカイブコレクションをもとにひとつひとつの状況の正確な情報源を明かす。ゴダールの発言も、知人の証言をもとに、正確な情報源を明らかにしている)。 ブルジョワの家庭でのエリート教育を受けて育ったゴダールの不遇な家庭環境のせいで早目に、少年院の生活までに経験したトリュフォー。 二人は、映画という芸術に同時に浸水だったし同じように21歳<χにデュシネマ>評論家として活動を開始した。 ゴダールとトリュフォーは、シナリオを共有するだけでなく、(<勝手にしやがれ>は、元のトリュフォーのシナリオだった)、撮影されたラッシュを共有するほどに(<水の話>(Une histoire d' eau)は、トリュフォーが撮影したラッシュをゴダールが編集されて完成した短編である)切歯した。

しかし、古典映画の枠組みは尊重するが、独自の方法でより発展させようとしていたトリュフォーとは異なり、ゴダールは、古典映画の文法の電撃的な否認を主張した。 その時までにしても、お互いを尊重していた二人の関係は1968年5月抗争以降の新たな局面を迎えることになる。 ゴダールは1973年作<愛の黙示録>を見た後、トリュフォーのブルジョア嘘つきで予約して、これに対する答えとしてトリュフォーはゴダールの理想主義の退屈な人と命名され、決別を宣言した。 以来、二人はそれぞれの映画にジャン=ピエールレオを交互に出演させ、直接または間接的にライバル関係を継続するだけで1984年のトリュフォーが癌で命をクローズするまで、これ以上の話はなかった。 シネピルなら誰でも知っているストーリーかもしれないが、<ヌーベルバーグの二人>は、ゴダールやトリュフォーが交わした友人、同僚、ライバルの関係を歴史的な考証と整ったドラマでたまに膝を打つように作る楽しさを提供する。

インタビューを入れる場合は、全体の流れはマンチョトウルタ
シナリオ作家のアントワーヌドベックと演出者エマニュエルローランインタビュー

去る1月13日夕方、パリのMK2ボブルジョムエソヌンシナリオ作家アントワーヌドベックと演出者エマニュエルローランを招待し、観客との対話の席を用意した。 アントワーヌドベックは、ゴダールとトリュフォーの伝記を執筆し、すでによく知られた映画評論家であり、歴史学者である。

- この映画はどのように計画になったか。

= エマニュエルローラン ヌーベルバーグを再照明する映画をずいぶん前から作ってみたかったのでアントワーヌに会って、急激な発展があった。 演出として、私は一仕事だとはアントワーヌが付いている『汁』をよく絞るしかなかった。

- タイトルはどのように決定したのか。

= アントワーヌドベック エマニュイエルが言ったように、ヌーベルバーグに関する全体的な再評価をしたいと思った。 しかし、1つの映画に集約するにはあまりにも多くの'距離'があるということを実感した。 一般的ではなく、ヌーベルバーグの中心の骨子を示すことができるかを悩んでいたところ(ゴダールトリュフォーの伝記を執筆した経験的に)二人を基準にしかデータを集め、また、削除した。 だから、タイトルが<ヌーベルバーグの二人>であることはあまりにも自然な決定だった。

- ゴダールとトリュフォーが主人公であるのは自明の理だが、両者の間の'息子'ギョクイラすることができる『ジャン=ピエールレオ』の役割も無視できない。 生存しているゴダール、レオと会ってインタビューするつもりはなかったか。 なぜアーカイブの画面のみに固執したのか。

= アントワーヌドベック ジャン=ピエールレオに会って、二人についてのインタビューを試みたことがあった。 しかし、話をしている間、彼の二人の話を同時にするのがすごく気にするということを悟った。 ゴダールは、ご存知のようにインタビューするため非常に難しい相手だ。 さらにトリュフォーについての質問をするのが目的であれば...まあ話をしなくても知っている。

= エマニュエルローラン 二人のインタビューを載せるのが目的だったとすれば方法を見つけたんだ。 しかし、アーカイブと歴史的な資料の画面が主な映画のインタビューを挿入するようになれば、全体的な流れを台無しにするようになるだろうとも判断した。


文:チェ・ヒョンジョン( パリ通信員 ) 2011.01.26
by kazem2 | 2011-01-26 23:09