ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カン・ウソク監督の直球勝負 今回はストライク

☆cine21.com
忠州聖心の学校の聴覚障害の野球部の実話をもとに作成した<グローブ>
e0109292_21544367.jpg




<実尾島>以後カン・ウソク監督のキャッチフレーズは『いつでも挑戦』だった。 <公共の敵2>と<朝鮮半島><コケ>に至るまで、規模の拡大とジャンルの試みがちりばめられ、そのたびにカンウソクは、"今回ダメなら私はいつまで"とか、"今回が最も厳しい試験台"だったと言われてきた。 17番目の作品である<コケ>は、その中で最も過酷な実験だったのだろう。 カン・ウソク監督は、昨年2月<コケ>の仕上げ撮影をしていた間に18回目の映画<グローブ>演出を発表した。 <グローブ>は、聴覚障害者で構成された忠州聖心の学校野球部の実話をモチーフにした映画だ。 障害とスポーツを通じたヒューマン映画という点で<グローブ>は、彼の最近作と遠くにいるように見えたが、去る1月10日に公開された<グローブ>はテストから解放されるカン・ウソク監督が、自分の主な武器を存分に広げた映画で明らかになった。 挑戦を叫ぶ前の映画、つまり、笑いと感動を主なテーマにしたのは彼の初期作を連想させる<グローブ>は、カン・ウソク監督の本質的な味を再確認させている。 <グローブ>の感情的な感動を、カン・ウソクの映画の中で拾い読み一方で、彼に直接尋ねた。 <グローブ>はあなたの最善ですか?

評論家たちは、カン・ウソクの映画を直球で比喩してきた。
物語の終わりがどこの間に遠まわしに行かない直説的な話法に例えた表現である。 しかし、彼は<実尾島>を作成した後、別の投球法に関心を向けた。 法は、まだ直球に近かったが、ボールが当たるポイントが変わった。 彼のフィルモグラフィーを1期と2期に分けると同時に、デビュー作の
<甘い新婦たち>から<実尾島>までに1期の映画たちが笑いと感動に焦点を当てている場合<公共の敵2>から<コケ>までに2期の作品は、メッセージの説いていると、ジャンル的な挑戦を最終目標とする。 だから1期の代表作が<公共の敵>の場合は、2期の代表作(批評と興行の成果と関係なく)<朝鮮半島>だ。 鋼鉄のうちは、行く先々で笑いをトトゥリョトゴ、歴史学者チェミン灰は話をするたびに、説教の強迫観念を持っていた。 カン・ウソク監督の18作<グローブ>は、1期に該当しそうな映画だ。 笑いと感動を目指すだけでなく、特定の直球で勝負する。 多分、カン・ウソクの1期に該当する映画たちが抱いていた要素は、彼の本質的な好みが集約された映画だといえるだろう。

<グローブ>の主要なテーマは、障害とスポーツだ。 聴覚障害者で構成された忠州聖心の学校野球部の実話を題材にした映画の目指すところは、誰もが予想できるだろう。 誠心学校野球部は2002年創立後、現在まで毎年ボンファンギ、デブンギ、フェジャンギなど全国大会に出場したが、まだ1勝をおさめることができなかったチームである。 選手が足りなくて参加できない場合もあり、苦労し出場したが、コールド負けを受けることもたまにあった。 聴覚障害を持つ選手は、打撃音を聞いたことが原因でボールが落ちる位置を正しく知ることができず、手話を使って作戦を指示受けるしかなく、話をすることができないため、選手たちの間のコールサインを送受信することができない。 障害とスポーツの出会いは、それ自体が人間勝利のドラマを作り上げることができる強力な素材である。 片足を失ったダイバーの障害を克服するドラマ<トップオブオナー>やホーキンス氏病を患う野球チーム候補捕手を主人公にしたロバートデニーロの<大志>もある。 韓国映画としては、<マラソン>と<飛べホドング>がある。 特に、この二編の映画は、障害の克服を感動のプライマーとして植えずに、スポーツの成長の通路に描写したという点で好評を博した。 <グローブ>また、涙ぐましい人間勝利のドラマを志向しない。

映画は、忠州聖心の学校野球部の実話に退物の直前の野球選手が苦しむの成長の塀を重ねて置いた。 韓国プロ野球の最高の投手だったギムサンナム(チョン・ジェヨン)に栄光は、かつての仕事である。 今彼は飲酒との戦いを終わらわっぱ『渡り鳥』に転落している。 懲戒委員会に付託された彼のためにマネージャーの回収(チョ・ジヌン)は、苦労して再起の機会を用意する。 忠州聖心学校の野球部の臨時コーチの席だ。 数ヶ月程度押していると、免罪符を得ることができる契丹ペテンだったが、サンナムが一通りスィオガルすることができる余地はない。 実力もなく、交換する選手もないほど少ない選手で、しっかりとした訓練すらできない野球部の目標は、『あっけなくも『全国大会1スンイダ。 サンナムは、子供たちの不可能な挑戦を無視しますが、やがて彼らの姿で野球に夢中になっていた子供のころの自分を発見する。 <グローブ>の感情的な響きはサンナムと子供たちの野球への率直な願望を現わす時にぽんと鳴る。 シナリオ上では涙を連続的にトトゥリギに十分な選手たち一人一人の心情が込められていたが、カンウソク監督は、事情の相当部分をチョネゴひたすらその瞬間に向かって感情線を支えている。 強迫的なユーモアの鼻や観客に向けての強要に近い方の主張は割り込む暇がない。
e0109292_21574694.jpg


カン・ウソク監督が、すでにプルオボントラブル
障害者の前に、学校という空間と、学生たちの話を扱うという点で、<グローブ>は、まず、カン・ウソク監督の2番目の作品の<幸せは成績順じゃないでしょう>を連想させる。 受験勉強をしなければならないから体育の時間を減らしてくれという親のソンファナどうせ障害者は、野球にモクゴサルことがないから就職の準備をしなければならないという<グローブ>の中の学校運営スタッフの主張は大きく変わらないようだ。 受験勉強を強要、あるいは障害を確認しなければならない生徒たちの立場も同様であろう。 しかし、<グローブ>が付いているスポーツのテーマは<幸せは成績順じゃないでしょう>とはまったく別の次元のカンウソク映画を想起させる。 男性の物理的衝突と変化、彼らの連帯を描くという点で、<グローブ>に最も近い映画は、<シルミド>に見える。 サンナムに沿って尾根をやっと走っていた子供たちがサンナムに追いつくだけの体の変化を経験する場面は、<シルミド>とパンバクイダ。 そうなのかと、校長にひざまずいて野球をするようにしてほしいという子供たちの決然とした態度は、"ぜひ行きたいです! 送ってください!"を叫んでいたシルミド隊員たちの構図と似ている。 指が腫れて上がって裂けてしまうまでの球を投げても、"必ず勝ちたい"と懇願する子供たちの姿で、また死んでも名前を書くことがする<シルミド>のクライマックスを思い出すこともある。

何よりも<グローブ>は、体の感覚を信じるカンウソク監督の気質が強く現れる映画だ。 ぼろぼろの人生を生きた男たちが再び生きてみるという意志で体を袋はさんでチャンピオンに生まれかわって、鋼中の物理的な認識で殺人を指摘したように、カン・ウソクは人ならば心と体の変化が先にだということも同時に見つけて続き、それが一番信頼できる感じだと信じる。 主要キャラクターが、聴覚障害者の<グローブ>は、その信仰がより直接的である。 劇中のサンナムがコーチとして、最初の言葉は"お前たちが流したタムマン信じなさい"ということだ。 そして、彼はテクニック以前に体煮えたぎる怒りを教える。 強いチームと練習試合を斡旋した後、0対32の苦い敗北を抱かサンナムは、子供たちを率いて、約100kmの道を走る。 ノルブロジン子供たちに、彼は"他の人に奇妙に聞こえるかと思ってパニックにならないではなく、悔しいだけに悔しいほどの音をジルラ"と叫ぶ。 敗北の怒りに震えを打っていた子供たちは思いっきり声を出して、この時から、これらは、野球チームを解体しようとする学校に対抗して、好きな少女に心を伝えることができるほど、自分の気持ちに正直になる。 二つの映画の感情的な情緒を比較することはできませんが、<グローブ>が多方面カンウソク監督が、すでにプルオボン試験問題に近い映画という印象は間違っていない。 彼が出した答えは同じだが、観客に伝える響きの色は異なっている。
e0109292_21565966.jpg


スポーツ精神に見る社会の快適さ
関係の記述を使って感情を伝える方法と一緒に<グローブ>は、カン・ウソクが考える最低限の社会的な快適さが表れるの映画だ。 彼は映画を通じてマルヘオンイェウイラン要するに、何の理由もなく人を殺してはいけないこと(<公共の敵>)であり、必要ないとむやみに人を捨ててはならないこと(<シルミド>)であり、他人のことを第と抑止張ればならないというもの(<朝鮮半島>)などである。 フェアプレーとどのようなギョンギドゥン全力を要求するスポーツの世界での彼の思考はより明確に表示されます。 劇中でサンナムは誠心の学校の子供たちをわざわざ見て思っている相手チームの選手たちに怒る。 この時、相手チームの監督も自分の選手たちを得ようとせずに、彼の世話を厳しく非難というふうに場所を空ける。 軽くすれ違うところだが、この場面でのぞくスポーツ精神の強調さはなかなか素敵だ。 もちろん、これを運動選手たちのマチョジョク気質にも見られる。 しかし、カン・ウソクに礼儀と義理を重要視する男性の性はどの時代や関係なく、必ず守らなければならない美徳である。 サンナムと子供たちの関係のほか、<グローブ>のもう一つの軸はサンナムとマネージャーの回収の関係だ。 回収は、球団とファンの方から捨てられたサンナムの回復のために生かしてボゲトダゴKBOからメジャーリーグの関係者が訪れて東奔西走する。 かつて彼も高校時代の最高の野球選手だったの回収は投手サンナムと学校の勝利のために身を投げるの傷を喫した過去がある。 その時から、自分の英雄サンナムのマネージャーを自任した彼と申し訳なさと罪悪感を両方のサンナムの関係はかなりの割合の感動を伝える。 一見<ラジオスター>を連想させる部分ですが、これらの関係はまた、"男なら分けて食べ、一緒に行かなければならない"は、カンウソク監督の考えが反映された部分に見られる。 パートナーシップを誇っていた<ツカプス>の両方の刑事、そして、<公共の敵>のシリーズを続けてきた鋼鉄のうちのオム班長(カン・シニル)の関係は、"お前一人でクールなふりをするのを見ることができない"と一緒に死を選択し、<シルミド>のインチャン(ソル・ギョング)とサンピル(チョン・ジェヨン)のように、カン・ウソクの映画の中で二人はいつも二人の男女よりも熱い恋をしたからだ。

<グローブ>は、おそらくカンウソクの作品の中で一番明るく元気そうなオーラを抱いている映画であるのだ。 子供たちは日焼けした顔で笑う。 苦しくても、メモ、障害を悲観的でもない。 もちろん、終始一貫して魅力的なエネルギーを伝えるのが現代の大衆映画にふさわしい洗練された方法ではない。 選手たちを演じた俳優たちは、しばしばポトポトヘ見えて、劇中の野球の試合は、ひたすら試合の流れだけに集中する。 映画の頂点に対応する最後の野球の試合は、実際の観衆があまりない高校大会の特徴を反映して空っぽの席をそのまま見せている。 しかし、むしろ<グローブ>は、そのような淡泊さが障害者のスポーツに挑戦という映画のテーマに面している映画だ。 どのテブトンガカンウソクの印章のように見えた一場のスピーチの時がないという点も2期の映画に比べて負担が減る。 <実尾島>以来、カンウソクはいつも欲の挑戦としてのフィルモグラフィーを満たしてきた。 <グローブ>は、カンウソク、本人の勝負師の気質を下に置き、大衆映画の監督としての態度を取り戻した作品です。 観客との最も身近で、観客が好きな映画を作っていたカン・ウソク監督が帰ってきた。 球の先端がかなり生きている。


文: ガン・ビョンジン | 2011.01.25
by kazem2 | 2011-01-25 21:52 | Comments(0)