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by kazem2
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映画で楽しさを共有する映画祭 「シネマテックの友人たち」

☆culturenoro.tistori.com
イ・ミョンセ、ポン・ジュノ、チェ・ドンフン、キム・ジウン監督など
大韓民国代表の監督たちが推薦した映画が見たいのであれば?
シネマテックの友人たちに会いに来てください!
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毎日 早朝から真夜中まで上映をしています
古典が多いのですが私好みが多くてソウルに住んでいる人たちが羨ましいと思います



辞書的な意味で見ようとすると「ジュイサンスjoussance」は、一般的な意味での喜びとは異なり、『快』と『迷惑』が同時に押し寄せる強烈な体験を語る。 ラカンによると、これは、通常的な楽しさとは異なり、痛みを伴う喜びである。 語で「joui - sens」は、いわば意味を享受(ロック)する、あるいは意味と肉体関係を結ぶという意味でもある。 'ジュイサンス'は、そのような点で、言語と身体との関係によって生み出される体験でもある。

(写真は省きました)

今年で6回目を迎える『シネマテックの友達映画祭』は、毎年1月シネマテーク専用映画館ソウルアートシネマが開催する行事で、映画人たちが直接参加して作品を選択して(これを「cart blanch」すなわち『白紙委任』と言われる)観客と話をする特別な映画祭だ。 古典的、芸術映画を大衆的に導入し、シネマテークを後援する行事で、2006年以来のシネマテークを頻繁に訪れる映画人たちが参加し始めた。 今年のテーマは「joussance cinema」、言い換えれば「映画で楽しさを一緒に分割する」である。 この映画祭を企画する立場で、特別に『楽しさ』という単語を選択したことにはいくつかの理由がありますが、一種の質問が内包されている。 人々は映画を見て『おもしろい』もしくは『面白くない』と言いますが、本当に映画の人たちや、観客が映画の中でどのような楽しさを満喫するのか、一体映画の楽しさというものがどんなものか、そして映画に依頼されたすべてのことを私たちが果たして楽しんでいるかどうかを問うていたのだ。


「映画というのは、僕と一緒に同時代を生きていく、最も近い人々とのより深いコミュニケーションをするための一つのテキストだと思います。 映画と同じように映画を横から見た人が重要です。
シネマテークに一人で来て、映画を見ると考えてごらんよ。 あまりにも寂しいじゃないですか。 友達とその映画について二時間を見て二日に話をすることができるほどの深い友情、それが映画が与える最大の贈り物です。」_イ・ジュンイク(映画監督)


今回の『シネマテックの友達映画祭』に参加している映画人たちは全員が考え、感じる映画の楽しさについて、さまざまな回答を与え、彼らのソンテクジャクまた、そのような立場と態度を反映する。 映画的な楽しさは、ある特定の限界と、支配的な規範を超えて転倒的な性質がある。
イ・ジュンイク監督は自分の映画<黄山ヶ原>に深い影響を与えた作品で、テリーギリアムの <モンティパイトンの聖杯> を参考にしたが、この映画は、<黄山ヶ原>や<王の男>のような映画での支配者の歴史を欺くジョンボクジョク楽しみがある。 イ・ミョンセ監督は映画監督になって映画を考えるようになると噴水ペキンパの野性的な強さ、動きの原初的な強さを連想されるとし、次回作として準備されている映画にペキンパ的な要素を融合させることを考えることにペキンパの <ゲトオウェイ> を参考にした。 彼は監督として、映画の楽しさが『人生を舞台上に上げること』にあると、現場ではいつも楽しくて楽なことを言う。 「<コメディアン>を撮影するの初日の現場でちょうど笑った。しなければ、これは映画がコメディだ。人生がコミディインようで、それで初日の撮影の時は緊張がドェトオトのですが、現場で感じる遊びの楽しさを得た」。


「ここに来ると映画にボーナスが加算されます。 思い出もイヤギドゥンスペースも人も。
ワンプラスフォー、ファイブまでのではないかと思います。 そんな気持ちでシネマテークを訪問してくだされば幸いです。」_イ・ミョンセ(映画監督)


「シネマテークで映画を見ることは過ぎ去ったの映画たちを、そのような映画が好きな人が集まってみることです。 私たちがすることは、事実他の人々は意味ないという事をとても意味があると主張してしばらくの人々を振り向かする程度の力だけを持っているのかもしれません。 その場合、多分それはとても意味のない仕事をシネマテークでやっているのかもしれません。 しかし、この意味のないことに命をかけている人々のオーラを感じることができるところがシネマテークです。 だからシネマテークで映画を見るのは、映画だけに会うのではなく、その映画館では、他のオーラを一緒に受けることができるのです。」_キム・テヨン(映画監督)


映画の楽しさはもちろん、苦痛を伴う。 キムテヨン監督は「映画を作ることは、特に映画を準備して映画を撮る現場は、考えただけでも大変だ。ところが、それが刺激的で大変なのであれば映画をしていない時間は退屈で、大変だ」と、むしろ映画を作る作業をしてからより多くの映画を見る楽しさを得ることになったと言う。 彼が選んだ <スジュ> は、悲しい愛の物語で、通常の意味での『面白い』の映画ではなく、少しは病気の感じを与える映画だ。 「致命的な愛の物語が、当時の中国の現実とマトブディトヒョソより幻想的かつ現実的な雰囲気をつくり出すの映画」と言うのが彼のオススメのビョンイダ。 ポン・ジュノ監督も「映画を作るときにつらく、見るときは、楽しい。映画を作る過程で、特に、シナリオを書くときや、つらく大変な時点では、好きな映画や、楽しい映画を見ても楽しくない。私はああいう場面でマクヒョトオトヌンデ、その監督は、すらすらとよくプネー、ながら、そのようなことさえ腹が立つ時がある」とする。 彼が選択した今村昌平の <赤い殺意>が彼にどのような『火』を与えたのかはシネマトークで確認することができるだろう。


「シネマテックは、空間自体が私を気持ちよくされる面があります。 映画が最も尊重されるところですからね。 そこにあれば、私は幸せです。 映画の仕事をする人としての誇りも感じます。」
_ポン・ジュノ(映画監督)


「いい映画をプリントで、スクリーンに再び会うのは映画の人々にすばらしい喜びであり、ときめくことです。 観客たちにもそんなようです。 友人たちに参加し、観客のときめく心で一緒に映画を見るつもりですでに嬉しいです。」_イヘヨン(映画監督)


<マッドマックス> を推薦されたイ・ヘヨン監督も「確かに映画を見るのが楽しい。一方、映画を作るのは苦痛なことであるようだ。しかし、なぜ映画をハルカラ、という疑問がいつでも起こる。私が作った映画を劇場で見る時になっ何か答えが得られるようだ」とする。 「映画館で見るときに火が消え、リーダーのフィルムが表示されたら、『ああ映画が始まるんだな』しながら、ときめく気持ちがいつでも起こる」。 このような専門的な楽しさは、「映画を作るのがプロになった今、実際にはこの前にジニョトドン映画の楽しみがたくさん消えた映画を純粋に楽しく見ることが珍しくなった。映画を見るのがますます恐れているが、<不当な取引>をしながら、共同作業をするということの楽しさ、現場の楽しさを満喫した」と呼ばれるリュ・スンワン監督の言葉でも確認することができる。 もちろん、彼が推薦したマリオ馬場の <狂気ゲドゥル> は、タイトルと同じように収めるジョルミ、認め容赦なく進行されているB級映画の見て快感がある。


「映画を見て映画の話をして映画を作成するには、人々が集まるところ、それがシネマテークの最初で最後です。 デジタル化され、違ってたりしたが、まだ多くの人々の映画は、単純に音声と映像で構成される記号ではなく、劇場という空間で、匿名の多数の人々が集まって映画の現状に対して反応することです。 シネマテックは、そのようなことを経験することができる場所です。」
_リュスンワン(映画監督)


「シネマテークで映画を見てからエレベーターが常につまって階段で降りたされています。 その階段を下りながら足をフドゥルゴリルことがあります。 あの映画をよく作るなんて。 楽しいこともあるが厳しい一針のようなことをするスペースがシネマテークです。」_チェ・ドンフン(映画監督)


映画の楽しさは、最終的にいくつかの質問を含んでいる。 チェ・ドンフン監督は、「最近再びシーンを勉強しているハワードホークスのシーンの演出がとても驚くべきだ」とホークスの <リオブラボー> を参考にした。 「以前のフェリーニのインタビューで映画を作ることは何なのかという質問に、彼の友人たちとピクニックをしていくことだと言ったが、その言葉を初めて聞いた時、私はこれでちょうどデビューをした時だった。その時はその言葉の意味は何か分からなかったが、映画を作ることはとても難しいですが、映画を作るために集まっている人たちと一緒に同じ所を眺める楽しさがとても大きい」。 彼の映画は、継続して何かを想像したり、他の人に話を聞かせてあげたい欲求のようなのだ。 ミンギュドング監督は、映画的な操作についてはいつも疑問を抱いているという。 彼は「私は映画の仕事をしながら、楽しいことはなかった。「映画は幸福の話をするのに、なぜ私は幸福感を感じないできないだろうか」と、15年目や自分たちに頼んでいる。課程の幸せに達しつつ思う。幸福感で私は、さすがに映画監督を継続しなければならないか疑問になったりする」と話す。 もちろん、彼もまた、作品を作りながら『痛みを伴う凍傷で指やつま先が解放される感じを得る』と付言する。 ちょっと憂鬱で悲しい映画を見るときに似ている人々があるんだな、と安らぎを感じるという。 彼の選択作であるベルナルドベルトルッチの <パリでの最後のタンゴ(ラスト タンゴ イン パリ)> は、「傷を扱った映画にと、その傷が治癒不可能だという前提のもとに生きる人々の物語」である。


「シネマテックは事実睡眠をとることはとてもいいところです。 実際にパリでは、ホームレスの人たちがたくさん来てたち祝日となります。 私にシネマテックは、憩いの場であり、隠れ場所でもあります。」_ミン・ギュドング(映画監督)



あなたに映画とは何ですか?

映画の楽しさを分かち合うお祭りの中へ!


フランスの評論家のセルジュダネは、通常の観客たちが自分たちの欲望を見るために映画館に行く人で、自分の生活の中で嫌っているのを映画館で見たいと思っていないと言う。 映画の中で人々の欲求を満たしている、世界をしてほしいと思う。 期待と合致していない映画を見た時、『面白くない』でも不満を感じる。 しかし、映画の楽しさは実に多様である。 映画の楽しさには、古い映画を上映する映画館を探す喜びもある。 映画は見ているだけではなく、見に『行く』のである。 動きの楽しさがある。 <アラビアのロレンス>を実物より大きい大型スクリーンで会う楽しみもある。 我々よりも小さなテレビ画面に満足できず、スクリーンの大きさに圧倒され、映画を見るときの恐怖と興奮がある。 パリ、モスクワ、ニューヨーク、ベニス、プラハなどの見知らぬ国に出会う旅の楽しみもある。


映画は、列車、自動車、飛行機などの輸送媒体の開発およびコミュニケーションメディアの変化とその歴史を一緒にした。 あるいは劇場で、匿名の友達と感性的な交際を共有することや鑑賞した映画を置いて何時間も話をしてふと映画について記事を書いても、映画を作る決心をする楽しみもある。 映画で『楽しさを共有する』というのは結局、映画が提供できる様々な喜びを活用しては言葉だ。 2011シネマテークの友達映画祭』は1月18日開幕し、2月27日まで、ソウルアートシネマで1ヶ月半の間開かれる。


■期間:2011年1月18日(火)〜2011年2月27日(日)

■主催:(社)韓国シネマテーク協議会

■後援:映画振興委員会、在イタリア文化院、駐韓フランス大使館、駐韓フランス文化院、

シネマテックフランセーズ、ハイトビール株式会社、イエス24

■協賛:コーヒービーンコリア、オルデトシネマ、ギャラリーブックス

■場所:シネマテーク専用映画館ソウルアートシネマ(鐘路3街駅の楽園商街4階)

■ 문 의 :02-741-9782 www.cinematheque.seoul.kr


2011シネマテークの友達の映画祭の紹介をご覧に見たい映画と理由をコメントにつけてください。
抽選で10名様に、ソウルアートシネマ招待券(1人2枚)をプレゼントとしてお送りいたします。

応募期間:01月14日(金)〜1月17日(月) / 当選者発表:01月18日(火)午前10時


*コメントを残す時に当選のご案内を受けることができるメールアドレスを残してください。
電子メールアドレスがない場合は当選から除外されることがあります。

文化部の遊び場/楽しい[文化] 2011/01/14 17:49
by kazem2 | 2011-01-15 08:53 | Movie