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by kazem2
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[キム・ヘリの映画の日記]

☆cine21.com
ユーセイグッバイandアイセイハロー!
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<シネ21>編集室から見下ろした2010年12月の最後の週のソウル。
BGMはビートルズの<Hello, Goodbye>!
この写真は最初にTwitterにアップされました
「水墨画のようですね」と返事をしたのを思い出します
キム・ヘリさんもこの写真が印象に残ったのでしょうか



12月23日
水銀柱がガンパルゲゴンヅバクジルチン一日。
幼かった頃、秘密とは真っ暗なベッドの下にドサリン怪物のように恐ろしく、サンソロプジできなかった何だった。 見開きページ恐ろしくて冷や汗に濡れて夢でケオナゲ作成する。 しかし、人生はなんと素晴らしいことを行うのか。 大人になった今の私の秘密は、廃墟となった心臓の奥深くに埋めておいた火種と同じだ。 それは小さな子犬のように暑い息を色とりどりにニヤニヤと僕の中に眠っている。 パリに凍りついた夜の街を歩いてうれしい製である。 あなたは、秘密さえなければ、寒くてオトクハルポンヘトニ。

12月24日
クリスマスイブ。 自分の思い通りに<不思議の国のアリス>の狂気の帽子屋真似を出して回復のパーティーを開くことにする。 ゲストは、今年の映画の中の好奇心が強い人物だ。 まず、床石は、<シャッターアイランド>と<インセプション>で、"私は私だと思っている私は果たして誰なのか疑っている私は今どこにいるのか?"などの質問を集中的に探求し、長者の思想を自ら実践した、レオナルドディカプリオの役割だ。 ヨクブワトダ。 一年で壊れそうだった彼の頭を称える素敵な帽子を贈呈する。 未成年者の代表は、<白いリボン>の恐ろしい村の子供たちだ。 それらのモンスターの感は没落を控えた文明の兆候だった。 近代的な無邪気な子供の概念が形成される以前の時代に、子どもたちはウンヨンの恐怖の対象だったと読んだ。 大人の人間と全く似ていながらも、決定的な瞬間に別の方法で行動する『種』があるからだ(必ず困難な理由がなくても延々と要求を満たしてくれなければ、制御しますが難しい相手に恐怖を食べるのは昔も今も当たり前の理ではあるが)。 <白いリボン>は、ホラーの文法を経ずに子供たちへの原初的な恐怖をイルケウンダ。

どんな仕事をジョジルルジ知らない子供を渡るには、目つきで場内を整えることができる<超能力者>の超人(カン・ドンウォン)を配置して不祥事を防止することにする。 超人は珍しくも生活費が低下するたびに、必要に応じて質屋のデータは、消極的な生計型の超能力者だった。 スーパーヒーロー出師表を投げるのはいうまでもなく、悪人重量挙げ追いかけるの英雄(コス)が出た後になって面倒でたまらないという表情でようやく務める。 徹底的にひとりぼっちで生きてきた結果、思考や感情まで他人を使って表現することになってしまった男というのはキャラクターの影を浮き彫りにさせる魅力のある設定だった。 しかし、映画はこの文字を大成させることができなかった。 いつまでも惜しい。 超人が母親と再会し、彼女の目から涙を流す場面は、より鮮明に、複数の通行人の口を借りて自分の話をする場面は、より大胆に演出したらどうだろう。

<トイストーリー3>のアンディは、よい成長の良い例として、<預言者>のマリクは悪い成長の良い例は、それぞれの招待しよう。 一方、<ゴーストライター>の元英国首相アダムラング(ピアースブロスナン)は、容姿、学歴、名誉を全部持ったのに、見てみると重心が空っぽな人間の体の標本だった。 ロマンポランスキー監督の過去の作品<悪魔の種>に似ているこの映画の構図を模索てみると、実は幽霊は、アダムラングではないかと思う。 悪魔の種の話が出たついでに遺伝子合成生命体<スプライス>のドゥレンド呼ぶことにする。 "セクシーなゴーレム"と呼ばれるなど、顔に関する噂も多かったが、遺伝子よりもいろいろな種類のタブーと説話を合成する技術がより多くの輝きだった。 釜山(プサン)国際映画祭で<焼く>(Incendies)を見るまでは、最も数奇な出生の秘密を保有するキャラクターでもあった。

12月25日
地下鉄の隣の席の二人の男女が"ワイパラなのか、3Gにゃ"を置いて、言い争いの中だ。 インターネットは、水道管や電線などのパイプラインになったという印象だ。 もっと無理すると、高速道路や鉄道に並ぶものができるかもしれない。 もしそれが現代人の自由と権利の行使に不可欠な社会インフラに近づいた場合は、公共サービスとして提供されることもできる。 さらに都合の悪いアメリカやヨーロッパ人たちはどんなことを考えているだろうか。

TVを見た。 非凡な才能と魅力を持ったが、まだ形成されている若い俳優たちが、彼らの才能と魅力が作品全体の中でも最高の(あるいは唯一の)ミドクインドラマや映画に出演するのは見るよりもはるかに危険なことだ。 根に比べて窮屈な鉢に入れられた植物の境遇と似ているというか。 またここは、"ミトジョヤ本殿"が珍しい世界だ。 壊れやすいのプロジェクトを数回繰り返すと、明らかに自分のものだと思っていたの才能と魅力は、もはや才能と魅力がなくなっている。 生きているものの美しさとは、そのように難しい。

12月26日
アニメ<ノチプロフェッサー>は、DVDやケーブル市場向けのプロジェクトに推測される。 しかし、大衆のジャンルの映画の難点は、封切り館と呼ばれるようなリーグに参入する瞬間狙った観客が誰でも資本と才能が最高の道の集約された運用と同一線上の評価を受けることである。 例えば、劇場で公開されるアニメーションは、ピクサーが調整しておいた目の高さと競争することになる。 プロダクション価値と肩を並べることができない作品に斬新な話や、異なる美学の発明は、選択ではなく、必須だ。

12月27日
<ノチプロフェッサー>の原作は、ジェリールイスが監督、脚本、製作、主演した1963年作の映画だ。 ユーチューブでジェリールイスの昭和の映画のシーンをチャトアボダが異様な既視感を味わった。 ジム・キャリー、スティーブマーティン、エディマーフィー、ポールルーベンス(ピウィハーマン)などのジェリールイスからインスピレーションを得た、同時代のハリウッドのコメディアンたちの演技を先に触れた世代だと似ていないんじゃないかと(もちろん、私は今本物とコピーを言っているのではない)。 ジェリールイスシクコメディーの火花散るエネルギーは、転送したいという内容と、それを到底一列に揃え整えることができないのパーソナリティの間の落差で発生しているようである。 細い管に殺到した膨大な大きさの水のように、ルイスの演技は激しい噴水になってパンをぽんと鳴らす。

スルレプスチクは偉大なジャンルだ。 すぐに笑いを爆発させると同時に、俳優の身体に一つの世界観を描き出したという点には、高度な抽象性を持った。 今日、このシム・ヒョンレ監督の<ラストガトパド>に失望した理由は、この映画は、体のコメディーという点とはまったく関係がない。 一人多役を実行するのに作りの実現に多くのエネルギーをペアトギョトウリラ理解するが、大衆が愛した永久というキャラクターについて、いざ、その創作者は、倦怠期に入ったのではないかと心配だった。 もし永久に愛していた記憶の記憶だけ残っているのではないか。 この映画には、<ヨウングヤヨウングヤ> <動物の王国><辺境の太鼓の音>のシムヒョンレを召喚するジェスチャーがあるだけでそのように力して作ってあげた<ラストガトパド>の世界 - それがジャンルゴンシデゴンスペースでも - に答えるし、その中の人物たちとやり取りを交わす永続はない。 キャラクターを復活させた映画がかえってキャラクターの訃報のように読み込まれるときは、どうすればいいだろうか。

12月28日
僕にはチョンスン右の習慣が一つある。 駅や空港からの人々と別れるテミョン"多分これが私の見る彼の最後の姿もあり"という不安感にずっと小さくなっていく相手を停止フレームに入れておくに努力するのだ。 クリスマスと1月1日の間にまたがっている一週間が与える感覚も彼と似ている。 '今年'はまだそばを離れないのに、私は既に別れの態勢を整えている。 さらにどのような年には早く清算したいという欲求さえ耐える。 ここにはずるい裏切り者となった罪悪感が伴われる。 日付変更線を通過するときや、4年に一度帰って来る2月29イルマンクム奇妙な気持ちまではないが、12月26日から31日までの時間は、地上の生活に属していないようだ。 もう私は2010年の後ろ姿を見ている。 しかもこの場合には、本当に、私は彼を再び見ることはないでしょう。

文: キム・ヘリ
写真: チェ・ソンヨル 2011.01.14
by kazem2 | 2011-01-14 20:50