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by kazem2
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2/14 映画「マイウェイ」 カン・ジェギュ監督インタビュー

☆cine21.com
私の心を躍らした話だ
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の去る12月22日、群山(クンサン)のある韓定食店。
約束の時間になるとトレーニングウェアを着たカン・ジェギュ監督が引き戸を開けた。
<太極旗を翻して>以来、約6年ぶりだ。 去る2006年にアメリカに発って、ハリウッドデビューを準備していた彼は長い時間精魂込めた課題を一時的に先送りした後、新作の<マイウェイ>製作を発表し、去る10月から撮影に入った。デビュー作<銀杏の木のベッド>から<太極旗を翻し>まで、カン・ジェギュ監督が演出した3本の前作がジャンル、テクニック、規模、市場のサイズで展開しようとした場合は、<マイウェイ>は、彼が追求した『拡張』のキーワードをもっと最後まで押し通す映画になるだろう。 <マイウェイ>は、ノルマンディーの海戦当時、米軍の捕虜になったある韓国人のドイツ軍の実用的な根拠を題材にした作品だ。 日本軍に徴集された朝鮮人が中国を経て、ソ連、ソ連からドイツ、ドイツでノルマンディーに流れるようになった旅、そして彼の運命を一緒に従う日本人の友達との話が基本的な骨格である。 作品ごとに、韓国映画の新時代を開いた彼は、現在のことを想像しているスケッチは何だろうか。

<マイウェイ>と4年間のハリウッドの生活、
そしてカン・ジェギュの『My Way』について尋ねた。

- <マイウェイ>の撮影にはどのように行われたか。

= 45、46周目くらいになるだろう。 初めての撮影が10月15日だった。
もともとは、2010年6月にクランクインしようとしていた。 その時は、セマングムではなく、中国で撮ろうと思ってたのに、私はシナリオを持ってさまよってしまった。 (笑)モンゴルで行われる戦闘があり、草原を背景にして、代わりを探しのがここだった。 ここで撮影が終わると、陜川(ハプチョン)に行って京城のシーンを撮る予定だ。 ヨーロッパ撮影は一番最後に進行する予定だ。 それはノルマンディーの戦争なのに、現在のバルト諸国の方でセット工事に入った。

- 昨日のSBSで放映されたドキュメンタリー<ノルマンディーのコリアン>を見た。 あまりにも多くの地域を行き来していたよ。 <マイウェイ>もほとんどそれだけ通わなければならないようだ。

=あまりにも波乱万丈の人生を生きられた方で映画も波乱万丈だ。 京城、モンゴル、ロシア、ドイツ、フランス...。 ロケが必要な場所もそれだけ多様だ。 シナリオのリハーサルをするときに韓国語、日本語、中国語、ロシア語が出たが、ドイツ語、英語まで出てくるが、かなり面白い風景だった。 (笑)

- 実話に関心を持つようになったきっかけは何だったのか。

= 3年半前か。 アメリカにいたときにワーナーブラザーズの関係者に連絡を受けた。 ギム・ビョンジンさんが書いた英文のシナリオが既に出ていた。 ワーナー側で演出者を物色している途中、私に連絡が来たのだ。 それ以来、多くの紆余曲折があった。 今はワーナーも陥った状態だ。 シナリオを見るだけでも映画に値するという考えをしたほどだった。 そうするうちにちょっと前に話したのドキュメンタリーを私も見るようになった。 全部見たら、心臓がドキドキしていたよ。 (笑)巨大な歴史の中に陥没していくが、決して陥没されていない人間の物語というか。 そのような点に魅了された。

- チャン・ドンゴンが演じる主人公のほかに、彼の友人である日本人のキャラクターがある。

=それは超で既に設定された部分だった。 その時代に、加害者と被害者の関係に置かれた二人の青年の話をするというのが非常に魅力的だった。 ドラマが進み、ますます日本人青年は、彼が不要な新たな戦争の渦に巻き込まれる。 二人の男の旅を通じて、彼らが苦しむことを嫌いとの対立と葛藤、そして互いに理解し、許していく過程を見ることになるのだ。

- チャン・ドンゴンとオダギリジョーがキャスティングされた。 スター性のほかにどのような点をボアトナ。

=個人的にも両方とも好きな俳優だ。 二人の人物が一画面で演技することを想像するだけでも興味深いものだった。 二人の俳優のほかに、モンゴルでは、チャン・ドンゴンとに会う人物にパン・ビンビンイ出てくる。

- <マイウェイ>の制作費は、<ブラザーフッド>の二倍くらいになるのではないか。

=物価上昇率を計算すれば必ず倍増とはいえない。 <太極旗を翻して>は、140億ウォン程度だった。 事実上その時も140億ウォンで撮ることができない映画を140億ウォンで撮ったことであったから。

- どのようなスタイルで戦争を描く予定であるか。

=それは映画を見れば分かることだ。 (笑)すべての戦争がすべて同じであることはできないじゃない。 戦争の種類、時間、背景、季節、そして目的も違う。 ディティールの弁別力を作らないと似たものを見ることになる。 <マイウェイ>の中の戦争との戦いの弁別力は何なのかがシナリオを書きながら、最も心配している部分のうちの一つだった。 今はどの程度弁別力を見つけたようだ。

- 撮影は誰か。

=叔母ヶ(イ・モグ)撮影監督がいる。 のように作業するのがおもしろい。 呼吸がよく合う。 美感を引き出す本能とドラマのキーワードを逃さないの論理がよく混ぜ合わせた撮影監督である。

- 再び戦争映画にするのが負担にはならなかったか。

=本当に、もう一度しようとした。 戦争映画は、本当に大変だ。 都市で撮りたかった。 一日の撮影が終わると、家に帰れるようにだ。 (笑)戦争映画を撮るときは、流浪劇団のような生活をするしかない。 悪天候と戦わなければならないし、崇高なレストランに座って食事するのは想像もできない。 一日に何人もケガ人が出て病院に運ばれる。 実際の戦場と同じだ。

- <マイウェイ>のカン・ジェギュ監督に期待するのは、やはり産業全体にどのようなパラダイムの変化をもたらすのかだ。 これまで作った作品は、すべて当時の映画産業を再編成させるきっかけを用意したからだ。 一方、あの時と今では市場の状況がかなり変わった。

=まあ、よく分からない。 韓国映画が、今後どのような方向性を持つのか、アジアの映画が、またどのように展開して表示されるかについての悩みのようだ。 今、韓国映画の市場が飽和すると仮定したとき、このような状況でも、誰かがそのパイを蚕食ヘ入ることができるんだ。 たとえば、中国の場合、来年9月には、映画の輸入割当を正式に解除するというのに、これは事実上の市場の自律化を意味する。 また、中国映画の足かせだった審議規定も緩和されるしかない。 これにより、中国の映画市場は、巨大な資本力と自由な素材の開発で短期間に進化することだ。 その時になれば、韓国映画界としては、逆風を迎えることもできる。 これで、どのような方向性を持っていくのかについての悩みが必要だ。 <マイウェイ>は、そのような答えを探していく多数の方法のいずれかの案を提示することができる映画になればよいと思う。

ハリウッドデビュー...デビュー作が卒業作とならないように

- ハリウッドに行ったのが2006年である。 これまで韓国映画人たちに早く新作を出せという催促をたくさん受けたのに。

=映画撮影が嫌いな監督がどこにいるだろうか。 いくつかの理由があったが、私の潔癖症のためだ。
コメディーを除く様々なジャンルの映画を提議した。 自分のエージェントを介してのジャンルや規模に関係なく、ドラマに集中してほしいと要請した。 しかし、心を動かす作品がなかった。 <マイウェイ>は、さっき言ったように、そのドキュメンタリーを見た瞬間、胸が震えてきた。 すぐに韓国に電話して、これ無条件にしなければならないとしたほどだ。 その程度で心が動かないのに、映画を作ることはできないじゃない。

- SF映画<ヨナ>をご用意していたと聞いている。

=当時のメジャースタジオが製作を忌避していたミドルバジェットの中に<ヨナ>があった。 <ヨナ>の内容はまたスタジオの好みにぴったりのオーダーメイドではなかったようだ。 しかも、プロデューサーや作家の選択も適切ではなかった。 彼らも私を感動させることができなかったが、私も彼らが欲しいものをタイムリーにあげられなかったことだ。 どうやらわたしに向かって演出してはいけないという話だったみたい。 (一座笑)まあとにかくチャンスは開かれているのだから、いつかは良いシナリオに会うだろうと思う。 早急に考えない。

- 1,2編程度は、彼らが望む映画を演出し、その次の機会を狙うことができなかったのか。

=デビュー作が同時に卒業作となることを望まなかったのだ。 アメリカに何人の監督がいるのか。 韓国人である私は、典型的なアメリカの映画を撮るとしたときに、言語と文化に対する見識や理解度等を勘案すれば、彼らよりもよく撮るという観点性はあまりない。 私の場合、特別な弁別力がない平凡なハリウッド映画を撮ったならデビュー作が卒業作とされていた数多くのヨーロッパの監督とその他のアジアの監督たちの轍を踏むことになる。

- その時間の間、韓国映画界は危機論が頭をもたげた。

=私はそれが理解できない。 危機を見なかった。 これまで映画を下手に作成したり良い監督やプロデューサーがなかったからか? それらは危機と呼ばれる時期以前にもあったし、当時もあった。 むしろ良い人材は、より豊かになってたろう。 政府がファンドを作り、映画産業を育成する過程で、資本金が多くなり、そうしてみる無節制な企画が生じたために来た副作用であるだけだった。 私は、今が韓国の映画産業が正常化していく時期のようにに見える。 ただし、市場の流れが健康に競争して、相互牽制(けんせい)する流れに行かなければならないという前提に見ると、恐れがある。 力の均衡が過度に偏重すると、再び市場の副作用が起こるんで、それはすなわち、コンテンツの副作用として現れだ。

- カン・ジェギュフィルムをディレクターズという名前に再編した。
ここにキム・ヨンファ監督が一緒に参加した。 現在の市場の状況についてそれなりの腹案があった。

=特別な考えを持っているものではなかった。 とりあえず一人でしようと思うと寂しかった。 (笑)仕事をしてみると、最終的には意味が合う友達と一緒にするのが楽しそうだったよ。 ハリウッドでは監督とプロデューサーの組み合わせを重要に見るのに、韓国の現実では意味が似ている監督たちがもう少し多くの共鳴して、たくさんの生産性を持つようにすることが重要に見えた。

- 過去と比較するとかなり大きな変化だろうか。

=孤独を知っている年齢はいいようだ。 (笑)時代を動かし、世界を感動させる創造性は、創作の融合によって可能だという事実を全身で感じている。 いつも一人で書いて企画し、演出していた過去と比較すると明らかな変化だ。

- <マイウェイ>は、2011年12月に封切り予定だ。 今から気になるのは<マイウェイ>次の新作はもう数年後に完成か。

=誰がわかるか?。 <ヨナ>はオフ続行中ですが、もしそれだけ首をくくっていればまた5年の映画を撮れないかもしれない。 ハリウッドで感じ、学んだことの一つがある。 監督もプロデューサーでも、上手くいく人はいない。いわゆるクールな人々は少なくても5回多くは10本程度のプロジェクトを握る必要があるということだ。 映画ごとに時期がある。 いくら良いシナリオも時期が合わないといけない。 だからもし1つのプロジェクトだけを持っていれば、適切なタイミングを合わせるのが容易ではない。 私も様々なプロジェクトを準備している。 同時に、過去に比べてはるかに開かれた目で、他の作家のシナリオと企画を綿密に覗き込んでいる。 私の中心的な企画で、多国間の企画方式へと変貌しているわけだ。 最近、周囲の同僚たちに噂を立てて通う。 2年一編ずつやるから助けてくれと。 (笑)

- <銀杏の木のベッド>から<マイウェイ>まで。 映画の規模がずっと大きくなった。 これからもそうなのか。

=実際の規模をあまり意識しない。 重要なのはストーリーだ。

- もしそうなら、過去の歩みはどのような由来だったのだろうか気になる。

=まあ、映画監督が映画を作る理由は、同時代を生きている多くの人々にどのような響きや意味を与えたいと思うということだ。 それだけで十分なのに、私には他の何かがあったようだ。 姜帝圭(カン・チェギュ)という人が、韓国映画をしながら、アジアの映画監督としての機能と役割を果たすことができるか。 そして、私と私の映画を通じて、韓国とアジアの映画が進歩する基礎にならなければならないという強迫観念がずっとあったようだ。 私にそんな能力があるのかも計算して見ることだが、自分を解放されなければならないと考える。

多国間の企画の方法に関心が多くなった

- <マイウェイ>が観客にどのように受け入れられたら良いか。

=タイトルも『マイウェイ』と、大規模な戦争に膨大な叙事詩の構造を持っているように見えるので、多分退屈な感じに思われるかもしれない。 しかし、私は2時間30分がどのように過ぎ去ったのか分からないほど、エキサイティングで感動的な映画を撮りたいと思う。 それは私が映画を作りながら逃したくないひもである。 <銀杏の木のベッド>が公開される日、観客の一人がポップコーンを買って劇場に入ったところ、最初の一粒食べて、映画が終わるまで、一つも食べることができなかったよと言っていたよ。 <マイウェイ>も、最初のシーンから最後のシーンまで、目を離せない映画になることを願う。

- 時間が流れ、老齢になった時、どのような映画を撮ることになるのか想像してみました。

=まあ、クリント・イーストウッド監督、本当にうらやましい。 彼の映画は真剣だが愉快で力があふれている。 派手なシナリオを書いていませんが、時代を超える感じがある。 その年齢になるまで、観客と共鳴してコミュニケーションする監督が勝つ。 結局、映画監督は、常に新しい時代とジャンルに会いながら成長しなければならない。 5年前に作った映画と、5年後に作成された映画を比較するときに何の発展がなければ、それは職務怠慢だ。 映画は、特定の年齢だけが見たり、作成するのではない。 70代の監督と20代の監督が一緒に活動することができる多様性が映画の命である。 韓国映画にはそのような変化がないが、もっと成長すると、そのような時期が来るんだ。
私も長い間映画の中で遊び、映画の中で自由と思う。

ノルマンディーの朝鮮人は、実際の人物か?
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スタートは、ドイツの軍服を着た東洋人の姿が盛られた一枚の写真だった。 米国国立公文書館に所蔵されたこの写真は、第二次世界大戦の関連サイトに掲載されてネチズンの関心を引いた。 このサイトのオーナーは、アメリカの歴史学者スティーブン・エムブロスガ書いた<D-DAY>で、写真の中の東洋人が韓国人である根拠を発見したと伝えた。 本の中の一節は、次のとおりです。 "ノルマンディー上陸作戦当時、ユタ州の海岸で、米1010年の空輸旅団のロバートブルオ中尉は、ドイツの軍服を着た4人の東洋人を生け捕りにした。 誰も彼らの言語を聞き分けることができなかった。 結局、彼らは韓国人だと明らかになった。"SBSは去る2005年12月、2部作ドキュメンタリー<ノルマンディーのコリアン>を使って写真の中の男を追跡した。 当時、モンゴルのノモンハンはソ連とモンゴルの連合軍対日本軍の戦争があったし、この時点で日本軍に徴集された何人かの朝鮮人が捕虜となり、ソ連に連れて行かれた。

彼らの一部は再びソ連軍のために戦争に参加しており、これらの中には、モスクワで行われたドイツ対ソ連の戦争によって、ドイツの捕虜になった朝鮮人がたまにいた。 製作陣は、当時のソ連軍捕虜たちが集まっていたドイツの強制収容所へと向かう。 そして、ここで捕虜名簿にある朝鮮人の写真や名前を見つける。 ノルマンディーの朝鮮人が、実際の朝鮮人か日本人なのか明確な結論を下すことはできなかったが、日本軍に徴集された朝鮮人がソ連を経て、ドイツに達したという仮説についてそれなりの忠実な根拠を見つけたのだ。 以来、ノルマンディーの朝鮮人についての仮説は、戯曲、小説に分極された。 ジョ・ジョンレ作家の小説<ああ、神>も、この仮説を素材にした。


文: ガン・ビョンジン 写真: ベク・ジョンホン | 2011.01.11

文中の叔母ヶ(イ・モグ)撮影監督は映画「ノムノムノム(Goodbadweird)」(キム・ジウン監督)の撮影監督でした
by kazem2 | 2011-01-11 22:01