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[ダヒェ里の最近何読む?]"考えることをしなければならない"

☆cine21.com
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    <チョムスキーのように考えている方>ノルマンバヤルジョン著/ガラパゴス社発行




1997年には、ソンソクチュン前<ハンギョレ>論説委員の<新聞を読むの革命>が出版された。 マスコミの恐ろしさを大衆に分かるようになった時期、'アンチ朝鮮'運動の時代であった。
このような課題に対してどのように別の方法で話すことができるか、韓国の現代史がどのように歪曲されて提供されてきたが本格的に議論され始めた。 そして、2010年。 世の中にはたくさん変わった。 何よりもメディアの性質がたくさん変わった。 これで、紙の新聞だけを置き、情報伝達の歪曲の危険性を論ずることはできなくなった。 放送と新聞を持っていた権力は、オンラインでその場を相当部分ネジュゲになったから。 セクシーなタイトルで武装してクリックを誘導するポータルサイトの短いニュースのタイトルたちは、洪水などの自然災害から、近所の劇場の映写事故までリアルタイムで中継されているTwitterのタイムライン...。 考えることの代わりにクリックして、うわさやニュースは、無限大の異種交配によって一瞬のうちにポジョナガンダ。 そうなとり、どのような案件についての客観的な情報は知らなくても、その問題についての人々が何かをもっとよく知ることになる。 ファクトの代わりに考えや意見が溢れている。

『言葉と文章を鍛えて、数字、言語、メディアの嘘から僕を守る技術』というかなり長いサブタイトルが付いた<チョムスキーのように考えている方>をジプオドゥンのは『私はクリックする航路を考える』の疑いで、自分自身も自由ではないという憂いから始まった。 なんでもよく信じるという意味ではない。 かえって何でもよく不審だと言わなければ正しいのだろう。 "簡単に信じてはいけない"という考えは、ニュースの事実関係を検証しようとする努力を育てるのではなくいったん疑って見る癖を作った。 <チョムスキーのように考えている方>の『入る文』冒頭には、フランスの数学者アンリプエンカレウイ"すべてのことを疑う態度や、すべてのことを簡単に信じる態度は、同じように便利な解決策ですが、私達からの深さについて考える機会を奪っていく"という言葉が載っている。 その言葉どおり、この本は簡単に疑うか、簡単に信じるの代わりにちゃんと考えている方を教える。

例えば、映画のタイトルでも知られる『付随的被害』(collateral damage)という言葉は事実の「民間人が死亡」の婉曲表現である。 宣伝文句に登場するマルジュルイムピョヌン酷評を好評に変身させる魔法のムンジャンギホダ。 論理展開の過程で、"はい、はい"という言葉を繰り返し、相手の詭弁に越えて行ったことのある人なら(もしくは論理学の本を読んでいて難しくてあきらめた人なら)『言葉と文章の真実をケネヌン20種類の論理のツール』という章を参照してほしい。 数字恐怖症に悩まされている『ナチュラル本ムングァセン'であれば、2章と第4章で説明する数学(確率統計)と科学の文をよくお読みみよう。 難しくないグロ使われたが、書き込みをした蛇口一の蛇口が一種の'練習問題'のような式と時々頭をジュウィオトゥトゲかも。 そうだ。 ちゃんと考えている能力は、この本を読むと起こるのではない。 考えることをしなければならない。

文: イダヘ 2010.12.16
by kazem2 | 2010-12-16 20:39