ANEMA E CORE


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眠りがパッと覚める「画面発」の衝撃

☆cine21.com.ソウル国際建築国際映画祭


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            <時計じかけのオレンジ>の中の二つの領域を包括する大邸宅




1997年の遅い冬の夜、職場で何人かの友人と一緒に一団となって毛布をかぶって、ビデオの再生ボタンを押した。 コピーにコピーを重ねたように荒い画質と音質を実現する映画の一方が始まった。 タイトルは<時計じかけのオレンジ>。

私は、当時の建築と3年生の学生だった。 何か世の中は建築を中心に流されたと信じていた、あるいはそのようにされるべきだと信じていた時期だ。 当然、映画を見る視線もそうだった。 映画のオルゲと建築のプロセスは変わらないと考えており、映画の中のスペースが設計作業の源泉になることがあると考えた。

しかし、立派な映画では、言語の障壁を越えることはできなかった。 字幕がなかったので、内容を理解しておらず、遅い時刻の出版物まで重なっている風に私は、序盤からこっくりこっくり居眠りを始めた。 幻聴のように雨の中で歌を歌う声が聞こえてきた。 そうするうちに、ふと私は目が光っているが覚めた。 急に精神を強く与えることを許可したのは、まさに、この高級住宅の場面だった。 まるで凄惨なレイプシーンを赤裸々に見えるように設計されたかのような空間。 フレームの中の家は公的領域から私的領域に自然に流れた。 そして、悪童たちは、その領域の流れを中断させ、残酷に女を蹂躙した。

振り返ってみればその時は、何か素敵なデザインをしてみたいと思った生半可な熱望があった。 良い建築とは何かという質問への回答を言うにはまだ難しさを感じるが、少なくとも素敵なデザインの一つの要素は、'サジンバル'だった。 映画の中の高級住宅は「画面発」がよく受けた。 レベルの車を使って空間が一つに紡がれる、住宅のスペースにちょっとでも来たの耳目を集中し、眠りから覚めることができる。

10余年が経った今、いざ実務に飛び込んで、画面のフィートやサジンバルをよく受けるの構造がどうでも良い空間はない可能性もあるということを感じている。 それでもまだその時代に経験した画面の中の空間への記憶が鮮やかなのは、それだけ印象が強烈に残った可能性だ。 そして、1970年代初めにすでに、2010年の私は、まだ設計することができない素敵な家が建てられていたことについて、まだ嫉妬をしているからかも知れない。


イ・ファジョン
by kazem2 | 2010-11-26 18:55