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映画「フェスティバル」 "変態"カップル

☆cine21.com
'変態'カップルらの変な行進を素材にしたセックスコメディ<フェスティバル>
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目を洗って見ても正常ではない。 <フェスティバル>の人物らは迷惑焼けという必要がなく全部‘変態’だ。 警察官の杖配(シン・ハギュン)は‘西洋人の輩’らよりあれが大きいという根拠がない自負心を確認するために悪悪当てる。 杖配の乱暴だということに愛想が尽きた英語講師指数(オム・ジウォン)は‘私一人でオルガスム’のために各種道具を買い入れる。 韓服ブティック店主人スンシム(シム・ヘジン)は夜ごと町内金物屋に立ち寄ってキリルを申告ムチを振り回す。 反面がっしりした体格の奇峰(ソン・ドンイル)はスンシムの処理できないカリスマの前で仮面をかぶって這い回る。 大きくなった大人たちだけ‘変態’ではない。 女子高生慈恵(ペク・ジンヒ)は汗にぬれたパンツを売って金を儲けて、慈恵のデート申請をいつも断るかまぼこ長寿サンドゥ(リュ・スンボム)は話すことも歩くこともできない人形と熱愛中だ。 国語教師クァンロク(オ・ダルス)もある日から突然ランジェリーを好んで着始める。

<天下壮士マドンナ>に続くイ・ヘヨン監督の二番目長編映画<フェスティバル>は‘変態’カップルらの変な行進を素材にしたセックスコメディだ。 ‘疑問に思われればまた見て怪しければ申告しなさい。’風紀紊乱取り締まりを避けてある町内生きる変態カップルらが各種騒動を整えるが、例えばこのような形だ。 大きくなってこそ強くなるという確固たる信頼の所有者杖配は同居の女の指数のバイブレーターを嫉妬して、対物と認められたくて焦る杖配のために指数は制服着た女子高生に変身する。 SMで意気投合したスンシムと奇峰は一層強める。 彼らは想像の中のセックスを満喫できる各種機構らを共に発明するのに余念がない。 慈恵はサンドゥの歓心を買おうと薬を乗ったバッカスを差し出して、一歩遅れて発動した性的興奮をこらえることができなくてサンドゥは警察の前で自衛する姿を見つけられることさえする。 部屋の中でぐるぐる回ったクァンロクは? 直接確認しなさい。

“<ラブ エクチュオルリ>のそっとポルノ バージョンならば良いだろう。”イ・ヘヨン監督の望みどおり、<フェスティバル>は健全社会を逸脱しようとする‘変態’らの果敢な愛情行為をさっと描写する。 ‘変態’らの奇異で不思議な行為を気軽に受け入れることができるのは<フェスティバル>が投げる反問のためでもある。 <フェスティバル>は‘全部していますか’代わりに‘全部楽しんでいますか?’と尋ねる。 仕事をするようにセックスして、他の人々のようにセックスして、だから幸せかとの追及だ。 そうした点で‘変態’らの嬌声は特別な寝床(トンボ)をほしいという風変わりな好奇心よりセックス一度正しくしてみようという必死な必死のあがきに近い。 おいしそうに大使を打って当たり前のように状況を示す俳優らの上手なことも引き立って見えるが、変態らのどたばたが彼らを変態と指差しする世の中と正面からぶつかる時おまけで派生する痛快な爆笑が<フェスティバル>の面白味だ。

劇中人物らは誰かの彼氏だとか誰かのママだとか誰かの先生だとか誰かの娘だ。 彼ら全部セックスをしたりする。 杖配は進級できない腹いせでセックスをして、指数はうっとりした快楽を待ちこがれてセックスをする。 同床異夢だ。 スンシムと奇峰カップルはどうか。 セックスが盗みでもなっているように彼らは頭からかぶるチマを使って、住民たちの抗議を心配しなければならない。 慈恵とサンドゥと事情が違わない。 慈恵にセックスはまだ経験することが出来ないときめきである反面サンドゥにセックスはいつも恐れだ。 二つともひっそりと想像の対象とセックスを夢見るほかはない。 “お前が私を分かって”と大声を張り上げてみても解決されるのはない。 <フェスティバル>の人物らは互いにぶつかりながら他人の好みを尊重するのに先立ちコンプレックスでゆがんだ自身を堂々と肯定することが先にであることを習っていく。

変態らの逸脱は結局楽しい遊びとしてのセックスを復旧するための冒険だ。 その冒険の開始は‘健全で安全な’社会に足払いをすることで、その冒険の終わりは変態という烙印にもクールに笑って祭りを楽しむことだ。 スンシムが娘に“世の中には変態ママもあるの”と話す時、また、奇峰に‘私たちの地獄行こう’で話す時、本当に地獄がどこなのか、本当に変態が誰なのかあらわれる。 そうした点で<フェスティバル>は変態男女を前面に出して世の中の変態を夢見る映画だ。 (最後の場面をのがさなくなるように。 びっくりさせようとする意図というより愛の奇跡を証明する感歎詞。)

文:イ・ヨンジン2010.11.17
by kazem2 | 2010-11-17 19:14