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映画「深夜のFM」八方美人監督の2番目の長編演出記

☆CINE21.com
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                         <深夜のFM>ギムサンマン監督




<深夜のFM>で、ラジオの音楽番組DJであるゴ・ソンヨウン(スエ)が最後の生放送中に、自分の家に侵入して、家族を人質に取って自分自身を脅迫するハン・ドンス(ユ・ジテ)と伯仲した舌戦を繰り広げる時には、この映画は、このように最後までガーナと思う。そうではない。
カメラは、スタジオを抜け出しところのスペースに応じて、人物たちの話に追いついて、音楽的にはスリルロジョク感情を密かに高める。空間美術と音楽の比重が高い映画なのに知ってみると美術監督と音楽監督の経歴を持っているギム・サンマン監督の映画だ。
彼は才能が多くの人々である。弘大のインディシーンでは、『太ももバンド』と『スーパーストリング』のベーシストで通じてポスターのデザインで、映画界に入門した後には美術監督の音楽監督まで、一次のついでに、映画監督までこなした。 <ガールスカウト>が、最初の演出作、今回の映画<深夜のFM>が二回目だ。彼に会って、2番目の演出作の便を聞いた。

- 視覚デザインを専攻なのに映画に近いこともあるが別の場合、また分離された分野だ。どのようにヨウンファチョク仕事になったのか。

=ポスターデザイナーとしてスタートした。 <アクセス>のシン・ボギョン美術監督が、学校の同期なので、<接続>ポスターを作成する事に参加することになった。いわばヨンジュルインよ。 (笑)ミョンピルルムで、<静かな家族>までにしてから美術監督の仕事を試してみるといって、<太陽が西に浮かぶには><共同警備区域JSA><ハッピーエンド>に戻っていた。ミョンピルルムで<ハッピーエンド>終わるテチュムエヌン演出を試してみると言っていたよ。 <共同警備区域JSA>ときは、シナリオも一方で使って見たけどSFスリラージャンルであった。しかし、当時の環境で作成するのは難しい映画だったのであきらめた。それでそのうちのポスターのデザインを再専念していたのにチェホ監督が美術監督をしてくれとよろしいよ。最初は少し躊躇した。ところが、音楽監督までの原基、両方した。 (笑)グジュウムブト演出をもう一度したいという思いが大きくなり、その次の<ガールスカウト>をすることになった。

- シム・ジェミョン代表や続く監督がほんの少し賢く見えるという演出までの勧誘はしなかったようだが。

=監督と絵コンテをチャミョンソシナリオを解釈する過程を注意深くご覧になったようでその時の好みを発見されたのようだ。

- それからソノァトドンSFスリラーは再びやる気があるのか。

=時性が必要なことなので駄目みたいだ。その時にグンミレロとったの背景が、すでに今では過去になってしまったため、作成されたと言ってもグテウイヨンハルだ。

- 美術や音楽上の専門家であるので、どうしてもそちらに関しては、独自の解釈があるようだ。

=実務者を見た経験があってのスタッフたちにもっと具体的に話すことができたんだ。もちろん、スタッフたちはもっと疲れていることもあるだろうしそれとももっとピョンヘトウルこともあり。 (笑)例えば、高英が働くのラジオスタジオスペースは、孤独な閉鎖的な感じが必要だった。セットの中での照明のセッティングに気を使ったし、ハンドヘルドをたくさんした。ソニョンの家では、人物の動線をあらかじめ計算しておいたのがいくつかあってそれがよく出てくるように気に書いて行った。音楽は大きなトゥルマン述べていた。デフォルトでは、ハリウッドのジャンルの映画の方法に集中しようが、その中でも、変形されたハリウッドの音楽を追求しよう、というのだった。

- <深夜のFM>二人の主人公の一人であるハンドンも同様の話をするDJは、多くの映画たちで主人公として扱われた。もしそうなら、この映画は、どのようなきっかけで開始されたの。

=映画会社側がすでに企画を持っていた。最初の設定では、分離された2つのスペースで行われる、二人の人物があわず、自分のスペースを離れてもだめで、離れることもない話だった。ジャンル的スリラーで走って映画を作ろうということだった。それを受けた私としてはスリルが他の方法で表現されている場合と思ったようだ。映画音楽室と呼ばれるプログラム自体から連想される風情、ゴジュノクハムようなものをスリラー的な状況が割り込んでケトゥリミョン、その影響がより大きくはないかとする方向に行くようになった。実際のラジオ番組もいろいろな種類がある場合もある。時事番組をインポートすることもできたことであり。しかし、スリラー的な状況が静かな雰囲気をケトゥリヌンものは映画、音楽、プログラムがよく合った。

- 主人公の高英がラジオのスタジオを出ると、この映画の本格的な野心が感じられる。

=一つの空間で、すべてを終えるの映画もある。ジャンルの大家ならそうすることもできる。 <ポンブス>のように。そのような利点もあっただろうが逆に、ちょっと息苦しい感じもあって、領域を拡大して見ると思っていたのだ。

- そのような場合は、どこにどのように抜け出すかの問題が重要になってのだろう。

=スリラー映画で、なぜ必ずラストシーンは、廃工場なのか、という質問ではないか。 (笑)そのような典型的な状況をよく知っているので、被害者は考えてはいたが、それでも、映画の雰囲気を満足させなければならないという考えから、今のペースを選択した。あまねく悩んだ結果だ。都心から近くなるようにし、ジャンル的にうまく収まるスペースを選んだ。

- 一方では音楽の選曲が映画のストーリー展開と直結されるので、音楽の使用はやはり重要なようだ。

シナリオ頑固にソノァトドン選曲を使い切ったわけではなかった。若い雰囲気の音楽を使わなければならないという意見も多かったが、そのような音楽は、私は考えて静かな雰囲気を作成するために、しばらくは限界があった。観客がたくさん知っている音楽をスドゥェ古典映画の音楽のコンセプトをたくさん持って来た。

- 例を挙げるなら。

=そのうちにすることが、高英への最初の曲で<ボリュームをあげよ>に挿入された<エブリーボディノーズ>を要求する。この映画は、海賊放送をするDJが世の中の不条理を糾弾し、抑圧的で閉鎖的な生活をしていた学生たちがそれを聞いて気づかせる内容ではないか。高英が投げるのメッセージを聞き、誰でもそんな風に続く可能性があることが敷かれている。そして、この歌の内容も、既得権を持つ人たちの行動は、みんな知っているが変更されないので。映画でも出てくるけど、他のバージョンになった曲なので状況的にもスリラーを表現することができるようだった。

- 人物について少し単純に聞いてみたい。 <タクシードライバー>のトラヴィスが先なのか、<深夜のFM>のそのうちにすることが先なのか。

= <タクシードライバー>が先だ。古典的な人物を連れて来て思った。そして、ストーカーと呼ばれる要素も一緒に取得しようとした。 <タクシードライバー>は、主人公がタクシーの車窓を通して見た世界を歪曲して解釈するという点で、そのうちにできるのキャラクターと届く点がある。

- <タクシードライバー>のトラヴィスは、映画史的にあまりにも停電に属している人物だと、今回の映画を見ながらウンヨンジュン比較することになる。そのうちにすることは誰だろうか。

=高英がメディアを代表する存在ならそのうちにすることは、そこに影響を受けた人物だ。しかし、どのような過程を経ることによって連鎖殺人魔がどうなったと思うのはググジョルジョル説明する必要がないように見えた。社会を見据えて、この歪曲されたし、彼がメディアの影響を強く受け、映画というメディアをナルシシズム的に模倣するような状況をより多くのそして思った。衣装もそうだし、ナルシスト市内だとするのか。自分の存在を隠すより露出のほうだ。

- そのうちにすることの初登場を見ると、立っている姿勢や服装のために『大きい、怖いという印象を与える。

=チャンピオンを示さない代わりに彼が登場すると観客には十分に威圧感を与えなければならないという考えはした。表現である場合もあり、他の可能性あり。ユ・ジテ氏がどのような映画でも柔らかな感じのように言われているのに実は画面で、不明な威圧感、強い存在感を持つ俳優という点が気に入った。その最初のシーンのイメージが重要だった。観客に登場するときに与える威圧感だ。高英の弟のサムがそのうちにすることを最初に発見することにするか、観客が彼を最初に発見することにしようか悩んだが、観客が最初に発見することにしたいと思った。

- ユ・ジテの存在感への関心を語った。スエはどうだったか。

=一応高ヤングは、今ではラジオの映画音楽番組DJであり、過去のニュースのアンカーだったのだから良い声を持ったもので、もうガニャルプジマン教壇あればいいなと思っていた。スエさんはもちろん、昔からの強い役をたくさんしてきた。しかし、それが外部に表出される方式ではなかった。にサクイヌンの強いキャラクターだったとしなければならないか。今回は、外部的に表れる爆発力がある。

- 誰が"スマートフォンがなかった場合は、この映画の仕方ポンヘトニャ"と言っていた。 (笑)、実際に成功にならない場面がある。

=ビデオ通話という点が重要だった。どのようなスマートフォンでもビデオ通話が可能な一般的な電話機に比べてダントツに良かったので特に問題はなかった。高英が有名人であるほど、多くのストーカーからすでに電話くらいは受けたことがあるので、それよりも、目で見られてこそ、強い反応を伝えることができるようだった。お互いに分離された空間での刺激をやりとりするものだから同様に自分の目で直接確認する装置が必要だった。ビデオ通話の特徴が通話者が画面を直接見なければならないのでレンズの俳優が直接表示すると、観客が感じる戸惑いもはるかに育てることがあるだろうと思いますし。単純なソースではなく、フルフレームでたくさん書きたいと思った。独特の質感も気に入った。しかし、残酷な場面では、タバコのフィルム(殺人、強姦など実際に起こった犯罪行為を撮影した画面)の印象をジュルカブワ意図的にCGを利用して、液晶の印象を中和した。

- メディアへの指摘もあるようだが、それは映画の中でどの程度重要な部分だったのか。

=メディアを批判するというより、メディアで思わず投げる言葉がどのように受け入れられるかに焦点があったりする。悪意のないコメントは歪曲された方法で対応するリスナーの方式もあるし。情報があふれて発火者と収容者が入り乱れる状況で誰かが内容を歪曲して受け入れてしまうような極端な状況がこの映画に入って来るようになったのだ。

- この映画は、ひろがる物語構造だ。場所は、シーケンスごとに明確に分かれて仕事はますます大きく広がる。

=高英が一回気絶し、彼女の状況を周辺の人物たちが知ったとき、彼女がいつもと違って放送事故を起こすときに、どのように他の人々がじっとしていることができようか。介入するのが正しいと思っていた。それ以外の場合、他の助演たちの演技も調整するのは難しいようだった。状況に応じて変化する主人公の高英の千変万化にも関連していることだ。便利な発想のように見えるかと思って心配されている点だったが、商業映画の選択としてのスケールを育てたり、人物の変化に焦点を合わせて、外部に拡張されている物語を作ってみようという選択だった。何よりもハリウッドのシナリオ作法のジャンルの映画に模範的に実装しようとした。キャラクターの提案、状況の設定などを使って忠実に結び目をつけようという考えだった。前作<ガールスカウト>で主人公以外の脇役たちを機能的にしか使ったことを後悔した。メンターは、邪魔者、補助者等ナヌドゥェ便宜的にしか使わずにたまの役割の変化をジュォボという考えだった。

- もちろん、最後の場面が頂点である。

=この映画は男女の対決である。やはりキャラクターが重要なようだ。主人公の高英がアナウンサーとして成長し、没落し、DJとして人気を集めることができたのは言葉の論理によってだったが、今までこんなに危機に処したときは、何ができるだろうか。最後のシーンを単純にアクションのシーケンスを作成し、興味はなかった。この映画のエンディングは、全面的に高ゼロのキャラクターを元にして作成するしかなかった。

- 映画をすべて作成して、私は次の今の印象はどうか。

= <ガールスカウト>では、やや計算方式で映画を撮ったようだ。撮影監督の性向もあるのに、今回は変化を与えてコンテを描く以外に行って寝ていた。現場での可変性で学んだことが多い。私は、ミスルチョク専攻だと見ると俳優よりミジャンセンに気を使うようになるという点で、これまで反省があったが、今回は現場で俳優たちが表現する熱気を感じながら、そこから多くのことをインポートすることができて良かった。

- これからも多くの仕事を並行するつもりなのか。

=すでに多くのことを並行してはいるけど、今は演出に集中することができればいいな。記載されているアイテムはいくつかある。ジャンル映画の性格を持っている映画だ。スリラー、SF、アクション。これ以降の映画もそのような方ではないかと思う。

文: ジョン・ハンソク
写真: チェ・ソンヨル 2010.10.25


今日は 違うところでもキム・ジウン監督の言う
マーティン・スコセッシ監督の映画「タクシードライバー」の記事を読みました
ここでも「タクシードライバー」が出てきましたね
マーティン・スコセッシ監督はいろんな人に影響を与えているのですね
by kazem2 | 2010-10-26 11:48