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[キムヘリの映画の日記] 9月8日〜9月15日

☆CINE21.com
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                     <パンフレット>



クロードシャブロルの映画で、食べることは、食事からマダムボバリガ飲み込んだヒ素まですっかり重要である。語録を探してみるとシャブロル監督は、食べることをジュルギョトウルプンドロ食事のシーンを撮影するときに俳優たちが台詞だけして、きちんと食べられていない方式の演出を非常に嫌っていたようだ。愛煙家でもあり、写真ごとにパイプのタバコが手に落ちることはない。いろいろと人間の『容積』を床面まで露出する映画だった。

9月8日
どんな鏡でもないのに私たちは、スクリーンに向き合うばかりだ。指定された一点に喜んで釘の刺さって映画を見る。ひょっとして、スクリーンの周りをゆっくり歩きながら横目で見て思うことはなかったか?映写室の前にそびえて立ち上がって自分の影をわざわざ映画にのせて見るの望んでいたことは?ただ一度も?スクリーンの後ろに隠れ潜んでは、鏡の国のアリスになって見たいと思ってはいなかったのか?方法は、うんと映画館と似ていく現代美術ギャラリーに行くのだ。アピッチァポングウィラセタクン監督の<プリミティブ>連作が『メディアシティソウル2010』に来た。過去と未来の日記を編集した本が置いてある入り口を通って、暗い展示室に入ると、六本のビデオが水平垂直方向に置かれた個々のスクリーンで、無限に繰り返される。見物人を囲んだ画面の中の空間は、すべてのタイ - ラオス国境の村落ナブア。内戦虐殺にイデオロギーも記憶もジョルミョルドゥェン村では監督は死んでいる農夫たちの大地とその息子たちを撮った。青年たちと一緒に走って原野に宇宙船を作ってフレームワークを打ち上げる。何も残っていないように見える場所で、記憶と運動が野草のようにドトアナンダ。

展示場を渡って記憶に刻まれた名前が見える。ダグラスゴードン。 2006年の映画<脂:21世紀の肖像>(Zidane A 21st Century Portrait)を共同演出したアーティストだ。 <脂:21世紀の肖像>は、レアルマドリードとビジャレアルのリーグ戦でのゲームの流れは、ものともせずただ不世出のMFジネディーヌジダンの顔と動きを17台のカメラで90分間見なされた映画だった。私達が見るのは、シュートやアシストではなく、全神経をボールの方向付けに集中してひたすら待って歩いて走る人間である。前にゴードンは、ヒッチコックの<心理>を1秒間に2フレームずつ上映するプロジェクト<24時間サイコ>として知られたりした。彼の映画は、ただの風景で、ムルサンである。美術家としてオルマドゥンもたらして書くことができる。 'メディアシティソウル』に来たゴードンの作品は、<ロバと一緒に禁欲主義>(Travail with My Donkeys)である。元フランスのアヴィニョン大聖堂に設置されたというこの作品の意図は複雑ではないようである。二つのスクリーンと、一台の小型ブラウン管TVは、中世のキリスト教で不精な愚かな動物と比べるとされていたロバがアヴィニョンの神聖な建物の中を無心に歩いて通って、自然に排泄する姿を見せてくれる。ロバの天賦謙譲は、人間が神を称えのに建てた壮大なドルビョクグァは全く対照的だ。赤ん坊のイエスキリストの飼い葉桶は、このまろやかな獣たちのすぐ近くにありそうだ。

9月9日
<シラノ ヨンエジョジャクダン>を見た。ピカデリー劇場に行く時はいつものように、<接続>を回想して激しい雨の間に2階のコーヒーショップを見上げた。 <クァンシクの弟クァンテ>のキムヒョンソク監督は、今回も恋愛のタイプとルールを探そうとする。何が悪いところ、変数のいずれかを正すなら可憐な恋愛を救うことができないだろうかゴプシプヌンダ。ですが、今回は『操作』を科する。奔放な楽しさも変則 - ルールのバンミョンジェ - のカテゴリーの中で想像したらガプガプハダ。感情は震えて流れるのだが、最初に建設されたカテゴリのほかピジョしていくところがないからだ。ロマンスのジャンルのジャンルの映画であることを考慮するとしても、ルールのイェファのために引き込んだの要素を完全に結び合わせるジョニー後半に行くほどの映画の体が重くなる。映画の中の妻の後ろ姿を描いた画家ヴィルヘルムハメルショイウイ作品が引用された理由は何だろうか。私たちは、恋人が振り向いて立った時だ彼をきちんと眺めることができるという意味だろうか。

22年前の今日は、シドニールメト監督の<虚空への疾走>(Running on Empty)が初めて公開された日だ。心待ちにしてみると、その年の映画に出演したリバーフェニックスは、映画のようなタイトルが付いているジャクソンブラウンの歌のようにヨルイルゴプサルだった。そして、映画の中の相手役の少女俳優マッサプルリムトングァ付き合っていた。時間は、無数の夏野菜とサラジョガトのですが、チョロクマン雪の中に残って濃くていく。

9月12日
ジュソンチョル記者から、彼がコメンタリーに参加したイマニ監督のコレクションDVDをプレゼントされた。 <休日>を見て、キムスンオクの短編<車や一杯>を思い浮かべる。労働をしていないかしたくてもきない<休日>と<車や一杯>の都市への余暇はミロゴ刑務所である。現代の映画の俳優は何よりも疲労を延期することだという言葉を痛感する。忘れにくい奇妙なセリフ一言。 "女性は瞬間を永遠にする不思議な編みのような腕を持っているんですよ。"やっぱり忘れにくい酒場フェビョクのたくましくして、悲しい落書き一行。 "ヒバリのように楽しく、小川のように着実に、太陽のように熱く。"

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                      <チョコレートのおかげで>
9月13日
クロードシャブロル監督が死去した。八十歳の誕生日が석달銭だった。 <チョコレート、ありがとう>に選曲されたリストの葬送曲は、彼をヨウンギョルする席にもフルロトウルカ。シャブロルの晩年は、ブルジョワの家族を解剖した室内スリラーとして記憶される。どの大引けドラマも意欲を釘出す恐ろしい三角、四角関係も厭わなかった。舞台が舞台であるだけに、大勢のためにご馳走の食事のシーンが特に多かった。シャブロルの映画で食べることは、食事からマダムボバリガ飲み込んだヒ素まですっかり重要である。語録を探してみるとシャブロル監督は、食べることをジュルギョトウルプンドロ食事のシーンを撮影するときに俳優たちが台詞だけして、きちんと食べられていない方式の演出を非常に嫌っていたようだ。愛煙家でもあり、写真ごとにパイプのタバコが手に落ちることはない。いろいろと人間の『容積』を床面まで露出する映画だった。エリックロメールに続き、クロードシャブロル。長寿の秘訣は何なのか、酒の席の冗談でああだこうだとしていたヌーベルバーグの監督たちが忽然と去っていく。除して察してみる。ジャンリュックゴダール79歳、ジャックリベット82歳、アランレネ88歳、アーネスト塗る82歳。

あいにくにジャンリュックゴダールに関するインターネットのニュース。フランスでMP3を無断でダウンロードできる告訴さ2万ユーロの罰金を受けた青年ジェームスクリーブランドマンの訴訟費用にゴダールが代理店を介して1チョンユーロルルボテトダゴする。クリマン側の話ばかりで、完全に確認されなかったが、ゴダールは普段、"知的財産権のようなものはない"という立場だった。 "私の作品の継承に反対する。芸術家の子どもは成人になるまでは親の作品の著作権から利益を得るかもしれないが、成人後であれば、例えば、モーリスラヴェルの子孫が、<ボレロ>になぜお金を得なければならないか分からない"とも述べた。芸術の保護育成策が最も整った国の巨匠監督だからこそ持つことができるという確信ではないか。

9月15日
季刊<文学トンネ>が日本の雑誌からワンヨク転載した村上春樹のインタビューを読んでいる。小説の人称をノンハドンのトランアンユン監督が演出した<ノルウェイの森>試写会に行って来たという言及が出てくる。 "(映画を見てナニ<ノルウェイの森>は)'や'が様々な風景や出来事を通過した話なんだな、という気がしますね。小説を書くときは一人称の人の視線だったので基本的に一人の青年の遍歴期だと思っていたのに映画を見ると四女の話でした。 (中略)つまり、スクリーンでは、渡辺徹も、他の登場人物と同じ割合でみられるんです。 (後略)"もちろん、映画が人称に関しては、本来ちょっとプレーボーイですが、この言葉は、もしかしたらトランアンフンウイ映画の円周の注意ではないか? <ノルウェイの森>の中核で個性的な十九才の青年が、世界と触れ合う感覚と混沌を制限するならば、それは多分誰の話もないことができる。

訪韓したアーノルドシュワルツェネッガーは、KTXに乗ったは、ニュースのヘッドラインを見た。 "いつか世界は映画になるだろう"という言葉がこのようなわけではないはずなのに。

文: キムヘリ 2010.10.08
by kazem2 | 2010-10-08 19:10 | Comments(0)