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[外信記者クラブ]アデュー、アラン・ コルノ

☆「CRIME D'AMOUR(ラブクライム)」2010予告編
☆CINE21.com
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遺作<ラブ クライム>で彼の別れの挨拶を。。。



アラン コルノ(1943~2010),彼が亡くなった。
私がコラムを書いている今この時間映画館では相変らず彼の最後の作品<ラブ クライム>を上映中なのに。 コルノはなので存在と不在の間、芸術家特有のその妙な空間に置かれていることだ。 彼は<セリヌアール><悪の迷路><世の中のすべての朝>のような何本も興行作を作った作家だ。 最近何年の間財政的失敗に芸術的失望感まで味わったコルノは旅行の中に逃避していた。 特に彼を魅了させた国ミャンマーで。 彼は韓国も知っていたし、韓国の山にも行ってみたことがあった。 釜山(プサン)映画祭や富川(プチョン)映画祭で彼をあった人もいるだろう。 コルノの旅行遍歴は彼をインドにまで連れていったしそこで彼は<Nocturne Indien>を撮影した。 <恐れと震え>では日本が作品の背景になることもした(実際撮影は事務室密集地帯のパリの‘ラデファンス’でしたわけだが). コルノに会ってみた人ならば口が耳まで上がるように明るく笑う彼の微笑もまた、記憶しているだろう。

コルノに対してはそれほど研究されなかったけれど愛着がたくさん行くフランス映画関係者世代に属する人だ。 フランソワ・トリュフォーが生まれて10年後に生まれたコルノ、話すがならば彼はヌーベルバーグに属するにはとても遅く生まれたことだ。 ヌーベルバーグの歴史的重要性を無視してはいけないが、その動きの破壊的結果もまた忘れてはいけない。 1960年代の若い反抗児らは既成世代を無慈悲に攻撃することによって彼らの個性を表現した。 彼らは映画会社の重要な部分まで容赦なく投げ飛ばしたし、フランソワ・トリュフォーとゴダール一党はチュィルリアン デュヴィヴィエ、アンリ ジョルズ クルーゾー、ルネ・クレマン同じなかなか良い映画関係者まで気持ち良く踏みにじってしまった。 映画専門紙らが互いに戦ったし、<Xのデュシネマ>きて<ポジティプ>がするどく対抗した。 紙面上でハワードひょっとして付くジョン・フォードに対抗したし、クルーゾーはルノアールに、プヌィエルはロッセリーニに対抗して戦った。

1970年代映画会社の風景は言ってみればあたかも廃虚になった戦場と似た。 戦争の斧を埋めるのはアラン コルノ、Bertrandタベルニに、クロス ミラー同じ世代の映画関係者の役割だった。 これらと一緒に和解の時間はきて、クルーゾーとルノアール、<Xのデュシネマ>きて<ポジティプ>、二つとも同時にフランス映画の代名詞となる。 こういう過程は何より俳優の選択を通じてなされる。 コルノは初期作品から世代を超越して俳優を選択したし、色々な部類の俳優らと共同作業するのに慎重を期する。 1970年代に彼はイブすっかり、シモンヌ シニョレ同じ大俳優らを当時若い俳優であったパトゥリクトゥベル、ジェラール トゥパルディウェ、カトリーヌ・ドヌーブなどと共に演技するようにする。

何より観衆をまた集めなければならなかった。 これ以上若いパリジエンマンをための映画は作ってはいけなかった。 これがすぐにコルノと彼の同僚らが人気作家の作品を脚色して映画で作った理由で、探偵映画を常時で大衆をたくさん呼び入れるジャンルで主に作業した理由だ。 コルノが作った映画の半分以上が探偵物だ。 探偵物はアクション、暴力と関連があるけれども、普遍的なテーマの死や罪悪感、定義とともに誰でも共感できる人間全般の問題とも関連がある。

コルノの他界の便りに私は<ラブ クライム>を見に行った。 相変らず探偵物だった。 癌と闘病をしたコルノはこの映画が彼の最後の作品になだろうということを知っていた。 そのような彼が映画の一場面で私たちにお別れを告げていた。 ルィディビン サニエルが演技する人物がラティンガにある限り小さい映画館に入る場面であった。 カメラは映画館入口にある大きなポスターに固定されていた。 スタンリークレイモの<その日がくれば>(On the Beach)だった。 ルィディビン サニエルが切符を買って闇に向かって歩いていって…そのように、コルノは消えていった。

文:アドゥリアン公報(ポジティブ記者. 映画評論家) 2010.09.15

翻訳チョ・スミ
by kazem2 | 2010-09-15 19:22