ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

宮崎駿の後継者は誰ですか

☆CINE21.com
スタジオジブリの未来はどこへ行くのか
e0109292_2028233.jpg

                  東京都、三鷹市にあるジブリミュージアム





2006年<ケド戦士:アース時の伝説>スタジオジブリ社内試写。
宮崎駿は映画の途中で席をはずした。そして劇場を出てタバコに火をつけた。 "これはなりません。 "彼は苦々しい表情になった。 <ナルニア国物語記> <リング>と共に世界3代ファンタジーに選ばれる大作 <ゲド戦士>を原作にしたアニメーション。宮崎駿の長男宮崎高炉が演出して製作初期から期待を集めた作品。宮崎駿はその結果に失望したようだ。しばらく沈黙したし、用心深く口を開いては"不発だった"と話した。 "映画が正面を向き合っていません。 " <ゲド戦士:アース時の伝説>は封切り以後ぬるい原作の変形、不均質な出来ばえという酷評を聞いた。

2010年6月ジブリのまた他の社内試写。
今度は宮崎駿が笑った。 7月公開する映画<床の下のアリエッティ>を社員と共に見た後彼は演出をした三林ヒロマサ監督の手をパッと持って、"よくやり遂げましたね"と話した。 <ゲド戦士:アース時の伝説>時と相反した姿だった。 "私が考えた枠組みを抜け出さないのによく引き出しました。 " <床の下のアリエッティ>は7月17日封切りして4週間ボックスオフィス1位を守ったし8月24日現在の劇場観客500万を突破した。配給会社の東宝は興行収益目標を100億円で上方修正した。これは宮崎駿の作品を除いてスタジオジブリアニメーション中最高の成績だ。

高齢化家族になったスタジオジブリ宮崎駿の後継者は誰か。
スタジオジブリを囲んだこの話はかなりかなり以前から出てきた。多数監督の作品をまんべんなく製作する普通のスタジオとは違い宮崎駿、高畑勳の作品を集中的に作るスタジオと自然に追いついた質問だった。特に、1995年ジブリが新人権藤ヨシフミを前に出して<耳をすませば>を発表した時は権藤ヨシフミがジブリの2世代になることができるかを計る記事らがあふれた。当时宫崎駿の年齢56才。高畑勳は62才だった。急なことはなかったが権藤ヨシフミが確かに席を占めてくれるならば理想的なスタジオの組織を設けることができる契機であった。だが、この後継者の話は、2010年<床の下のアリエッティ>が出てくる時までも退屈に続く。権藤ヨシフミは、1996年突然動脈瘤疾患で亡くなった。

スタジオジブリで宮崎駿、高畑勳以外の監督が演出した長編アニメーションはぴったり3编だ。権藤ヨシフミの<耳をすませば>と、2002年盛田ヒロユキの<猫の報恩(ポウン) > 。そして宮崎高炉が演出した2006年作<ゲド戦士:アース時の伝説> 。だが、これらは全部ジブリで次期作を作ることができなかった。権藤ヨシフミは残念に亡くなったし、盛田ヒロユキはジブリを出てTVアニメーション界を回ったし、宮崎高炉は<ゲド戦士:アース時の伝説>以後ただ静かだった。だから後継者の話がだんだんなくならなかった。 <千と千尋の神隠し>以後反復された宮崎駿の引退宣言もこれをそそのかした。 2010年宮崎駿の年齢70才。スタジオジブリはどうなるのか。

"自らの役割は限定されます。種をまいて尋ねるだろうと順番があるが出ない芽を無理に取り出すことにはなりません。 "宮崎駿はインタビューで後輩養成に対する悩みを数回打ち明けた。 "先輩と後輩が3角構図を成し遂げてこそ理想的なのに今のジブリはただ高齢化して引き伸ばした"とした。 1984年スタジオジブリを設立して26年。 2世代という監督が1人もないというのが彼でも心の荷物だった。だが、同時に彼は焦燥感出さなかった。宮崎駿が考える後輩养成は天才を捜し出すことではなかったためだ。もちろん才能は重要だ。だが、彼は"正しいアニメーションができる環境"造成にさらに力を使った。 1989年スタッフを正社員で雇用したことはその開始だ。作品別にスタッフが集まって解体される既存製作システムをひっくり返してスタジオジブリは月給20万円の正規職で社員を採用した。当時大企業平均月給は16万円水准。 "安らかに余裕を持って作業できないならば良いアニメーションが出てくることができません。 "後輩養成のための元肥作業だった。

e0109292_2053820.jpg

<猫の報恩(ポウン) >

e0109292_20534957.jpg

<耳をすませば>


2世代新人監督よりスタジオ力量強化以後宮崎駿はスタジオジブリをアニメーションを作る最適の工場で整える。毎年定期採用を実施するのはもちろんで普通外注をあたえる美術と撮影もスタジオですることができるように別途チームを設けた。このために1992年スタジオを東京都、小金井市で拡張移転した。これによりジブリではダビング作業を除いたアニメーションのすべての過程が可能になった。 2010年からはトヨタ自動車の後援で『ニシ(西)ジブリ』も運営する。定期採用と別にアニメーターを選んで一定期間研修を進行する計画だ。宮崎駿は後継者検索よりスタジオジブリ作りに精魂を込めた。ジブリの福祉厚生制度は日本のどの企業よりよく取りそろえていることと有名だ。スタジオには職員らがマッサージを受けることができる空間もある。

<床の下のアリエッティ>を見れば宮崎駿の後輩养成が人材検索でない工場よく回すことであることが明確があらわれる。宮崎駿の作品観が大きい屏風を開いていて、繊细でコンパクトな絵がその案を満たす。 40年超えて彼が積み上げた功績が新しい話の枠組みで流麗に再演される感じだ。新人監督の新しさの代わりにスタジオジブリの力量が派手に光る。 "監督に焦点があったということよりスタッフ全体が力を合わせて作り出したことでしょう。 "鈴木トシオプロデューサーの言葉どおりだ。演出を引き受けたこの三林ヒロマサやはり10年超えてジブリでアニメーターで仕事をしたスタッフだ。三林監督も"美術は私が分からないから美術監督に、色は色彩担当スタッフに任せた"と話す。宮崎駿が30年超えて育ててきたジブリには宮崎駿後継者の代わりに立派な工場があった計算だ。

日本言論は<床の下のアリエッティ>が宮崎駿アニメーションを除いて唯一の100億円の収益を記録するジブリ映画と予想している。現在の興行で見るならば既定事実に違わない。そしてこの数字を土台に三林ヒロマサを宮崎駿の後継者で眺めたりもする。作品内的にも宮崎の世界観を継承して個性を表わしたという評もある。だが、同時に新しいことない宮崎駿の反復という批判もある。そしてこれを宮崎駿と鈴木トシオも認める。宮崎が<床の下のアリエッティ>を新人監督に任せたのは、"ドキドキするということを持って臨むことはできない作品"と考えたためだ。 "この世界はすでに私中で知っているという感じが強かったです。 "これは演出者の心がけが重要だという宮崎の哲学でもあるが、ひっくり返してみれば宮崎駿のなじむ世界を代わりに描いてくれる新人が必要だったという話だ。

宮崎駿の終止符のための貯蓄2009年。
宮崎駿はすべてのスタッフを呼んで話をした。主題はスタジオジブリの中長期計画。彼はこの席での3年間二編の映画を新人監督に演出させるといった。硬く作ってきたスタジオを維持するためだった。企画はもちろん本人。宮崎駿の色彩がにじみ出るほかはない。前に3年間スタジオジブリは宮崎の世界をミンミン回るかもしれない。もちろんその中で新しい才能が生まれることもできる。スタジオジブリでは最も理想的な絵だ。宫崎駿と鈴木トシオは三林ヒロマサからも可能性を見たといった。だが、宮崎駿という屏風。これはスタジオジブリ後継者問題の最も大きい横膜だ。かなり多くのジブリアニメーターが宮崎の演出提案を受けて一ヶ月にならなくて手を引いた。 "皆場に事故が生じて入院をしました"宮崎駿という圧迫を耐え抜くことができないのだ。三林ヒロマサも"二度と演出はしたくない"と話した。

"スタジオジブリは宮崎駿の作品のために作ったところです。 "鈴木トシオの話のようにスタジオジブリイコール宮崎駿だ。後継者?初めから成立にならない話だったのか分からない。そして鈴木トシオプロデューサー話によれば宮崎駿は二シーンの監督の作品を完成した後自身の最後の映画を作ることといった。彼は<崖の上のポニョ>を終えて"終止符を打ってしまった作品"としたし、 "前にもう一歩出た作品をするならばエンターテイメントとして成立が不可なのが出てくるようだ"とした。すなわち新人監督の作品は宮崎駿のアニメーションを作るための貯蓄という話だ。それなら宮崎駿の次期作が出てきた後スタジオジブリは終わるのか。鈴木トシオはかえって終わってこそ合っていると話す。そして新しく始められるという。 "初めから30年ほど考えました。 "宮崎駿が離れても彼が残した工場は健在だ。宮崎駿が一度の終止符を打って一歩さらに踏み出す間。その時がジブリの収穫鉄にならないだろうか。

文:チョンジェヒョク| 2010.09.09
by kazem2 | 2010-09-09 20:28