ANEMA E CORE


by kazem2
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

ギム・フィヨウンの文化評論 映画「悪魔は見た」①

☆bignews.co.kr.news
先日削除されていた記事がまたアップされていました
いろんな考えがあるでしょうが このような見方をする人もいるんだということを
知っていてもいいと思います
辛辣すぎて個人的に何か恨みでもあるのかしらと思ってしまいますが
面白い記事です

タイトルは<「悪魔は見た」は映画界の集団自殺劇だ>です

【ソウル=ビッグニュース】
キムフィヨンの文化評論
忠武路(チュンムロ)に私生児が生れた。ある観客のレビュー'出てきてはいけない映画'のように<悪魔を見た、キム·ジウン>が真っ赤な血塊けられて出た。忠武路(チュンムロ)は今興行という悪魔的呪術に引きずられて集団自殺の道に走っている。




あきれたマーケティング手法らと賢明な観客の目

外国映画祭に『受赏'したことでなくせいぜい'招请状』がきたのが来たとインターネット新聞にいっせいに壁貼りされる時代だ。それも競争の部分でなく非競争の部分とは話つくした。ケーブルTV薬品広告でたくさん使われる手法の<特许出愿>を見るようだ。 <特许出愿>と<特许获得>間に途方もない間隔があるように<映画祭招请>と<映画祭OOさんス賞>は天と地の差だ。特許出願はわずか何文だけ入れれば誰でもすることができる。かなりのOO映画祭の招請、それも非競争の部分でなら若干の苦労とお金、すなわちロビーにも貰う可能性が充分だ。だが、特許獲得とOO賞受賞は本当に品質が保障されなくてはいけない。特许<出愿>と映画祭<招请>間の共通点がおもしろい。ひとまず反復洗脳する。 TV薬品広告では特許出願!特许出愿!あたかも画面で飛び出してくるような効果で何度も繰り返す。映画マーケティングではこのたいしたことでもない<外国映画祭招请>記事で一挙に来たインターネット紙面を埋め尽くしてしまう。その効果は強大だ。何より教育水準と判断力がちょっと低い人々にはより大きい効果を発揮する。 <特许>きて<映画祭>特に外国映画祭というタイトルについた権威を利用して薬品と映画に対する正しくなされた品質評価をひどく惑わす。二番目共通点はさらにあきれる。特許出願は薬商売をすべてした後、特許獲得に失敗しても何の関係ない。外国の' OO映画祭招请'も同じだ。それを言論に埋め尽くして思い切り広告効果をみて後ほど受賞権から脱落しても特別な問題がない。すでに興行シーズンは終わったから。興行士は後からお金を数えながら満足げな微笑を作っている。韓国で数十億以上が投資されたことのすべての映画に反復されていることだ。こうしたのが万一、事前に企画されたマーケティング戦術ならば韓国映画界はアカデミーマーケティング賞を受賞しても十分に残る。映画製作にあまりにもお金がたくさん入ったからなのか、事前に映画雑誌の評論家らさえもほとんど広告代理店似た存在に転落させておいたようだ。もう韓国観客らも賢明にならなければならない。

新種インターネットバイトら

その上この頃にはインターネット掲示板にもプロ級バイトらが横行する。このようにインターネットを掌握して広告性文で埋め尽くすバイトが最も多く活動した映画が、現在までロマン評価するならば、 <義兄弟、 2010.02 、チャンフン>が違ったようだ。忙しい日程で試写会に行けなかった筆者の経験を明らかにすれば、インターネット評点とレビュー文等を見て予想した品質と実際映画を見た後の品質満足度にはあまりにも大きい間隔があった。俗っぽい話で筆者もひっかかったのだ。 <悪魔を見た>は<義兄弟>の場合をはるかに超越する。ネイバーレビューを見ればだいぶプロ級のレビューを書いておいて文末に露骨に推薦を受けるために真っ赤な字体の要請までしている。これはレビューマンピウプ上段に上げて映画広告を目的としていると推定される。この頃一緒にインターネットレビューが映画興行に大きい力を発揮している時代に映画館口座がアルバ性文を活用しないことがかえってさらに変なほどであることは十分に理解される。ただしイ某でも漸移まもなく韓国観客らがもう少し賢明にならなければならない理由に該当する。そうでなければ巨大な資本の横暴に情報と市場が徹底的にわい曲されている現実で自身を完全に守る方法がない。

外国映画祭の招請

トロント映画祭のある有名( ? )要人は映画<悪魔を見た>を見てルシファーを実現したんだ。ルシファー、言葉どおり悪魔だ。 '人间(人间: human beings ) 』の悪魔性でなくそのまま『悪魔(悪魔: devil ) 'を実現したという話は多くの意味を内包する。一言で映画が人間としての度を越したという話だ。そのような感じが自身も知らないうちに表出された言葉だ。この言葉に隠されたニュアンスを分かってもこれを単純に称賛に受け入れることができるだろうか?彼が果たして韓国映画いや韓国映画関係者らの水準をどれくらいあざ笑ったかもその胸の内があまりにも気になる。より一層驚くべきであることは社会に被害だけ及ぼすばかりだったところで利益ならば目やに程もないこのように質低い残酷暴力映画が大韓民国で制限上映館でなく大規模興行を目的に何と580ヶ余りのスクリーンを占めながら大衆の前に上映されているという事実だ。その外国要人がこの事実までも分かったとすればどれくらい驚いたのだろうか?

興行

このような低質映画でも<お金>の論理で最も重要な<興行>では成功を収めることもできる。これは外国市場でも同じだ。インターネットに<悪魔を見た、 I Saw The Devil >というタイトルと共に悪魔を連想させるイメージだけ上げておいても全世界的に途方もない照会数を記録するのに、実際に悪魔が私たちの中に整えたと広告を出せばこれを見るためにどれくらい多くの人々が長蛇の列が出来るだろうか?このようなので悪魔をスクリーンという私たちの( cage )に入れて見物させながら金を儲ける興行士は楽しくなることができる。事実ウォンビンが主演に出てきた映画<おじさん>道(ド)残酷性では<悪魔を見た>きて大差ない。ただし<悪魔を見た>行ってあまりにも赤裸々でさらに残酷なので相対的に多くの利益を見ているという点を否認することはできない。とにかく、2010年夏を散り乱れるようになめ尽くした二編の映画の前で私たちの韓国人らの気持ちは実に堪え難くて凄惨だ。

映画監督と俳優の素養

一言でどん詰まりまで行った。映画監督として<悪魔を見た、キムジウン>のような高価格な3流映画を撮るのは人気が落ちた女優が単に大衆の視線を引き付けるためにまたは、お金のために露骨な安モノ画報をとったりポルノ等級の映画に演技を自ら要望することと同級だ。

こういう映画のシナリオを報告書出演を決める俳優がだいぶ有名俳優の場合、破格的な姿を見せることによって落ちた人気を挽回する目的だとか事業失敗、赌博中毒、浪費癖などの理由で切迫するようにお金が必要な立場に処したのでやむを得ず出演していないかという疑問を呼びおこすほどだ。 <ソウ1,2004 、ジェームズ王>に刑事役で出演したダニークルロボを置いて将材である評論家はこのように皮肉りで評の代わりをした。 "歯陥った古語無比...ダニークルロボが出演したことから見て恐らく彼が返さなければならない債務が多かったようだ! " (出处-ネイバー映画欄にある'洪城(ホンソン)陣の映画解説' <ソウ>方)

ダニークルロボとチェミンシク、そしてイビョンホン

恐らく韓国観客らはダニークルロボが誰なのか、どうそうな俳優なのか思い出させることもできないだろう。実際にネイバーイメージ検索で直接見ても同じことであろう。イメージを探して本筆者もこの黒人俳優は誰なのかいったい分からない。もちろん映画監督ジェームズ王(ファンウイユ、実名:黄毅瑜)も徹底した新人監督だった。ハリウッドで占める知名度と比重が非常に低い人物なのにこのように冷たい評価を受ける。万一、ダニークルロボが韓国でのイビョンホンやチェミンシクレベルの地位を持った俳優ならばより一層激しい酷評を受けたらしいとの件話す必要もない。しかも<悪魔を見た>を擁護して肩を持つのに引用されているハリウッドのソウ( Saw )シリーズはたとえ残酷な場面が結構出てくるが、韓国の<悪魔を見た>行ってとうてい追いつくことはできない奥深い哲学が起草された映画だ。少なくとも<悪魔を見た>きて比較分析するために筆者自ら見なければならなかった<ソウ1><ソウ2>まではそうだ。それでその出発線から余りにも違う。そうではなくて単純なポルコリ中心のチャノギョンファヨッタダミョン世界的な成功を収めるのが難しかっただろう。見ると同時に即本当に世界的な興行映画は勝手になるのではないということ如実に確認した。一言だけ付け加えようとするなら<羊たちの沈黙>と<ソウ>を韓国キム・ジウン監督の<悪魔を見た>きて比べるのはこの二映画に対する侮辱水準だ(この点は今後この3编(便)を深く比較する評を簡略に示す)

ハリウッド有名俳優らの自尊心

最近パリス・ヒルトンと共にビバリー・ヒルズの有名芸能人リンジェーロハンが結局プレイボーイ誌モデルで登場する契約を結ばなければならなかったこととその名前も有名なパメラ、アンダーソンのセックスビデオ漏出事件も実際には彼ら夫婦の贅沢と行き過ぎた浪費癖で滅びた財政( finance )状態が原因であると今後明らかになった。このように現代社会を生きていく人間らの多くの行動にお金と結びつかないことを探すことは非常に大変だ。とにかくこういう冷たい社会的認識のためなのかは分からないが、ハリウッドでは興行に莫大な影響力を持った有名人気俳優がこういう残酷暴力映画に出演することは想像さえ難しい。しかも彼がまだ俳優としての寿命がたくさん残った人ならばより一層そうだ。実際に興行に結構影響力を持っているハリウッド俳優らは時間と努力に比べて想像できない高収益を保障するCF広告さえなかなか出演しない。彼らには有名映画関係者としての自尊心と直結するためで自身が非興行俳優に過ぎないという事実を公開的に確認することで片付けるためだ。これが韓国映画界とは違ったハリウッド有名俳優らの自尊心だ。チェ・ミンシクが出演したという社債大物アップ広告。当然しない。参考で筆者はもし心の中ででも韓国の有名俳優が社債大物アップ広告に出演することは非難して見たことがない。その最初格のチェ・ミンスが大物業広告に出演したことで大衆の公憤を買った事件が起きた時も筆者は彼を擁護する立場だった。それも十分に。

いくつかの有名俳優らを除けば大多数の韓国映画俳優ら、率直に暮らすのが難しいではないか?往年の名俳優キムフィラ氏の指摘のとおり、映画俳優が映画を撮らない時は失業者の境遇と違わなくてそのストレスは言葉で表現するのが難しいという。単に一般CF広告さえ出ないハリウッド有名俳優らならば大衆の公憤を買う大副業狂とは当然しないという考えだ。韓国と事情が他のものを勘案しなければならないだろう。彼らはそんなことをしなくて贅沢なほど生きる程映画版が大きいためであろう。こういうのをみな考慮しても彼らが自ら自尊心を守ろうと努める姿は見るのに嫌いでない。

ポルノと残酷暴力物、その悪影響

恥ずかしい韓国映画<悪魔見た>を専門家立場で掛け値なしで評価すれば安モノポルノ物以上もその以下でもない。いや、社会に及ぼす影響にだけ見ればインターネット動画でよく接することができる単純なポルノ物よりはるかに深刻だ。外国ではわいせつ物に対する規制より暴力物に対する規制がはるかに厳格な点もこのような点をよく反映していることだ。韓国の一般人らはこういう映画が社会にどれくらい深刻な弊害を及ぼすのかまともに認識していなくなっているだけだ。ウェンマニ扇情的な映像物に接しても嘔吐、ヨッコウム、こらえることのできないめまいを感じる人はあまりないだろう。だが<悪魔を見た>をみた観客ら中ごく少数を除けばほとんど一様に見るのにひどく不便で苦しかったと伝える。

幼い青少年らに性に対するわい曲された認識を持たせるなどそれが持った多くの短所にもかかわらず、実際に多くの社会学者性心理学者らはポルノ物に対して一方的にその弊害だけを指摘しはしない。人间、特に女性として長い間の歴史にかけて抑えられなければならなかった性的満足感に対する発見と夫婦生活の幸福に対する質的な向上など少なくない部分で人類社会に寄与してきたという肯定的な評価報告書も一緒に出している。実際にある程度品質が伴うすっきりしていてソフト( Soft )一級らは幸せな人生を営むために、性教育教材で使われたりもしても、特にこの頃はこれを見る女性たちの比率がたくさん増加していて今しがた結婚した新婚夫婦らがたくさん見たという報告からはこのような点をよく反映する。

社会的弱者保護と暴力

これに反して<悪魔を見た>のような残酷な暴力と殺人を入れた映像はどうなのか?これをあえてポルノ物に比較して言ってみれば実際に施工される法律で手きびしく処罰している強制性暴行( RAPE )や児童ポルノ物に肩を並べるに値する。この二種類を一般医わいせつ物とは違うように表現の自由の限界を極度に制限しながら、手きびしく処罰する根源的理由はこれら強制性暴行や児童ポルノ物は単純な誠意問題という次元を越えて、社会的強者がその優れた力や地位を悪用して弱者を絞り取ってその人格をじゅうりんすることという認識に基づいている。こういう致命的な場面らを映像ででも無防備に許容してみるならば、自然に模倣犯罪の欲求が増加してこれに伴い、社会が着る危険性が手のほどこしようもなく大きくなると見ているためだ。これは表現の自由という次元を越えて社会の基本構造を破壊する程反社会的で深刻な暴力犯罪を未然に防止しなければならないという見解で接近していることが分かる。ところで<悪魔を見た>には強制性暴行場面まで出てくる。さらにストーリー展開上特別な必然性を持っていることもしない。

未成年者とロマンポルランスキー監督

未成年者に関する成績自分の決定権侵害に対する事例を映画界で探そうとするならロマンポルランスキー監督の場合を上げられる。彼はカンヌ映画祭監督賞とベルリン映画祭監督賞など無数の賞を受賞してさらにカンヌ映画祭審査委員長まで歴任するなど世界映画界であらゆる栄誉を享受した。だが、彼は43才の時13才少女と性関係を結んだという罪目で何と33年間や海外で逃避生活をしなければならなかった。これがそのまま性関係でなく強制性暴行だったらどうだったのだろうか?米国、ポーランド、フランス、スイスなどの国で外交的文ゼロまで飛び火したあげく彼の年齢76才に結局逮捕された。その後この少女が成年になった後にロマンポルランスキー監督を許すと言論に公開的に意志表明をしたのに話だ。彼はたとえ個人的な許しを請うことはできたが社会的な容赦は救えなかった。結局彼は逮捕されたし10ヶ月後に解放されたと最近の外信は伝える。恐らく彼が映画界に及ぼした功労とその少女の公開的な容赦、そして逮捕当時すでに76才という年齢がなかったとすればはるかに激しい処罰を受けただろうと考えられる。参考でロマンポルランスキーは<ピアニスト>という非常に水準高い映画で韓国にも良く知られた監督だ。最近一連の事件のために韓国でも未成年者に関する犯罪に関しては加重処罰をする傾向だ。真に望ましいことだ。

<悪魔を見た>の映画史跡(私的)意義?
つづく
by kazem2 | 2010-09-02 22:06 | kim jee woon | Comments(0)