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[悪魔を見た]キム・ジウン監督インタビュー“人間に対して冷たい?”

☆movieweek.co.kr
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-シナリオに詳細な設定や場面をたくさん追加したか?

パク・フンジョ作家がシナリオを力強くよく書いた。 ‘力がある’という件それだけディテールな精密描写がないということでありうる。 シナリオの露骨で原初的な力を失わないままリズムとトーンを精密に整えて、ディテールと流れ、また、色調とトーンを作った。 その結合が<悪魔を見た>だ。

-結末がシナリオとたくさん変わった。 悩んだだろう。

これがとにかく生き残った者の悲しみのようなことだ。 家族や恋人のように生き残った者らの苦痛と悲しみを扱うという映画だから、そこにフォーカスを入れた。 なぜ被害者家族らだけ苦しくなければならないのか。 そのヒントはカン・ホスン事件で得た。 そのような極悪非道な殺人魔が自分の息子を公開することためにかなり大変がったという話。 身体的な苦痛を継続して後ほど精神的な苦痛を与えるのが最も大きい苦痛だと結論を出した。 その瞬間が悪魔と契約する瞬間で、それしか方法がない荒廃した自己恥辱感を表現しようとした。 そこにはおさめなければならない家族の運命もあって。 こういう色々なものを結末に入れようとした。 倉庫中で起きる気勢の衝突、イ・ビョンホン特有の情緒と結末の波及力がよくかもして出た結末ではないのかと自評する。

-スタッフら話を聞いてみれば全部一様にキム・ジウン監督の以前作品とは違うといったよ。

<奴奴奴>まではすべての映画で空間にたくさん執着した。 <静かな家族>は山荘、<反則王>(2000)はリングとリング上のジャングルと都市アスファルト上のジャングル、空間に対する執着が耽溺のように見せた<長靴、紅蓮>(2003)もあって、迷惑ぶるぶるとを光と美術、俳優らの表情で話そうとした<甘い人生>(2005),そして満州の大平原を疾走する<奴奴奴>. このように空間が先んじるが、今回は二人の主人公の感情と内面に集中した。 それで空間性は前作らに比べて増発した感じがある。 それでも映画にある物性らはある。 例をあげればビニールハウスの感じ、ペンションの感じ、軽鉄の倉庫感じ、こうしたのは強く伝えられること同じだ。 後半に現象作業をする時もコントラストを数えないように与えた。 どんな方は曇る水彩画を見たような感じといったよ。 普通ジャンルの力を集中するためには後半作業でコントラストを非常に減る。 今回はそのような作業らをとても繊細にした。 それで他の私の映画らよりもう少し現実感が強いようだ。

-イメージが強調されるほど対称点であることもある話と感情が脆弱だという反応がある。

出たストーリーライン、セリフ、プロット、演技がある画面で全部話すと考える。 <甘い人生>では光が話して<長靴、紅蓮>では僻地が話して。 それがみな映画言語と考える。 感情を話にして分かるのは違わないか。 そして言葉が真実ではなくはないか。 どんなファクトであることがあるだろうが。 映画は真正性を表現するのに、それがリアリティーならば私には私がするのがリアリティーと見る。 言葉の代わりに入ってくる一筋光で話すことができるので、そのようなイメージで考えてイメージで話して。 その点はずっと持っていかないだろうか。 ウディ・アレン類の映画を作っても多分イメージで考えてイメージで言語化することだ。 それが私が話しかける世界苦、どんな言語を体得する世界だから。

-それでも一連の映画中で今回がプロットと話構造があるほうだ。

そのような理由でキム・ジウン監督映画は‘人間に対して冷たい’という評もある。 その点はまもなく観客がカタルシスを感じる部分が少ないという短所もなる。 例がすてきなことではないが、日常でもこのように言葉で何を伝達する方がなれない。 私に不満を表現したり背を向ける、その後ろ姿の感じを見ること、それを胸中に入れてくれるのが私の情であって、句句節節話す方でない。 映画でもある人々を広い気持ちでゆるす部分らが話よりは沈黙や視線で処理するのが多かった。 それを鋭くキャッチする人々は私の映画がそういうのを含んでいると話すし、表現が不足したかキャッチできなければ含んでいないというようだ。 そのような意味で、例をあげれば偽善的な和解を映画中に引き込まない。 商業性のためにそれを引き込んではいけない。 代わりにそうした点が不足するので映画はとてもおもしろくさせようとする。
私にはどんなにかジレンマでもある。

-常に新しいジャンルを試みる。 毎度始める心だ。

今からは完成する作業をしなければならない。 一回ずつしてみたから迷惑ぶるぶるとを、ホラーを、コメディを完成しなければならない。 もう映画少年期をちょうど抜け出して青年期に入るのではないか。 ジャンルに執着してどん食したのは<奴奴奴>世間ずれしている。 今からは本格的に私がしてみて好むジャンルをもう少し完成する段に移りたい。

-それなら映画少年期を本当に裕福に送ったわけだ。 自ら福受けたと考えるか?

人間の心で満足と不満足を表現するのが難しいが、二つのうちに選べと言うなら、福受けた。(笑い)だが、まだ私が映画ではやく到達しなければならないのか点があるが、どんな部分にのっぴきならない羽目に陥っている感じがして惜しい。 映画を作る時ごとに反省して、反省したのを次の映画に入れようとすればまた他の反省することができる。 完全な比率の形態に到達するためには黙黙と熱心にしなければならなくなろうとするのではないかと思う。 ‘それが果たしていつ来るか’という考えで一つ一つ作っている。

-到達点がすごい。

そのまま私が私の映画を見て‘大丈夫だね’と話すことができる程度? 今までは全くそう出来ない。 劇場で私の映画を見られない。 一度も正しく見たことがない。 カンヌ国際映画祭でやむを得ず<甘い人生>を見る時も目をとじていた多少多かった。 私は内映画を技術試写の時最後に見る。 技術試写も時々見られないでくる時が多い。 できない、良くないことらが先に目にありありと浮かぶから耐えるのが難しい。 それでも今回は技術試写の時外に出て行った回数が一番少なかった。(笑い)<奴奴奴>時は三,四非番になってきた。 私が見たい場面だけ見にまた入って。 いつかは出て行かないで見ることができるそのような映画を作りたい。

-次の作品はハリウッドで?

今月末に米国に行くはずなのに、まだ確定したのではない。 今でも米国プロジェクトとともに韓国でできるのを探している。 米国だけ眺めてひたすら待つことにはならないのだから。 今回の映画がとても重くて密度が高かったので次の映画は娯楽映画をすれば良いだろう。 事実ちょっと休みたい。 12年の間毎年長編でも短編でもずっとかわるがわる作業した。 短編作るのにも二月ずつ送ってきたので、そのまま休みたい。

2010-08-23キム・ジョンフン記者

「偽善的な和解を映画の中に引き込まない」。。。
そうなんですよね この言葉はよくわかります
映画の中に偽善的な和解をみつけた作品の監督の映画は私は見ないことにしています
監督は自分の映画を見れないのですね^^
なんか監督らしいですね
このインタビューは今までのインタビューよりも監督の考えや哲学が解るような気がします
今回の映画「悪魔は見た」は監督には今はストレスになっているのですか?
by kazem2 | 2010-08-24 20:38 | kim jee woon | Comments(0)