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映画「悪魔は見た」封切り後論議続く キム・ジウン監督に尋ねる

☆CINE21.com
"戦利品のない戦いに飛び込んだ男の空しい破局を描こうとした"
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キム・ジウン監督にまた会った。
最近映像物等级委员会(以下映等委)から一部場面が人間の尊厳を害するという理由で'制限上映可'等級を受けて論議になった<悪魔を見た>は最終的に1分30余秒を削除して予定通りに8月12日封切りした。だが、映画はまた急激な賛反両論に包まれた。封切り前日の11日午后5时记者試写会を持った以後数多くの記者と評論家らの評価が極端に分かれたし、 12日早朝封切り以後からネチズンの反応もまた、色とりどりだ。 '1点と10点に分かれた評点'という言葉がその話題性を証明する。

·記者試写が開かれてわずか10余時間ぶりに極端な評価が続いている。そのような反応を調べてみたはずなのにどうなのか。

=どんな記者の方が書いたレビューを見るから『スイカを半分で分けるように賛反両論に分かれること』という話がボーイだよ。 '精肉店スリラー'という表現もおもしろかったし。さっきはおい(めい)から文字がきたがインターネット反応をずっと目を通すと評点が1点でなければ10点であるようだといったよ。 (笑い)等級問題で困りきってそのような反応らに接するとちょっと当惑したり力も陥ってそんなことが事実だ。顧みれば<长靴、红莲> ( 2003 ) 、 <良い奴、悪い奴、おかしな奴> ( 2008 )等映画を作る時ごとにそのような論議があってなじむが、今回はもう少し強く感じるようだ。 '古語スリラー'というジャンルが他の見方をすれば今まで外国映画で感じられる側面が多いが、韓国という現実に入ってくるからさらに恐ろしくて受け入れるのが難しい部分らが大きく感じられはしないかと思ったりもする。それを耐えれないでする人々はその息が詰まるような状況が嫌いなこともあって、反面それをジャンル的快感で楽しむ方たちもいるだろうし。じっくり考えてみれば私にキム・ヨンファとチャンフンの知恵が必要なのではないのかと思ったりもする。 (笑い)

·黄色いワゴン車のイメージが<ジョディ悪> ( 2007 )の黄色いタクシーを連想させる。普段<セブン> ( 1995 )等デービッドピンチョの映画らに好感を表わしたのはなじむ話なのに今回の映画ではどうなのか。

=物では<ジョディ悪>はとても好む映画でもあり全体的な『ルック』を似ているように持っていきたい心はあった。たとえば映画がとても'生もの'のような感じが入らないで若干はやぼったいともする程濃度を抜いた水彩画のような色感を生かそうとした。場面自体が強烈だがコントラストを強く入れて粒子を荒々しく扱ったりしたら映画がさらにジャンル映画のように見えたことだ。 <ジョディ悪>道全体的に彩度が低い特性が、60年代トーンを助けたり、ピンチョの以前作らと別に冷たい質感でなくもう少し静寂で暖かい感じを与える。リアルながらも断定して夜場面でも何か人為的な照明がない。言ってみれば<悪魔を見た>道画面をわざわざスタイリッシュに行こうとする心がなかったというだろうか。恐怖映画のようだという話もたくさん聞くのに以前にもそのような作業をしてみたが恐怖映画らしい照明は一つもない。以前私の映画らよりなでつけることができる時間は相対的に不足したが非常に繊細に作業した。

·連鎖殺人魔チャン・ギョンチョルの最初の殺人がどのように広がるか注視した。以後広がる場面らのガイドだから。

=女が身ごもったという話を聞いても若干後に素早く退いてぼうぜんと見つめる場面がある。多分チェ・ミンシクでない他の俳優ならばちょっと違うように行ったようだ。何かその話に同ヨガされるという時それにもかかわらず、悪魔区やするのを強化するためにそのようなタイミングと呼吸を与えた。そのように何か明確に把握されないまま予測不許可の恐怖感が直接的に強く伝えられるようにした。以後広がる殺人らに恐怖感を倍加するためにというか。

·連続殺人に使われる車両らがあたかも生命体のように感じられる瞬間がある。連続殺人劇で最も重要な小道具なのに、するするやっと降りてきて餌を探しに周囲をきょろきょろ見回してこっそりと近づいたりもする。

=二つの側面があるが、ひとまず人が乗っているけれど見えはしなくて恐ろしくにらむ感じがある。存在だけでは何をすることでもなくて威嚇的でもないが何か信号を送る直前の恐ろしい瞬間がある。そして何か悪魔という物性を付与したい心もあった。近づく前までの恐ろしい瞬間、ただ静かにぽつんと立っている姿で感じる恐れなど移動自体が恐怖を増幅させる。

·負傷したチャン・ギョンチョルがまた他の殺人魔らが乗ったタクシーに乗って行く場面が興味深い。 'プレディvsジェイスン'の対決を見るような感じなのでそうすることだ。 (笑い)スヒョンの時点に展開する映画で瞬間的にチャン・ギョンチョルの立場に入る逆転の瞬間でもある。同じようにぞんざいな言葉する医师を威嚇する場面もそのような瞬間だ。

=悪魔の世界にも级数があるということを見せる。 (笑い)タクシー殺人魔らは意外にさらに数えた悪魔を焼いたことだ。頑として見なされるチャン・ギョンチョルの同線に従いながらぶつかることがある状況らを体験することだ。以前に刑務所で強力犯を教化することをした僧侶との親密なよしみで、西進ルームサロン刃物使い事件などの主謀者の友人らボスに会うのについて行ったことがある。路上で出るそのままチョロチョロ付いて回るようだったが本当に10余メートルごとにその似た人々がみな挨拶をすることだ。私の日常では全く経験してみることができないことだと本当に背筋が寒くなった。事実分かってみれば私がこういう人々と知らず知らずみな肩をぶつかって生きていくふるまうようだった。私の日常と非日常の暗い選果境界が崩れる感じというか。

·チャン・ギョンチョルが乗って通うワゴン車のバックミラーにある天使翼が<オールドボーイ>の天使翼を連想させて、ペンションで女を強奪する姿は<親切なクンジャ氏>でチェ・ミンシクが演技したペク先生を思い出させるようにする。色々な批評とインターネット文でもチェ・ミンシクという交集合を置いてパク・チャヌクの「復讐3部作」を話す場合が多い。そのような視線らに対してはどう思うか。

=バックミラーの天使翼がそのように連結されるかは本当に考えもできなかった。 (笑い)やはりそのような反応等を見ることはしたがそのような意味や意図は全くなかった。ただ映画の中での人物とキャラクターだけ考えた。 '復讐3部作'との連結の話も、そのような設定らは事実映画を見た人々が知ることが出来る衒学的な部分なのに私は本当に分からない。私がそんなに賢かったとすればすでに傑作を作ったことだ。 (笑い)作る態度という側面で私がいつも念頭に置くのは『妻の父の倫理性』だ。出来ばえという側面で決して恥ずかしくない、観客にいつも満足な結果を出さなければならないという態度話だ。

·韓国の実存連鎖殺人魔中に、1994年いわゆる『殺人タクシー』と呼ばれオン・ブヒョンの場合、殺害途中大きい負傷して傷治療とともに少なくない恐れも感じて半月程度追加犯行をしなかった場合がある。実際にそのような事例が多いことももちろんだ。ところでチャン・ギョンチョルの場合、スヒョンに最初の攻撃を受けた次に動きが不自然な状態でさらに治療のために立ち寄った病院で継続的な犯行を犯す。彼の確固たる悪魔性を見せる設定のようだ。

=互角に逆立っている状態で休まないのがこの映画の重要なコンセプトの中の一つであった。
チャン・ギョンチョルに一種の休息や治療の時間を与えないところにはスヒョンと対称を成すための意図もある。スヒョンはフィアンセの死以後ずっと刃が鋭くなっているためだ。絶え間ない苦痛を与えるためにかけらも蒸らさなくて注目して待つ。また、一方ではチャン・ギョンチョルが予測不許可の行動をするのと一緒に完全に犬ならず者、人間のクズの姿を見せるためのものでもある。あのように自身の肉体が不便な状態でもぞっとすることを休まないから... 。

·そのような過程でスヒョンも共に悪魔に変わっていく感じなのに、映画撮影直後持ったインタビューで言及した"怪物と戦う人はその過程で怪物にならないように気を付けなければならない。万一、君が永らく深淵を覗いて見ていれば深淵もまもなくあなたの中に入って君を覗いて見る"というニーチェの<善悪のかなた>文句はこの映画の核心であるようだ。ところで一方ではその文句を映画開始前の字幕で厳粛に入れて始めれば全体的な情緒を散らかすことと考えた。ところで『獣捉えようと獣になってこそ使うか』という刑事チョンホジンのセリフに流れながらその危険は避けた感じだ。

=事実その文句を映画の前に入れればどうだろうか悩んだりもしたがとても心中が見透かされる感じだった。映画の中にその本とページを登場させようかと思う考えもしたが、いくら考えてもこの映画にはそのような本を読むほどの人物がない。 (笑い)それでチョン・ホジンのセリフで応用したものだがその時で荒廃した復讐のファンタジーを見せてあげたかった。復讐しながら気が楽になり凝りが解消されるのでなく精神がさらに荒廃されていくことだ。生き残った者の限りない悲しさのようなものでもあり。悪を悪で懲罰するという不条理、意味することを成し遂げたがさらに苦しさに苦しめられることになるアイロニー、この映画ではその二種類だけ話したかった。

·あなたが以前どこか直接書いた文で、軍隊でお父さんの訃報を聞いて降りて行きながら焼き飯を食べたエピソードを印象的に読んだ記憶がある。父親の死亡の便りに苦しい心と別個で腹がへったのは仕方ないのに、スヒョンやはり同じだとの気がすることだ。ずっと同じパターンで復讐を繰り返す中で復讐心が薄められる瞬間ができることもないだろうか。

=軍隊でお父さんが亡くなったという話を聞いてはほとんど気絶直前まで泣いた。それがひどすぎてはやく休暇措置を出せと言って大佐ジープに乗って出て行ったが、憲兵警戒所過ぎる時までも涙を終われなかったしさらに別にバスを捉えて乗せることもした。そうするうちにソウル駅におりる瞬間ジャージャー麺の店が見えたし普段食べたかった焼き飯考えが切実になることだ。それと共に悲しい感情より私の胃がさらに率直なものか、という気がして非常に紛らわしかった。そこで人間の実存を感じた、何それでオーバーだが仕方ない本能に対する考えたようだ。それに(彼に)比較すればこの映画は意図的に正反対だ。

·なのでこの映画はチャン・ギョンチョルが全く状況を知らないまま当てられた後タクシーに単独で残されて、なぜ自身の位置が発覚するのか感づく瞬間など局面転換をむかえながらもその強度が減らない。そのエピソードとは違い薄められることなしで続けて復讐の終わりに向かって進む。

=たとえばTVや新聞記事を通じてそのような連続殺人犯らに接すれば年配の方らはあんな奴は直ちに絞首刑に処しなければならないとか、光化门(クァンファムン)四つ角にぶら下げてソウル市民全部投石をしなければならないとか話をするが、言ってみればその瞬間怒りが最高潮の状態だ。 <悪魔を見た>はまさにその感情をそのまま最後までずっと乱れなく持って行く映画だ。

·そうした中でチェ・ミンシクとイ・ビョンホンという俳優が置かれているということが最もいぶかしくて、他の見方をすればこの映画の価値であるようだ。ハード古語映画に出演した韓流スターイ・ビョンホンだと。

= 2人の俳優が本当にすごいという気がする。 5年ぶりに帰ってくるチェ・ミンシクがこの映画をしようという時事実この人間がまともな精神状態かという気がしたし(笑い) 、イ・ビョンホンやはり韓流スターであるのに数多くの女性ファンらが茫然自失するように口を破る場面を演技することとは想像するのが難しかったことだ。それと共にイ・ビョンホンが天性俳優と考えた。誰かは計算が多くの人ともするのに私が見るのにイ・ビョンホンは徹底的に'石头'と人間だ。 (笑い)両方とも魔性を持った人々のようでヒステリカルな状態でこの映画に臨んだようだ。そのような余波のためなのか私やはりとてもヒステリカルな状態でこの映画を作った。

·ジャンル映画の慣習的な流れの中で二強烈なキャラクターをなでつけて中心を失わないで進む過程が骨を折ったようだ。映画はジャンル映画的な二人の男の対決構図がどこへ跳ねるかも知れない不安感がある。そのような計算されなかった接近やはりあなたの以前映画らと違う点でもある。

=傍若無人で暴力的に生きてきたし ただ一度も攻撃を受けることという威嚇なしに生きた殺人魔が最初に攻撃を受けるのを感じた時の緊張と恐れはものすごいエネルギーを抱くことになる。その結果もたらされる姿は誰も収拾できない状況に進む。反面その過程でスヒョンは予想できない状況と正面対決しながら復讐の苦しさを感じることになる。ある瞬間これは二つとも勝つことはできない戦いになる。その二種類がかみ合わさりながらごつんと歪む地点がこの映画の重要な分岐点だ。言ってみれば<悪魔を見た>は戦利品がない戦いに飛び込んだ一人の男の空しい破局でもある。

·エンディングに対する論議を予想したようだ。あなたの以前の映画らと比較するととても論争的な仕上げだ。

=はい、初めから論争を誘発しようとする意図はなかった。また他のエンディング二種類をとっておくことはあったし苦心の末に今の結末を選んだと思う。パク・フンジョ作家が書いたシナリオと最も他の部分が結末でもある。目標はそうしたことであった。 <ハムレット>で無防備状態で祈る王の後にあったハムレットが刀を抜いてまた切れ目に入れながらというセリフがいる。祈る時もう少しはっきりと片づけることができるがそれであいつがきれいな魂で天国に入る礼を尽くしている時殺すことになるからそれは復讐ではないとしながら、もう少し消すということびりっとらしい時を待つことにする。取って満身瘡痍になっていたり発光をしている時、でなければ淫乱をむさぼっていたり賭博、悪いお話など救いにならない悪行に陥っている時遅滞なしに処置するだろうと決心する。それで真っ黒な地獄に逆さまに落ちることと考える。ずっとチャン・ギョンチョルに復讐する瞬間もそうであったが最後の瞬間もそのような心だ。イ・ビョンホンとも多くの話を交わしたがもう少し私が週立派な面がある。出た最も興奮した状態で最高潮でピッチを上げて急激に墜落する感じを与えたかった。

·封切りしてもとても心が複雑だと思うが今心情はどうなのか?毎度気持ちを尋ねることになる。

(笑い)=ぴったり三種類をいいたい。ひとまずこういう映画で損をしなかったら良いだろう。どうしようが私は<悪魔を見た>行って勇気ある映画と考えるためだ。そして『古語スリラー'という新しいジャンルの好みを成功的に引き出せばという、それで韓国映画のまた他のスペクトラムと表現の程度をもう少し引き上げたらと思う望みがある。最後にイ・ビョンホンとチェ·ミンシクがこういう作品を選んだことに対して各々相変わらずスター性と成功的な帰還と認められればという心だ。

·観客立場で色々な複合的な感情らが解消されない部分は映等委によったのもある。すでに特定場面を取り上げ論じて問題にしながら映画のスポイラー(ネタばれ)を明らかにしてしまったのと同じなのに本来その場面を見られなくしたので苦しい瞬間らがあった。

=事実国内封切りした海外恐怖映画らと比較すると程度が別に高いことではなくて、あえて海外映画ではなくても既存韓国映画でも許された場面らであることにも削除要請が入ってきて堪え難かった。事実ハード古語一場面らが重要なホラー、スリラージャンルではそのような場面らが話の流れはもちろんで映画で話法上感情的、情操的に詰まったものを解く側面がある。演出と結び付いてそういうのを映画的な解消と考えるのにそんなことを除去して剥奪することによって映画がちょっと苦しくてシリアスある感じを与えたのではないかという考えもある。見ない人の立場では単純にハード古語映画でだけ偏見を植え付けることもできることで。とにかくこの映画を通じて得たこととは「カン」と「耐えられる体力」だけだ。 (笑い)

文:ジュ・ソンチョン 写真:オ・ギェオク 2010.08.24
by kazem2 | 2010-08-24 15:57 | kim jee woon | Comments(0)