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by kazem2
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movieweek  キム・ジウン監督インタビュー①

☆movieweek.co.kr
映画「悪魔は見た」。。。"腕と足が切られたようだ"
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-時間に追われて極限の状況まで編集したといったのに。

時間が充分でも集まるのは同じだが、今まで一度もこのように短い期間に後半作業を処理したことはなかった。編集と音楽とミキシングなどを一ヶ月ぶりにプリントまで抜き取った。ほとんど寝る時間、ご飯食べる時間抜いては働きさえした。撮影期間にもずっと休むことができなかったので。封切りを夏シーズンに合わせようとして、海外映画祭期間にも合わせなければならなかった。

-時間が惜しかっただろう。

編集は生物学的なので何を入れて抜いて減らすかにより大きい呼吸やニュアンスが変わるが、私はそのような作業をたくさんするほうだ。意図しなかった場面を入れながら拡張や興味を持ってきたり、ひっくり返す過程で良いのと新しいリズムを発見する。今回はそのような時間がなかった。本来一度は初めからコンテのとおりずっと編集してひっくり返してみる過程を経るべきなのに、できなかった。どんな意味で今回の映画がちょっと窮屈な感じがする。とにかくちょっと惜しい。

-物足りなさすれば何より制限上映可を受けたことでしょうに。

予想できなかった。 21世紀にこのようなことがおきる方法は、夢にも考えられなかった。制限上映可の削除場面に対して話す前に、イ某でも表現程度の出発が『私が果たしてスヒョン(イ・ビョンホン)ならば、私が、あるいはあなたが愛する人を無惨に失ったとすればどんな復讐を夢見るだろうか'とする質問から始まった。表現程度の根拠は世界有名映画に合わせたことだ。人肉に対する場面とか、身体を傷つけて切断するのは国内有名映画らにも多くあったから。その映画らも審議を経て出てきたことだから、なると考えた。ところで問題視したので。ものすごい復讐劇を標ぼうした映画で、古語スリラーというジャンルを本格的にしてみるという考えで出したものだが、表現が残忍で暴力的な場面らを純化していくことにはならないコジァンナ。韓国映画史上最も数えた映画を作ると何度も話したのがあるけれど。腕と足が切られていったようだ。

-物足りなさの程度が感じられる。

単純に残忍な場面を細かくて精密に描写するということでなくともその場面らは主人公の内面と感情状態に対する隠喩のようなものらであるから。とにかくこういうホラーやスリラーは悪魔ら、怪物らをクリエーティブするようにさせなければならない富方たちもいた。また、こういう映画が成功しようとするならその怪物らが持ったものすごい潜在性を極大化しなければなければならないと考えた。今になって考えてみればあまりにも俳優らが力が良くて演技を実感できるようにするからそれがより大きい強度と波及を与えなかっただろうか考える。そうでなければどのように説明する長さが私が納得できる方法がない。

-周辺の人の反応はどうなのか?

もちろん俳優らに関する話が一番多かった。 'イ・ビョンホンはまだ有効だ'のような。また、韓流スターのイ・ビョンホン氏がこういうマニア層が好む映画に『スター』という、鎖ならば鎖でくびきならばくびきの荷札を果敢に投げて出演したことをとても高く評価した。チェ・ミンシク氏は5年ぶりにまた復帰して名不虚伝の演技を見せたということ、成功的に強烈に復帰したという評が続いた。親しい監督中には私の映画中で最も良いと、最近一連の映画ら中で最も密度感が高いといって。ところが皆'強いことは三だよ』といったよ。 (笑い)

-結果も心外(意外)だが、 <悪魔を見た>は開始も格別だ。

<良い奴悪い奴おかしな奴> ( 2008、以下<奴奴奴> )終わらせて米国映画を演出することにしたが、それをする前に密度感高い映画を一つしたかった。そのような折りチェ・ミンシク氏が<亜熱帯の夜>( <悪魔を見た>原题)というシナリオを渡して演出を依頼した。シナリオ自らの悪魔的気勢とエネルギーにひとまず反した。ところがこれをそのまま描くには多少映画がとても窮屈なだけすることと考えた。感性的な、情緒的な部分が必要だった。そのような要素は俳優に探さなければならないと考えて、偶然に試写会場で会ったイ・ビョンホン氏に話した。イ・ビョンホン氏はスヒョンの情緒を最も正確で繊細に表現できる、その一方でチェ・ミンシクという俳優と衝突するのに少しも遜色ない俳優であった。 'この二人がつく映画は果たしてどんな映画が出てくるだろうか?とする気がかりなことをかもし出す、現在の韓国映画最高のキャスティング中の一つではないだろうか。その二つを撮影するのが興味深かった。

-直接シナリオを使わなかった作品でもある。

若干ぎこちなかった。今でも『私の映画に合うか? 』とする。他人のシナリオを私に依頼したコジァンナ。あたかも解決者同じ感じがした。 (笑い)プロフェッショナルするように、完ぺきに処理しなければならない解決者同じ。他人のシナリオをどんなソリューションを持って表現しなければならないから他の映画よりもう少し妻の父同じ、裁断師のような感じで作った。正確にサイズ再考仮縫いして。エンディングが一番たくさん変わった。俳優らがついたのでたくさん変わったことだ。軽鉄(チェ・ミンシク)とスヒョンのキャラクターがさらに色が強くなって豊かにならなかったようだ。それは本当に演技者らの役割だった。

-イ・ビョンホンと三回目作業だ。何がそんなに良いのか。

何がそんなに良くてそんなことなく(笑い)イ・ビョンホン氏は立派な俳優だ。彼が表現する、イ・ビョンホンの小さい火種が好きだ。小さい火種と表現でも人の心を揺さぶっておくことができる途方もない力を持った感性の所有者なので共同作業するのが良い。三回目だから、ひとまずとても気楽で。互いに顔だけ見てもこれが良かったことか悪かったことか知ることが出来る。ビョンホン氏もとってモニター見なくて私の顔見た後また帰ったことがあるほどだ。また、ビョンホン氏と作業すれば現場がおもしろい。私たちがずっとしゃべるのではないが、ユーモア感覚のようなのが互いに通じる部分がある。

-監督の細心なティレクティンとイ・ビョンホンの所信がぶつかったことはないか?

アイディアが多い友人だ。时々私に入れ知恵を置いて私がのがす部分らを話したりもする。そのような『だらっと』が良くて互いに化学作用をたくさん起こすほうだ。これが映画に肯定的に作用した場合が多い。出た長く戦いはしない。 『私が考えること一つとって君が考えること一つとってみよう』という式だ。納得できないこととぶつかりはしない。 'そのようなことが出来る』『それもおもしろいが?するほどとかもう一度とってみようということだ。

- <静かな家族> ( 1998 )以後チェ・ミンシクとはしばしば会ったか?
<静かな家族>以後で何度(か) 、主演ではないが若干重要な助演にカメオのようにお願いしたことがあった。その時ごとに毎度拒絶された。 (笑い)あいにくチェ・ミンシク氏が違う作品をしている時であったから。そうするうちに今回チェ・ミンシク氏が提案したことだ。乱雑な部屋に聞き入れた。 (笑い)

-2人の俳優を調整する過程で俳優扱うスキルが増えただろう。

あえてそうしたこと意識しながらしてはいない。こうしたのはある。あまりにも二人がイメージ、氛囲気、演技するスタイルがとても違って、二つとも途方もない機宜所有者なので両側で気を奪われた。俳優らは私に気を奪われたというだろうが、一度はチェ・ミンシク先輩に本当に狂ったように気を奪われてその次にはイ・ビョンホン氏会えて奪われた。 <奴奴奴>は娯楽活劇であるから、見せる楽しみが目的なので精神的に骨を折ってはいない。今回は人の極端な感情を表現しなければならないということだ。互いに衝突しながらその感情をスクリーンに入れなければならないから、 『これらが回しながらするよ』という映画の中のセリフの感じがするほどあまり荷が重かったよ。 (笑い)

-イ・ビョンホンは現場でアイディアを多く出すといったが、チェ・ミンシクはどんなスタイルか?

あまりにも舞台で体系的に訓練して習われた方だ。アカデミックに演技者の行路をずっと歩いてこられた方とか、基本に徹底されたようだ。ひとまずテキストが硬くなければならなくてそれを自らのメソッドで接近しながら滞貨する方式の演技者だ。私がソル・キョング氏とは作業しなかったけれど、我が国の代表的な演技派俳優中にソン・ガンホ、ソル・キョング、チェ・ミンシク、イ・ビョンホンこのようにネットイッチャヌンガ。私は大きく三種類で分けるが、チェ・ミンシク食餌あってソン・ガンホ食餌あってイ・ビョンホン食餌あるようだ。チェ・ミンシク先輩はあまりにも基本が硬くなっていてこそその次ステップに行くことができる学び、ソン・ガンホ氏はそれを本能的に感知して動物的に表現する人であるようだ。それでチェ・ミンシクはクラシック一面があってソン・ガンホはかなりモダンな面がある。イ・ビョンホンはその二つをみな混ぜたようだ。とにかく私にはこの三分らが、その方らはどう思うかも知れないが、あまりにも大切な映画的同志でありパートナーだ。


2010-08-23 キム・ジョンフン記者
by kazem2 | 2010-08-23 18:58 | kim jee woon | Comments(0)