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[映画読み取り]人生最高のアイロニー(皮肉)

☆Taking Woodstock予告編
☆CINE21.com
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<テイキングウッドストック>この巨大な無秩序を自由な精神的に包み込む法


幼い時期、噂で聞いたウッドストックフェスティバルは伝説だった。リアン易再現した<テイキングウッドストック>の美徳は伝説を神話化しないで混沌と無秩序それ自体で見せるという点だ。ウッドストックに参加したミュージシャンらと彼らの音楽よりはウッドストック誕生に決定的役割をするエルリオッという人物と彼の家族史を中心に置いてその周囲でフェスティバル風景を幅広く配置した構図で映画が完成された。ウッドストックの大衆音楽史迹の地位や文化史的意味は他の筆者と紙面に先送りして女102期からはエルリオッ家族ドラマに焦点を合わせてみようとする。家族ドラマはリ案映画を貫く重要な制裁だ。ロックフェスティバルと家族ドラマ、似合いそうでないこの二種類を組み合わせさせた映画が<テイキングウッドストック>だ。南北戦争、ハルク、カウボーイなど米国の歴史と大衆文化を自身の映画の中に入れてきた監督なのでウッドストックを再現することが変なことはない。だが、家族とヒピズムがどんな調和を作り出すのか察しにくかった。両立できない二つの世界のきっ抗した緊張とそのスキ間で倫理的な態度を失わないように努める人物らはリ案映画の魅力だ。 <ブロークバックマウンテン>の仮装は家族と恋人を守ろうと秘密を作って嘘をついて、 <色、系>の女性スパイは相手を裏切らなければならない自身の任務に最も忠実な時愛の絶頂を迎える。根源的不条理だということを耐えてどちらか一方でも傾かない緊張の中にリ案式の倫理が存在する。彼の倫理が時には法と規範に配置されるがアイロニーにもそれは個人のアイデンティティや家族の秩序を守る選択だ。

家族ドラマのリアンシク葛藤解決法理案の前作らと結びつけてみようとするなら<テイキングウッドストック>は<カンフー先生><アイスストーム>が見せたシニカルな家族ドラマを一層やわらかくなった方式でけ継ぎながら、 <结婚披露宴><ブロークバックマウンテン>が提供した性アイデンティティと家族制度の混戦をより丈夫な態度で解決している。家族を眺めるシニカルな視線自体が消えたのではないが家庭という想像の共同体に内在した穴を認めるリ案の姿勢ははるかに寛容になった感じだ。 1970年代初期米国中産層家庭を食い込んだ暗い深淵を本当に陰鬱に描写した<アイスストーム>を思い出させれば差を実感することができる。結婚という(のは)制度は奴隷を作るということだと考えた自由な青年が責任感のために結婚をして( <ライドゥウイードデビル> ) 、ロマンチック愛を夢見た美しい娘は実演のすさまじい傷を体験して安定した家庭を作った( <センス、センサービリのふり> )リ案の前作で自由は人生の責任と安寧のために譲歩しなければならない価値であった。両親に傷つけたくないゲイ息子が登場する初期作<结婚披露宴>では皆があまり傷つかない妥協案で映画を縫い合わせたが、今回はどんな迂迴路も経ないで現実的解決策を見出す。 <テイキングウッドストック>は家族関係の中で葛藤を解消しない。家族構成員が各自自身のアイデンティティを訪ねて行く時葛藤は解決される。

エルリオット彼の両親は3日間開かれたウッドストックフェスティバルを通じて自由を体験する。自身の夢を後にしたまま両親の仕事の手伝いをする優しい青年エルリオットがフェスティバルに参加したヒッピーカップルと似合って大麻草を分けて吸う場面はこの映画で最も美しい映像を提供する。アニメーション処理された澄んでいてきらびやかな背景画面はエルリオットが感じる自由で夢幻的な感覚の経験を生き生きと伝達する。お金だけ分かる意地っ張りなママと無気力なお父さんは偶然に薬品が混ざったケーキを食べてあたかも生涯初めて自由を味わう人々のように雨の中で狂ったように踊る。こういうエピソードに法的、道徳的定規を当てるのはしばらく先送りしよう。

ウッドストックが開かれた1969年は今や、ベトナム戦反戦デモが激烈に広がって自然回帰を主張するヒッピーイズムが満開な時であることを記憶しよう。薬品に取って気持ち良く寝ついた両親に毛布を覆ってくれてエルリオットはほほえましさを感じるが翌朝これら家族は赤裸々なお互いの実体を見ることになる。 20年の間家族こっそりと集めておいた札束を抱いて寝ているママの姿を発見したお父さんと息子は言葉を失う。子供は夢をあきらめて、人生の唯一の根拠地のモーテルが差押される危機でも自身が集めた札束を取り出さなかったママを見て息子は本当に自由を勝ち取る勇気を得る。

家族という価値に自ら束縛された自身を取りまとめて夢を探して舞い上がれることになったのだ。札束に頼らなくては耐えることができなかったママの恐れを理解するというお父さんは愛をいう。どのようにあんなママと40年を生きてきたのか息子はお父さんを理解できないが、自身の自由な感情によりお父さんはママを愛する。

<结婚披露宴>で<ブロークバックマウンテン>までリ安易たやすい家族ヒューマニズムに抜けないこともあった力は不便なのを直視して耐える姿勢から出る。 <カンフー先生>の主師父は米国人嫁と平和に暮らせるところを悩んでチャイナタウンに家を得る。距離をおいてこそ良い感情を維持することができるという人生の知恵を行動で移す主師父に多少寂しい影が垂らすとしても彼の選択は正しい。家族和合に関する<结婚披露宴>のジャンル的縫合で<アイスストーム>の暗い展望を経て<ブロークバックマウンテン>に到達した時リアンは留保する態度を見せる。 <ブロークバックマウンテン>の主人公エニスは、"私は誓うことが... " ( I swear )という話を残した。目的語が喪失になったこの文章の答がもしかしたら<テイキングウッドストック>にあるのか分からない。エルリオットに友人が話す。 "家族問題でこそ前宇宙で最も重要なのではないか?"問題を認めるのは解決の第一歩だ。

義務と自由のジレンマで苦しんだエニスは妻が守る現実の家庭と同性恋人が待つ山の上憩い場の間をシジフォスのようにかろうじて行き来した。 <テイキングウッドストック>のエルリオットやはり映画序盤にはエニスのように荷を背負っている姿だ。そうするうちにウッドストックというターニングポイントを迎えるを逃れることになる。リアンは今回の映画を通じて義務と自由の力に余った戦場だった家庭に自由の磁場をもう少し広く付与するようだ。義務と自由の対決構図が薄れて代わりに自由という大きな原理の中に義務が落ち着く局面で転換されたのだ。

その美しい混沌の逆賜与デビュー作からアイロニーという主題を追求したリ案は今回の映画で人生最高のアイロニーが何か見せる。自伝小説を土台に作られたこの映画を見れば知ることが出来るようにウッドストックフェスティバルがエルリオットの故郷ホワイトレイクで開かれることになったのは連続した偶然と偶発の結果だ。偶然が運命になる調和でこそ人生最高アイロニーだ。フェスティバル開催前までの仕事もそうだが、雨が降らないことという予想とは別にフェスティバル期間中豪雨が降って音響機器が故障して全村がぬかるみに変わったこと全部計画とは関係がない。フェスティバルが終わってゴミで覆いかぶさった丘を眺めてエルリオットは"美しくて" ( Beautiful )を連発する。そして映画はまた再びエルリオットの視線を通した夢幻的画面を提示する。具体的な生産とは距離が遠く見えるミュージシャンら、彼らに熱狂するヒッピーらで人だかりを成し遂げたロックフェスティバルの終わりにはゴミだけ残ったと見ることもできるがエルリオットは美しさを見る。

エルリオットの自由な精神はゴミが美しさになる魔術を働かせた。自由な精神は簡単に規定して裁たなくて権威を付与するのを敬遠してする。大麻草に酔っぱらったヒッピー族、裸体族、水一通まで高値を受けて利潤を取りまとめる村住民たち、豪雨による感電死で、泥沼に変わった丘、 50万の人波が入り乱れた風景は混沌だ。 20世紀にこういう混沌の歴史があったとのことが幸いだ。リ案は、宇宙の初めの闇中で世の中が創造されたように文化の新しい一頁を開くウッドストックという巨大な混沌を自由な精神で記録した。

文:イ・ヒョンギョン(映画評論家)2010.08.12
by kazem2 | 2010-08-12 10:46 | Comments(0)